「駅舎に泊まる」旅 Part5(天塩弥生駅編)

■はじめに
 駅舎自体に宿泊できるところに訪問するこのシリーズであるが、今回は深名線の天塩弥生駅である。ただし、様々な意味で「例外的」扱いである。
 まず、深名線自体は1995年に廃止されており、駅の機能はもちろん鉄道としても機能していない。そして天塩弥生駅であるが、往年の駅舎がそのまま残っている訳ではなく、復元されたものである。よって、厳密には「駅舎に泊まる」のではなく、「駅跡に完成した民宿に泊まる」が正しい表現である。
 しかし、詳細は後述するが、見た目や内装、手続等、駅らしさは随所に見られ、かなり「鉄分」は多目の施設である。よって、このシリーズに加えてしまうことにした。
 なお往路の旭川行の飛行機は、羽田発7時00分である。民宿に泊まるだけならもっとゆっくり移動すればいいのだが、実は5・6月の週末に走行する「花たび そうや」に乗ろうと思い、飛行機だけ早期割引で買っておいたのである。しかし、当該列車の指定席は発売日の「10時打ち」でも撃沈。旭川までの航空券を有効活用するため、目的を変更したという理由もあった。
 復路は稚内空港からの便を押さえていたが、これは仕方なくキャンセルした(レンタカーを稚内空港に乗り捨てることも考えたが、乗り捨て料金が高額過ぎて断念)。結局、特典航空券で旭川空港から戻ることにした。
 なおレンタカーで2日間移動できるため、道北・道東の鉄道遺構をいくつか訪問することにした。

【過去のシリーズ】
「駅舎に泊まる」旅 Part1(田川伊田駅編)
「駅舎に泊まる」旅 Part2(高野下駅編)
「駅舎に泊まる」旅 Part3(平岡駅編)+とにかく特急に乗るだけの旅 Part4(東海編)
「駅舎に泊まる」旅 Part4(比羅夫駅・阿仁前田温泉駅編)


@名寄市内にて

■2022.5.21
 最寄駅で始発に乗っても羽田空港着は6時33分である。2か月前、今回と同様に7時発の便に乗るためにその列車に乗ったが、到着が2分遅れたため検査場のゲート通過は締め切りギリギリであった。よって今日は、JR駅まで50分ほど歩いて、そこから移動することにしている。
 3時過ぎに起きて4時過ぎに家を出て、歩いてJR松戸駅へ、5時05分の列車で上野に向かい浜松町でモノレールに乗り換えて、羽田空港には6時10分に到着した。これなら楽々である(しかし眠いが)。
 カードラウンジで一休みしてから、バスで搭乗。久々のエア・ドゥである。

@値段優先で

 定刻より少し遅れて出発し、旭川空港には8時40分頃に到着した。
 レンタカーの送迎車で店舗へ向かい、軽自動車を借用。このまま天塩弥生駅に向かっても早すぎるため、あれこれと寄り道をすることにしている。まずは、渚滑線の終着駅であった北見滝ノ上駅跡である。
 無料高速などを経由し、2時間ほど走って目的地に到着した。

@公開中

 ここには過去2回ほど来ている記憶があるが、いつも中途半端な時間や季節(朝早い時間や閑散期など)であったため、駅の外観と駅舎の後ろにある短いレールくらいしか見たことがない。今日は昼前の程良い時間であったため、屋内に展示してある品を見学することができた。

@一例

 渚滑線は木材運搬などを目的として敷設され、それが衰退したことも廃線に影響したとの説明が書いてあった。レンタカーで走っている途中に木材運搬のトラックを何台も見かけて気になっていたが、あの程度の量では鉄道を支える程ではないのであろう。
 ここ滝ノ上では駅跡と道の駅に寄るだけの予定であったが、偶然にも芝桜が満開である。「せっかくだから訪問しよう」と思ったが、駐車場待ちの列は大渋滞であった。仕方なく、遠くから眺めるだけにした。

@遠くからでも充分に奇麗

 北見滝ノ上を後にして、続いて向かうのは上興部駅跡(現在は鉄道資料館)である。長閑な道を30分ほど走り、目的地に到着した。かなり小奇麗に整備されており、廃線後30年以上経過しているとは思えない。

@奇麗

 駅舎内に入ると、待合室には客車の座席が置いてあり、壁には「乗って残そう名寄本線」の大きな横断幕が残されている。駅スタンプが今でも押せる状態で置いてあるのが嬉しい。奥にドアがあったので入ってみると、たくさんの資料が展示されている部屋であった。

@資料館

 少し時間をかけて、展示物を見学した。
 さてこの駅には、駅舎だけではなくてホームも残されており、そこには鉄道車両(キハ27系と除雪車)も残されている。名寄本線には今から36年前に滑り込みで乗車しているが、この辺り(天北峠)でボロ車両(たぶんキハ22)がウンウン唸っていたので運転席に行ってみると、時速30キロ程度だった記憶がある。

@急行用車両

 次の目的地は名寄の北国博物館にある「キマロキ」(機関車・マックレー車・ロータリー車・機関車)編成であるが、上興部駅跡の近くに道の駅があったのでトイレ休憩込みで寄ってみた。非常に小さな道の駅で、売店に売っている品も数えるほどしかないが、ヒグマと鹿の缶詰があったのでつい買ってしまった。鹿については道内各所でよく見かけるが、ヒグマは珍しい。

@味は不明(熊が550円で鹿が670円であり、意外に高くない)

 昼時であったため、コロッケなどの総菜でもあれば買おうかと思っていたが、上述した通りの規模であったため断念。名寄への道を進めることにした。
 上述した通り名寄本線は廃線となってから30年以上も経過しているため、路盤の跡などはあまり残っていない。しかし国道を走っていると、所々で「跨線橋」が残っている(線路が廃止になったからといって国道の跨線橋を平らにするには経費がかかるため、そのままになっている)。つまりその下は、確実に廃線跡である。

@こんな感じ

 人家が多くなってきて名寄市内に入り、キマロキ編成のある名寄市北国博物館近くに到着した。無料の駐車場に車を停め、まずは撮影である。

@長い

 車両の背後には駅名標もあったが、なぜか今日の目的地でもある天塩弥生であった(表紙写真)。
 さて、まだまだ時間は残っている。渚滑線・名寄本線の次は、美幸線である(仁宇布で美幸線跡を使用したトロッコが営業しており、15時の便をネット予約済である)。
 無料高速などを経由し、美深からは美幸線廃線跡に沿って仁宇布に向かった。「このままだと少し早く着き過ぎるな」と思って無料休憩スペースに車を停めると、そこがトロッコの折り返し地点であった。つまり、その手前(美深側)は廃線跡が残っているはずである。行って見ると、枕木などがまだ残されている路盤跡があった。

@廃線跡

 仁宇布駅跡にある「トロッコ王国」に向かい、窓口で手続きを済ませた(お1人様で乗車する場合は、ネットで1,500円を決済していても、ここで別途300円追加が必要)。乗車券が発券され、また「国」であるために査証も交付された。

@一式

 この時点で14時30分過ぎであり、トロッコの出発までまだ時間はある。しかし、暇つぶしのネタはたくさんある。一番のネタは、敷地内にある583系であろう。外観および内装はかなり朽ち果て気味であるが、このような貴重な車両がある(しかも中に入ることもできる)のは嬉しい。

@ボロボロですが

 出発の10分前、係員より簡単な説明を受けた。踏切跡はまだ残っているが、もう廃線であるため車が優先であるとのこと。また、橋の上などでは徐行することなどが説明された。
 15時の便は、1台目が家族連れで2台目が私、の2台だけであった。トロッコと言うと自転車のように足漕ぎのものが連想されるが、ここのトロッコはエンジン付きであるため、運転は非常に楽である。

@こんなトロッコ

 私のトロッコのエンジンも動き出し、無事に出発した。動き出してしばらくすると、件の踏切である。しかし、本当に車が横切っていた踏切はここくらいであり、それ以外の踏切は「獣も通らないんじゃないか」という感じの細い道路であった。

@ここは一時停止

 速度計は付いていないので正確なスピードは不明であるが、時速15キロ程度でのんびりと走り続けた。路盤のすぐ脇には、大きな白樺が生えていたりする。通常の鉄道車両ならぶつかってしまうであろうが、よく考えたら廃線後35年以上経過しているため、廃線してから生え始めた白樺であろう。
 橋の上でも、少し徐行である。

@なかなか面白い

 先ほど立ち寄った折り返し地点でぐるっと回り、往復約40分で仁宇布駅跡に戻って来た。私が初めて北海道一人旅をしたのは1986年であり、その時点で美幸線はもう廃止となってしまっていたが、今回このようにして5kmだけでも乗ることができたので、良い経験となった。
 さて、続いての目的地は、美深駅である。ここの2階には美幸線に関する資料館があり、先ほどの「復習」として資料を見るためである。16時を過ぎており開館時間が気になったが、無事にまだ開いている時間であった。

@乗りたかった

 同資料館を見終えてから車を南下させ、やっと宿へと向かう。カーナビで名称検索させたのにヒットしなかったが、深名線のルートは分かるので、天塩弥生駅であった付近を指で押して設定すればいいだけである。
 17時少し前、今日の宿「天塩弥生駅」に到着した。外観は、そのまま駅である。

@見た目は駅

 駅構内(?)に入り、宿泊の手続きをした。予約はもちろん事前に電話で入れており、2食付きで5,500円。受付を済ませると、乗車券が手渡された。

@こんな感じ

 私の部屋は木製ベッドの下段であり、解放A寝台の下段のような感じである。広くはないが電源コンセントもあるので、充分である。
(なお、上記の切符では「2の下段」となっているが、実際は変更があって「6の下段」となった)

@今日の寝床

 軽くシャワーを浴びたが、夕食(18時30分過ぎ)まで時間があるため、駅付近を散策した。駅舎の南側が路盤跡であり、レールの切れ端などが置いてところもあった。深名線は特殊な事情(代替道路がない)ということで、大赤字であったのに1995年まで生き永らえたため私も何度か乗車したことがある。
 今は代替バスとなっており、バス停に時刻が掲示されていたが、毎日走るのは3往復だけであった。その3本しかないうちの1本(17時19分発の名寄行)が通過していったが、通常のバスより少し小さいタイプであった。

@ちなみに、宿の「窓口」はこんな感じ

 散策といっても、周囲にこれとって見るものはない。早々に宿に戻り、ベッド内で携帯を見ているうちに夕食の時間となった。
 魚の煮つけや茶わん蒸しや酢の物など、多種多様の品があったが、それもこれも非常に手の込んだ総菜であった。これで2食付き5,500円は、かなり安いと思う。

@どれも美味

 なおビールも映り込んでいるが、もちろん別料金である。ビール→強い酒の流れにしようと思っていたが、今日はビールしかないということで、2本頼むことにした。
 追加の飲料等を注文すると、レシートではなく車内補充券のようなものが渡される。このように、至る所で鉄分満載である。

@2本頼んだので穴も2か所

 上記の夕食だけでもお腹いっぱいだが、アルコールを頼んだのでオマケとしてアスパラの天ぷらまでこの後に追加となった。
 夕食後はおしゃべりタイムもあるようだが、いかんせん朝の3時起きが影響しており(運転中も眠くて大声を何回も出したりしていた)、夕食が終わり次第ベッドに戻って寝てしまった。

■2022.5.22
 8時間以上も寝て睡眠時間を取り戻し、4時過ぎに起床。朝シャワーを浴びてからは、とりあえず散策である(何もないことは知りつつ)。緯度が高いので、起きた時点でもう明るい。

@この辺りに線路があった

 朝食は7時半頃ということであったので、共有スペースでテレビを観ながらこの旅行記を書いたりしていた。ふと外を見ると、猫が2匹いて先に「ご飯タイム」のようであった。ということで、猫の食事が終わるのを見計らって外に出てお相手をすることにした。
 正面から写真を撮りたいのだが、いかんせん人懐こ過ぎて「突進してくる」ため、撮影はままならなかった。

@こんな写真ばかり

 猫タイムが終わると、自分の朝食である。写真では伝わり難いが、今朝も非常に手の込んだ品々であった。蕎麦は真っ黒い麺であり、音威子府の蕎麦を思い出させる。今日は、その音威子府の蕎麦を買う予定である。

@食事前にはコーヒーのサービスもある

 食事を頂いた後は、早速出発である。今日の最初の目的地は、敏音知(ピンネシリ)駅跡である。
 天北線(音威子府−南稚内)は、私が初めて北海道一人旅をした際はギリギリ残っていたが、普通の北海道観光を優先してしまって乗り損ねた路線である。登別温泉などに行かずに、これに乗ればよかったと思うと臍を噛む思いである。
 7時45分頃に宿を出発し、「道の駅ピンネシリ」にはちょうど9時に到着した。隣りの敷地にキャンプ場があり、そこに敏音知駅関係の展示などがある。

@このように

 残念ながら復刻されたホームであるが、このようにして過去の歴史を残してもらえるのは嬉しい限りである。
 ホームに佇んでいると、音威子府行の路線バス(天北線代替バス)が通り過ぎて行った。この区間はもう1日に2往復しかないはずであるが、乗客はゼロであった。
 道の駅の売店を見学してから、今来た道を戻って音威子府方面へ。跨線橋があったので今日も停まってみたが、草が覆い茂っており路盤は判別できないくらいであった。
 小頓別駅跡にも寄ってみたが、駅跡地には何も残っていなかった(バスターミナルに「小頓別駅」の木製の表示があったくらい)。
 仕方なく、再度音威子府方面に車を走らせた。とある地点で鉄橋跡をやっと発見した。

@見つけた

 しばらくして、「道の駅おといねっぷ」に到着した。
 音威子府といえば、あの真っ黒な駅蕎麦が有名である。私も何回か(3回くらい?)食べており、お土産の生蕎麦も何回か買って帰っている。
 しかし、店主が亡くなったことにより、2021年の2月に駅の蕎麦屋が閉店してしまったのである(2020年からコロナと店主の体調不良もあって休店していた)。残念ではあるが、「しかし麺があれば今後は自分で」と思っていたところ、なんと製麺所も今年の8月でなくなってしまうという。
 ということで、これが最後の音威子府蕎麦の購入である。

@1人5本までに購入制限されていた

 駅蕎麦はなくなってしまうし、味噌パンの店もかなり前になくなってしまった。今後、「音威子府で降りてみよう」と思う気になれるかどうか、不安である。
 蕎麦を無事に購入してから、すぐ近くにある音威子府駅へ。上述した通り蕎麦を食べるためだけに途中下車したこともあるため、この駅にある天北線資料室は以前に見たことはあるが、「復習」として再訪問である。
 駅構内に蕎麦屋跡には閉店の案内が掲示され、店主の大きな写真が数枚あった。今後は、お土産の蕎麦すら買えないのは残念である。

@こちらは資料室内

 資料室を見た後は、美深にあった道の駅を経由し、駅名標と短いレールしかない朱鞠内駅跡を再訪した。続いての目的地は、同じく深名線の添牛内駅跡である。
 交通の少ない道路を走り続け、11時45分頃に同駅跡に到着した。駅舎が残されているだけで中には入れないが、ボロボロのホームもまだ残っているし、駅ノート(訪問者が書き込むノート)もある。何より、駅スタンプ(かなり新しい)があったのには驚かされた。

@まだ残っている

 同駅跡を出発した跡は、士別と剣淵にあった道の駅に寄りながら走り続け、塩狩駅に向かった。駅が目的ではなくて、駅の近くにある塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)が目的地である。
 受付で料金を支払うと、受付のおばさんが「今日は可愛い列車が来るみたいで」とのこと。すぐに「花たび そうやのことだな」と分かった。
 同記念館を見終えたのが13時半過ぎで、花たび そうやの到着時刻が13時52分。待てない時間ではないし、旭川空港への移動も充分間に合う。ということで、予定変更をして到着を待つことにした。
 しばらくして、今回は残念ながら指定券が手配できなかった列車が入線してきた。

@乗りたかった

 駅周囲にはいつの間にか20人くらいの見学者(撮影者)がおり、6人くらいの地元職員(お見送り等)や3人くらいの警備員もおり、大賑わいであった。
 次回こそこれに乗りたい、と思うが、そもそも運転本数が少なすぎである。列車名を変えて、春から秋までずっと土日は走るくらいにして、競争率を下げてほしい気もする。
 列車を無事に見届けてからは空港へ向かい(跨線橋には上記列車の撮影目的の人がたくさんいて吃驚した)、レンタカーの返却手続きをして15時過ぎには空港内に入り、そして16時25分の便は、10分ほど遅れて旭川空港を出発した。
 今回は鉄道での移動はほぼなかったが、ほとんどが鐡ネタの旅行であった。

@朱鞠内駅跡はこんな状態

 

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system