「動かない列車」に乗る旅 Part5

■はじめに
 このシリーズは、鉄道の車両が二次利用され宿泊施設になっている場所に泊まり、今ではほとんど淘汰されてしまった夜行列車気分を味わうもので、過去に4回ほど実施してきている。

1回目(2010年10月)
 ・阿久根ツーリングSTAYtion(鹿児島県阿久根市) ※2014年閉鎖
 ・ブルートレインたらぎ(熊本県多良木町)
 ・TR列車の宿(宮崎県日之影町)
2回目(2017年5月)
 ・トレインホステル北斗星(東京都中央区) ※2021年7月営業休止
 ・ブルートレインあけぼの(秋田県小坂町)
3回目(2019年11月)
 ・ブルートレイン日本海(岩手県岩泉町)
(2008年に閉鎖された小岩井農場にある「SLホテル」の外観も見学)
4回目(2021年9月)
 ・モーニングサラダ(山梨県富士河口湖町)
 ・民宿あずさ号(長野県上田市)

 今回は、大分県にある以下の2か所に訪問することにしている。
1.くじゅうエイドステーション
 キャンプ場であるが、コテージとして国鉄時代の貨車が使用されている。山中にあるためアクセスはし難いが、往路は最寄りバス停から40分ほど歩き、復路は最寄駅(豊後中村)まで3時間ほどハイキングをすることにした(なお、頼めば送迎してくれる模様)。
 素泊り(2,750円)も可能であるが、夕食(1,650円)だけ付けてみた。
2.汽車ポッポ食堂と民宿・別邸
 以前からも鉄道車両を再利用している食堂であったが、2020年12月に耶馬渓鉄道の車両(3両)を大改造して宿泊施設として開業。1人で宿泊すると、2食付きで2万5千円を超えてしまうが、ここはもう思い切って宿泊してみることにした。
 別邸には、「青の杜<KAWASEMI>」「耶馬渓の杜<SEKIREI>」「国東の杜<SHIOKAZE>」とあるが、青の杜を予約してみた。3つの中では一番狭いが(それでも82平米もある)、元の車両が一番古い(昭和10年製である)ため、これに決定した。

 月曜日を休むと4連休になるため、おまけとして広島県内の私鉄乗り潰しをしてくることにした。

@中津市内にて

■2021.11.20
 2泊目の宿泊で散財するため、経費は絞らなければならない。ということで、往路は成田から大分へのLCC、復路は広島から羽田への特典航空券である。
 成田発7時20分の便で飛び立ち、大分には9時20分頃に到着した。

@高崎山ゆるキャラが出迎え

 空港連絡バスで大分駅へ。2時間近く時間があったが、適当に商店街を散策したり、駅近くのスーパーで夜用の酒を買ったりして時間を潰した。
 12時53分の列車に乗車。途中の由布院では、観光列車「或る列車」とも行き違った。
 目的の豊後中村には14時28分に到着した。ここからは、コミュニティバスに乗り換えである。

@一律500円

 15時05分、「飯田(はんだ)交流センター」で下車。ここから宿まで、歩いても40分以内である。
 大雨や大寒波だったらどうしようかと思っていたが、季節外れのポカポカ陽気で少し暑いくらいであった。
 自然散策路に寄り道をしたりして、16時頃に宿に到着した。

@看板もから鐡っぽく

 受付を済ませて、今日の宿泊棟へ。サイト内には6両の宿泊棟があるが、そのほとんどは「貨車の一部が車掌車(一体型)」というものである(形式は「ワフ」)。しかし私の部屋は、サイト内の宿泊棟では唯一の車掌専用車両であった(形式は「ヨ」)。ただし逆に言うなれば、その分内部は「激狭」でもある。

@手前の車両

 しかし、この車両になったのは、鉄道好きとしては「当たり」である。他の車両の場合、広めのスペースにベッドを置いただけのような感じであるが、なにせ車掌専用車であるため、車内に昔の設備がそのまま残っているのである。
 例えば、座席の部分なども。

@動いているときに乗ってみたい

 さらに入口の横にも、小さな机と椅子がある。机の壁側には小さな書類入れも残っており、ここに必要書類を入れたりしていたのであろうか。

@作業場所?

 何よりインパクトがあるのが、電源のスイッチ類である。天井にある蛍光灯や、AC電源コンセント(これのおかげで充電もできる)、これらのスイッチであるが、現役そのままなのである。

@生きている

 今日はもう季節的に使用しないが、扇風機も付いている。当然、国鉄(JNR)マーク付きである。

@当然

 その他にも、圧力計とそのコックや、ドアが開かないトイレ跡などのネタもあるが、キリがないのでこの程度にしておきたい。
 しかし、どうしても紹介したいものがあと1つだけある。激狭の部屋の全景はこの通りであるが、天井に穴が開いている。

@こんな状態

 これは何かというと、モノ自体はもう車内からは消えているが、その説明書きだけが壁に残されていることから判明できる。つまり、石油ストーブの煙突を外に出すための穴なのである。

@この車両のほとんどはストーブが占領していた?

 石油ストーブは撤去されているが、車内には灯油のファンヒーターが置かれている。別料金で300円であるが、天気予報によると明日の朝は3度に下がるということなので、早速灯油を持ってきてもらった。
 ヒーターのスイッチを入れ、この旅行記などを作成。窓越しの景色を見ていると、ローカル鉄道に乗っているような錯覚に陥りそうである。

@景色よし

 さて、お待ちかねの夕食である。「夏はバーベキュー、冬は鍋」と書いてあったので、鍋かなぁと少し残念に思っていたのだが(やはりキャンプ場と言えばバーベキュー)、今日は昼が温かかったこともあり、バーベキューであるという。
 と、その前に、18時30分からキャンプファイヤーがあるということで、せっかくのキャンプ場であるのでちょっと見に行ってみることにした。

@燃〜えろよ燃えろ〜よ

 ということで、やっと夕食である。事前に伝えていた希望の時間に受付をした建屋に向かうと、すでにセッティングがされていた。
 やはり、キャンプ場と言えばバーベキューである。持ち込みOKということであったので、持参した日本酒と唐揚げも追加し、一気に酔っぱらいモードである。

@キャンプ場なので

 夕食後は激狭の車掌車に戻り、20時過ぎには就寝してしまった。

■201.11.21
 寝たのが早かったため、朝の4時には起きてしまった。かなり寒いが、ファンヒーター様様である。
 起きれば当然トイレに行くが、ここも貨車を再利用した建物であった(しかも車掌専用車)。トイレの写真、と言うと気が引けるが、ぱっと見は車両の写真である。

@車両っぽい

 さて、昨日利用したコミュニティバスの本数が日曜は特に少ないため、今日はかなり歩かなければならない。8時頃にチェックアウトをして、ひたすら長閑な高原の道を歩き続けた。
 50分ほどで辿り着いたのが、「九重“夢”大吊橋」である。私はまぁまぁ高所恐怖症の気があるので自ら進んで歩きたいとは思わないが、ここまでの規模(高さ日本一)となれば話は別である。ということで、500円を支払って無理して渡ってみた。

@怖かった(対岸より)

 吊橋を渡った後は、地場産の野菜売り場で自然薯と唐辛子を購入して、そしてまたひたすら歩き続けた(奇麗な滝などもあったが、旅行記の本筋とは異なるため省略)。
 それにしても、2時間以上歩き続けるとさすがにお腹が減ってきてしまった。「山中で店もないしどうしようか」と思ったその時、やまめ料理専門店が急に目の前に現れた。まだ10時台なのに開店しているし、ネットでの評判も悪くはない。ということで早速店に入り、塩焼きセットの注文である。

@長閑なメニュー

 メニューには刺身や日本酒もあってかなり惹かれたが、駅まではまだ1時間20分くらい歩かなければならないため、断念である。
 セットを平らげてから、ひたすら歩いて駅へ。12時半頃に豊後中村駅に到着した。
 ここで1時間ほど時間があるので待合室でスマホをしていると、今日もまた「或る列車」と出くわした。この列車は多種多様なスイーツが提供される観光列車であり、私も今年5月に乗車しているが(拙文「【大人鐡25】JR九州「或る列車」編」参照)、現在走っているプランでは普通のコース料理が提供されているという(お肉などが提供される)。

@旅行記の本筋ではないが、鐡ネタなので掲載

 13時23分の列車で大分に向かい、14時51分に到着。同駅で15時04分発の中津行に乗り換え、16時42分に到着した。今日の昼過ぎまでは天気であったが、だんだん曇って来て、中津到着直前になって雨が降り出してきた。
 駅から30分ほど歩いて、汽車ポッポ食堂へ。もう日が暮れかかっているが、SLや客車が並んでいるこの様子は、数年前にも撮影したことがある。

@外観については「再訪」

 SLは展示されているだけであるが、中央と左側の客車は食堂となっている(この後の夕食は中央の車両内で頂いた)。
 受付で手続きをして、早速「別邸」へ。車両全体を写すのは困難であるが、まぎれもない耶馬渓鉄道の客車である。

@収まらない

 内部に入ると、ぱっと見は「豪華リゾートホテル」のような感じで、鉄道っぽい雰囲気はない。手前にソファーがあり、奥にはベッドが4つ配置されている。

@普通の客室

 しかし至る場所で、これが車両であったことを物語っている部分は残されている。何よりも顕著なのが、その運転席である。

@かなり古い

 そして室内の床2か所がガラス張りになっており、そこから台車や枕木、バラストを見ることができるようになっている。

@線路の上

 それ以外にも、細々した物が残されている。現代の鉄道車両では絶滅してしまった灰皿(壁に付いている)や、様々な掲示物などである。

@その一例

 なおトイレや風呂は、畳敷きのホームの反対側に別途作られており、かなり広々としたスペースであった。
 あれこれ探索してからは風呂に入り、夕食である。前述した通り別の客車の内部で頂いたのだが、天ぷらも揚げたてであったし、最後の締めは中津らしく唐揚げであった。

@奥は座敷(私が夕食を頂いた車両は左手)

■2021.11.22
 早朝に起きてこの旅行記を作成したりして(別邸の室内にテレビはないため、PCでラジオ等を聞きながら)、明るくなってから外に出て外観の見学をした。
 別邸には前述した通り3両の車両があるが、それぞれが建屋に覆われている。私が泊まっているKAWASEMIは、食堂から見て一番手前の建屋である。

@別邸

 その後は昨日と同じ明治時代の旧型車両に行き、朝食を頂いた。
 朝食後はゆっくりと部屋で過ごして、9時半頃にチェックアウト。まずは中津市内にある中津城などを観光して、12時13分の列車で小倉に移動してからは漫画ミュージアムを拝観したり市場で小倉名物の「ぬかだき」を買ったりした。

@普通の観光も(中津城)

 実は当初は各駅停車を乗り継いで広島に行こうと考えていたが、青春18きっぷの季節ではないためそれなりに高く、また乗り換えも面倒でもある。そこであれこれ検索したところ行きついたのが、「おとなび」会員向けの割引切符で、小倉から広島まで「こだま」ならたったの3,060円というあり得ない値段設定なのであった。通常は運賃だけでも3,740円する区間であるから、半額以下である。
 いずれにしても新幹線移動になったおかげで時間が大幅に余り、上記のような普通の観光ができたのである。

@こちらは小倉にて

 「レールスター」車両のこだまで広島へ移動した後は、駅に近いホテル(まだコロナ患者が多かった時期に予約したため、通常の半額程度)に投宿した。

■2021.11.23
 さて、今日の「乗り潰し」は旅行記的には蛇足的な感じであるため、簡単に紹介するだけに留めたい。
 チェックアウト後に市電で中心部に向かい、まずはアストラムラインの制覇である。

@ホームからは撮影ができないため行き違いの列車を撮影

 終点から折り返し、途中の大町からJR可部線に乗り換えて終着まで乗車(可部線自体は乗車済みであるため、蛇足の蛇足である)。折り返しは横川まで乗り、続いては広電の市電制覇である。
 なお、市電自体は20年くらい前に何度も出張に来た際にかなり乗っているが、舟入幸町より先(江波まで)が乗ったかどうか記憶が怪しいので、まとめて市内線全部乗ることにしている。
 まずは江波まで行き、続いて広島港へ。最後は白島で終わりである。

@旧車も活躍中

 JR広島駅に行き、13時05分発の山陽本線白市行に乗車した。いつもならこのまま白市まで行って空港連絡バスに乗り換えるが、今日は途中の瀬野で降りることにしている。というのも、この駅付近からスカイレールという鉄道が接続しているからである。
 鉄道と言っても、種別としてはモノレールであり、しかも車両はゴンドラみたいな小ささである(席は8人分だけ)。13時30分に出発したが、なんだか遊戯に乗っているような感じであった。

@鉄道の一種です

 終点の「みどり中央」まで行き、復路は歩いて下山してきた。
 その後は山陽本線で白市まで行き、いつものパターンで帰るだけである。

 

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