「動かない列車」に乗る旅

はじめに
 昭和40年代の後半になり、日本のSLが在来線から廃止されてくると、それと入れ替わるようにして国内各地に「SLホテル」なるものが造られ始めた。
 それとは、使われなくなったSLを先頭に寝台車を何両か連ねたものであって、昭和49年に四国の中村駅に出来たのを皮切りに最盛期には10か所以上にも及び、物珍しさからそれなりに人を惹き付けていたが、ブームが過ぎ去ると一つひとつ消えていき、今となってはすべてなくなってしまっている。
 それもそのはず、見た目としては印象に残るが、宿泊スペースとしてはかなり狭く(カプセルホテル以下)、防音等も整っておらず、洗面等の設備もとても良いとは言えないものであるから、無理もないであろう。そもそも、寝ながらにして移動できるからこそ価値があるわけで、停まっていてただ宿泊するだけには、充分なハードウェアであるとは言い難い。
 次に現れてきたのが、北海道の廃線(廃駅)跡などに造られるようになった、簡易宿泊所である。それとは、車両内をカーペット状に改造し、無料もしくは低価格で利用できるものである。これらには、一部無くなってしまったものもあるが、現在でも興部や振内、北見相生や計呂地など、道内の何か所かで利用することができる。
 そして最近、特に九州地方で増えつつあるのが、廃止になったブルートレインなどの車両を利用した宿泊施設である。2009年の阿久根を皮切りに、今年の7月には多良木にも出来たというニュースを耳にした。さらに、寝台車ではないが、災害によって2005年に廃線になってしまった高千穂鉄道の車両を大幅に改造して造られた宿泊施設も、今春に日之影に完成したという。今回は、それらすべてに泊まって(乗って?)こようかと思う。

2010.10.9 ひたすら鹿児島へ、阿久根で泊まる
 鹿児島へ向かうのであれば、ほんの数年前であれば迷いなく「はやぶさ」に乗ったのであるが、廃止となってしまった今ではそうすることもできない。よって、味気ないが飛行機である。かなり前に格安航空券を予約したが、3連休の初日ということもあり、熊本空港や鹿児島空港への便は夕方遅くまでかなり高い値段設定であり、あれこれ考え、昼過ぎに福岡空港へ向かう便にしておいた。
 羽田空港発13時25分、福岡空港着は予定より20分遅れの15時35分。急いで地下鉄乗り場へ向かい、博多に着いてからはまた急いでチケットショップへ行き、熊本までのバラ売り回数券を購入する。
 連休ということもあり、自由席で座れるかどうか不安であったが、乗ろうとしていた「リレーつばめ19号」新八代行は、7両編成の後ろに4両の熊本行の増結車両を従わせていたため、ゆったりと確保することができた。

@この行先表示が見られるのも、あと数か月のみ

 博多出発は定刻の16時14分。思い起こしてみると、最近は海外ばかりで、日本国内の電車特急に乗車するのは久々である。つい先月がインドネシアだったこともあり、日本の在来線特急の乗り心地はこれほどまでに良いのか、と頗る感心した。私が乗っている車両は、決して最新型ではない、以前は「ありあけ」で使用されていたものの「お下がり」である。それでも、比較にならないくらいスムーズである。
 沿線では、開業まで半年を切った九州新幹線の高架が寄り添っている。熊本へは、遅れることなく到着した。駅構内は改装工事中で、ホームには人吉方面からやってきた観光用のSLが停まって煙を上げている。
 一度改札を出て、自動販売機で出水までの切符を購入しようとしたが、全区間の自由席特急券(新八代までのリレー号自由席+新幹線自由席)と乗車券の組み合わせしかない。私があれこれ事前に時刻表やインターネットで検索して考えたのは、「乗車券は出水まで。しかし新八代までは在来線で、新八代から出水まで新幹線自由席」なのであるが、そういう買い方は機械ではできないようである。窓口は人が並んでいたため、新八代までの切符だけを買って中に入った。SLの写真を撮り、夜用に駅弁(阿蘇赤うし)も買っておいた。
 面倒な切符の買い方をすると思われるかもしれないが、ただ単にこの方が安いというだけではないのである。この在来線の新八代到着は18時09分、新幹線の新八代出発は18時16分。それに対してリレー号の新八代到着は18時13分。つまり、乗り換えを素早く済ませてリレー号到着より前に新幹線ホームに行けば、新幹線の自由席を先に確保することができるのである。
 新八代到着後は、急いで新幹線駅舎へ向かい、切符を購入してホームへ上がる。リレー号の到着する2分くらい前であったため、過酷な自由席競争には加わらなくて済んだ。
 リレー号から大量の乗り継ぎ客を呑みこんだ「つばめ」は、トンネルが続く高架を快走する。出水までは、まさに「あっ」という間であった。

 阿久根には定刻の19時38分に到着。駅前にある、宿泊施設「あくねツーリングSTAYtion」を管理しているNPO法人の窓口へと行く。ライダー以外(鉄道利用など)の宿泊者の場合、1泊で2,000円。寝具類は、シーツ2枚と毛布(合わせて600円)であった。ちょうど同じ頃合いにライダーの方々もチェックインされていたため、一緒に施設内を案内された。
 宿泊車両は、「なは」で使用されていた二人用の「デュエット」で、上段と下段、好きな方を選べる。もう1両ある通常の開放B寝台は談話用で、飲食も可能。トイレも車両内のものが使用できる。洗面所も同様であるが、水回りは別系統で引かれていた。

@デュエットの廊下(現役時代と変わらない)

 景色が動かないとはいえ、私はやはり窓の大きい下段を選択した。時折、肥薩おれんじ鉄道の車両が発車していくので、こちらも動いているかのような錯覚も覚える。ちなみに、目覚ましなどのテーブル周りも通常のように作動していた。寝台の下にあるコンセントなど、基本的にほぼすべてそのまま使用可能である。個室の鍵も、室内からは掛けられるようになっている(通路側からは掛けられないため、貴重品は持ち歩く必要がある)。
 
@デュエット下段。1人なら充分な広さ
○○○○         ○○  @せっかくの寝台車両ですから、やはり駅弁を

 一通りの探索を終えてから、駅近くにある弁当屋兼コンビニで、おかずとビールを大量購入し、談話用の車両でそれらをつつく。そのうちに声を掛けられてNPO法人の建物に招かれ、お好み焼きやら焼酎やらをたくさん振舞っていただいた。安い宿泊費しか払っていないのに申し訳ないが、かなり頂いてしまった気がする(最後には、なぜか惣菜パンまで頂いた)。明日明後日の予定を話すと、やはり同じような形態の施設同士であるから、それぞれ色々と情報を交換し合っているようであった。
 
@大変おいしゅうございました
○○○○○○○         ○○○ @「宣伝してね」と、たくさんステッカーをもらったので(私では影響力なし?)

 呑み過ぎたことを多少後悔しながら、動かないデュエット下段で眠りに落ちた。

10.10 廃線跡を巡ったりして、多良木に泊まる
 朝、6時過ぎ頃に起床。呑み過ぎたせいか、少し頭が痛い。車窓(?)には、肥薩おれんじ鉄道が見えている。
 枕の位置が高く首が痛いと思っていたが、よくよく見れば、枕の位置に置かれていたのは座席使用時の背もたれ(置く位置は本来は壁側)であった。上手いこと再利用しているとは思うが、私には少し高過ぎるため、それは外して小さい枕でも置いた方がいいかもしれない。
 
@左下のボタンを押すと、お馴染みのあのメロディが           @全景も撮影しないと

 荷物をまとめ、7時34分発の2両編成の列車で、阿久根を出発。出水で1両に減らされたが、乗客は私を含めても4人しかいない。JRに乗っているときは空いていることを願っているが(赤字分なぞは黒字の路線から補填すればよい)、この手の第三セクターなどでは、あまりにも少ないと心配になってしまう。廃止になっては困るし、かといってかなり割高な今の料金よりさらに高くされるのも考えものである。
 水俣到着後、少し歩いて旧山野線の分岐点辺りへ行く。ここは以前訪れたことがあり、その時は自転車であったため旧東水俣駅跡まで行ったのであるが、今日は時間もないし徒歩であるため、入口を確認しただけである。ちなみにここは、「日本一長〜い運動場」と謳っている(ただ単に「○○サイクリングロード」にするよりは、凝っているであろう)。
 
@運動場(廃線跡)入口の様子
○○○○○○○○○           @2006年訪問時の東水俣駅跡(ノラ猫が2匹いた)

 大口へ向かうバスは、駅前にある「水俣駅前」バス停ではなく、少し離れた国道にある「水俣駅前」バス停から出る。時間に余裕があるから自分で下調べできたが、そうでなかったら少し混乱するかもしれない。
 去年9月に水俣から大口までの路線バスが廃止されてしまったため、今は鹿児島空港までのリムジンバスが、いくつかのバス停に停まってそれを補っている。私がこれから乗るのも、鹿児島空港行の特急バスであるが、大口までは比較的こまめにバス停に停まり、途中から乗ったり降りたりする乗客もちらほらといる(多くはいないが)。
 沿道の景色はだんだんと山深くなり、国鉄の山野線のループ線があった付近に差し掛かる。それにしても、よくこれほど閑散としたところに鉄道路線を開通させたものだと感心する。もちろん、沿線に何もないところは日本国内にいくらでもあるが、その場合は、都市と都市を結ぶ途中で仕方なく途中に峠がある、などの理由がある。旧山野線の場合、始発の水俣も栗野も大都市というわけでもないし、何らかのショートカット路線という訳でもない(そもそもは、鉱山のために造られた路線のようであるが)。
 そんなことを考えているうち、線名の由来でもある山野の集落に入り、久々に民家が見えた。廃線跡であろう橋脚もそのまま見えたりしている。

@旧山野駅付近の橋脚(バスの中からのわりには、良く撮れた)

 バスはそのまま快調に走り続け、大口のバスターミナルへと着いた。旧薩摩大口駅跡の近くには、「大口ふれあいセンター」があり、その4階には鉄道記念資料館がある。以前1回見たことはあるが、乗り換えの時間があるためそれをまた訪れる。それから駅跡付近を歩いてみると、少し離れたところに記念碑と車掌車を発見した。これは前回訪問時には見落としていたものだ。

@車掌車とお花(良い季節に訪問した)

 大口からは、小さなマイクロバスのような路線バスになる。乗客は私1人だけである。鉄道廃止の代替路線という意味合いもあるのかもしれないが、かなり心もとない。途中少しうつらうつらとしてしまったが、結局最後まで1人だけであった。
 栗野駅でも時間があるため、山野線跡を探しに行く。事前に下調べしたとおりに、分岐していく辺りに地味なレールのモニュメントがあり、「山野線跡地」とある。そこから先は探索せずに、近場にある丸池湧水をふらついたりして時間を潰した。
 
@草で見難いが、「山」「野」「線」「跡」「地」とある
○○           @そこから先の路盤跡は、お花に包まれていた


@廃線後は湧水へ(それにしても天気が良い!)

 12時47分発の列車で吉松駅へ。ここ吉松駅は、どういうわけか巡り合わせが悪く、いつも待ち合わせで中途半端な時間が余ってしまう。もう見飽きてしまった駅前のSLを見たり、今回で2回目となる湧水プリンを食べたり、この文章を書いたりして時間を潰す。
 吉松からは、観光列車の「しんぺい」号で人吉方面へ出発する。ほとんどが指定席のこの列車であるが、数少ない(3両で2か所しかない)、「自由席で窓側で椅子がある場所」を確保することが出来た。
 この路線に乗るのはもう5〜6回目であるが、これほどまでに天気の良い「日本三大車窓」は初めての経験であった。前日の雨が影響したためか空気が澄んでいるようで、年に数回しか見られないという桜島まで遠くに聳えている。それ以降も、沿線では色々と見所があったが、今回の目途とはズレるため叙述は省略する。
 
@勾配を徐々に上がっていき……
○○○○○○○         ○  @三大車窓は肉眼で見るべし(写真では表現不能)

 人吉で乗り換え、第三セクターの「くま川鉄道」で多良木へ移動する。これに乗るのは2回目であるが、その名の通り球磨川のすぐ傍は通る、というわけではなく、沿線景色としてそれを楽しむことはできない(球磨川を堪能したければ、やはり肥薩線の八代−人吉間である)。

 多良木で降り、駅前すぐ近くにある「ブルートレインたらぎ」へ。行政が関与しているからか、それなりに外観的にも整備されている。開業してまだ3か月だから、全体的にまだ新しい。車両本体は大きな屋根で覆われ、敷地内の歩道も枕木を再利用したものが使われている。それぞれの車両への階段なども整備され、敷地全体が小ぢんまりとまとまっている。
 
@テールマーク部分は、開放式B寝台
○○○○○○        ○ @個室部分は「ソロ」を使用(よく乗ったものだ……)

 チェックインをして、説明事項を受けながら部屋へ案内される。ここは個室と開放式車両どちらも宿泊スペースとして提供しているが、幸いにも私の場所は個室であった。ちなみに、宿泊料は3,000円で、すぐ隣りにある温泉の無料券が付いてくる。車両の編成は、[開放式B寝台]+[開放Bを改造したロビーカー(兼受付)]+[個室(ソロ)B寝台]、である。今日は予約状況が良いようで、個室はほぼ満室、開放式の方も家族連れなどでかなり埋まっているようであった。
 部屋の中であるが、JR時代の個室の扉は撤去され、出入口はカーテンになっている。室内で操作する音響などの系統は生きていないが、室内には新たな電燈が付け加えられ、また宿泊施設として防火用の機器も備え付けられている。車両のトイレは使用不可であり、その代わりに新しいトイレ(洗浄便座)が車両に沿う形で新設され、洗面所も清潔である。敢えて言えばプライバシーが保てない(できれば、JR時代の個室扉を残してほしかった)が、どうせ寝るだけだからそれはあまり大きな難点ではないだろう(と考えるのは私が男の一人旅であるからで、女性の場合は違うかもしれないが)。それと、傍に温泉があるのもプラス要素として大きい。

@ソロ下段室内(自力によるベッドメイキング後)

 その温泉券を使って風呂に入り、これまた近くにあるスーパーで食材を買い、ロビーカーで液晶テレビを見ながら食べる。酔ったまま個室に戻って就寝。

10.11 体調不良を押して旅を続け、日之影に泊まる
 朝方はいつも通り早く起きたのだが、どうにも気分が優れない。直感で「食あたり」とわかり、しばらくしてトイレに行き、水のような排便を数回。吐き気もあり、この先の旅程が心配されたが、動けないほどではなかった(実際に吐くほどでもなかった)ため、予定通りに移動することにする。幸い、今日は私が作った旅程にしては珍しく、出発が10時前である(ただ単に、西米良村営バスの時刻に合わせるとそうなってしまっただけなのであるが)。時間ぎりぎりまで、個室内でゆっくりと休む。
 9時52分発の列車に乗り、終着駅の湯前で下車。少し時間があったため、下町橋や御大師堂を歩いて見て回る。まだ若干の吐き気があるが、なんとかなる範疇である。駅へ戻り、観光案内所(兼売店)で時間を潰す。ただ見るだけのつもりだったが、
「あれお客さん、さっきの列車で(戻ったのでは)なかったね」
「ええ。前に来たことあるんですけど、今日は向こうに抜けようと思って」
「ああ、村所の方ね」ということで、あれこれパンフレットを貰ったりした。
 時刻表では何度もその路線図を目にしてきたが、初めて乗る西米良村営バスである。マイクロバス程度を予想していたが、実際に来たのはバン(ほとんど乗用車)のような小ささである。しかし、車内には「下車を知らせるボタン」もきちんとある。

@一応、路線バスです

 10時53分に着く列車を接続して(時刻表には50分発とあるが、自動車内の確認用時刻表は修正されて55分発になっている)、湯前駅を出発した。車内には乗客が3人「も」いるが、いかにも「バスマニア」っぽい男性が1人いるため、まともな客はおじいさん1人だけである。山間部分の車窓を堪能するつもりであったが、体調不良も手伝ってか、半分以上も寝てしまったような気がする。
 西米良村に入り、温泉館バス停で下車、ここで一休みする。入館券を買おうとすると、受付の女性が「バスで来た方は割引になりますので」と、手売りで対応された。たったの50円の割引であるが、少し嬉しい。お風呂はなかなかの「ぬめり」のある良いお湯であったが、風呂上がりから、なんとなく身体全体のけだるさが感じられてきてしまった。どうやら例の食あたりの後遺症が酷くなってきたようである。
 それでもまだ元気であったし、時間もあったので村所バス停まで約25分ほど歩いた。バス停には、湯前から乗っていたバスマニア君も待機している。ほどなくして西都バスセンター行のバスが来たため、それに乗って最前列で車窓を楽しむ(バスマニア君は、バスの正面から写真を撮ったり、バス停のある建物全体を撮ったりと忙しい)。
 バスは山あいを走り続けるが、しかし、途中からどうにも寒気が激しくなってしまった。これはクーラーの効き過ぎだけではないだろう。
 よって、途中のことはあまりよく覚えていない。バスセンター到着後は、すぐ近くにある妻駅跡を探索に行った。妻駅の駅名標だけではなく、隣り駅であった黒生野のものまである。黒生野駅跡付近には、明日の午後に時間があるので訪れる予定である。

@妻駅モニュメントたち

 しかしどうにも、発熱と頭痛と関節痛が酷い感じがする。なので、すぐ近くにあった薬局に行き、あれこれ説明すると、なんと推薦されたのはその薬局オリジナルの粉薬(風邪用)であった(この時は驚いたが、結果論としてはそれが幸いした)。とりあえずそれを購入する。
 西都から高鍋駅行のバスは、大きさとしては普通の路線バスである。しかし、乗客は私1人だけであった。
 高鍋から延岡までは特急「にちりんシーガイア」号の自由席で。先頭車両の一番前の席は全面が見渡せるタイプの車両であるが、途中からではさすがに確保できない。しかし、前から2列目でそれなりに車窓を堪能した。
 延岡では近場のスーパーで食材を買う予定であったが、体調不良から、結局パンと惣菜1つだけにしてしまった。あとは駅前にあるバスターミナルでひたすら待つのみである。
 定刻にやってきた路線バスに乗り、日之影へと向かう。所々では、廃線になった高千穂鉄道の路盤や鉄橋などが垣間見えている。しかし、午後6時を過ぎると暗くなり、辺りは見えなくなってしまった。最初は数人いた乗客も近場で減ってしまい、結局1時間と少し乗っていたのであるが、後半は私1人だけであった。
 それにしても、あまりにも「乗客が私1人だけ」が多過ぎるような気がする。いくら自治体からの補助金がるとはいえ、地方の交通事情の酷さが象徴されているといえる。

 バスは18時28分に日之影駅に到着した。駅敷地の端にある建物で受付を済ませ、列車の宿に入る。当然1人用の部屋を申し込んであったため、そこに案内されたのであるが、かなり改造されていてパッと見は普通の小さなビジネスホテルのようでもある。しかし、よくよく見れば荷物棚はあるし、窓も列車のそれであるから、雰囲気は充分に感じられるであろう。鉄道好きからすれば、「まったく鉄道『らしさ』がない」と言われるかもしれないが、逆にいえば、ブルートレインを使った施設よりは、清潔であるし広さは充分であるし、設備(テレビや給湯、洗面台やトイレや冷蔵庫、ふかふかの蒲団)は完全に揃っているし、プライバシーも完全に保てているという利点もある。
 
@パッと見は普通のビジネスホテルですが……
○○         ○ @こうして窓からホームが見えれば、別世界(翌朝撮影)

 その他の部屋(車両)全体を外からざっと見渡してみたところ、2人部屋と4人部屋は、車両の先頭部分を利用しているのと出入口が列車のドアであるため、そちらの方がより「らしさ」は感じられるかもしれない(1人部屋は車両の中間部分で、出入口はマンションのようなドアである)。鉄道好きであるならば、複数人で申し込むのがいいだろう。
 体調が悪いため、惣菜1つと日之影駅で買った小さいビール(飲めるかどうか、ためしに買ってみた)だけで夕食は済ませ、そそくさと寝てしまう。薬がかなり効いているのか、夜中は体中が熱くて何回も起きたが、目覚めた時には、熱はすっかり下がっていた。

10.12 そしてまた廃線跡巡り

@列車の宿、全景

 完全に、ではないが、体調もそれなりに良くなったため、予定通りに旧吾味駅方面への散策へと出かける(朝だけで2時間半近く歩く予定であったため、体調回復は何よりであった)。道すがら、台風によって廃線となってしまった高千穂鉄道の橋脚や路盤があちこちに残っているのが見える。

@廃線跡も、まだまだ新しい

 旧吾味駅付近からは、今年の春から「森林セラピーロード」として整備された区間となる(日之影町にはいくつかセラピーロードがあるが、その中でも一番新しいものである)。すぐ近くには「リバーパーク」としても整備されていて、廃線跡を利用した乗り物などもあるらしい。

@もう踏切はありませんが

 それはさておき、整備されたばかりの遊歩道を歩く。鉄橋の上も舗装され、路盤の上も、歩きやすいようにバラストよりも小さい石が敷き詰められている。途中、小さなトンネルもあり、川沿いであるため景色も良く、宣伝すればそれなりに人が来てもおかしくないが、いかんせん田舎過ぎるためか、往復しても途中で出会ったのは地元の人だけであった。
 
@鉄橋を渡り、路盤を歩き、トンネルを抜け、ベンチで休み……と、内容は優れているのだが……

 終点の八戸観音滝まで行き、もと来た道を戻る。お花畑に包まれてしまった路盤を掻き分け、道端で大きな栗を拾ったりしながら旧吾味駅跡へ行き、吾味のバス停から日之影へ戻る。

@路盤脇もお花だらけ(本当に良い季節だ)

 部屋に置いておいた荷物を背負い、今度は道の駅青雲橋方面へ行く。というのも、旧道沿いのバス路線は本数が少ないため、バイパス経由のそれに乗るためである。目的地までは1キロ程度であり、その距離は短い。
 地図を頼りに歩き出したのであるが、件の青雲橋を見て唖然とする。目の前にあるのであるが、とてつもなく高い位置にあるのである。しかし、歩くと決めたからには、これは登る以外に方法はない。

@あそこまで登っていくのか……(手前下の黄色い鉄橋は廃線跡)

 諦めて細い路地を歩いていると、軽自動車に乗ったおばあさんが「乗って行くかね」と声を掛けてくれた。日本国内でこのようにして拾われたのは6回目くらいであるが、体調もまだ完全ではなかったから、今回はとても助かったといえる。
 軽自動車はウンウン唸りながら、急坂を登って道の駅へと着いた。礼を言って、おばあさんと別れる。道の駅の売店には、以前レンタカーで旅した時に買った記憶のある、ウズラをそのまま焼いた惣菜が置いてあった。
 近くにある青雲橋バス停まで歩き、そこからバイパス経由のバスで延岡へ向かう。この路線は、青雲橋以外にもたくさんの高い橋を超え続けるため、さてそれらからの車窓を楽しもうと思っていたのだが、風邪薬がまだ効いているためか、ここでもまたうつらうつらとしてしまったため、半分も覚えていない。
 延岡からは普通列車で佐土原へ。ここは、旧妻線が分岐していた駅である(妻線は、先日訪問した西都(妻駅)を経由して、杉安まで敷設されていた。計画上は、湯前まで繋がる予定であった路線である)。
 路線バスに乗り、下調べしておいた通りに「佐土原岐道」で下車する。歩いてほど近くにあるサイクリングロード、これこそが旧妻線跡を利用したものである。橋の欄干の前後には、車輪が備え付けられていて、近くにはここが妻線であったことを説明する石碑も置かれている。

@鉄橋が、そのままサイクリングロードに

 その道を歩き続け、黒生野駅跡へと向かう。歩いて約30分、それを意味する駅名標と説明版がある場所へと辿り着いた。説明には「妻線跡」とあり、必ずしも正確な駅跡かどうかは不明であったが。とりあえず記念に写真を収める。

@駅跡らしき場所のモニュメント

 元来た道を歩いて戻る。頭の上では、航空自衛隊の新田原基地に所属している戦闘機が3機くらい、爆音を立てながらタッチ&ゴーの訓練を繰り返している。その爆音は、私がバス停に辿り着くまでずっと続いていた。

 佐土原からは、普通列車で宮崎空港へ行き、あとは羽田へ飛ぶだけである。ラウンジでビールを飲んでいると、フレックストラベラー制度(予約を超える乗客がいるため、別便に振り替えること。現金もしくはマイルがもらえる)の案内があった。それも搭乗予定の次便への振り替えではなく、福岡経由への振り替えという珍しいものである。どれどれ、旅費稼ぎで申し込もうと思って立ち上がったが、タッチの差で敗れてしまった。
 ということで、もう、大人しく戻るだけである。あぶく銭は得られなかったが、自席の近くには有名な野球選手座っていたりして、それはそれで楽しめた。

 

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