上海発烏魯木斉行「シルクロード特快」(本編・途中まで)

はじめに
 上海発烏魯木斉(ウルムチ)行の第52・53次、“シルクロード特快”とも呼ばれる列車で各書籍などでも取り上げられている有名なものであるが、その走行距離は4,077キロであり、以前は中国最長を誇っていた。5年半前に拉薩(ラサ)への青蔵鉄道が登場してからは多少影が薄くなったかもしれないが、それでも中国本土を左右に横断するスケールの大きさに変化はないだろう。
 途方もなく長距離であるため、以前は80時間程度を要していたが、路盤の高速化工事が完了している現在では約44時間まで短縮されている。昭和61(1986)年には著名な鉄道紀行作家の宮脇俊三氏が乗車したが、その時分は3泊を要する行程であった(氏の場合は鉄道事故の影響でさらに1泊増えて4泊5日になったが)。しかし今では、2泊3日となっている。斯様に昔よりは速くなったとはいえ、やはり日本では経験できない長さであろう。
 この列車に乗るため、半年ほど前から北京までの往復航空券を特典で押さえておいた。何故に北京であるかというと、事故や技術移転の問題で何かとお騒がせしている中国新幹線(北京南−上海虹橋)の完全高速化(これまでは車両のみ新幹線で、路盤の一部は専用線ではなかった)が完了したため、それにも試乗するためである。上海から烏魯木斉は件の列車、そして烏魯木斉からの帰路は、北京西行の列車で戻る旅程である。あとは、1往復しかないゆえに時期によってはかなりの“プラチナチケット”になってしまう切符を、いかにして手に入れるかである。
 まずは日本語でのメール対応可能な中国の旅行社に当たってみたが、「時期的に取れる自信がない」や「現在は鉄道切符は取り扱っていない」などの反応であった。続いて、中国の大手旅行社の日本支社を当たってみたところ、2社から手配可能との返事をもらったが、片方は驚くほど値段が高かった(高めの手数料や現地配達料、高い為替レート利用などにより、切符の通常価格の倍くらいになってしまう)ため、かなり良心的値段であったもう片方の旅行社に手配を依頼することになった。
 それでも時期的な不安はあるということなので、代替案として、@復路が取れなかった場合は飛行機で戻る、A往路から取れなかった場合は、昆明などを周遊する別の旅程を、という案を提示して手配に多様性を持たせることとした。

【当初の旅程案】
12月28日 羽田から北京へ。
12月29日 北京南→上海虹橋(中国新幹線)
12月29日夜〜31日夕方 上海→烏魯木斉(52・53次快特)
1月1日 烏魯木斉滞在(市内観光)
1月2日午前〜3日夜 烏魯木斉→北京西(70次快特)
1月4日 北京近郊を観光したのち、帰国へ。

 中国の鉄道切符は、発売日が時期によって異なっている。年末年始に関しては一番短い「5日前」ということで、往路については確保できたものの、復路の切符については手配の有無が確認できる前に出発しなければならなくなってしまった。いずれにせよ、あとは旅行社に任せるしかない。

*実は後日に変更せざるを得なくなり、結果的に1月2日以降の旅程は以下のようになった。
1月2日 ローカル鉄道で奎屯(クイトゥン)へ往復
1月3日 中国国内線で烏魯木斉から北京へ移動。
1月4日 北京近郊を観光したのち、帰国へ。

*上海から烏魯木斉までの料金は1,079元(約13,500円)である。2泊3日で4,000キロ以上移動することを考えれば、お得な範囲であろうと思われる(今回利用した旅行社では、1枚当たり1,050円の手数料とデリバリー料がかかるが)。ちなみに、宮脇氏が渡航した時分は346元で今よりもかなり安く見えるが、当時のレートは1元が約52元、つまり約18,000円であり、為替を考慮すると今の方が安く移動できることになる。

@シルクロード特快の行先票(サボ)

■2011.12.28
 羽田から北京へ飛び、空港連絡鉄道で市内へと向かう。朝の便だったため午後3時前には着いたが、これといって観光するところもない。とりあえず、路面電車が走っているという門前大街に行ってみたが、車両はあるものの営業している雰囲気がない。そういうわけで、意味もなく天安門広場をうろついてから、昨年も見たことがある鉄道博物館(正陽門館)に足を踏み入れる。展示内容に大きな変化はなかったが、新型の新幹線車両の大きな模型は新たに追加されたものであるような気がした。
 ホテルへ移動し、しばらくネットで今後の旅程を再確認する。中国ならではの通信状況で、まず一悶着あったグーグルは使用不可、ヤフーも検索結果が限られており、なかなか使いにくかった。
 夜の7時になり、旅行会社の人が切符を届けに来てくれた。上海までの新幹線と烏魯木斉までの特快は確保できていたのだが、私の出発後(今日)発売開始であった烏魯木斉から北京に戻る特快が、急に政府要人が大挙して乗ることになったため手配不可になってしまったという。そこで代替案の航空券を手配してもらうことになり、今後の手続き(上海での切符受取方法や航空券の手続き)を確認し、礼を言って別れた。

@営業していない?

■2011.12.29
 午前7時、まだ日が昇らず真っ暗なうちにホテルを出た。宿泊先は故宮の北側にあったため、故宮の東側を沿うように30分以上も歩いて地下鉄駅へと向かう。地下鉄は通勤時間帯のようで、私が乗っている方向(北京南駅方面)はまだマシだったが、中央方向へ行く列車は軒並みすし詰め状態で、乗るのを諦めている乗客が多数ホームに残されていた。
 ほぼ1年ぶりに訪れた北京南駅、巨大な駅であるが、発着ホームの割り振りに難があるように思える。というのも、これだけ広ければバランスよく分ければ混雑しないはずなのに、そういう「気配り」がまったくできていないのである。例えば、各改札は2つのホーム毎に分かれているのだが、これから私が乗るG1次(9時00分発)と、その5分後に出発するG111次が同じ改札になってしまっており、他がガラガラなのにここだけ大混雑なのである。
 出発時刻の約30分前に改札が始まったため、ホームへと降りていった。車両はシーメンス製の高速鉄道をベースにしたCRH380Bであり、先頭に近い車両には航空機のファーストクラスより大きな座席である商務車を備えている。先頭では西洋人が写真を撮ったりしているが、最近の中国では咎められなくなったようで車掌も特に何も言わない。
 宛がわれた車両へ向かうと、中はほぼ満席であった。中国での切符発券はバランスよく分配しないので、乗客が少ない場合は一部の車両だけ満席であとはガラガラで走ることがあり、今回もそのようである。

@1年ぶりの中国新幹線

 9時00分にベルが鳴り、定刻に出発した。すぐに高架に乗り、数分後には本気で走り始める。日本の場合、東海道新幹線は線形の都合で新横浜以西まで、東北新幹線は騒音問題の都合(市民団体のせい?)で大宮まで本気で走ることができないため、こういう面ではうらやましく感じられる。
 外の景色はこれといって印象的ではなく、工場や畑、荒地などが続いて行く。車内の速度表示は303キロを指しているが、視点が遠い(日本の場合は沿線にビルなどがあるため視点が近い)ためあまり速く感じられない。
 車内は満員だが、網棚の荷物はそれほど多くはない。中国の鉄道といえば人民の大量の荷物で網棚やら座席下が占領されているイメージだが、この高速鉄道を利用できるのは一部の人に限られているのだろう。北京から上海まで555元だが、平均月収3,000元ということであるから、庶民はおいそれとは乗ることができない。確かに辺りを見渡してみると、ノートパソコンでビジネスの打ち合わせをしたり、iPadで何かを読んだりしている人など、持っている物も庶民的ではない。
 特筆すべき景色はないが、防音壁がないので周囲を見渡せるのは嬉しい。南へ南へと向かい、また昼になりつつあることから、車内に掲示されている外気温もマイナス2度から8度へとどんどん上がっていった。
 弁当売りのワゴンが来たため、取り急ぎ1つ買ってみる。中国の駅弁はあまり内容が充実していないという情報を事前に得ていたが、今回手にしたのは予想外に良い内容で、きちんと切り分けられた三枚肉もレストランで供されるようなものであった。ただし値段もかなり高く、45元(約550円)もした。外の定食屋で食べる3倍は取られている感覚である。

@美味しかったが、高い

 途中の停車駅は南京南だけで、気温も12度を超え、上海虹橋に到着したのは1分早着の13時47分であった。
 ホームを出たところで旅行会社の人と落ち合い、烏魯木斉までの切符と復路の航空券のEチケットを受け取る。切符をもらうだけと思っていたのだが、そのまま車で上海駅まで送迎までしてくれた。切符のデリバリー料はたったの2,500円(北京での配送を含む)だったので、予想外に至れり尽くせりである。

@上海駅

 上海駅に着いたのが午後3時頃、まだ時間があるあめ、魯迅公園などをぶらついて猫と遊んでから、お決まりの南京路や外灘を散策した。人民公園を含むこのエリアは「ぼったくり」グループが活躍しており、今回も声をかけられてしまった。南京路の女性は「日本人ですか?」とストレートで来るので無視し続けたが、外灘では迂闊にもつかまってしまった。彼女らは“偶然の出会い”を自然に演出してくるので、本気で注意していないと本当に騙されそうになってしまう。上海でハメられて大金を失う人が多いらしいので、彼らの特徴を以下に記しておく(私が書いても影響はないだろうが、こういうのは「数多くネット上にばら撒く」ことが重要である)。

・「写真撮ってください」と自然な感じで近づいてくる(この段階で向こうは日本人にターゲットを絞っている)
・「え?日本の人なんですか?」と驚く(自然な出会いの演出)
・「実は私たちも日本語の勉強を始めたばかりなのです」と言って日本に興味がある素振りをする(その割にそれなりの日本語を話すし、英語も非常に堪能である)
・「実は私たちも休みで、上海に遊びに来ているんです」と言う(同じ旅行者同士と言う共感を得させる)
・しばらく立ち話をして、「よかったらコーヒーでも飲みに行きませんか」(もしくは「お茶会(ティーセレモニー)があるので、ちょっとだけ見ませんか」と言う。

 これに付いて行ったら最後、ぼったくりの店に連れて行かれる。数百元で済めばまだしも、飲食店に連れていかれると数千元や数万元(何十万円)という金額をカードで切らされることもある。要するに、「自然な出会いなんてそんなにない」「写真を撮ってもらったくらいで仲良くなることはない」という常識を、きちんと意識すべきなのである(しかし、海外旅行中は浮かれてしまい、うっかり忘れてしまうのだろう)。
 彼らのターゲットは、男性だけではない。私は女性と歩いている時も、人民広場でこの手のグループに接近されたことがある(当時はぼったくりグループのことを知らなかったので、うっかり付いて行きそうになった)。
 写真を頼まれたらさっさと撮ってあげて、世間話程度くらいはしてあげてもいいだろう。「コーヒー」「お茶会」などの言葉が向こうから出てきたら「時間がないから。さようなら」と言ってその場を逃げてしまえばいい。

@夜景はきれいなのに・・

 夜も更けたため上海駅へ戻り、駅近くの商店でツマミ(パック入りの肉など)や水を買ってから駅構内へと入っていた。烏魯木斉行の待合室に行ってみたが、とてつもない混雑と荷物の量である。それゆえ、売店で室温のビールを買ってから、建物の端の方にあるVIP用の待合室で時間を潰すことにした。入口に係員がいなかったので勝手に入ってしまったが、軟臥(ソフトベッド寝台)の切符を持っているから問題ないだろう。
 混雑する改札を通っても意味がないので(私には大した荷物はない)、20時15分を過ぎてからホームへと降りていった。編成は、1号車[荷物車]・2〜5号車[二等座]・6号車[食堂車]・7号車[軟臥車]・8〜16号車[硬臥車]・17〜18号車[荷物車]である。

@烏魯木斉行は右側

 1両だけの軟臥車に乗り込むと、私のベッドにはすでに先客がいた。しかし切符は持っていないようで、どうやら反対側の下段にいる乗客の知り合いのようである。とりあえず席を空けてもらい、夕食の準備として買った品々を机の上に並べる。
 反対側下段にいる気の良さそうおじさんはあれこれ話し掛けてくるが、残念ながら私の中国語能力はほぼ皆無である。筆談にしてみたが、最初の文章は難しくて解読不能であった。その旨を伝えると、今度は「旅遊?」ということだったので、そうだそうだと頷く。しかし筆談にも限度があり、数度のやり取りで終わってしまった。

@カーテンがシルクロード風

 出発前から室温のぬるいビールを飲んでいたが、定刻の20時40分、特快はゆっくりと出発した。しばらくすると弁当売りのワゴンが来たため、一つ買ってみる。値段は25元であり、「街中より高いが、新幹線値段よりは安い」という感じであった。それにしても、弁当以外にも様々なワゴンが通り過ぎるが、どれもがかなりのスピードである。中国語がわかれば何を売りに来たのか想像できるが、そうでない場合は廊下で構えて中身を覗かないと、あっという間に過ぎ去ってしまうため要注意である。
 腹もいっぱいになり、21時半くらいには寝てしまった。

@夕食の弁当

■2011.12.30
 朝、5時過ぎに目が覚めたが、まだ外は暗くて街並みを見ることはできない。洗面所に行って顔を洗ったが、水圧はかなり低いもののお湯もきちんと出る。
 私のコンパートメントの上段には、どこから乗ってきたのか、2人のおじさんが寝ている。しかしもうすでに降りなければならないようで、車掌に起こされて荷物を纏め始めた。6時41分、定刻から5分遅れで鄭州に到着。おじさんたち2人はどこかに消え、49分に出発した。

@反対側ホームにはCRHが

 7時半頃から徐々に明るくなったが、見えるのは貧しい街並みや旧い駅ばかりである。体面を重視する中国では、北京や上海の旧市街をぶち壊して新しい住宅街に整備したりしているが、地方にはまだまだ古き中国が残されている。車内の電光掲示では車速が示されているが、線形の良いところでは135キロを指すこともある。朝食のワゴン(饅頭におかゆ)なども通るが、朝食はほとんど取らないため素通りさせる。
 変化のない景色を見ながら、しばらくウトウトとする。時折、ダム湖のようなものが現れたりするので、それを写真に収めようとするが、とにかく窓が汚いためうまくいかない。サハリンに行った際にはトイレの窓から撮ったりしたことがあるが、今回の車両はトイレも開かないようになっている。
 12時前に昼食のワゴンが来たため、25元払って求める。味は悪くないが、食べなれていないセロリを大量に頂いたため、口の中が独特の風味で満たされてしまった。

@昼食はこのような感じ(だんだん飽きてくる)

 12時33分、定刻より5分遅れのまま西安に到着した。ホームには人民が大量にいるが、その多くが右から左へと大移動している。どうやら、中国では停車位置のアナウンスがないようであり、多くの二等座の客がホーム右端に待っていたらしく(しかし実際は、二等座は先頭4両=ホームの左側)、大慌てで移動しているのである。荷物も多く、ホーム上は大変な喧噪である。切符の確認も各車両の車掌が行うため(日本のように他の車両に乗って車内を移動することはできない)、時間がないため違う車両に乗ってしまおうとする客と、それを大声でなじる駅員との声が入り混じっている。私はその大混乱を横に、ホームの露店で玉子を買って車両に戻った。出発のベルは44分に鳴ったが、実際に動き出したのは47分であった。

@自分の車両からしか乗ることはできない

 ふと気づいたのだが、この列車には西洋人の観光客が皆無である。シルクロードに沿って長距離を移動するという点では観光要素もありそうに感じるのだが、やはり拉薩などに比べると地味なのかもしれない。
 その後は中国の田舎風景の中を走り続け、いくつかの駅に停車を重ねた。16時過ぎになると、車掌たちが弁当箱を片手に列になって食堂車へと移動していった。調理の合間に食事を取っているようであり、この時間からすると「早めの夕食」という感じであろうか。
 飲料等のワゴンが来たため、夜用のビールを買っておく(どうせ室温だから、いつ買っても変わりはない)。ビールを指差し、「スゥーグァ」(4個)と言うだけである。
 夜も更け、19時前にやってきたワゴンから夕食を買い、それをつつきながらビールを流し込み、早々に床に就いた。
 さて、明日目が覚めれば、列車の周囲には広大な砂漠が広がっているはずである。

@天水駅

*旅行記はここから本番になるところですが、実は旅行中にデジカメを紛失してしまい、残念ながら写真をお見せすることができません。この先の状況については「備忘録」として別途旅行記を作成しましたので、そちらをご参照ください。

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