【第三セクター応援鐡旅A】近畿山陰及び山陽編

■はじめに
 今年4月から開始した「第三セクター応援鐡旅」の、第二弾である。初回の「はじめに」において、鉄印に参加している第三セクター鉄道40社を13グループに分類したが、これは「土日で行ける」ことを目安に分けたものである。今回は、ゴールデンウィークの4日間を利用して、「近畿山陰」と「山陽」の2つを制覇したいと思う。

近畿山陰:京都丹後鉄道、北条鉄道、若桜鉄道、智頭急行
山陽:井原鉄道、錦川鉄道

 サブテーマのうちの1つである「消える系のグッズ(食べ物や酒等)」であるが、今回の6社のうち、そういった物を企画して販売しているのは京都丹後鉄道だけで、他ではなさそうであった。しかも、その唯一の京都丹後鉄道であるが、朝早くに乗り通すため、売店の開店時間前であり買うことができそうにない。ということで、サブテーマについては「鉄印」だけになりそうであったが、現地で予想外のグッズに出会うこともあり、意外な収穫もあった(詳細は旅行記内で)。
 ご時世(緊急事態宣言)もあり、やはり人との会話は最小限(ホテルチェックインや物品購入のみ)にすることを心掛けての旅である。

@宮本武蔵駅にて

■2021.4.29
 緊急事態宣言下とは思えないほど混んでいる羽田空港から、8時の便で伊丹空港へ(さすがに伊丹便の搭乗率は3割程度であった)。9時過ぎに到着。
 さて、いつもならば歩いて阪急蛍池駅へ向かうが、今日は違う。というのも、北条鉄道へのアクセス方法をあれこれ考えて、最終的にJR西日本の「休日ぶらり旅切符」(2,500円)を使うことにしたからである。当初は大阪駅から使うことも考えたが、空港から北伊丹駅まで歩けないこともない距離であるため(密を避けることもできるし)、北伊丹から乗ることにしている。ということで、空港から40分少し歩き、無事に到着した(ネットで購入済みの切符も券売機で入手)。

@今日の移動手段

 北条鉄道との接続駅である粟生は周遊区間に含まれていないが、加古川までなら範囲内である。大阪から加古川までの単純往復だけでも「元は取れる」し、それ以外に自由に移動することも考慮して、これを購入することにした次第である。
 9時55分の列車はタッチの差で逃したため、しばし待ってから10時11分の列車に乗り、尼崎で乗り換えて加古川へと向かった。11時22分着。
 さて、ここでも少しだけ時間がある。ということで、姫路駅で有名な「駅そば」(和風だしスープ+中華麺)が加古川でも食べられるようなので、久々にそれを頂くことにした。

@春らしいタケノコ+アナゴで

 そばを平らげてから、加古川線ホームへ。昨年暮れに「大回り乗車」(ただし倒木で断念)で訪問して以来、4か月ぶりである。
 11時42分に出発し、北条鉄道との接続駅である粟生には12時07分に到着した。乗り換え時間は2分しかないが、すぐ目の前に停まっているから問題はない。

@久々に乗ります

 まだ出発前であるが、車内にいる乗客は私を含めても5人程度である。
 粟生から終着駅である北条町まで、片道料金で420円である。一日乗車券が840円(実質往復料金と同じ)で車内で買えるということを事前に調べておいたので、運転手から購入した。しかし、車内でもらえるのは「引換券」であり、北条町の窓口で実際の切符と交換してもらえるという。

@こんな紙

 12時09分に粟生を出発。小さな駅に停まっていくが、歴史ある鉄道だけあって、古い駅舎も多い。廃れて味わいのある駅舎や、パン屋が入っている駅舎など多種多様であるので、そのうちゆっくり時間を使って訪問してもいいかもしれない。
 12時32分、北条町に到着した。まずは鉄印である。窓口に行って一日乗車券の引換券を切符に換えてもらい(懐かしい硬券)、別途鉄印を購入した。鉄印は4種類あり、「やっぱり御朱印的には地味なのが良いかな」と思いつつ、一番緩いもの(萌えキャラ入り)にしてしまった。

@無事入手

 さて、サブテーマの「食べ物系のグッズ」であるが、なんと車内販売のような感じでワッフルが売っていたのである。会社オリジナルであるのは箱だけで、中身は市販品であるが、これは「応援」しない手はない。
 車内に放置(?)されているワッフルの場所へ行き、さて料金はどこへ(運転手かな?)と思ってよくよく見ると、すぐ横に料金箱が置いてあるではないか。つまり、田舎の道端でよくある野菜の無人販売所のような支払い方式なのである。なんとも長閑だなぁ、と思った。
 しかも、6つ入りで180円と激安である。せめて箱代をプラスして200円にしたり、もう少し高級な品を入れたりして400〜500円くらいで売っても良さそうであるが、そんなところも長閑な感じである。

@支払いは良心にお任せ

 12時39分発の列車で折り返し、粟生でJRに乗り換えて13時31分に加古川に戻ってきた。
 さて、このまま大阪に戻っても早すぎるため、姫路経由でフリー切符の区間ギリギリである播州赤穂まで行き、しばし駅付近を散策してから姫路に戻ってきた。その後は、元町まで行って久々に街中を散策し、大阪と新今宮経由でJR難波に移動して、今日の宿泊先へと向かった。

@都心から消えて久しい(201系)

 今日と明日のホテルであるが、ミナミに多い「労働者向けの安宿」ではなく、チェーン系列の普通のビジネスホテルである。しかし、コロナ禍と緊急事態宣言が重なってダンピング状態であり、2泊でまさかの4,350円である。宿泊業界も大変そうであるが、空室で放置するよりはこの程度の額で泊まらせた方がマシなのであろう(微力ながら、宿泊して応援します)。

■2021.5.2
 「大人鐡」シリーズで近鉄の2つの列車を堪能した2日間を挟み、「第三セクター応援鐡旅」の復活である。今日は、西舞鶴から再開である。
 なお宿泊先であるが、値段重視で駅前ホテルの別館に泊まっている。偶然であるが、最上階の駅側であり、所謂「トレインビュー」であった。

@鐡推奨部屋

 今日は、7時04分の列車から開始である。なお切符であるが、ネットで「家族お出かけきっぷ」を買ってある。今回は家族での移動ではないが、1人でも使用可能であり(その旨記載されている)、定価であれば1,850円でそれほどお得感はないが、ネットで買えば1,650円になる。さらに私の場合、昨年に「くろまつ」号に乗車した際のネットポイントがあったため、さらに少し安くなった。
 問題は、西舞鶴駅の営業時間内に切符を受け取れないという点であった。事前に電話をして確認したところ、「予約票を紙に打ち出して運転手に見せれば良い」ということであったので、それを準備してある。
 7時前に駅に向かい、件の列車に乗り込んだ。

@豊岡行各駅停車

 定刻に出発。車内には10人くらいいたが、出発直前に学生が10人くらい増えて、20人くらいになった。日曜日の早朝にしては、上々の乗車率であろう。
 昨年度に食事付き観光列車「くろまつ」号から眺めた景色(鉄橋や海など)を見つつ、7時46分に天橋立に到着した。駅窓口の営業は8時からであるため、しばし文殊堂や松林を歩いて見学。駅に戻り、切符の交換と鉄印の購入である。

@待合室の畳の上で

 天橋立駅にも売店があるが、そもそも営業時間前であることはもちろん、緊急事態宣言により臨時休業であった。「消える系(食べ物系)」のグッズは、入手ならず。
 8時26分発の網野行に乗り込み、最後は私1人だけの状態になって、9時00分に網野に到着した。
 ここで1時間ほど時間があるが、雨は降っているし、近場に名所もないため、少しだけ駅付近を散策しただけで、残りの時間は駅の待合室で時間を潰した。
 やっと暇つぶしが終わり、10時00分発の列車に乗り込んだ。列車は特急「たんごリレー」号(車両「丹後の海」使用)であるが、ここ網野からは快速列車となるため、特急料金は不要である。

@上等な車両

 定刻に同駅を出発。先頭部分には展望スペースがあるが、大雨+ワイパーが動いていないため、自由席の一角に座り続けた。10時33分、豊岡着。
 JRの窓口に行き、智頭までの乗車券を購入。今日は若桜鉄道との接続駅である郡家までしか使わないが、途中下車できるようにするため(100km以上の乗車券になると途中下車ができる)、明日利用する智頭まで買ったのである。
 しばし時間を潰してから、香住行の1両編成ディーゼルカーに乗り込んだ。

@貫禄の1両

 豊岡を10時56分に出発。ここで少し早いが、お昼タイムである。網野駅で「網野名物ばらずし」などの広告を見かけていたので、気になって調べたところ、豊岡駅でも駅弁としてばらずしが買えるようであった。しかし豊岡駅の売店に行ってみると、残念ながら今日はそれが並んでいなかった。ではその代わりに地の物を、と選んだのが、まさにこの列車の行先でもある香住産のカニを使った弁当である。

@今日は豪華に

 弁当も食べ終え、しばらくすると右手に日本海がちらほらと見えてきた。香住着11時40分。
 ここで50分ほど時間があり、当初予定では街中散策であったが、今日は大雨が降ったり止んだりしている。ネットで閲覧できる雨雲レーダーと相談して、雲の切れ目を狙って海だけを見に行って、残りの時間は駅の待合室でこの旅行記を書いたりして時間を潰した。
 12時31分発の各駅停車に乗り、鳥取で智頭行に乗り換え、郡家着は14時24分。2分で若桜鉄道に乗り換えなければならないが、目の前に停まっているので問題はない。

@久々の若桜鉄道

 見る人が見れば一目瞭然であるが、「水戸岡デザイン」の車両である。今日の午前中にも京都丹後鉄道で同氏デザインの車両「丹後の海」に乗っており、同じ日に2回も乗るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
 車内に入り、まずは一日乗車券の入手である。運転手から、無事購入した(今日は「引換券」ではなくて、実際の券を買うことができた)。往復するだけで元を取れるのはもちろん、今日は何度か途中下車をするので、760円はありがたい値段設定である。

@大きな硬券

 定刻の14時26分に郡家を出発。沿線風景は地味であるが、長閑な雰囲気である。
 第三セクター鉄道についてはすべて乗車経験があり、路線によっては何度も乗っている会社もあるが(三陸鉄道など、もう何度乗ったかわからないくらいである)、この若桜鉄道に関しては、記憶に間違いがなければ2回目である。やはり、「山陰地方の片隅」という地理的条件が、再訪を妨げていたのかもしれない。
 14時58分、終点の若桜に到着した。さて、まずは鉄印である。2種類あり、通常版(300円)とカラー版(500円)であるという。通常版でいいかと思ったが、運賃も安いことを考えて、あえて高い方を買うことにした。

@応援その1

 雨も降っており、梅雨前線の影響もあって5月とは思えない寒さであるが、乗車予定の列車まで1時間以上もあるため、しばし旧街道に沿う古い町並みを散策した。
 駅に戻ったが、待合室も水戸岡デザインである。窓口横には小さなカフェもあり、この待合室は「カフェの席」としても利用されている(列車に乗るだけの人も利用可能)。
 なお、事前に調べた限りでは若桜鉄道のグッズに食べ物系はなかったが、カフェを覗いてみると、「SLせんべい」なるものが売っているではないか。鉄道会社オリジナルのグッズではないが、ラベルには「若狭線SL遺産保存会」とあり、これはもう「応援」決定である。体も冷えていたので、「若狭ブレンド」も注文した。

@応援その2

 隣席の人は、カフェのハンバーガーを食べている。「昼前だったら『応援』確実だったのに」と思うが、これはもうタイミングの問題である。
 私が乗る予定の列車は16時13分発であるが、余裕をもって駅構内に入った。というのも、国鉄時代の客車などが係留されているからである。

@車両写真その1

 16時13分発の鳥取行に乗車し、定刻に出発。乗客は私を含めて2人しかいないのに、乗務員は3人(運転手、指導員っぽい人、車掌)もいるのが変な感じである。
 16時36分、隼(やはぶさ)で下車した。目的は、この駅のすぐ横にある電気機関車と客車である。客車については簡易宿泊所として利用されていたが、コロナ禍になった昨年春以降は営業休止中である。

@車両写真その2

 隼駅舎は古くて趣があるが、登録有形文化財であるという。
 待合室でしばし待ち、16時59分発の若桜行に乗り込んだ。2両編成であったが、2両目はバイクの隼カラーであった(註:隼駅はその名称からバイクの「隼」乗りの聖地となっており、ミーティング(会合)なども行われているという)。外装だけでなく内装も隼仕様であり、なかなか面白かった。
 17時07分、八東で下車した。目的は、引込線に係留されている貨車である。

@車両写真その3

 なお八東駅舎も古い普請であり、やはり登録有形文化財である。
 撮影後は、待合室で震えながら列車を待った(寒さは相変わらずであるが、幸いにも隼駅下車以降は雨が上がって日も差してきたため、少しは和らいできた)。
 17時43分発の鳥取行(隼カラー)に乗り込み、鳥取着は18時26分。駅近くのショッピングモールで夕食を買いそろえてから、安ホテルに投宿した。

■2021.5.3
 7時過ぎにホテルをチェックアウト。昨日は季節外れの寒さと雨であったが、今日は快晴である。
 駅に行き、券売機で240円の切符を買った。この料金は、郡家までのものである。昨日は智頭までの切符を買ってあり郡家で途中下車扱いとなっているため(郡家から智頭までは未使用)、今日は郡家までの重複区間を買わなければならない。言わなければわからない(気付かれない)とは思うが、数百円とは言え不正は不正なので、切符は正しく買うべきである。

@当たり前のことですが

 7時22分発の智頭行は、3両編成であった(平日なら通勤通学客で賑わうのであろう)。定刻に出発し、智頭には8時10分に到着した。
 さて、ここから先が智頭急行となる。窓口で、1日フリー切符(1,200円)を購入した。智頭から上郡までの片道切符よりも安い設定であり、しかも今日は何度も行ったり来たりするため、かなりお買い得である。

@今日のお供

 乗り換え時間は4分しかないため、駅スタンプを慌てて押して急いで車両へと向かった。
 なお、智頭急行に乗るのは数度目であるが、その大部分は大阪方面から鳥取に抜ける特急での利用であり、途中下車をして観光をするのは2回目である(前回は宮本武蔵駅付近のみを観光)。今日は、フリー切符を大活用して、平福、大原、宮本武蔵、恋山形の4か所を訪問することにしている。
 その第一歩として、8時14分発の上郡行に乗り込んだ。

@久々に

 高架の多い路盤を走り続け、8時53分に平福に到着した。ここでの目的は、旧街道沿いにある宿場町跡と、道の駅である。
 駅から歩いて川を渡り、旧街道へ。まだ朝方であり、しかも有名観光地ではないため、観光客は皆無である。旧い家をいくつか見てから、道の駅に向かった。
 地場産の野菜などを見てからふと外側に行くと、「しかコロッケ」なるものが目に入ってきた(これは気になる)。持論として、熊や鹿などの変わった肉の場合、カレーやコロッケにすると「美味しくまとまるが、結局何肉だかわからない」というのがよくあるパターンである。しかし、気づいていたら買ってしまっていた。

@地元品ですから

 意外に肉の割合が多く、少なくともその歯ごたえは「いつもの肉とは違うな」という感じであった。
 食べ歩きをしながら駅に戻り、9時22分の列車で大原へ(9時36分着)。ここで、やっと鉄印の入手である。鉄印以外にも、カードなどがもらえた。
 駅の窓口を見てみたが、残念ながら「消える系(食べ物系)」のグッズはないようであった。

@一式

 次に乗る列車まで50分くらいあるため、またしても旧街道歩きである。こちらの方が、旧い家々も多く本格的であり(本陣なども残っている)、条件が揃えば(もっと良い時間帯で緊急事態宣言がなければ)観光客もある程度来るような感じであった(今日は皆無)。
 10時29分発の列車で再度南下し、宮本武蔵で下車した。駅から歩いて、宮本武蔵関係(神社やお墓)の再訪である。寒くて震えていた昨日とは違い、今日は暑いくらいである。
 駅に戻り、11時20分発の列車で再度北上し、続いてやってきたのは智頭の隣駅である恋山形である。いわゆる「インスタ映え」を目的として、駅全体が「恋」のピンク一色である。

@色々あり

 絵馬を掛ける場所や鈴、グッズ販売の自動販売機などもあり、フェンスや駅舎もすべてピンクである。私以外にも、ちらほらと観光客もいた。
 しかし、先ほどの宮本武蔵でも同様であったが、ほとんどの観光客は車で来ているのである(鉄道でアクセスしているのは私くらい)。利便性という意味では仕方ないのかもしれないが、寂しい限りである。
 12時21分発の列車に乗り、みたび南下して、上郡には13時30分に到着した。JRに乗り換えて、岡山へ(14時38分)。
 ここでは3分で乗り換えねばならず、速足で構内を移動していたところ、国鉄車両の特急「やくも」を発見した。この先長くないであろうから、近いうちに乗りにこなければなるまい。

@旅行記とは関係ないですが

 14時41分発の列車に乗り込み、井原鉄道との接続駅である清音に向かった。15時06分着。
 ここで、一日乗車券である「スーパーホリデーパス」の購入である。一日乗り放題で、1,000円のみ。清音から神辺までの片道料金よりも安いため、かなり良心的な設定である。

@当然使います

 若桜鉄道のように「かなり久々(2回目の乗車)」とは違い、井原鉄道は「どこかに鐡」シリーズ(JALのどこかにマイルを使った旅)で2年前に乗ったばかりである(拙文「【どこかに鐡11】岡山空港編」参照)。
 総社からやってくる列車を待っていると、近づいてきたのは全身金ピカの車両であった。大原美術館とのコラボで、「アートトレイン」であるという。車内は、切手の意匠を中心にしたものであった。

@目立つ

 15時11分に清音を出発。この鉄道も、智頭急行と同様に「高架が多い」鉄道である(第三セクター鉄道は大きく性質が二分される。旧国鉄時代の大赤字線を引き継いだもの(建設年度が古い)と、未成線を完成させて開業にこぎつけたもの(建設年度が新しい)である。後者の場合、路盤はひたすら高架が多く、山間部ではトンネルも多くなる傾向がある)。
 沿線風景であるが、2年前は洪水の傷跡がまだまだ深く残っていたが、だいぶ復興しているようであった。15時44分、井原に到着。
 早速、鉄印である。印刷したものであり、日付までスタンプという「超省略」型であった(会社によって、ずいぶん違うものである)。

@すっきりしたデザイン

 私が井原まで乗ってきた列車はここで12分停車するため、すぐに車内に戻ることも可能であるが、その後のJRでの乗り継ぎがあまり良くないため、井原発16時23分発に乗ることにしている。ということで、しばし時間がある。
 まずは、売店チェックである。お洒落なジーンズ関係の品々はあったが、やはり事前に調べた通り「消える系(食べ物系)」の鉄道会社オリジナルグッズはないようであった。
 駅前を適当に歩き、2年前にも行ったスーパーマーケットに入り、またしても同じ焼き肉のたれなどを買って駅に戻ってきた。
 件の列車に乗り、神辺でJRに乗り換え。福山で山陽本線に乗り換え、糸崎での乗り継ぎが悪いため手前の尾道で途中下車して20分ほど散策し、再度JRに乗って今日の宿泊地である三原に向かった。駅前すぐの安ホテルにチェックイン。

■2021.5.4
 今日は、呉線から開始である。山陽本線よりも、こちらの方が海が良く見えるので景色は上である。
 ただし、問題は車両である。長年、呉線と言えばロングシートであったのである。しかし、最近は新型車両が投入されているようで、今日はまさにそれであった(というか、呉線全体が新型車両になっていた)。

@これ幸い

 たいてい、新型車両が投入されると「せっかくボックスシートだったのに、ロングになってしまった」というパターンが多いが、呉線の場合はロングがクロスシートになった珍しい例である。確かに、ロングシートの方が柔軟性がある(混雑時に収容できる)が、今後もこのような例が増えることを願うばかりである。
 6両編成の電車は定刻の6時13分に出発し、奇麗な海を見たりして、広島着は8時27分。3分の乗り換えで岩国行に乗り継いだ。岩国着は9時28分。
 ここで、今回の旅で最後となる第三セクター鉄道、錦川鉄道に乗り換える。しばらくしてやってきたのは、比較的新しい1両編成のディーゼルカーであった。ロングシートでないのが嬉しい。

@「こもれび」号

 車内に入り、「昼得きっぷを申し込んだ者ですが」と申告して、運転手から切符を購入した。錦川鉄道の一日乗車券は2,000円であるが、この「昼得きっぷ」は、昼の時間帯の列車限定で、岩国駅からのJR区間(2駅分)も含めた往復がたったの1,200円になるのである(ただし、事前にネットや電話で予約が必要)。
 ペラで切符だけ渡されるのかと思っていたが、丁寧にも封筒入りであった。

@丁寧な感じ

 定刻の9時53分に岩国を出発。JR岩国線の路盤から分かれて、新幹線の高架をくぐると、後はひたすら川沿いに進んでいく(時折、左手に滝がある)。奇麗な川面を見続け、11時01分に終着の錦町に到着した。
 前回訪問時は、ここから岩日線未成線跡を走る「とことこトレイン」に乗ったが(拙文「【petit-tetu】瀬戸内鐡散歩」参照)、今日は趣旨を変え、温泉+獣肉を堪能することにしている。
 予約しておいた日帰り温泉の車に乗り、一路温泉施設へ。ゆったり湯に浸かり、湯上りにまずビールを流し込み、お待ちかねの「いのしし鉄板焼定食」である。

@肉のみ近影

 やはり、これくらい肉の塊であると、味も明瞭である。赤身は味わい深く、脂も旨い。2か所ほどあった筋は「これは歯で噛み切れるのか」と疑うくらいで、これを頼んで正解であった。
 周囲の家族連れは地元の人が多いようで、普通に食事をしている姿を見ていると、なんだか今がコロナ禍であることを忘れてしまいそうである。
 食事を終えた時点で、12時半くらい。駅への送迎を13時半に設定してもらい、しばし周囲の散策である。
 まずは、早津峡温泉駅へ。ここは、「とことこトレイン」の終着駅である。

@懐かしい

 錦町方面へ未成線跡を少し歩き、その後は一般道を歩いて早津峡温泉駅以北にも行ってみた。こちらにも未成線跡が続いており、その立派な姿は、いまにも列車が走ってきそうである。トンネルにあった銘板を見ると、この辺りが建設されたのは昭和50年(1975年)であった。国鉄の赤字が顕在化し、しかし戦後の「イケイケドンドン」の敷設計画はそのままの、宙ぶらりんな時代だったのであろう。
 側道から入れる部分があったので、こちらの未成線跡を歩いてみた。「とことこトレイン」が来ないため、こちらは荒れ放題である。

@立派です(もったいない)

 温泉施設に戻り、錦町駅まで送迎をしてもらった。さて、やっと鉄印である。
 非常にシンプルな鉄印(大きな印鑑と日付のみ)であるが、他の鉄道会社のほとんどが「書置き」であるのに対して、ここの鉄印は鉄印帳に直接記帳する形式である。失敗は許されないから、印鑑を押す人も緊張するのではないかと思う。

@無事入手

 駅の売店を確認したが、やはり食べ物系のグッズはなかった。
 ということで、後は帰るだけである。ホームにつながる階段を上ると、その存在感が目立つのは、帰りの列車よりもその奥に係留されていたJR車両である。イベント列車として利用されているということで(「清流みはらし」号。車内で豪華弁当が提供される)、今後さらにコロナ禍が続き、海外旅行がさらにお預けになるようであれば、これを目当てに再訪してもいいかもしれない。

@気になる

 14時19分の列車で岩国に戻り、歩いて岩国空港へ向かい(岩国空港は歩いてアクセスするのがデフォルト)、17時40分の便で羽田に飛び立った。

 テレビでは「各所で混雑が」と報じているが、結果論であるが、私が訪問した場所はほとんど人がいない場所であった(観光地としてはマイナーだからであろう)。それにしても、ホテルチェックインと物品購入以外はほとんど会話もなかったが(温泉施設からの送迎時に、感じの良い運転手があれこれ話してくれたので、さすがに無視するわけにもいかず会話をしてしまったが、それくらいである)、やはり、旅の思い出や情報収集、その他の意味でも、人との接点は重要であることを思い知らされた。正直、会話が少なすぎるのは物足りないが、ご時世がご時世であるから、しばらくは我慢するしかないであろう。

@収束を願う(ここで祈ってもダメですが)

 

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