祝・復活山田線(三陸鉄道として)

■はじめに
 東日本大震災で被災したJR山田線の三陸海岸部分であるが、紆余曲折を経て、今年の3月に三陸鉄道として運転を再開した。詳しく説明する紙幅はないが、要するに「母体が黒字のJR東日本では震災復興の補助金が出ない」ため、第三セクター鉄道として山田線を上下で挟んでいた三陸鉄道に被災区間を移管し、そして補助を受けて復活に辿り着いたのである。
 震災後には、まだ完全復活していない三陸鉄道の代行バスに乗りに来たり(拙文「惜別「江差線」(そして三陸にも寄ってみる)」参照)、またJR山田線の三陸海岸部分をバスで乗り継いだり(拙文「東北沿岸の旅」参照)したが、今回、やっと「鉄道だけ」で縦断できることとなった。ということで、訪問である。

@陸中山田駅にて

■2019.6.8
 この地域を訪問する旅行記では毎度記述していることだが、今回も価格優先で飛行機での往復である(三沢往復に釜石でのホテルを付けてたったの26,200円。新幹線往復で足が出てしまうのであるから、勝負にならない)。
 朝1便で三沢に飛び、連絡バスで三沢駅へ。降りてみると、なんと旧十和田観光電鉄の駅舎が取り壊されようとしているではないか。時代の流れであるが、寂しい限りである。

@残念

 切符を買って20分強ほど待ち、10時32分の列車に乗り込んで八戸へと南下した。
 10時52分、八戸着。ここで八戸線に乗り換えるが、またしても待ち時間が46分もある。飛行機は安いのはいいが、八戸に辿り着くまで時間が掛かるのが難点である(朝の新幹線に乗っていれば、とっくに到着している)。
 仕方ないので駅近くの物産館へ。美味しそうな鯖寿司があったので、それを夜用に買ったりした。

@暇なのでモーリーを激写(青い森鉄道には数多く乗ってきたが、本物(?)に会ったのは初めて)

 11時38分の列車に乗り込む。この列車は鮫行のため、途中の陸奥湊で途中下車することにしている。
 定刻に出発し、陸奥湊には11時53分に到着した。駅を降りてみると、なんと目当てにしていた市場はお休みであった。大雨のため散策する気にもならないが、暇なので駅付近を適当に歩き、訳あり品のせんべいを100円で買ったりして時間をつぶした。

@カッチャもずぶ濡れ

 散策はほどほどにして駅の待合室でスマホをして時間を潰し、さて次に乗るべきは12時37分発の「リゾートうみねこ」である。指定席は取っていないが、過去の経験からすると途中駅からでも十分座れるくらい空いているはずである。
 しばらくして、件の列車が入線してきた。自由席に乗り込んだが、やはりかなり空いていた。

@入線中

 窓側の席に陣取る。出発後は景色を眺め続けたが、雨のため奇麗な写真は望めない(今回はほぼ単純往復の旅程であるため、明日に期待である)。
 14時07分、久慈に到着した。乗り継ぎの時間は6分しかないが、いったん三陸鉄道の窓口まで行って今日明日有効のフリー切符を買わなければならない。あくせくと購入し、これから乗る宮古行が待つホームへと向かった。

@次はこれ

 1両だけであるが、車内はすでに超満員である(学生+ツアー客)。旅行中の列車は空いている方がいいが、経営に苦しむ第三セクターの場合、話は別である。
 14時13分、大漁旗に見送られて久慈を出発した(今回の旅のメインは宮古以南であるし、そもそも大雨でろくな写真が撮れていないので、割愛)。
 15時51分に宮古に到着し、次に乗るべきは16時13分発の釜石行である。すでにホームに入線していた2両+先ほどまで乗っていた1両の合計3両であり、先頭車両はレトロ風の豪華車両である。迷うことなく、それに乗り込んだ。

@釜石行

 私と同様に乗り継いだのは3人程度であるのに、編成は3両もある。どうなることかと思っていたら、急に大量のツアー客がやってきて車内は超満員となった。震災復興+ドラマの影響で賑わっているようだが、これをいかにして継続させるかが、三陸鉄道にとって重要なテーマであろう。
 定刻に出発。今回の旅のメインであるし、雨もやっと上がったが、どんよりした雰囲気である。結果論として翌日(日曜)は快晴であったので、ちゃんとした写真の紹介は明日に持ち越したい。

@今日はこれが精一杯

 ということで、17時36分に釜石に到着してからは、駅から歩いて15分程度の場所にある新しいホテルに投宿し、スーパーで大船渡産の刺身や総菜などを買い、一献してから就寝した。

■2019.6.9
 さて、快晴である(土曜朝まで、日曜の予報は「曇り」であったのに)。いったんホテルに戻る旅程のため、まずは手ぶらで釜石駅へ向かった。

@三陸鉄道の鉄橋と製鉄工場

 今日の1本目は、5時43分発の盛(さかり)行である。朝早く、またツアー客もいないため、車内は私を含めても2人だけであった。定刻に出発。
 今走っているのは、かつては三陸鉄道の「南リアス線」と言われていた部分である。所々で、海が見え隠れしている。

@小石浜(恋し浜)

 のんびりと走り、終点の盛には6時30分に到着した。JRのBRT(バス高速輸送システム)で来た当時を思い出し、懐かしく思う。しかし、12分後に出発する列車で折り返さないといけないため、ゆっくりしている時間はない。
 駅のスタンプを押したりしていると、ちょうどBRTが入線してきた。

@BRTと一緒に

 6時42分、釜石行が出発した。乗客は少しだけ賑やかになり、10人である。
 時折、広く海が広がる区間がある。昨日の山田線(宮古−浪板海岸)に乗車していたツアー客は、「海あんまり見えないわねぇ」と言っていたが、地形的に当然である。こちらの区間(南リアス線)の方が海は見えるが、こちらには他の観光要素が少ないから、ツアーに組み込み難いのかもしれない。

@しかし天気は良い

 7時31分、釜石に戻ってきた。いったんホテルに戻って無料朝食をいただき、8時50分頃に駅に戻ってきたが、またしてもツアー客の大集団である。
 盛方面からやってきた車両に、その全員が乗り込んだ。どうせ混んでいるので、私は先頭に立って景色を眺めることにした。
 定刻に出発。国鉄時代に敷設された鉄道だけあって、枕木は木がまだ多く残っている。ただし津波で壊滅的な打撃を受けた区間は、もう新線として作られているので、それらの様子が非常に対照的であった。

@大槌駅付近(新線)

 さて、今日は久慈には直行せず、引き返しを含めて2回ほど途中下車をすることにしている。ということで、まずはこの線区の名称の由来でもある陸中山田で下車することにした。
 9時47分に到着。駅を含めてすべての家々が新しく清潔なイメージであるが、言い換えれば「全部流されてしまった」ということであろう。

@大堤防工事中

 祈念の鐘などがある広場に行ったりしてもまだ時間があるため、駅前のスーパーに入ってみた。大規模店舗であるため地の物は期待していなかったが、「山田町ぶた丼のたれ」や「三陸鉄道醤油」、「山田揚げせんべい」など、意外なほどの収穫があった(「山田ホルモン」にも惹かれたが、要冷凍のため断念)。

@地の野菜まで買ってしまった

 戦利品を手にして駅に戻り、10時38分発の釜石方面行列車を待っていると、反対側に臨時のTOHOKU EMOTIONが入線してきたではないか。私は年齢的にも収入的にも、もうあちらの客になってよさそうなのであるが、いつまでたっても「フリー切符でお得に乗り放題」ばかりである。そろそろ、卒業したいとは思っているのだが。

@せめて写真だけでも(帰宅後に調べたら、三陸鉄道に乗り入れるのは今週末限定とのこと)

 10時38分の列車に乗り込み、南下しながら戻る。次の下車駅であるが、日本文学科卒としては吉里吉里が気になるが、やはり震災後のニュースで多く耳にした大槌で降りることにした。
 11時07分に到着。「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった島が近くにあるということで、駅の天井はひょうたん型であり、各所にキャラクターが立っている。
 この駅周辺も陸中山田と同じで、すべてが新しいもの建物or更地であった。

@更地の写真では寂しいので、ドン・ガバチョで

 11時18分の列車に乗り、また先頭部分に立ち続けて宮古へ。12時24分に到着。
 ここで50分弱の時間があるが、特にすることもない。適当に散策して駅に戻ると、今日は休日ということもあって14時07分の快速盛岡行が表示されていた。実はあれに乗って盛岡で新幹線に乗り継いだ方がかなり早く家に帰れるが、先述した通り「安さ第一」で飛行機である。
 13時15分発の久慈行に乗り込む。朝からずっと立っていたので、もう椅子に座ることにした。出発後は、のんびりと景色を堪能した。

@昨日とは大違い

 14時54分に久慈に到着し、6分の乗り換えで「リゾートうみねこ」へ。先ほど「盛岡に行って新幹線に乗った方が」と言ったものの、快晴の海を見れば「これでもいいか」と思えるものであった(昨日が雨であったために)。

@こんな車窓

 16時52分に八戸に到着。実はここから新幹線に乗った方がかなり早く家に(以下略)。
 17時14分発の青い森鉄道で三沢へ移動。もう鐡ネタはないはずであったが、

・三沢到着後、空港連絡バスまで35分もあったため、次の停留所(市役所前)まで歩くことに
・早足気味に歩いたところ、市役所バス停にはバス出発の15分前に着いてしまった
・何か(スーパーでも)ないかどうか辺りを見渡したら、まさかのSLを発見

 ということで、おまけの鐡ネタである。

@ネタは足で稼げ

 

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