中国→モンゴル、シベリア鉄道の旅

■はじめに
 今回の旅は、北京からモンゴルを経由してロシアのイルクーツクまでの鐡旅である。いつもは自己手配であるが、ビザ申請が必要であり、また鉄道等の手配も特殊なロシアが関係しているため、旅行社に依頼している(前後の飛行機のみ個人手配)。
 ロシア旅行を扱っている数社に見積りを依頼したが、北京→イルクーツクの鉄道切符が比較的安価であり、またイルクーツクでの「バイカル湖岸鉄道」の手配も可能という某社に発注をした。特に後者がボトルネックであり、「そもそも手配していない」だの、「日本語通訳付の個人ツアーならあり」(数万円)という旅行社が多く、団体ツアーに混ぜてくれるものを手配してくれるのは1社だけであったためそこに即決した。

【旅程】
1日目:早朝の便で羽田から北京へ。午後は暇なため、高速鉄道で天津往復(北京泊)。
2日目:朝、K3次(モスクワ行)に乗車。ザミン・ウデでモンゴル入国(車中泊)。
3日目:モンゴル国内でひたすら乗車。ナウシキでロシア入国(車中泊)。
4日目:午後、イルクーツク到着。鉄道博物館等の観光(イルクーツク泊)。
5日目:バイカル湖畔鉄道ツアー参加(イルクーツク泊)。
6日目:市内観光後、空路成田へ。

@ズン・ハラ駅にて

■2019.9.3
 7時30分のエアチャイナで北京に飛び、空港鉄道で市内に移動して北京駅から徒歩5分程度の場所にあるホテルへ。自分で手配すれば安いが、旅行社指定(手配)のため若干高めである(このホテルに鉄道切符を配達してもらう等の事情があるので、仕方ない)。
 部屋に入ってみると、まさかの「ステーションビュー」であった。

@木がちょっと邪魔

 地下鉄で北京南駅へ移動し、購入済みの切符を窓口で発券してもらってからホームに向かった。これから乗るのは、15時08分発の天津行である。これまで何回も「和諧号」に乗ってきたが、今回は初の「復興号」である。

@新幹線

 15時06分にドアが閉まってしまい、07分に出発した。これは「中国あるある」である(改札が閉まって特になにもなければ早発してしまう)。普通の鉄道ならまだしも、高速鉄道でこの運用はちょっと怖いが。
 しばらくは、一般の車両と並走し続けた。あちらの行き先をみると「昆明」とあり、あれもいいなと思うが、明日からはもっとレアなルートに乗るからよしとしよう。

@並走中

 あっという間に天津到着(15時38分着)。まずは切符売り場へ行って復路を発券してもらい、その後は適当に市内散策(旧い街並みなど)をした。
 鐡ネタとして外せないのは、電力科技博物館の屋外にある市電であろう。

@抜かりなく

 日本のコンビニを発見したので車内用の食材をあれこれ買い、駅に戻った。天津駅の天井画は「ここは中国?」と思わせる代物であった(気になる方はネットでチェック)。
 17時59分発の復興号に乗り、北京へ。

■2019.9.4
 6時半頃にホテルを出て、北京駅へ。何度となくお世話になっている駅であるが、行先一覧の「莫斯科」(モスクワ)が特別な雰囲気を感じさせる(まぁ、前回の「平壌」もインパクトがあったが)。

@上から5つ目

 指定されている待合室へ。中国人の団体が多いが、明らかにそれとは異なる西洋人の集団が多い場所で、改札が開くのを待った。英語アナウンスなどないから、個人参加の西洋人は少し大変であろう。
 7時少し前、改札が始まった。エレベータでホームに降り、簡単に編成確認である。電気機関車を先頭に、荷物車1両、軟臥(4人部屋)2両、高包(2人部屋)2両、食堂車とあり、その先は8両であった(最後まで確認すると大変なので省略)。

@機関車

 私が乗るべき5号車は、客車としては先頭である(荷物車の次)。車内に入ると、コンパートメントにはすでに年配の中国人女性2人がいた。今回の私の寝台は残念ながら上段であるが、下段にはまだ人がいなかった(これが今後幸いする)。
 それにしても、空調がないため車内はかなり暑い(しかし裏を返せば、窓が開く=奇麗な写真が撮れる、ということになる)。いったん外に出て、暑さを凌いだ。
 いつも通りの北京駅であるが、いつもと違うのは「ホームで写真を撮り合う中国人が多い」ということである(いつもは、写真など撮るのは私くらい)。

@まぁ、こんな行先票を見たら撮りたくなるでしょう

 車内に戻り、出発を待つ。私が中途半端に中国語ができることに気付いたおばさん(お婆さん)コンビは、「この車両は50年も経って古い」「空調がない(メイヨウコンティアオ)」などと、あれこれ賑やかに教えてくれた。
 定刻より1分遅れの7時28分に出発。私が泊まっていたホテルが左手に過ぎ、しばらくは北京の街並みが続いた。
 しかし、ものの1時間もすると山岳の連続である。ルートが以前と変わったため素晴らしい景色が見られなくなったというが、これでも十分である。

@山風景

 切符は乗車後に車掌に回収されているが、中国国内列車のようなカードとの交換ではない(何もない。車掌は乗客の顔を覚えている模様)。しばらくして、車掌が昼食と夕食の無料券を配布してきた。
 外の景色はいつの間にか平原になっており、見覚えのある他路線との交差が見えてきた。それもそのはず、去年の9月に宣化へプチ鐡をした際に見た景色である。
 10時42分、最初の停車駅である張家口南に到着した。ホームに出てみる。

@ちょっと体操

 定刻の10時55分、同駅を出発。11時を過ぎた頃、「せっかくだから無料昼食でもいただくか」と思って食堂車に行ってみたところ、大混雑であった。ということで着席は諦め、打包(持ち帰り)にしてもらった(それも大行列であったが)。
 その弁当を、自席でいただく。無料だから文句は言わないが、かなりシンプルな内容であった。

@ぶっかけ飯

 しばらくは自然中心の風景が続くが、ビル群が現れ始めて、13時23分に大同に到着した(停車扱いの駅ではないため、いわゆる「運転停車」である)。あちらのホーム上には「敦煌」行が停まっており、そそられる行先である。
 意外に長時間停車して、同駅を13時49分に出発した。
 続いての停車駅は集寧南で、15時24分に到着した(3分早着)。ここで先頭の機関車がディーゼル機関車に交換となる。

@非電化に

 同駅を定刻の15時43分に出発。駅の案内には中国語の横に読めない変な字(モンゴル語)があったし、山には「馬の地上絵」があったりするので、そういう地域なのだなぁと実感できる(集寧南駅は内モンゴル自治区)。
 貨物列車とすれ違ったが、まさかの戦車の連続である。貨車の途中に客車もあったが(いわゆる貨客混合)、そこに乗車しているのも全員が軍人であった。

@戦車輸送中

 17時過ぎ、例の無料券を使用して夕食をもらってきた。大きな肉団子が1つあるものの、相変わらずシンプルな内容であった。
 モスクワ行の「大列車」がなぜここに停まる必要があるのか不思議なくらい小さな朱日和に17時58分に到着し(5分早着)、定刻の18時05分に出発した。
 19時近くになり、左手には夕日が沈み始めている。本来ならそろそろ一杯始めて気持ち良く寝たいところであるが、今日明日と夜中に国境越えがあるため、それはままならないのが残念である。

@見るだけ(呑めない)

 出入国カードが配られ、それを記入しているうちに20時12分に二連に到着した。
 パスポートと記入したカードを持って行かれると、しばらく時間がある。ということで、ホームに降りてぶらぶら、である。

@イミグレーション

 さて、ここ二連でのメインイベントは「台車の交換」である。車内でウトウトしていると、21時33分になってやっと動き出し、台車が山のように置かれている工場のような建物に移動していった。

@作業場内部

 いったん中に入ると、ゆっくりバックしながら「ガシャーン」という衝撃が連続していく。これは、1両ずつ切り離している衝撃である(1両ずつ持ち上げるため)。私は2両目(荷物車の次)だから衝撃は2回で済んだが、後ろの方の客車は何度も衝撃を受けていることであろう。
 それぞれが切り離されると、超巨大ジャッキのようなもので持ち上げられる。非常にゆっくりのため実感はないが、いつの間にか隣にある車両との差が付いていた。

@かなり高い

 リフトアップした後は、車両の下を大量の台車が「トコロテン方式」で押し出されるように移動して、新しい台車を各車両の下に置き、そして客車を降ろすことになる。この作業については、自分の車両よりも隣で作業している車両の方がわかりやすかった。

@こんな感じで

 各車両の作業が終わると、ゆっくりとバックしながら衝撃を繰り返していった。これは、再度各車両を繋いでいるものである。それが終わるといったん作業建物の外に出て、またバックで入線して隣のレーンで作業していた各車両を繋いでいった。ということで、24時前頃にやっと駅に戻ってきた。
 ここで意外に乗客が増えたが、私の下段は幸い誰も来なかった。24時50分頃、我慢できずに自席で呑み始める。

@レール幅が微妙に違う

 定刻の24時59分に出発。しばらくするとモンゴル国旗色の客車などが見え始め、25時22分にザミン・ウデに到着した。
 ここでまた入国審査となるが、座席の下はもちろん、天井裏まで開けて見ていったのが印象的であった。
 ほどよく酔っ払い、26時(もう午前2時)過ぎにはパスポートが返却されたので、やっと就寝。

■2019.9.5
 寝た時間が時間なので、目が覚めた時点で7時50分であった。外は、「モンゴルです」と言わんばかりの平原である。

@何もない

 昨日との違いは、列車が「ガタンゴトン」と言いつつ走っている点である(ロングレールではない)。そこそこ上下に揺れるため、旅行用のメモが取りづらいくらいであった。
 時折、オアシスのようにして小駅があり、その周囲には数えられる程度の建物がある。それ以外は、たまに動物の群れやゲルがあるくらいである。

@駅と駅員(周囲に何もなし)

 ひたすら平原であるが、すれ違う貨物列車はかなり多く、交通の大動脈であることが伺える。
 そんな中で気になるのが、何もない平原の中でバイクや車(圧倒的にバイクが多い)で線路脇にやってきて、上記駅員のようにして棒を上げて合図をしている人がたまにいることである。「駅のない場所での駅員」とでも言うのであろうか。
 10時17分、チョイルに到着した。モンゴル初下車である。

@先頭車両は逆光だったため、機関車脇の馬を

 ホーム上では、数人のおばさんが水餃子のようなものを売っている。関心はあるが、今回はこの国の通貨を持ってきていないため買うことはできない。
 同駅を10時31分に出発。単線のため、小駅があるたびにすれ違いをしたりする。駅の周辺は相変わらず建物が3〜4個であったりするが、そういう意味(行き違い)では必要なのであろう。
 とある駅ですれ違ったのは、北京行の客車であった。

@珍しく貨物以外

 することもないので、上記の「バイク駅員」の写真でも撮ろうと思って廊下で待ち構えたが、そうそうタイミングよく現れない。それ以外にも、鷲のような猛禽類や、キツネのような動物も見かけたが、これらはさらに撮影困難である。
 ということで、小高い山が見えたのでその写真を撮ってお茶を濁した。

@これで勘弁を

 13時を過ぎると、列車自体が小高い丘陵に沿って走り始め、路盤も左右に蛇行をし始めた。ということで、これまでとは毛色が違う写真(前後の車両込みの写真)が撮れるようになったため、あれこれと撮影した。

@その一例

 ひたすら平原(時折動物)であったが、モンゴルらしくない工場や大規模墓地がちらほらと現れ始め、そのうち小規模の町も現れ始めた。14時を過ぎると、4〜5階建てのビルも見え始めた。ウランバートルも近いようである。
 首都到着を待ち構えていると、その直前(2〜3分前)に線路脇に鉄道公園が急に現れた。SLや機関車や客車等、数両が綺麗に展示されている。次回、もしウランバートルに来ることがあれば、訪問必須である。

@慌てて撮影

 ウランバートルには、定刻から3分遅れの14時38分に到着した。少し遅れたが、散策時間は十分にある。まずは編成を確認し(途中に2両のモンゴル車両(うち1両は食堂車)あり)、構内にあるSLを撮影し、駅舎を確認した(シンプルな造り)。
 しかし、それでもまだ出発まで30分以上ある。どうしようかと思い、一瞬「あの鉄道公園」と思ったが、駅からの距離も不明なので難しいであろう(鉄道の2〜3分はかなりの距離である)。ということで、駅前にあった小さな小さな市場で野菜などを見たり、駅舎内にあった韓国系コンビニでクレジットカードでジュースを買ったりして時間を潰した。

@ウランバートル駅のSL

 同駅で、私がいる車両の乗客の半数近くが入れ替わった(私の下段には誰も来ず)。定刻の15時22分に出発。
 ウランバートルの高層ビル街や街並みがなくなると、ひたすら草原の連続である。どこを切っても似たような景色であるが、川や牛が現れるとそれを写真に収めたりした。

@その一例

 17時58分、ズン・ハラに到着した。15分程度の停車時間があるため、ホームに降りて機関車を撮影(表紙写真)。ウランバートルの頃は重連のディーゼルであったが、古めの1両になっていた。同駅を定刻の18時14分に出発。
 その後ものんびりと、どこを切っても同じような景色を見続けた(文句を言っているのではなく、それだけ雄大ということである)。
 20時00分、14分もの早着でダルハンに到着した。予想外に停車時間が多くなったので駅前まで出てみたが、特に何もなく、そそくさと車両に戻った。

@意味もなく窓口の写真を

 早着した割に、同駅出発は定刻から4分遅れの20時28分であった。
 21時55分にスフバートルに到着し、出国手続き。ここで雨が降り出した。パスポートが戻り、同駅を定刻から17分遅れの23時27分に出発。50分頃から呑み始める。
 日が変わって24時12分、ナウシキに到着した。検査官が入ってきたが、国境を跨いだだけなのに急に大柄の白人のロシア人になるのが面白い(当たり前だが)。それにしても、一緒に入ってきた検査犬(シェパード)の臭いことときたら!

@燦然と輝くロシア国旗

 今日も程よく酔った頃(たぶん25時頃)にパスポートが戻ってきたので、そのまま就寝。

■2019.9.6
 目が覚めると、6時45分であった(昨日より1時間早く寝付いたぶんだけ早く目が覚めたようである)。停車中であり、時刻表からすればウラン・ウデである(ドアは閉まっており、ホームには降りられなかった)。同駅を定刻の7時05分に出発。
 曇り空であったが、じきにちらほら青空も見えてきた。それにしても、行き違う貨物列車の多いこと(逆に、客車はまったくない)。シベリア鉄道が、いかに貨物重視であるかがわかる。

@貨物の一例

 9時を過ぎると、右手にバイカル湖が広がり始めた。規模からして、海に近いものがある。前回訪問時は曇り空であったが、今回は晴れているため対岸にある山々もうっすらと見ることができた。

@湖です

 列車は、ひたすら貨物とすれ違ったり貨物を追い抜いたりしていく。定時に近い時刻で走り続けているのは、こういう理由(正確に走らないと他の列車に影響がある)のためであろう。
 ぴったり定刻の12時15分、スリュジャンカに到着した。7年前にはここでオームリ(魚)を買ったので、もし売り子がいれば今日も手に入れようと思っていたが、なんと1人もいないではないか。7年前ですら各駅での食品販売が制限されていたが、ついにオームリもか、という感じである。

@この駅には明日また来ます

 同駅を12時17分に出発。その後は峠区間になり、列車は左右にうねりながら走り続けた。
 なお、所々で小さい駅(1両分くらいしかホームがない駅)を見ることができる。「あの駅を使用することがあるのか」と訝しく思っていたが、峠区間を走行中に「いかにも」な電車を追い抜いた。

@あの小駅が活用されているらしい

 峠風景をぼんやりと眺めていると、係員によるパスポートチェックがあった(前回乗車時はなかったものである。ただし前回はロシア号であり、ウラジオストクからモスクワまでずっとロシア国内であったため事情は異なる)。ロシア人係員2人+中国人通訳1人ということで、主な対象は中国人のようであった。
 近郊列車が見られるようになり、車掌から切符が返却され、ぴったり計ったかのように14時52分にイルクーツクに到着した。

@ロシアの機関車

 アンガラ川を歩いて渡り、今日のホテルに投宿。さて一息つく前に、イルクーツク市内にある鉄道展示施設に行かねばならない。
 あまり訪問記もないので情報はないのだが、「子供鉄道」のある場所に鉄道展示施設があるようなのである。いそいそと歩いてそこに向かったが、残念ながら子供鉄道の運行日(運行時間帯)以外は入れないようであった。
 しかし、大きなSL等は外からでも撮影できるため、それらの撮影である。

@SL

 公園を散策したりしてホテルに戻り、久々のシャワーですっきりして、スーパーで安食材を揃えて一献して就寝。さて、明日はバイカル湖岸鉄道である。

■ 「バイカル湖岸ぶらり鉄道旅」を読む

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system