ペルーでアルパカを食らふ(前編)

■はじめに
 今回の目的地は、ペルーである。ペルーと言えばマチュピチュの遺跡が有名であるが、そこへアクセスする手段が鉄道であるため、観光と鐡旅を兼ねることが可能である。
 それ以外の鉄道もあるが、首都リマからワンカーヨ方面に行く鉄道(中国の青蔵鉄道ができるまでは鉄道の世界最高地点があった)については、現在では定期列車がなくなってしまっているので乗ることができない。ただし、クスコからチチカカ湖半のプーノへ行く列車はまだ残っており、マチュピチュへ行く列車と同様にネットでの予約も可能である。取り急ぎ、かなり早い時期に飛行機と鉄道の切符を押さえておいた(プーノからの復路はすでに売り切れであったため、ツアーバスを手配することにした)。

【旅程】
1日目:成田からヒューストン経由でリマへ(リマ泊)。
2日目:朝の便でリマからクスコへ。クスコ近郊観光(クスコ泊)。
3日目:鉄道でクスコからプーノへ移動(プーノ泊)。
4日目:ボリビアのコパカバーナへ日帰りバス旅行(プーノ泊)。
5日目:ツアーバスでクスコへ移動(クスコ泊)。
6日目:鉄道でマチュピチュへ移動し、遺跡観光(マチュピチュ泊)。
7日目:鉄道でオリャンタイタンボへ移動し、観光後にバスでクスコへ移動。夜の便でリマへ移動し、ヒューストン行に乗り継ぎ(機内泊)。
8日目:ヒューストンから成田行に搭乗(機内泊)。
(4・5日目は別旅行記で、また6日目以降は「後編」で記載)

@クスコにて

■2015.9.19
 成田へ向かい、今年6月に運行を開始したばかりのヒューストン行に搭乗する。南米への乗り継ぎに便利であることはもちろん、ペルーとの時差もないので時間の感覚が複雑にならないのも利点である。
 時差の関係で19日の朝9時過ぎに到着。リマ行の出発まで約7時間ほどの時間があるが、「空港内に留まるには長すぎる」「宇宙センターなどを観光するには時間が足りない」ということで、意味もなく市内(ダウンタウン)まで行ってみることにした。

@これも一応鐡(空港内連絡鉄道)

 この空港の良い所は、市内までのバスが「路線バス」であり、料金もたったの1.25ドルしかしない点である。ターミナルCにあるバス乗り場に行くと、ちょうど良い塩梅に30分に1本のバスがやって来たので、それで市内へと向かった。ダウンタウンまでは約65分。
 さて、来てみたところで、特に見るものはない。数少ない鐡ネタである路面電車を押さえておくくらいである。

@これも鐡

 空港へ戻り、ユナイテッドのラウンジでシャワーを浴びたりしてから、リマ行に乗り込んだ。リマまでの飛行時間は約6時間半で、23時過ぎに到着した。
 クスコまでのフライトは明日の9時30分発である。市内まで移動すれば安い宿があるが、時間が遅い+治安の問題を考慮して、空港直結のバカ高いホテル(早期割引を利用しても18,500円以上する)を、渋々押さえてある。

■2015.9.20
 せっかく良いホテルを押さえたのだが、時差ボケのせいで睡眠できたのは4時間だけであった。7時過ぎに手ぶらで空港へ向かい、日本ではチェックインできなかったクスコ行の搭乗手続きを済ませる。

@ペルーと言えば

 南米時間(?)に基づき、飛行機は30分ほど遅れて出発した。幸い窓側が取れたので、険しい山岳などを眺め続けることができた。クスコ着は11時頃。
 さて、空港への公共交通機関が整ってない場所で難儀なのが、タクシーとの交渉である。あれこれ調べると、「空港で待っているのはぼったくり。適正価格に乗るのであれば、空港から出て流しのタクシーを捕まえて、そして交渉する」が正解のようであった。要するに、交渉からは逃れられないのである。
 結局、いつものパターンで歩くことにした。市内までは4キロもない距離であり、可能な範囲である(ただし、真似する方は治安情報等を勘案して自己責任で。また、クスコは3,400メートルの高地にあるため、高山に慣れていない方はいきなり長距離を歩くのは避けた方が良いでしょう)。

@歩いたことにより鐡ネタも拾った

 駅(ワンチャック)近くにある安宿にチェックインし、今日はこれからクスコ近郊観光である。
 と言っても、市街地の観光スポットは最終日に訪問することができるため、今日はアルパカ牧場とピサックの日曜市に行くことにしている。そしてもちろん、旅費を最安にするため地元民の路線バスを利用することにしている(しかも、牧場も市場も入場無料である)。
 事前に「アワナカンチャ(アルパカ牧場のこと)」や「バス」というキーワードで調べておいた通りに、ワンチャック駅から北へ徒歩5分程度のところにある崩れそうなバス乗り場へと行ってみた。

@バスもかなり年季が入っている(運転席。一応ベンツですが…)

 そこそこの人数になってバスは出発したが、クスコ市街地で何回も停車して乗客を追加していくうちに、車内はお笑い番組の罰ゲーム(「何人乗れるでしょう」みたいな)でやるようなすし詰め状態になっていった。
 ぎゅうぎゅう詰めのボロバスは、左右に振られながらどんどんと高台へと上がっていった。しかし途中には遺跡などもあり、車窓を見ているだけで退屈にはならない。
 バスには若い車掌(私服なので他と見分けがつかないが)が2人もおり、沿道にいる人に声を掛けて、さらに乗客を追加していく。動き出しているバスに飛び乗ったりもしており、なかなか慌ただしい。

@もっと良い景色もあったが、車内からは撮影しにくく…

 クスコ市内から50分ほどで、アワナカンチャに到着した(事前に運転手と車掌に降りることを伝えていたので、なんとか大丈夫であった)。下車したのは私だけであるが、ここまでの料金は2.50ソル(約95円)と爆安である。
 目の前にある、無料の牧場へと入る。いきなりアルパカやその他の動物(リャマまど)のお出迎えである。

@かわええ

 旅の疲れも忘れ、しばし見入る。
 牧場内にアルパカ達がいるのはわかるが、なぜか沿道にも何頭か歩いている。首にひもが付いている(しかしどこにも繋がっていない)ので、放し飼いにされているのか、それとも逃げ出したのか、いずれにせよ詳細は不明である。

@逃亡?

 道路脇でしばらく待ち、ボロバスが来たので手を挙げてそれに乗り、ピサックまで移動(1.50ソル)。おのぼりさん的に市場を観光し、遺跡の入口まで歩き(高山病ではないが、やはり少し体がだるくなってきていたので、遺跡に登るのは断念)、馬鹿でかくてあまり甘くない(しかし野性味はある)茹でトウモロコシを買い、野良猫の写真を撮り、…という塩梅で、まったりとした時間を過ごした。

@天気も良くなってきた(遺跡入口より)

 復路も、例の罰ゲームもどきのボロバスである。座れないと大変なので、ピサックの町中ではなく町の端でバスに乗りなんとか座ることができたが、混雑具合は往路以上であった。クスコまでの料金は、3ソルである(他の旅行記で6ソルした等の記述があるが、それはバスではなく乗り合いバン(自動車)か何かであろう。バス内には、きちんとした料金表も貼ってあった)。
 さて、あとは夕食である。ホテル近くにある目を付けておいた店へ行っていると、日曜のせいか休みであった。仕方なく、15分ほど歩いてアルマス広場の近くにある店(これも一応目を付けておいた)に行ってみた。ここまで来たのは、アルパカ肉を食べるためである。
 昼間に「かわええ」を連発しながら見ていたのを食べてしまうのも残酷であるが、せっかく南米に来たのであるから普段は食べられないものを食してみたい。
 肉の感想はというと、かなりあっさり系であった。牛の赤身と鹿肉を足したような感じである。

@美味

 私は高地では無問題と思っていたが(富士山でも何事もなく、高山病になってしまった同僚の荷物まで運んであげたくらい)、しかし「飛行機でいきなり高地へ」「旅疲れ」「アルコール摂取」「徒歩移動」が重なり、ホテル到着時には自分でもはっきりわかるほど鼓動が速くなっていた。悪化させないために、すぐに就寝。

■2015.9.21
 駅からほど近い安ホテルであるため、まだ暗いうちから汽笛の音が聞こえていた。
 7時頃に駅に行ってみたが、なんだかすごい行列である(しかも地元民)。これから乗る「アンデアン・エクスプローラー」は外国人向けの観光列車だから変だな、と思って警備員に聞いてみると、「プーノか? だったらこれ(この行列)じゃない」ということで、別途案内してくれた。駅舎の横のホーム上に、それ用の受付があるようである(行列の人々の目的は、最後まで不明であった)。

@駅舎前のミニSL(その後ろに謎の行列)

 ネット上にある旅行記によると、この列車には「お一人様用」の席があるという。受付の男性に「一人用の席はありますか」と訊いてみると、「それを今探しています」ということで、タブレット上であれこれ操作をして私のために席の割り当ての操作をしてくれた。早めに駅に来たこともあり、無事にその席をゲット。手持ちの乗車票(ウェブ上から印刷したもの)の上に、ボールペンで新たな座席番号が記入された(事前予約の際は、人数に関係なく空いている席が宛がわれている)。

@側面のマーク

 先頭のディーゼル機関車の後ろは、[荷物車][乗務員用+厨房][C号車][B号車][A号車][サロン+展望車]という編成であった。
 受付をしたすぐ横に待合室があり、豪華なソファーがいくつか並べられている。無料のコーヒーもあったため、それを入れてもらって啜りながら乗車を待った。私のような人間(東洋人でお一人様)は少数派で、待合室内にいる人間の90%以上は西洋人であり、また平均年齢も軽く65歳は超えていそうである。

@最後尾

 待合室内には、列車のスケジュールが英語とスペイン語で掲示されてあった。それによると、10時00分:ウェルカムドリンク、10時30分:音楽演奏、12時45分:最高地点停車、13時00分:昼食開始、15時30分:音楽演奏、17時00分:午後の軽食、という塩梅である。
 7時30分が過ぎて案内があったので、車内へと入っていった。横3列の座席であり、お一人様の席は各車両に3席ほどあるようであった。私の座席は、車両の一番端である。

@全体的にこんな様子

 定刻ぴったりの8時00分、列車は動き出した。普段は閉まっている門が開き、そこから駅の敷地外へと出ていく(列車の本数が週に3往復だけしかないため、普段の駅構内は門で完全に閉ざされているのである)。ゆっくり走りゆく列車に対して、中学生くらいの制服姿のインカ娘が、恥ずかしそうに手を振ったりしている。

@駅を出た後

 先頭の機関車は、チンチンという鐘を絶えず鳴らし続け、そしてけたたましい警笛も鳴らし続けている。これの理由は至極当然であり、というのも道路との交差部分に踏切がないのである(正確な表現をすれば、「踏切」は存在するが「遮断機」や「警報機」の類がまったくないのである)。これに関しては、空港から歩いてくる際に気づいていたものである。
 細い道路ならまだしも、なかには6車線くらいの交通量が激しい道路もあるのだが、当然の如く「なにもない」のである。車も待ってくれておらず、直前ギリギリまで「渡ってやろう」という強い意志があるため、機関車と自動車のチキンレースの様相を呈している感じである。

@渡りきった後(列車の最後部から撮影しています!)

 しばらく最後尾の展望車から外を眺めていたが、沿線風景は概して貧しい感じである。線路脇にはゴミが多く、周囲の家もブラジルで見てきたファベーラ(貧民街)のような建物である。

@貧しい風景

 展望車ばかりにいたのではバカ高い料金(約3万5,000円)がもったいない(?)ので、しばらくしてから自席に戻った。いくつかの飲み物は無料であるため、コーヒーを頂きながら外を眺める。出発してから30分ほど経過し、やっと「遮断機のない踏切」も少なくなり、列車は速度を上げ始めた。
 じきに民家も少なくなり、険しい地形になっていった。左手には川が沿い続けており、それが景色のアクセントとなっている。

@渓谷のように(結局展望車に戻っている)

 10時を過ぎ、展望車ではウェルカムドリンク(ピスコサワー)と軽食が提供された。それが終わるとファッションショーのようなものが開催され(織物の展示即売会のようなもの)、それが終わる頃には楽器が準備されて、後は民族音楽のオンパレードである。軽食を頂いたり音楽を聞いたりしながら、私は展望部分から外を眺め続けた。

@前方を眺める

 11時半近くにあり、シクアニという町に近づいてきた。久々に車や人間が多いところに来たため、先頭の機関車は汽笛を鳴らし続けている。先の文章で「踏切がない」と書いたが、今度は道路と線路の区分自体が存在していないような感じである(通常は道路の一部となっており、まれに列車が通る時だけ人や車が避けているような感じである)。よくこんなところに列車を走らせるものだと、驚きながら景色を眺めていた(しかし実は、この後にさらに驚く光景を見ることになるのであった)。
 人々は穏やかで、子どもがこちらに向かって手を振ったりしている。

@道路?線路?

 上記のような「ほとんど道路の上」をしばらく走り、駅の敷地内を示すゲートを通ってシクアニ駅に到着した。当然旅客扱いはないが、旧い駅舎が残ったままである。駅構内は意外に広く、数量の廃車が引込線に係留されたままになっている。この鉄道が生活路線として成り立っていた時分には、ここも賑わっていたのかもしれない。

@小休止

 同駅を出発してゲートを抜け、再び道路だか線路だか区別がつかないようなところをしばらく走り、ほどなくしてまた普通の景色(草原)へと戻っていった。
 これから、この路線の最高地点に向かって登り続けることになる。路盤も、明らかに「登っている」ということがわかるくらいの傾斜である。
 峠に近づいていくと急に雲行きが怪しくなり、最高地点に到着する頃には雷を伴った大雨となってしまった。本来ならばここでしばらくの停車時間があり、乗客は目の前にたくさんある屋台のような店舗でお土産を買うことになるのであるが、この雨ではどうにもならないであろう。
 せっかくなので、私は傘をさして先頭車両まで行ってみることにした。

@こんな雨の中外に出るのは、愛煙家と鐡(写真撮影)のみ

 雨が若干小降りになったので、各店舗の店主たちは商品を手に取ってそれを掲げて、車内に残っている乗客たちに売ろうと一所懸命である。一部の乗客はデッキまで出てきて、品定めをしてスカーフなどを購入している。
 機関車の撮影をした私は、(雨なので)早歩き気味に丘の上にある標識(最高地点を示すもの)へ行き写真を撮り、その後最後尾に行って展望車の写真を撮っていると、急に息が切れてしまった(数十メートルくらい猛ダッシュしたような感覚である)。高地にいることを忘れていたため、慌てて深呼吸をして息を整えた(しかし、物売りのおっさんは元気に走り回っている…)。

@富士山頂よりはるかに上ですから

 最高地点には25分ほど停車し、13時00分に出発した。停車中にテーブルの上には皿とナプキンが置かれており、これは当然昼食の用意である。
 料理の内容は事前に訊かれており、サラダもしくはスープ、チキンもしくはサーモン、共通料理としてパンとデザートがあり、私はサラダとチキンを選択してある。ワインはタダらしいので、赤ワインを頂くことにした。

@料理の例

 簡単なコース料理を終えた後は、また展望車に戻って外を眺め続けた。「峠を越えたら晴れ」というのは日本でもよくあることで、雨は次第に上がっていき奥の方には青空が見え始めた。
 15時半になると、またしても音楽タイムである。

@ダンス付

 16時半頃になり、再び大きな町街が近づいてくると、辺りはまた家が多くなってきた。この家々が不思議で、なぜかすべて建設途中のような形(2階もしくは3階の上部に、柱の鉄骨部分だけが伸びている状態)なのである。
 そんな不思議な景色を眺めていると、今度は市場のような中に列車は入っていってしまった。市場と言っても、売っているものは分解した自動車部品やバイクの残骸などである。市場の中を走ると言えばタイのメークローン線が有名であるが、こちらはそれが延々と続くのである。

@なんだかカオス状態

 売られているものが機械類から書籍に変わり、今度は生鮮食品へと変わっていった。店舗は途切れることなく、それどころかどんどん増えて線路脇にさらに迫ってくる勢いである。最初の頃には店舗は線路との一定の距離があったが、次第に線路上に品物が置いてあったり店舗の屋根(テント)が覆っている状態となり(列車が近づくとそれらを避ける)、まさにメークローン線の特大版である。

@人々も慣れている?(動いている列車の上からの撮影です)

 展望席にいる西洋人のおばあさんたちは、この異様な光景を目の当たりにして奇声を上げて大喜びである。とある一人は、「バルーン(風船)をあげたらどうかしら」と言って、手持ちの風船を膨らませてそれを手を振っている小さな子ども目がけて投げ与えたりしている。受け取った方も嬉しそうである。
 市場は途切れることなく、さらに左手からは別の路盤も近づいてきた。あちらの路線はもう使用されていないようで、線路上の商品は置きっぱなしである。使用されている路盤も、列車さえ過ぎ去ってしまえばまた元のように商品が置かれることとなる。

@くどいようですが、動いている列車内からの撮影です

 町の中心部に近づいて行くについれて、市場はだんだんと巨大化していった。最後の方になると、これはもう「市場」ではなくて「アーケード街」と言った方が良さそうな街中を走ることとなった。そして当然の如く、そのような場所でも遮断機等の設備は一切ないのである。機関車がけたたましい警笛を鳴らし続けているだけで、列車を待つかその直前を横切るかは、それこそ自己責任の世界である。

@くどいようですが、車内からの……。

 商店街の中を路面電車で走るような状態から抜け出し、駅の敷地に入るためのゲートを抜けて、17時過ぎに駅に到着した。駅構内には、旧いSLが置かれている。あれが現役だった頃には、先ほど見た支線を含めて様々な路線が生活路線として活かされていたのであろうか。

@SL

 同駅を出発してからしばらくは、道路と並行するようにして走り続けた。機関車は相変わらず警笛を鳴らし続けているが、よっぽど譲らない車でもいたのか、今日初めて列車が一旦停止してしまった。
 席に戻ると、ティータイムの準備が出来上がっていた。ピンク色をした変わったお茶(リキュールを加えたもの)を啜りながら、ケーキを頂く。それが終わるころには、右手に日が沈み、それからは次第に暗くなっていった。

@夕日

 プーノの町が近づいてきた。街は山の中腹まであるようで、車窓から見える夜景が意外に綺麗である。
 列車は再び街中の道路沿いを走り始めた(もう暗くなっているので、車とぶつからないかどうか不安である)。定刻より7分早い18時23分に着いたが、すぐには外に出られず、結局車両の外に出ることができたのは18時30分を過ぎてからであった(すぐに降りられなかった理由は、荷物車に置いてある乗客の荷物をすべて降ろして、駅構内のロビーに並べていたためであった)。
 客引きを避けながら駅の外に出て、安宿へと向かった。ネットで予約済みの安宿は駅の近くであるが、わかりにくいところにあってかなり迷った(他のホテル2件と警察に訊いて、やっとたどり着いた)。
 さて、あまりお腹は空いていないが、夕食時である。繁華街まで歩いて行ったが、急に雷を伴う大雨となってしまった。店を選んでいる余裕もなく目の前にあった外国人向けの店に入り、今日もアルパカを注文した。

@性懲りもなく

 味については、やはり昨日の方がかなり上であった(今日のは肉に火を入れ過ぎであったため、安い豚の赤身のような食感であった)。クスコに戻ったら、口直しではないがまたあの店に行こうかと思う。
 食事が終わり、雨も上がったので宿へと戻る。宿は少しだけ坂を上った所にあるのだが、到着時には息切れしてしまうような感じであった。慣れない高地であるのだから、あまり普通のペースで歩かない方が良さそうである。


後編に続く

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