ペルーでアルパカを食らふ(後編)

 ペルーへの鐡旅、後編です。

@ポロイ駅にて

■2015.9.23
 今日も夜中に大雨が降っていた(ほぼ毎日このパターンである)。
 目が覚めてみると、体調はかなり回復していた。今日はマチュピチュに登る予定であるため昨日までの体調であると大問題であったが、これなら大丈夫そうである。
 マチュピチュ行の列車は以前はクスコ市内にある駅(サンペドロ駅)から出ていたが、今は諸事情によって直線距離で10キロほど西にあるポロイ駅から出発している。前夜のうちに宿の人にタクシーを頼んでおいたが、約束の朝7時に外を見てみると、ホテル前に停まっているのは普通の乗用車であった。しかしどうやらそれがタクシーであり、値段も昨晩確認した通りの額(30ソル)であった。
 タクシーは、駅へ向かってどんどん丘を登って行った。現在は使用されなくなった路盤なども通り抜けていく。

@人も写ってしまった

 約30分ほどで、タクシーはポロイ駅に到着した。少し早く着すぎた感もあるが、ホームには1本前の7時42分発がまだ停まっており、それを撮影したりして時間を潰した。あちこち歩いても大丈夫であり、これならマチュピチュもなんとか対応できそうである。

@ポロイ駅舎

 7時42分発が出発すると、引込線にいた車両(私が乗るやつ)が一旦出ていき、バックで入線してきた。その様子を写真に収めてからは待合室でしばし待ち、8時10分頃になって改札が始まったのでホームへと入っていった。車両は4両編成であり、すべてビスタドームという朝食付のクラスである(先ほど出発したのは、それよりワンランク下の「エクスペディション」というもの)。
 宛がわれた席は幸いにも窓側だったが、残念ながら進行方向とは反対向きであった。

@こんな車内

 8時25分、定刻ぴったりに列車は出発した。曇っていた空も次第に晴れに変わってきており、鐡旅日和である。
 しばらく農村風景の中を走った後、列車は市街地に入り「路面電車もどき」状態になっていった。しかしこの路線は一日に数本走るので、沿線の状況もそれほど慌ただしい感じはない(普通に列車を見送っている)。

@列車の通過を待つ車(人々もあまり注目していない?)

 その後車内アナウンスがあり、無料で付いてくる朝食が配られた。内容としてはパイと果物程度であるが、この60時間以上でバナナしか固形物を口に入れていない私にとっては、久々のまともな食物である。体調もかなり回復してきているので口にしてみたが、美味しく胃に収めることができた。

@こんな内容

 その後、景色は貧しい寒村へと変わっていった。ロバみたいな家畜が荷物を牽き、牛が川辺で草を食んでいる。
 9時半少し前になると、アナウンスがあってスイッチバック区間へと入っていった(この区間の走行が大変であるため、クスコ(ポロイ)まで直通する列車が少なく、多くの列車は途中のオリャンタイタンボまでしか行かないのである)。
 渓谷沿いに鉄道が敷設されており、それらを見下ろせるのは進行方向の右側である。しかし残念なことに、私の席は左側である。しかししかし不幸中の幸いであるが、左側の唯一の利点は、スイッチバックしてきた路盤を見ることができるという点である。

@このようにして(これを見ても喜ぶのは鐡な人だけ)

 スイッチバックを繰り返して高度を下げ、10時頃に下界(と言っても充分に高地であるが)に降りてきた。ここで橋を渡り、やっと私の側に景色が広がるようになった。
 川沿いに走り続け、インカ鉄道の車両が見えたりして、10時11分にオリャンタイタンボに到着した。少しあった空席もここですべて埋まり満席となり、10時32分に同駅を出発した。
 さて、やっと渓谷の写真を撮ることが可能である。険しさという点ではオリャンタイタンボに下るまでの方が数倍迫力があったが、ここから先もなかなかの渓谷美である。

@天気もよし

 同じような渓谷が続いて行くが、所々で遺跡が見えたり、また吊り橋があったり、ダムがあったりして、景色はどんどんと変化し続けていく。

@観光客向けの手入れがされていない遺跡もあり

 そのような中を走り続け、定刻よりも少し早い12時05分にマチュピチュに到着した。流石に大観光地だけあって、駅周辺は土産物屋にレストラン、ホテルなどが所狭しとひしめき合っている。

@駅を出た市場内から撮影

 予約済の安ホテルに荷を置き、まずは「おのぼりさん」的にマチュピチュへの観光である。入場券はすでにネットで手配済みであるので、あとはバスのチケットを買って現地に向かうだけである。
 地図を片手に街中を歩いていると、バス乗り場の先に引込線があり、そこに列車がとんでもない状態で係留されているのが目に入ってきた。この路線は引込線としての意味合いもあるのだが、実はこの近くにローカルの乗客向けの列車乗り場があるのである。

@点検中?

 道路脇の小屋でバスの往復チケットを買い、それでマチュピチュへと向かった。バスに乗る際に列に並んでいたのであるが、前も後ろも日本人の男一人旅であった。しかし私との違いは、両人とも「ガイド付」という点である。彼らが余裕があるのか、それとも私が貧乏性過ぎるのか、どちらが本当かは不明であるが、ずいぶんと差があるものである(もちろん、旅のスタイルは人それぞれで問題ない)。
 マチュピチュは、余りにも有名すぎるので説明は省略。写真だけは1枚載せておきましょう。

@定番

 かなりの急坂もあったが、体調がそれなりに回復したおかげで無事にすべて歩くことができた。一昨日はもちろんのこと、昨日の状態でも歩くのは苦しかったであろう。
 下山してからは、夕食の時間である。体調が戻りつつあるとはいえ、30分毎に「お腹減った」「食べられそうにない」を繰り返しているが、せっかくなのでレストランに行ってみることにした(しかも、コース料理を注文)。
 魚料理にしたが、久々に口にするタンパク質の美味しいこと! 生き返った気がした。

@かなり美味(そして巨大)

 そうは言っても万全ではないので、ビールも2本だけにしておいた。満腹になり、ホテルに帰って就寝。

■2015.9.24
 ペルーに来てから、初めて8時間もしっかりと寝ることができた。時差ボケが解消して体調も戻ったためであるが、もうこれが旅の最終日である。
 これまでは「夜中にスコール」というパターンであったが、今日は朝食中にとてつもないスコールとなった。雨が降る分には困らないが、鉄道が運休にならない程度にしてほしいと思う(それが心配になるくらいの大雨であった)。
 少しだけ小降りになった瞬間を見計らって、駅へと移動した。
 これから乗るのは8時53分発の列車(「エクスペディション」のみの編成)であるが、7両も連結されている。しかしよくよく観察してみると、外国人が乗れる(ネットで買える)のは最初の3両だけであり、残りの4両は地元民向けのボロ車両のようであった。改札も、別々に行われている。

@雨の中、出発を待つ

 車内に入ってみると、私の席のところで何やら窓を修理している。辺りを見てみると、どうやら雨漏り(それも尋常でないレベル)をしているようであり、その応急処置をしているようであった。処置といっても、隙間にティッシュのような紙を詰めているだけであり、現状でも雨が滴り落ちてくる状態である(かなり危うい状態のままであったが、出発後は雨が小降りになり、その後止んだので私の席が再度ずぶ濡れになることはなかった)。

@対処中

 8時55分に出発し、山水画のようなもやった風景の中を走り続けた。雨は雨でそれなりに景色も美しいが、写真撮影という点では残念ながらマイナス要素である(窓が水滴だらけになり撮影できなくなるため)。

@小やみになってから撮影

 このクラスには朝食は付いていないが、しばらくしてから飲み物と軽食が配られた。
 昨日の逆回しで景色を見続けていたが、オリャンタイタンボに近づくにつれて、路面が濡れていないことに気が付いた。つまり、この辺りは雨は当然のことスコールも降っていなかったのである。
 10時57分、終点のオリャンタイタンボに到着した。ツアー客はバスに乗り込み、その他の観光客はタクシーと交渉したりしている。私は徒歩で、近くにある遺跡へと向かった。

@駅に到着

 遺跡は登る体力もないので外から見るだけにし(入ると入場料も高いので)、後は市内にある市場などを適当に見て歩いた。
 さて、クスコへの移動である。市内をぶらぶらしていると「クスコクスコ」と連呼するバンの運転手がいたので、値段を聞いてみると「10ソル」ということだったのでそれに乗り込んだ。
 オリャンタイタンボの町を抜けると、バンは線路に沿って走り続けた(この先のウルバンバまで線路が続いているのである)。血が騒ぎ(?)、その写真を車内から収める。

@見た目上は廃線みたい

 ウルバンバを過ぎると、車はカーブを繰り返してどんどんと高台へと上がっていった。鉄道であれだけのスイッチバックを繰り返したのであるからどれだけ上るのかと思ったが、意外にそれほどでもない。これは、車と鉄道との感覚の違い(車は摩擦力が高いので一気に上がることができる)かもしれないが。
 バンに乗ってから約1時間でポロイ駅付近を通過し、その後渋滞に少し嵌ったが、都合1時間45分でクスコ市内に到着した。これでたったの10ソル(往路はポロイ駅までタクシー代30ソル+鉄道代別途)であるから比較にはならないが、後者は観光客向けだから仕様がない。
 さて、あとは市内観光だけである。バン用のターミナル付近には廃線跡があり、これを目印に移動すれば迷うことはない(註:私の場合)。

@目印

 市内観光はアルマス広場周辺の有名どころ中心であるが、普通の(鉄道向けではない)旅行記でも紹介されているので、そちらをご参照ください。
 さて、ペルーでの最後の食事は、やはりアルパカである。プーノの食堂は吟味しないで適当な所に入ってしまい失敗しているので、前回と同じレストランに入ることにした。他の店ではアルパカのカルパッチョ(つまり生肉)も食べられるということでかなり惹かれていたが、もし失敗だったら厭なので、安全な橋を渡ることにした次第である。
 前回はアルパカ肉にハムとチーズを挟んだものをミディアムで焼いてもらったが、今回はアルパカ肉だけをレアにしてもらった。その方が、味がわかると思ったからである。

@食べ納め(しかし量がすごかった…)

 アルパカを食べ終えてからは、最後の鐡ネタである。
 この文章の最初の方で「以前はクスコ市内にある駅(サンペドロ駅)から出ていたが、今は諸事情によって直線距離で10キロほど西にあるポロイ駅から出発している」と書いたが、そのサンペドロ駅跡に行ってみることいしている。
 てくてくと歩き続け、大きな市場の建物の隣りにある駅跡へと向かった。建物はもちろん残っており、表示もそのままである。この駅から出発してくれれば便利なのだが、何かしら理由があるのであろう。

@旧駅

 その後は駅付近にある「迫力のある」(清潔感等である意味強烈な)露天市場を散策し、その足で空港まで歩き続けた(トータルで約1時間。体力もほぼ元通りになった)。
 あとは日本に戻るだけであるが、リマとヒューストンを経由し、また時差もあるので、到着するのは明後日の夕方(ほぼ丸2日)である。考えただけでうんざりとする距離であるが、「これが最後の徒歩観光」ということで、プチ高山病でパンパンにむくんだ指をさすりながら空港までの道程を楽しんだ。

@遮断機のない踏切とは(空港へ行く途中。ここは週に3往復しか鉄道が通らない)

 

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