惜別「根室本線(富良野から新得まで)」

■はじめに
 根室本線の富良野から新得までは、2016年の災害によって不通となっていたが(長い間にわたって代行バス状態)、2024年の3月末をもって廃止となることが決定した。廃線までまだ日はあるものの、直前になると「ご専門」の方で混雑することと、冬季は「景色が雪だらけ」になってしまうし、秋口は出張や他の旅行の予定も多くあるため、夏のうちに最後の訪問をすることにしたのである。この時期ならば、所謂「葬式鉄」で混雑することはないであろう(と思っていた)。
 北海道の鉄道は分割民営化前後からどんどん少なくなっており、その後も災害が理由でも減少を続けている(日高本線)。北海道新幹線開通後は並走する在来線も廃線となること確実であり(函館本線)、寂しい話題ばかりである。私の旅行記「惜別」シリーズも、ここ最近は北海道ばかりである。
 夏休み期間中に飛行機で普通に往復するとなると大散財となってしまうため、3か月以上前にLCCを予約しておいた。

@東鹿越駅にて

■2023.8.26
 上述した通り成田からのLCCに乗るが、JRがまさかの15分遅延となり、空港駅到着時点でチェックイン締め切りまで6分。久々に、猛ダッシュで手続き用の無人カウンターまで走り、なんとか3分前に手続きを済ませることができた。
 新千歳空港まではひたすら我慢、となるはずであったが、最近はLCCでも動画などのコンテンツを提供しているため、それを観たりして時間を潰した。

@なんとか搭乗

 今日は青春18きっぷでの移動である。新千歳空港到着後は、快速で札幌へ移動し、そこから各駅停車で岩見沢にやって来た。
 ここで45分も乗り換え時間があるが、駅弁でも買って時間を潰そうと思う。岩見沢には3種の釜飯があり、いつもタイミングが悪くて(乗り換えが朝であったり夕方であったりで)買ったことがなかったが、今日は丁度昼時である。
 しかし、観光案内所に行っても釜飯の影も形もない。おかしいなと思って駅構内を歩いていると、まさかの「先月で販売終了」であった。

@無念

 仕方なく駅待合室で休憩…とはならない。というのも、とてつもなく暑いのである。北海道には冷房がない施設や家庭が多いが、この新しい岩見沢駅も同様で、共有スペースは蒸し風呂状態なのである(本来の北海道であれば冷房無しでもいいのであろうが、温暖化の今ではかなり厳しい)。
 駅前で「岩見沢ねぶた」が偶然やっていて出店がたくさんあったので、それを見たりして時間を潰した(日差しは厳しいが、風があるため外にいた方が涼しいのである)。
 12時50分くらいに駅に戻り、13時03分発の滝川行に乗り込んだ。冷房が涼しく、まさにオアシスである。

@方向幕回転中

 定刻に出発。このまま滝川に移動しても根室本線の出発まで2時間くらい時間が出来てしまうため、途中下車をすることにしている。目的地は、美唄である。
 美唄は焼き鳥(もつ串)で有名であり、私も有名店で数回テイクアウトをしたことがある。夜用にそれを買おうと思い、予約必須であるため電話番号を調べようとして出発前にネットで調べてみると、なんと2週間くらい前に火事で店舗が燃えてしまったというニュースがあるではないか。吃驚したが、火事の2日後からテントでの販売を開始したということで、そこに買いに行くことにしている。
 13時18分に美唄に到着し、しばし歩いてもつ串を10本購入した(早期再開を願う)。
 その後は、北海道らしくない天候の中を徒歩散策である。

@神社

 あまりに暑いのでドラッグストアでアイスを買ってから、駅に戻る。駅構内でそれを頂く…わけにはいかない。美唄駅も同様に共有スペースに冷房がないため、座っているだけでも汗だくになってしまうのである。
 電源を見つけたので携帯を充電しつつ、外に出てアイスを頂いた(やはり外の方が、風があって涼しいため)。
 14時19分発の列車で滝川へ(14時42分到着)。根室本線の出発まで1時間弱あるため、歩いて25分くらいの場所にあるSLを見に行った。

@SL

 あまりに暑かったら行くのをやめようかと思っていたが、大きな雲が近付いてきたので、比較的暑くない状態で歩くことができた(逆に、最後はその雲のせいで雨が降ってきたが)。
 駅に戻り、入線していた1両編成の根室本線へ。駅構内の行先案内は「東鹿越」となっており、これは来年3月までの表示である。

@これに乗る

 滝川駅の待合室も非冷房であり、やっと車内に避難できる…と思ったが、車内は駅構内以上の蒸し暑さであった。というのも、このキハ40系は非冷房なのである。よって、出発の直前までホーム上に避難してから乗り込んだ。
 15時38分に滝川を出発した後は、当然ながら窓を全開である。峠区間のトンネルでは、「自然の冷房」を満喫することができた。
 16時42分に富良野に到着し、同駅を48分に出発。ここからの区間が、来年に廃線となってしまう区間である。
 最初の駅は布部。比較的大きな駅であるが、乗降客は皆無であった。

@布部

 車内には10人くらいの乗客がいるが、同業者(鉄道に乗ることが目的)がほとんどのようである。
 続いての駅は、山部。こちらもコテージ風の駅であるが、やはり乗降客は皆無であった。

@山部

 沿線には民家も多いが、国道が沿っているため、自動車を使う人が多いのであろう。しかし、さすが北海道であり、こんな人里でもエゾシカが多くいて、列車は時折ホーンを鳴らして彼らを遠ざけていた。
 続いての駅は、下金山。やっとここで、地元民が2人降りて行った。

@下金山

 下金山を過ぎると次第に民家も少なくなり、「この先は峠になっていくぞ」という雰囲気が高くなってくる。
 17時19分、金山で下車した(降りたのは私だけである)。今日はこの次の東鹿越までは行かず、ここで折り返すことにしている。
 この駅には、少なからず思い出がある。今から24年前、バイクでツーリングをしていた際に急にバイクが止まってしまったのだが(燃料系統のトラブル)、それがこの駅のすぐ近くであったのである。

@金山

 折り返しの列車まで30分以上あるため、しばし小さな集落内を散策。24年前に対応してもらった給油所はなくなっており、小学校も閉校となっていた。なにより、歩いている人は私だけである。
 ネット情報によれば、この駅の利用者は1日に2人程度。廃線も当然であろうか。
 駅にはレンガ造りのランプ小屋もあるが、観光名所にすらなっていない。鉄道がなくなれば、観光客は通り過ぎることもなくなるのであろう。
 17時53分の列車で、富良野へ。この車窓も、明日が乗り納めであろうか。

@奇麗

 18時22分に富良野に到着。今日は安民宿に泊まるが、なんと非冷房であった(今日の富良野は日中33度まで上昇し、夜も25度以下にならない…)。「あと2,000円足してホテルにすれば良かったかな」と思うが、まさか8月後半の北海道でここまで暑いとは思わなかった。
 しかし、夜の楽しみは「もつ串」である。塩味のモツなので、ご飯のおかずにはなり難いが、酒飲みにはたまらない一品であると思う。

@今晩はこれで

■2023.8.27
 7時頃に宿を出て、駅へ。今後、もしかしたら思い立って乗りに来ることがあるかもしれないが、それがないとすれば、富良野から東鹿越までは今日が乗り納めとなる。

@乗り納め

 ホームに入り待つことしばし、7時17分発の東鹿越行が入線してきた。この列車は滝川始発であるが、今日はすでに7人くらいの乗客がいて、富良野で3人ほど増えて約10人となった。少ないと言えば少ないが、5年半前に乗った際には、滝川から東鹿越まで「乗客は私1人だけ」という稀有な経験もしたことがあるくらいなので(拙文「JR北海道の様子を確かめに行く旅」参照)、それと比較すれば賑わっているといえる(ただし、乗車目的の人ばかりであるが)。

@「ぬのべ」の表示も来年まで

 定刻に富良野を出発。金山までは昨日見た景色と同じであるが、朝の光が東側から当たっているので、西側にある山々が奇麗に見えている。

@山部付近にて

 金山の手前で急ブレーキが踏まれたが、前方で車窓を見ていた人によると、鹿ではなくて熊であったという。昨日、金山駅付近で散策した際に、昔のツーリングでバイクが止まったところまで行こうとして「熊出没注意」の看板を見て諦めたのであるが、本当に出るようである。
 金山を過ぎると本格的な峠区間となり、長いトンネルを抜けると「かなやま湖」が見えて来る。この景色も、もう見られなくなるのかと思うと寂しい限りである。

@かなやま湖

 8時01分、終着の東鹿越に到着した。ここから先は長いこと代行バスとなっているため、乗り換えが必要である。

@東鹿越

 東鹿越と新得の間には「幾寅」と「落合」の2駅があるが、ブログ的にネタが多いのは圧倒的に幾寅である(映画「鉄道員」の舞台となった駅であり、それ関係の展示類がたくさんあるため)。私も何度か降りたことがあるし駅前にあるレストラン兼宿に泊まったこともあるが、今日は敢えて落合で降りてみることにしている。
 8時06分に代行バスが出発すると、所々で路盤跡を見ることもできた。

@もう廃線状態

 8時14分、幾寅に到着して、ここで半分弱の乗客が降りていった。駅には大きく「幌舞」とあるが、これは「鉄道員」における設定である(実際の駅名「幾寅」は、建物の端に小さく書いてあるだけ)。

@幾寅

 同駅出発後もバスはゆっくりと走り続け、8時26分に落合に到着した。私以外にも1人下車したが、その人には迎えの人が来ていたので、こんな何もない駅にて観光目的で降りたのは、私1人だけである。

@落合

 1966年まではここから旧狩勝峠を通って「日本三大車窓」が望めたところであり、新トンネル開通後も、1981年に石勝線が開通するまでは釧路方面への特急がたくさん走っていた路線であるが、そのうち特急も走らないローカル線となり、今やそれすら走らない不通区間となってしまい、もう風前の灯である。
 駅構内には入れないようになっていたが、脇の方から覗くことができたので、望遠でその様子を眺めてみた。

@兵どもが夢のあと

 探索を終え、8時48分発のバスで東鹿越に戻ったが、車内は20人以上も乗客がいた。この代行バスには何度か乗っているが、いつも数人程度であり(最小は先述した1人)、これはもう、廃線に向けた狂騒曲はもう始まりかけているのかもしれない。
 東鹿越からは、9時16分発の滝川行に乗り込んだ。これで、一応最後の乗車である。
 本来の旅程では、滝川以降は岩見沢から室蘭本線経由で栗山や追分で観光をする予定であったが、この暑さではもう歩く気にもなれない(それに、室蘭本線は非冷房の車両である)。よって、岩見沢以降は予定を変更して札幌経由で涼しく移動をして、空港ラウンジで長居をしてこの旅行記を完成させてしまうことにした。

@岩見沢駅にて

 

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