JR北海道の様子を確かめに行く旅

■はじめに
 平成28年11月、JR北海道が「当社単独では維持することが困難な線区について」という資料を発表し、道内ほとんどの鉄道の独自での維持が難しいことを明らかにした。今後の方策の選択肢としては、上下分離式(施設の保有と運行会社を分離させる)や第三セクター方式、さらには廃線という極端なものも考えられている。
 中でも、輸送密度200人未満の3線区(留萌本線全線、根室本線の富良野−新得、札沼線の北海道医療大学−新十津川)は廃止される可能性が高いと思われ、すでに自治体と話し合いを開始している2線区(石勝線の新夕張−夕張、日高本線の鵡川−様似)は、もう廃線確定である。それよりも重要なのが、稚内や網走へ繋がる宗谷本線や石北本線までが「困難な線区」に分類されているという事実である。

 今は昔、周遊券がまだ存在していた頃は、それを大活用して学生時代の夏休みを北海道で過ごしていたものである。当時は道内で完結する夜行急行がたくさんあり(「大雪」「利尻」「まりも」など)、その自由席で毎夜過ごしたものである。社会人になってからも、フリー切符を活用して上記の列車の寝台車(二段B寝台)で毎晩泊まり続けたものである。しかし今や、道内完結の夜行列車はすべて淘汰され、それどころか路線自体が危うい状態である。
 上記はあくまで今後の方策であるが、自然災害によってすでに運行が停止されている路線もある。私事であるが、冬の季節は仕事柄有休が取りづらく、土日の国内旅行しかできないため、何度か往復してJR北海道の災害不通区間や維持困難区間などを見てくることにした。

【第一弾】1月6・7日
・日高本線(災害による不通。今後大部分が廃止へ)
・石勝線夕張支線(廃止決定)
【第二弾】1月27・28日
・留萌本線(まだ廃止の話は出ていないが…)
・根室本線(災害による不通。部分的に廃止の可能性大)


@鵡川駅にて

■2018.1.6
 7時の便で羽田を立ち、新千歳空港へ。青春18きっぷに押印をしてもらって南千歳へ行き、苫小牧行に乗り換えた。残念ながらロングシートである(最近、JR北海道でも増えてきた)。
 苫小牧で乗り継ぐのは、なんとか部分的に運行中の日高本線である(苫小牧−鵡川の間のみ)。こちらは、国鉄時代の香りがするディーゼルカーである。

@久々(前回乗車時は様似まで乗ったのだが)

 出発予定時刻は10時20分であるが、動き出す前に早めの昼食である。ステレオタイプであるが、苫小牧といえばホッキしかないであろう。

@定番

 食べ終えた頃、定刻に出発した。それにしても、乗客は私を含めてもたったの3人だけである。
 30分ほどで鵡川に到着。ここで2時間ほど暇があるため、道の駅まで散策したり、地元のスーパーで物色したりして時間を潰した。今から31年前、初めての一人旅でここに来た際には富内線に乗り換えたのだが、その記憶はまったくない(富内線の沿線風景や、終着の日高町駅は鮮明に覚えているのだが)。それよりは、数年前に来た際の「ししゃもの握り寿司」の方が鮮明な記憶である。
 駅に戻り、13時00分発予定の代行バスに乗り込んだ。

@これで静内まで

 鵡川まで運行しているのはありがたいことであるが、日高本線の見所は鵡川以降なのである。12時52分に鵡川に到着した列車からの乗り継ぎ客を迎えて、バスは出発した。乗客は私を含めてたったの5人である。
 代行バスであるため、国道沿いにない駅の場合はわざわざ迂回しなければならない。次の汐見駅がまさにそれであり、小さな駅と集落のためだけにバスは枝道に入って行った。

@汐見駅

 当然のように誰も乗降せず、再び国道に戻る。先ほど「見所は鵡川以降」と書いたが、ここから先が「右は海・左は牧場」といった日高本線ならではの風景が続いていく。
 ほぼ同じルートで道南バスの路線もあるが、代行バスは駅を辿って迂回をしなければならないため、分が悪い。交通弱者(免許のない学生や高齢者)だけが対象、とも言える。
 日高門別で6分停車するということだったので、降りて駅に行ってみた。

@もう列車は来ません

 日高門別を過ぎても、ひたすら牧場である(場所柄、馬が多い)。路盤が寄り添っているが、場所によっては完全に崩れてしまったり流されたりしまったりしている場所もあった。
 この地方には高速道路も整備中であり、JR北海道の資料でもそれ(道路が整備中であること)を廃止に向けた整理の理由の一つとして挙げている。

@完工はまだ先

 静内には14時48分に到着した。ここで10分の乗り継ぎで、次の代行バスである様似行に乗り換える。
 14時58分、予想外に多い9人の乗客で出発した(普通に考えれば少ないが、ここまでが3人とか5人であったので、多く感じてしまうのである)。

@ここから先はJRバス代行

 これまではほぼ海沿いに走ってきたが、ここから先は蓬栄や本桐を通るため内陸側に迂回することとなる。国道は海沿いを走るため、クラスの落ちる(除雪や整備があまりされていない)道路へバスは入って行った。アイスバーンがボコボコしており、運転し辛そうである。今後正式に廃止されるようになったら、この道路なども整備されるのであろうか(国鉄赤字線廃止時に実施したように)。

@本桐駅付近

 再び海沿いの道路に戻り、路盤と近づいたり離れたりしながらバスは走り続けた。意外に多かった乗客もちらほらと降りて行き、終点の様似まで乗っていたのは2人だけであった。
 ただし、これは需要がまったくないというわけではないだろう。先にも書いたが道南バスが浦河まで並走しているため、長距離を短時間で移動したい人は迂回をする代行バスには乗りたがらない可能性もある(料金は代行バスの方が安いので、それを理由で選択する人もいるかもしれないが)。

@到着

 さて今日は、えりも町にある旅館(夕食付)に泊まることにしている。様似で時間を潰してから18時20分発のバスに乗ったが、私以外に乗っていたのはおばあさん2人だけであった。こちらはこちらで、存続が心配なくらいの旅客である。
 えりも本町バス停で降りて旅館へ投宿し、夕食を自室で平らげてから、就寝。

@品数多し

■2018.1.7
 7時過ぎに宿を出て少し散歩がてらに移動し、「えりも駅」バス停から7時25分発のJRバスに乗車。このバスは襟裳岬方面から来たものであるが、乗客は様似まで私1人だけであった(日曜であるため通勤通学の利用がなく、早朝に襟裳岬から様似に行くルートであるため観光客もいないのであろう)。
 寂しい有様だが、最前列からの景色はなかなかのものである。

@天気よし

 8時少し前に様似駅に到着した。代行バスの出発時刻は9時02分であるため、しばし時間がある。かといって見るべきものもないので、駅付近を適当に散策した。
 以前はJRでここまで来て襟裳岬行のバスに乗ったものだが、もうそれは不可能である。

@列車来たらず

 駅舎内のバス用の窓口で青春18きっぷに押印してもらい(通常の丸印がないため、日付+駅印)、出発時刻の10分くらい前になってバスが来たのでそれに乗車した。乗客は私を含めて3人だが、残り2人は代行バスで到着してからの折り返し(つまりこれに乗るのが目的)であるため、地元民はゼロである。

@今は「代行」だが…

 定刻に出発し、各駅の近く、もしくはその近辺(駅の近くまで行けない場合もあるため)に停車をして行った。路盤が寄り添っているが、場所によっては砂に埋もれたままになっているところもあった。
 地元民もちらほらと乗車し、海から離れて迂回する蓬栄や本桐でもそれぞれ1人ずつ乗ってきて、静内到着時には11人に増えていた。意外に重宝されているようである。

@次はこれ

 15分ほどの待ち合わせがあり、次は11時11分発の鵡川行である。出発時に運転手が無線で「4名で出発します」と報告していた。
 海側に路盤が敷かれている場所が多いが、やはり厚賀付近の崩れ具合が一番酷いようである。鉄橋は流され、線路も曲がったままの状態である。

@復旧には多大な金額が必要

 往路と同じように国道から離れている駅のために何回か脇道に逸れ、定刻より3分早い12時52分に鵡川に到着した。ホームに行ってしばらく待つと、苫小牧からの列車がやってきた。これが折り返し、13時03分発の苫小牧行となる。
 8人の乗客を乗せて定刻に出発。その後は苫小牧で乗り換えて、南千歳には14時25分に到着した。8分の待ち合わせで、千歳からやってきた夕張行に乗り込んだ。

@ディーゼル1両

 千歳発であるため、すでに車内は乗車率3割程度(各ボックスも1人はいる状態)であるが、明らかに「青春18きっぷ」利用者の旅人ばかりであり、地元民らしき風采の人は数えるばかりであった。
 追分での長時間停車では駅付近を散策したりして、じきに新夕張に到着した。追分から夕張までは昔は夕張線という名称であったが、後になって石勝線に組み込まれ、新夕張から夕張までは盲腸線になっている。
 何回も乗っているので特に感慨はないが、この先短いと思うと少し考えさせられる部分もある。写真にあれこれ撮っておきたいが、暗くなり始めたことと、雪も吹雪始めたのでそれも少し難しくなってきた。

@清水沢駅

 定刻より3分遅れて、16時26分に夕張に到着した。折り返しが16時31分発であるため、慌ただしく駅の写真などを撮る。とても感慨に浸っている時間はない。

@廃線前にもう一度来ましょう

 折り返しの列車は定刻に出発し、それに乗っているうちに日が暮れて、第一弾の旅は終わりである。

 さて、本来ならば新千歳空港へ行って帰るだけだが、今日は三連休の中日であり、飛行機代はそれなりに高価である。ということで復路に関しては、かなり早い時期に明日(休日)の朝一番の成田行を7,020円という超格安で決済しており、これと苫小牧の激安ホテル(3,750円)とをセットにしている。

■2018.1.27
 7時30分の便で羽田を飛び立ち、新千歳空港へ。札幌と岩見沢で乗り換えて、12時30分に深川に到着した。小一時間ほど時間があったので適当に駅近くにあったスーパーなどを探索してから駅に戻り、13時24分発予定の1両のディーゼルカー(留萌行)に乗り込んだ。

@雪だらけ

 出発の10分くらい前に乗り込んだのであるが、車内は意外に混んでおり、座席に対する乗車率は5割くらいもある(今日は「青春18きっぷ」も「一日散歩きっぷ」も使用できない日である)。どうせガラガラだろうと思っていたが、収支を考えるとこのくらい多くいた方が安心できる。
 進行方向とは反対向きの窓側が1か所空いていたので座ったが、二重窓が汚れと蒸気により真っ白であるため、先頭のデッキに立つことにした。1時間も満たない乗車時間であるため、問題はない。
 定刻に出発し、しばらくは平野部分を走り続けた。峠越えになると、携帯の電波も届かなくなる。

@峠下駅で行き違い

 留萌本線には過去何回か乗車しているが、これだけ雪深い季節は初めてである。特に今年は北海道でも積雪が多いため(北海道の雪は「吹けば飛ぶよう」な粉雪が多いため、沿岸部では意外に積もらない)、なんだか初めて来るような感覚である。
 途中の駅で車輪が空回りして出発に戸惑ったりして、14時24分、定刻から少し遅れて留萌に到着した。

@ラッセル車準備中

 折り返しまで2時間弱もあるため、寒いが徒歩観光である。駅を出て歩き出すと、すぐ右手に使われなくなった鉄橋が見えてくる。これは、1年ちょっと前(2016年12月)に廃止となった増毛までの路盤である。

@もう走りません

 どうせ暇なので次の駅だった場所(瀬越駅)まで行こうと思っていたが、海側からいかにも「これから吹雪く」というような濃い灰色の雪雲が近づいてきているため(ついさっきまで晴れていたのに)、途中で曲がってスーパーで夜の食材をちょっと見たりしてから、駅に戻ってしまった。
 何もすることはないが、現在の駅舎が建設されて50年ということで、それを記念する展示や写真展、スタンプなどが置かれているので、暇にはならない。

@建設当時は、道内では旭川に次ぐ大きな駅だったとのこと

 案の定、外は横殴りの雪になっていった。
 16時17分のディーゼルカーに乗り、深川へと戻った(朝早かったこともあり、半分くらいは寝てしまったが)。往路はあれほど賑わっていたのに、今度は私を入れても乗客は5人だけである(しかも、全員旅行者風で、地元民はいなさそう)。
 雪のせいか、5分ほど遅れて深川に到着した。スーパーで値引きシール付きの食材を揃え、18時01分の各駅停車で滝川まで移動し、駅から徒歩15分くらいの場所にある安宿に投宿した。

■2018.1.28
 今日も4時台に起床し、5時半過ぎには駅に戻ってきた。これから乗るのは、災害により「東鹿越」行という中途半端な行先になっている列車である。

@行先票

 電光掲示には、「この列車は2両編成」のようなことが書かれている。こんなのが(と言っては失礼かもしれないが)2両?と思ってホームへ行くと、後ろの1両は芦別までの回送列車であった。つまり、実質は1両である。
 定刻の5時49分に出発。乗客は少ないだろうと思っていたが、まさかの私1人だけである。

@咳をしてもひとり

 各駅に停車していくが、駅名票が雪に埋もれてしまいそうな積雪量である。冬の北海道を旅したことは何度もあるが、ここまで雪深いのは珍しいと思う(まるで越後地方のようである)。
 芦別に到着し、ここで後ろ1両を切り離すこととなる(滝川行となる)。停車時間が15分ほどあるということなので、駅舎の外やホーム上を適当に歩いた。朝焼けの始まる直前であり、なんだか神秘的な雰囲気である。

@絵画のよう

 待合室に数人の乗客がいたので「ついに増えるか」と思ったが、それらはすべて滝川行の乗客であった。6時40分、結局1人のまま出発した。
 長いトンネルを抜けたり平原の中を走ったりして、7時16分に富良野に到着した。さすがに富良野から乗る人はいるだろうという私の予想は裏切られ、結局、終着の東鹿越まで乗客は私だけであった。「1人だけ」というシチュエーションは何回もあるが、始発から終着まで、しかも2時間以上も他の乗客がいないというのは、初めての経験である。

@「仮の」終着駅

 駅前すぐ横に代行バスが停まっていたので、それに乗り込んだ。運転手も「あれ? 1人だけ? 今日は少ないね」ということだったので、いつもはもう少し乗客は多いのかもしれない(毎日1人だけであれば収支的にかなり厳しく、廃止も目前になってしまうだろう。もとより数人いたとしても、先は短いかもしれないが)。

@代行バス

 8時09分に出発し、バスはゆっくりと雪道を走っていった。
 最初の停留所は、以前に駅前の旅館で宿泊したこともある幾寅である。映画「鉄道員」の舞台になったことで有名であり、駅の正面には映画内での駅の名称が大きく掲げられている(端に小さく「幾寅駅」とあるだけ)。懐かしいが、ここに鉄道で来ることはもうできないのかもしれない。

@幌舞…ならぬ幾寅駅

 雪に埋もれているので路盤の状況はわからないが、普通の橋が途中でぽっきりなくなっている場所もあったりするので、この辺りの川の氾濫が激しかったことが伺える(大きな木々も横に倒れている)。河川の堤防や道路は修復工事中であるが、線路の路盤はこの先手も付けられず、そのまま廃線となる可能性もあるだろう。

@半分流された道路

 次の落合駅を経て狩勝峠を下ると新得であるが、先月にこの代行バスの時刻及びルート変更があり、途中のサホロリゾートを経由することになっている(所謂「無料送迎バス」を兼ねている)。さすがにそこなら乗ってくるだろう、という私の予想はまたも裏切られ、結局新得までずっと私1人だけであった。9時15分頃到着。
 さて、次に乗るべき10時45分の臨時快速まで、1時間以上もある。することもないので、訪問済みであるSLの展示場まで歩いて行ったりして時間を潰した。

@今回は雪に阻まれて近づけず

 今日は15時55分に帯広空港を立つ便であるため、時間はたっぷりある。残りの時間は、適当に十勝清水と帯広を観光して帰るだけである。

 ということで、偵察というか確認に来ただけの旅であるが、「そのうち廃止」や「もう復旧しない」可能性が大きく、なんだか廃線跡巡りのような気分にもなってしまった旅でもあった。
 なお鉄道とは関係ないが、帯広からの空港連絡バスの切符が「硬券」であった。鉄道関係の記念館などではよくあるが、実際の切符で硬券を手にしたのはかなり久々である。

@懐かしい

 

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