■2015.12.27
 ドバイから到着した昨晩は時差ボケもあり安宿に投宿後にすぐ寝てしまったが、気づくと朝の6時まで9時間近くも寝てしまっていた。
 さて、まずはカイロ市内の鐡ネタ探しであるが、その数はかなり限られている。とりあえず、安宿から20分ほど歩いて、ラムセス駅(中央駅)へとやって来た。年明けの元旦にここからアレクサンドリア行の列車に乗るが、今日は下見のようなものである(爆破テロがあった現場に最初に来るというのも、物好きであるが)。

@晴天なり

 とりあえず駅舎内に入り、あれこれ探索してみる。
 駅舎から外に出て、続いては鉄道博物館探しである。ラムセス駅内に鉄道博物館あるという古い情報があるが、その後「(改装のため?)閉鎖された」という情報もあった施設であり、この時点で期待薄である。
 駅の南側に「Railway Museum」という標識はあったが、その先に行ってみても建物の中はもぬけの殻であった。収穫ゼロ、となるところであるが、その前の広場にはSLが展示されており、なんとか鐡ネタは得ることができた(このSLについても、ネット上で情報は仕入れていたが)。

@鐡です

 続いての鐡ネタは、カイロのトラムである。ガイドブック等ではトラムの駅が普通に表示されているが、肝心のトラムに関する最近の情報がネット上に皆無である(この時点で、こちらもかなり期待薄である)。
 地図上でトラムの駅となっている場所へ行ってみると、乗降場付近は廃墟のようになっており、レールの隙間も土でほとんど埋まっている状態であった。その様子から見て、かなり前に廃線となってしまったようである(ガイドブックとは、当てにならないものである)。

@無念

 それでも、何かあるかもしれないという期待感から線路沿いにしばらく歩いてみた。しばらくすると土に埋もれていた線路は地上に見えてきたが、その周囲は枯れ木やごみが散乱しており、廃墟に近いものがあった。車両でも見つけられるかと思ったが、かなり歩いても何もなかったので、そのまま来た道を戻ることにした。

@収穫なし

 ということで、鉄道博物館もトラムも「過去のもの」となっておりどちらも体験できず、時刻はまだ昼前である。これから考古博物館に行くつもりであったが、それだけでは足りないので、予定変更で今日はピラミッドに行ってしまうことにした。
 ラムセス駅周辺にあるというバス乗り場は結局発見できず、地下鉄でギザ駅まで移動してそこからタクシーで移動することにした。地下鉄も、これはこれで鐡ネタである。どこまで乗っても1エジプトポンドなので、わかりやすい。

@切符(均一料金のため、行先等はなし)

 ピラミッドやスフィンクスの写真は、他所様のサイトでたくさんあるので、省略。
 地下鉄について気づいたことは、降りる駅が近くなると前もって出入口の近くまで下車客が移動する、ということであった。車内が空いているときはそうでもないが、混雑時にはそれがかなり功を奏していたようである(乗降時間が短くマナーもそれほど良くないため、降りるのも一工夫必要なのである)。往路は空いていたものの、復路はバブル時代のラッシュアワーを思い出すような混雑具合であった。

@地下鉄と言っても、地上を走る部分が多い

 安宿に戻ってしばらくロビーで休み、19時前に宿のスタッフに先導されて寝台列車に乗る駅へと向かった。向かうと言っても、乗り場は国鉄ギザ駅(地下鉄ギザ駅の隣り)なので、元来た道をまた戻るだけである。
 国鉄ギザ駅には19時30分頃に着いたが、まだ列車は入線していなかった。時折案内放送があるが、英語は皆無である。最初は「駅に行くだけなら案内などいらないのでは」と思っていたが、この状態であればあった方が安心であろう。

@列車を待ちながら、ドア開きっぱなしで出発する対向列車を見送る

 大きな荷物の旅行客などがだんだん増えてきたが、列車が来る様子は全くない。結局、本来の出発時刻である20時15分になって入線してきた。案内役に付いていき、10号車に飛び乗る。
 今回は、2人用個室をシングルルームとして使用できるようにしている。自力で購入しても120ドル(約1万5千円弱)ということで、かなりの外国人価格であるが、この価格で個室利用できると思えば(日本の物価からすれば)悪くはないだろう。

@ベッドセッティング前

 20時19分、定刻より4分遅れで列車は動き始めた。
 もう日も暮れており外の眺めを楽しむことはできないが、久々に「夜行寝台でビール」を楽しむことができる。なおエジプトではアルコールの買える場所が限られるため、安宿を出る前に、その近くにある酒屋でエジプトのビール3本を仕入れてある。ついでにツマミ用としてケンタッキーも買ってあるため、準備は万端である。

@定番(あと1本はバッグの中)

 一番良いクラスとあって、室内はそれなりに広い。シャワーはないが、扉の部分を手前に引くと洗面台が出てきて、タオルなども置いてある。欧州の寝台と比較してしまうと見劣りするが、東南アジアで経験した寝台よりは遜色ないレベルであると言える。
 室内上部には上段用のベッドも畳んであるので、通常は2人用として使用されているものである。ちなみにその際の価格は1人当たり100ドルであるので、個室で使用してもそれほど割高感はない。
 ビールを飲んでいるうちに、夕食が配膳された。

@夕食

 特段に褒めるべき内容ではないが、ツマミが増えたという意味では合格点である。
 それにしても、運転が荒い(運転のせいではなく車両のせいである可能性が高いが)。日本の寝台車でも、旧い客車であると時折「ガクン」という衝撃があるが、その何倍もの衝撃が時折あるのである。簡易机の窪んだ部分に置いてあったビールが、あやうく倒れるところであった(ほぼ倒れたが、奇跡的にキャッチすることができた)。
 夕食を終えてしばらくすると、車掌がやってきてベッドメイキングをした。と言っても、座席後部を前に倒すだけである。

@ベッド完了

■2015.12.28
 夜中にいくつかの駅に停まり、結局5時前くらいには起きてしまった。6時15分過ぎに、やっと外が明るくなってきた。寝ている最中も少し寒いとは思っていたが、廊下に出ると吐く息が白いほどの気温である。さすがに、寒暖差の激しい砂漠地帯である。
 そのうち、右手に朝日が昇ってきた。朝靄のせいでくっきりとはしていないが、それを写真に収める。列車は、轟音を立てて大きな橋を渡って行った。

@朝日

 カイロからアスワンへは「南下」しているため、本来なら左手に朝日は昇るはずである。右手に見えているということは、向きが北上している部分、つまりエナ(Qena)の手前で北東に路盤が向いている部分を走行しているということである。ルクソールまでまだ距離があり、それなりに遅れているようである。
 地図(かなり大雑把なもの)を見てみると、どうやら先ほど渡ったのはナイル川だったようである。
 7時24分に、エナに到着した。やっとここから南下し、ルクソールを目指すこととなる。

@読めません(上段)

 同駅を7時28分に出発してからは、左手に朝日、右手にはナイル川が寄ったり離れたりという感じで続いていった。
 8時過ぎくらいから、右手にナローのような路盤が沿い続け始めた。見た目としては、台湾のサトウキビ鉄道くらいの規模である。それが延々と続くので、気になって仕様がなかった(後日、さらにこれの詳細が判明する)。
 遠くには、岩山が見えている。ルクソールの遺跡群も、あの台地群にあるのだろう。

@毎日天気よし(雨の心配なし)

 8時19分、ルクソールに到着した。時刻表などあってないようなものだが、ネット上にある時刻によると6時40分発の予定であるから、なかなかの遅れである(日本を基準にするとかなりの遅れであるが、東南アジア等を比較にすると、そうでもない)。
 下車客も多いので、ほぼ各車両ごとにいる車掌に断ってホームに降りてみた。

@ホーム風景

 遅れてはいるが、乗降があるためかしばらく発車しない。車掌が通りかかったので、朝食を持ってきてくれるように頼んだ。
 どこかのサイトで「パンばっかり」という批評を読んだ記憶があるが、まさにパンばっかりである。一応種類は違うが、そんなにパンばかりを並べられても困ってしまう。
 車掌にコーヒーの値段を聞くと、「無料だ。だからオレにチップを」という塩梅である。エジプトのチップやバクシーシ(喜捨)の「うざったさ」は各サイトでもあれこれ書かれているが、確かにこの上なく面倒くさい。米国のように相場が決まっていればまだマシだが、エジプトの場合はそもそも定価がないので、とにかく面倒くさいのである。
 仕様がないので、5エジプトポンド(約75円)を渡してコーヒーを持ってきてもらった。日本人としては、メニューに「コーヒー:5ポンド」と書いてもらった方がよっぽどすっきりする。

@パンばっかり

 同駅を8時28分に出発すると、すぐ右手にボロボロの車両が係留されているのが見えてきた。かなりの年代物のようであり、レストアすれば鉄道博物館で展示できるのではないかと一瞬考えたが、肝心の博物館(於:ラムセス駅)が閉鎖中であった。

@おじさん邪魔

 沿線を見て気づくのは、「踏切番」が各所にいるということである。列車が通る際に踏切を手動で上げ下ろしするだけであるが、そんなところに人件費を使えるということは、それだけ単価が安いということでもあろう。海外でよく見てきたことのある風景だが、エジプトの場合は1つの踏切やポイント(線路の切り替え場所)に2〜3人いたりするので、もう人件費単価が謎である。
 右手はナイル川が時折近づいてくるが、左手は砂漠が多く、所々では岩山のような景色になっている。個室の窓側が右手なので基本的にそちらを見ていたが、時々廊下に出て左側も眺め続けた。

@左側の例

 あと気づいたのは、「なんだか意味不明の工事をしている駅ばかり」ということである。一言で表現すれば「ホーム上のコンクリを全部剥がしている」というもので、その意図が不明なのである(配管をしなおすのであれば掘るのは一部で良いだろうし、そもそも数多くの駅でやる必要もない)。
 各駅がそういう状態なので、大きな荷物を持っている人は移動が大変そうであった。

@その例(この状態でもホームとして使っています)

 9時50分にエドフ(Edfu)に到着し、同駅を52分に出発。
 付かず離れずのナイル川を見ているうちに、次第に人家が多くなり、11時31分に終点のアスワンに到着した。先頭の写真を収めようとして前の方に歩いて行ったのだが、あの「なんだかよくわからん工事中」であり、歩きにくいことこの上ない。それに、朝はあれほど寒かったのに、もうTシャツだけでも暑いくらいである。

@機関車に到達

 写真を収めた後は改札付近まで行き、案内役(まだ子ども)に引率されて駅近くの安ホテルにチェックイン。その後は適当に街中を散策してから、14時出発のアスワンハイダムとイシス神殿へのツアーに参加した(普通の観光なので、いつものように写真は省略)。
 帰ってからは近くのピザ屋でお持ち帰りをし、ビールの入手は諦めて(一応探したが、断念)シラフで就寝。

■2015.12.29
 今日は朝の3時過ぎにホテルを出発して、アブシンベル神殿などへの観光である。砂漠の中を片道3時間超で車で往復する、弾丸日帰り旅行である。普通の観光写真は載せないのが「鐡旅」であるが、せめてこれくらいは掲載しておく。

@でも普通の写真では面白くないので、犬メインで

 観光を終えてからホテルのロビーで休憩し、まだ15時20分だというのに16時15分の列車に乗るべく駅へと向かった。昨日と同じまだ子どものガイドが連れて行ってくれるのであるが、最初は「駅は目の前だから案内など不要だろう」と思っていた。しかし実際にホームに行ってみると、号車番号などどこにも掲示されておらず、これではさすがに自力で辿り着くのは少し難しかったかもしれない(誰かに聞けば助けてくれるだろうが、ここはエジプト、チップを半強制的にねだられるのがオチである)。

@二等車であることだけはわかる

 今日は一昨日とは違って余裕があるので、出発前に編成の確認などが可能である(しかも50分以上も時間がある)。編成は前から、電源車1両、2等車8両、1等車3両、電源車1両である。号車番号は不明であるが、私の5号車は1等車を含めて後ろから5両目(2等車としては後ろから2両目)であるので、1〜3号車が1等、4〜11号車が2等のようである。

@2等の車内

 宛がわれた席は、幸いにも窓際であった。しかし、往路の寝台列車で景色を眺めた側(ナイル川)であり、しかもこの時間は西日が当たるため写真撮影もしにくいし、またブラインドも下ろされてしまう危惧がある。
 なお編成の確認で先頭まで行った際には、時間が早すぎるせいかまだ機関車は連結されていなかった。しかし自席に戻ってすぐにガクンという衝撃音があったので先頭までまた行ってみると、無骨な機関車が連結されていた。

@「西」ドイツ製です

 16時16分、定刻より1分だけの遅れでアスワンを出発した。すぐに気になったのは、タバコの臭いである。日本ではほとんどが禁煙車となったが、喫煙率の高いエジプトでは車内での喫煙が当たり前なのである。また出発と同時にブラインドをほとんど下げられてしまったが、いかにも「私は外を見ています」という角度で顔を窓に向けていたので、下側10センチほどは開けてもらえた。
 西日が強いので、きれいな写真は望めない(できれば反対側が良かったが、車内は90%以上の乗車率であり、移動することはままならない)。

@座席番号は、西洋数字もあるので安心

 車掌による検札があり、しばらく間を置いてなぜか2回目の検札もあった(周囲の状況からすると、外国人だけ2回目を確認していたようである)。それからしばらくすると、車内販売(ワゴン販売)もやってきた(水やお菓子程度であるが)。
 左側の景色であるが、西日が強いものの「夕日が撮影できる」というのだけが頼りである。しかし、どこぞの駅に停まっている間に、夕日はあっという間に地平線の下に沈んでしまった。
 その後は夕焼けとナイル川と眺め続けたが、17時50分過ぎには真っ暗になってしまった。

@夕焼け

 19時43分、ルクソールに到着した(車内放送が何もないため、時刻と雰囲気で下車駅を決断しなければならない)。ツアーの出迎えが駅に来ていないというアクシデントがあったが何とか乗り越え、またツアーを手配した安宿が「帰りの寝台列車のチケットをメールで送りましたので印刷してください」という無理難題を投げてきたが、それもホテルの事務所のPCを借りてなんとか乗り越えた。
 ホテルは駅からかなり遠い場所にあり、付近にある店はまたしてもケンタッキーである。しかし、「絶対ないだろう」と諦めていたビールが、今日の安ホテルには常備してあった。市場価格の倍以上であるが、それを3本買い、無事に(?)夜を締め括ることができた。

@同じビールなのに、入っている量が微妙に違うのがエジプト流

■2015.12.30
 今日は、ルクソールの西岸(王家の谷など)や東岸(カルナック神殿)などの観光である。言わずもがなであるが、普通の可能なので写真は省略。
 しかし実は、このツアーで鐡ネタを拾っている。カイロからアスワンに寝台列車で移動している際に、ルクソール近辺で「サトウキビ鉄道」のような狭軌鉄道の路盤を発見していたのだが、その路盤がルクソールの街中にたくさんあったのである。その形状からして、やはり農作物の運搬に使用されていたものに間違いないであろう。

@鐡ネタ

 路盤は分岐している箇所もあり、また駅のような大きな施設も残っていた。駅というよりは、集荷場か何かだったのかもしれない。
 ツアーは中国人参加者のせいで遅れ気味になってしまったが、途中で中国人たちと別行動となり、ガイドと私だけになった際に「ジュースを奢ってあげる」と言われて道端の店に車が立ち寄った(普通の人にこう声を掛けられたらかなり危険であるが、ガイドなので安心して頂くことに)。「シュガーケイン」と言っていたのでなんのことかわからないでいると、「見てみるか?」と言われて店に行き見せられたのは、サトウキビであった。やはり、あれはサトウキビ鉄道であったに違いない(他の穀物も運んでいただろうが)。
 いずれにせよ、一昨日から気になっていた懸念事項が、ここで1本の線に繋がった気がした(それほど大げさな話ではないが)。

@サトウキビジュース(甘い)

 カルナック神殿とルクソール神殿を観光し、ホテルでしばし待ち時間を過ごし、ツアーの送迎で21時30分過ぎにルクソール駅に移動した。
 アスワンからやってくる寝台列車の同駅出発予定時刻は22時30分であるが、当然その時刻になっても列車は姿を現さない。22時46分になり、やっと入線してきた。

@ルクソール駅舎(周辺は客引きが死ぬほどウザい)

 1号車の指定された部屋に入り、あとは昨日と同じ場所で仕入れたビールとケンタッキーで始めるだけである。
 22時55分に出発しビールを飲んでいると、1号車の車掌が来て「5号車に移ってくれ」と頼んできた。寝台の乗客は入れ替えなどほとんどないだろうからその意図は不明であるが(どの部屋にいようが、私がカイロまで乗り通すことには違いない)、面倒なので言われるがままに5号車に移動した。進行方向とは反対になってしまったが、先ほどの部屋よりは少し窓ガラスが綺麗なようである。
 温かい夕食も平らげ(パンなどは食べきれないので持ち帰り)、就寝。

@車掌室を覗いた際に、大きなレンジを発見(だから温かい)

■2015.12.31
 昨晩が遅かったこともあり、目が覚めるともう6時50分で外は明るくなっていた。7時09分にはベニ・フエフ(BeniSuef)を通過。これまで連日快晴であったが、今日は少し雲が多いようである。

@晴れの部類に入りますが

 7時40分頃に、例の「パンばっかり」の朝食が配膳された。次第にビルが多くなり、メトロの高架と車両が見え始め、8時51分にギザに到着した(もう見慣れた光景である)。同駅を8時58分に出発し、車掌曰く「あと10分」ということであったがラムセス駅直前で入線の混雑のためしばらく停車して、9時17分に同駅のホームに滑り込んだ。定刻は8時20分であるから、遅れは1時間弱である(車窓を楽しむという意味では、今日はもっと遅れてくれても良かったのであるが)。

@到着

 安宿までは歩ける距離(約15分強)であるが、荷物があるため地下鉄で2駅だけ移動した。
 さて、今日の残り時間は普通に観光をするだけである。シャワーを浴びて荷物を整理し終わったのが11時過ぎ、というわけで、昼食にエジプト名物のコシャリを頂くことにした。
 コシャリについての説明は各所であるが、要するに米・マカロニ・パスタ・豆という炭水化物オンパレードに、揚げた玉ねぎとトマトソースをぶっかけたB級グルメである。
 地下鉄ナーセル駅近くにある有名なチェーン店に行き、ミディアムサイズを8エジプトポンド(約120円)で注文。充分に安いが、お持ち帰りだとさらに安くなって5エジプトポンドとなる。

@そばめし的

 腹がくちくなった後は、その足でエジプト考古博物館へ向かった。おのぼりさん的観光として、ここは外せないであろう。
 75エジプトポンドを払って中に入り(コシャリと比べてやたら高い観光客向け価格)、あれこれ見て回る。しかしここで気づいたのであるが、この博物館は写真撮影厳禁であるはずなのに、普通に撮影している人が多くいるのである。実は部屋に戻ってから調べたのであるが、12月1日から1月7日までの期間限定で、なんと特別に写真撮影が許可されているとの由。
 とにかく「右へ倣え」で、私もあれこれ貴重な遺産を写真に収めた。

@説明不要

 2時間ほどゆっくりして外に出ると、なんと雨であった(エジプトでも雨は降るのである)。傘を持つエジプト人はほとんど皆無で(そういう私も宿に置いてきてしまった)、しばしビルの陰で雨宿りして小降りになってから宿に戻った。
 まだ時間があるため、PCで検索して宿から2キロほど離れた場所にあるスーパーマーケットの場所を探し、そこに行ってみることにした(各国のスーパーに行くのが楽しみであり、また夜のツマミを買うのも目的である)。
 大喧噪の中を歩き続け、目的のスーパーに到着。ツマミ用の缶詰や、土産用のエジプト産茶葉などを買った。

@ダチョウの卵もあり(調理法は?)

(旅程後半へ続く)

 

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