信州三大私鉄(?)乗車比較

はじめに
 鉄道の斜陽化は、昨日今日言われ始めたことではない。昭和55年の「国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)」によって全国の赤字ローカル線は次々に廃止に追いやられ、第三セクターとして生き残った鉄道であっても、北海道のちほく高原鉄道のようにその役目を継続できずに消えてしまったものもある。斜陽化の波には様々な理由があり一概に纏められないが、自動車の普及や道路整備の向上、少子化による通学客の減少などは、当然大きな理由として挙げられるであろう。
 旧国鉄とは関係なく、地域に根付いて営業をしてきた地方私鉄へも、その波は例外なく影響を与えてきた。青森県の南部縦貫鉄道(平成9年休止、5年後に正式に廃止)や、最近では宮城県のくりはら田園鉄道(平成19年廃止)など、味わいのある鉄道や古い歴史のある地方私鉄が次々と消えてしまっている。
 最近になり、エコロジーがブームとなって二酸化炭素排出量の観点から鉄道が見直されてはいるが、それは一側面であってそれだけで鉄道会社の収支を急激に変えられるほどのものでもないだろう(それどころか、地方の公共交通機関の経営を圧迫するような歪んだ政策すら最近では行われている)。
 このような事情から、地方の小さな鉄道会社にとっては、まさに正念場を迎えているとも考えられるだろう。今回は、長野県で営業を継続している3つの私鉄を見てこようと思う。堅苦しい比較論や経済学的な営業論ではなく、単なる一旅人として、感じたことだけをざっくりと著しておきたい。

*この旅行は、オールアバウトが主催している「JR東日本 ウィークエンドパス体験モニター」に当選したため、行って来たものである。旅行後には「旅レポート」を纏めなくてはならないのだが、そういうのは苦手ではないため、よしと思ってささっと下記内容を書いてみた。それから規定の投稿フォームを見てみたのだが、とてもすべての文章を入れられそうもない(簡単なコメント程度を求められているようだった)。しかし、せっかく著した文章をお蔵にするのももったいないため、自分のページに掲載しておきたい。

■2010年11月27日(土) 「松本電鉄」と「長野電鉄」
 朝の4時に起きて準備、東京駅まで歩き、中央線各駅停車に揺られる。八王子発6時35分の松本行に乗車する。天気はよく、高尾周辺は紅葉もまだまだ見頃のようであった。
 松本到着は定刻より2分遅れることの10時19分、しばらくすると、先月デビューしたばかりの「リゾートビューふるさと」号が入線してきた。機会があればこれにも乗ってみたいと思う。

@信州は「あるくま」のキャラクターだらけ

 急ぐ旅でもないため、市内を散策してお決まりの松本城を眺めておく。国宝だけあり、外国人の観光客も数多い。最近はB級グルメが各地で話題であり、松本と言えば、まだまだかなりマイナーだが「山賊焼き」がある。お昼にでも、と思っていたが、朝早いためそれを提供する店はまだ開店していなかった。

@逆さ富士ならぬ、逆さ松本城

 松本駅まで戻り、今回の私鉄乗り比べの第一弾として、まずは松本電鉄に乗車する。

 松本電鉄(松本電気鉄道)の上高地線は、松本から新島々までの14.4キロである。その開業は、「筑摩鉄道」として松本から新村までが大正10年に始まっており、かなり古い歴史を有している。開業翌年の大正11年に島々まで開通したが、昭和58年、台風災害によって新島々から島々までの1.3キロが廃止になってしまっている。
 観光客誘致のためか、かなり早い時期(昭和30年)から、島々線という路線名を上高地線と改称しているが、実際にこれに乗車して上高地に行く人はあまり多くはないのではないだろうか。新島々駅前にはバスターミナルがあって乗り継ぎは便利であるが、それでも松本などから直接行ってしまう方が楽であろう。
 この会社は鉄道事業だけではなく、バス事業や不動産など手広く行っているので安泰のようにも思えるが、実際には平成19年にメインバンクに対して再生支援を要請しているという、心もとない情報も耳にしている。
 それはとにかく、松本電鉄の改札はJRと共用である。今回、私は双方乗り放題のウィークエンドパスを持っているため、あまり関係はないが。
 11時23分発の新島々行は、すでに松本駅の7番ホームに停まっていた。一番後方のドアには「自転車専用口」と表示されているが(自転車を持ち込むことができる)、見たところ利用している人はいないようである。定刻になると、ワンマンであるため運転士がドア操作からアナウンスまですべて行い、出発した。

@新島々行のワンマン列車

 乗客は20人程度で、土曜日の昼間にしては意外に乗車していると思える。電車は住宅地とも田んぼとも区別のつかない盆地内を走り続ける。時折聞こえる踏切の音は、最近の定番である電子音ではなく、鐘の響くようなカンカンという音である。
 車庫のある新村を過ぎ、次第に乗客は減って行く。森口で上り列車と行き違うと、車内にはもう私を含めて4人しかいなくなってしまった。
 寂しくなった車内のまま、終点の新島々に到着した。開業時には着工免許はこの先の龍島まであったといい、さらには飛騨高山まで繋げるという壮大な計画もあったらしいが、地形的な問題や予算的事情により、実現することはなかった。今となっては、災害で廃止となった島々へ向かう路盤が、ぷっつりと切れているだけである。

@終着駅の先には……

 駅スタンプを押し、すぐに戻る。沿線に大きな観光地もないため、主婦や学生がちらほらと乗り降りしているだけであり、長閑な時間だけが過ぎて行く。

 松本らしい山賊焼きが食べられなかったため、せめて長野らしいもの、ということで「おやき」を買って長野行の普通列車に乗り込んだ。おやきを平らげ、少しうたた寝をすると、日本三大車窓の姨捨である。ここをJRで通るのはおそらく8〜9回目である(レンタカーでわざわざ来たこともある)が、今日は今までの中で一番の快晴であった。
 
@とりあえずおやき                               @快晴の日本三大車窓

 続いては、長野電鉄である。この会社は鉄道事業と観光事業で成り立っているが(バス事業などは関連会社に移管済)、8年前には一部路線(木島線)が廃止になってしまったこともあり、今後も楽観視はできない。
 ただ、先ほど乗車した松本電鉄と大きく違う所は、終着駅の湯田中には大きな温泉地がいくつもあり、それ以外にも須坂や小布施、松代などの観光地がたくさんあるという点である。観光客誘致にも力を入れていて、今回乗車する特急「ゆけむり」号などもその一例であり、小田急ロマンスカーとして名を馳せた車両を使用しており、それを大々的に宣伝している(なお来春からは、JR東日本で「成田エキスプレス」号として使われていた車両が、「スノーモンキー」号としてデビューする予定である)。
 長野電鉄の開業は、奇しくも松本電鉄と同じ大正11年、河東鉄道として屋代から須坂までであった。その後順調に路線を伸ばし続け、湯田中へは昭和2年に開通した。その後一部路線の廃止もあり、現在の営業距離は33.2キロである。沿線はリンゴ畑やブドウ畑がたくさんあり、自動車と鉄道の共用鉄橋など、見所は意外と多い。
 長野電鉄の長野駅は、昭和56年に地下化されている。目立たない駅入口(地下道入口くらいにしか見えない)には、「ゆけむり」の宣伝が掲げられている。
 券売機で100円の特急券を購入すれば、すべて自由席の特急に乗車することができる。ロマンスカー車両は先頭からの眺めが命であるため、まだ出発時間まで30分もあるが、早めにホームに入って並んでおくことにした。まだ誰もおらず、これで最前列は確定である(そもそも、次の特急は須坂止まりであるため、人気薄だったのかもしれない)。

@出発を待つロマンスカー

 発車間際になると車内はそれなりに混雑し、特に先頭車両の前半分はほぼ満席であった。周囲にいる女性客は、若い2人組もおばさんの団体も、小田急ロマンスカーの話(なかなか先頭が取れない、など)をしている。やはり鉄道に興味のない人でも、この手の車両では先頭に乗りたいものなのだろう。
 定刻の15時58分に出発し、しばらくは地下を走行する。唯一の停車駅である権堂を過ぎてしばらくすると地上に出る。車内販売でキーホルダーなどがあるようで、車掌がそれを売りに来たりする。
 ほどなくすると、ちょうど1年前に本格的に開通した、自動車と鉄道の共用鉄橋である村山橋が見えてきた。大きな千曲川をゆっくりと渡るが、旧村山橋もまだ半分くらいは左手に残ったままであった。

@新村山橋を渡る。ロマンスカー先頭ならではの画像 

 この特急は須坂止まりであるため、湯田中行の特急に乗り換えなければならない。このまま最後まで乗りたい気分であるが、ホームで待っていたボロい旧型の特急車両も、それはそれで味わいのあるものであった。
 夕日が左手に落ち、中野松川を過ぎると、乗っているだけで体感できるような、明らかな上り坂になってくる(鉄道は坂に弱いため勾配は緩くするから、この感覚は珍しい)。実際にこの辺りの傾斜は、40‰(パーミル)という、鉄道にしてはかなりの急勾配ある。さらにカーブも多くなり車輪かキーキーと音を鳴り続け、しばらく走行すると終点の湯田中である。

@晩秋の日は落ちるのが早い

 駅では賑やかなお迎えの音楽が流れ、意外に乗車していた乗客が一つの改札に群がり、場違いなくらい混雑していた(思えば、今日は土曜日であるから混んでも当たり前であることに気付いた)。まだ11月であるが、山あいだけあって日が落ちた後は底冷えがする。
 予約しておいた、素泊りの古い旅館に投宿した。あとはお湯に浸り、松本や長野で適当に買った食材で夕食を済ませるだけである。

11月28日(日) 「長野電鉄」の残りと「上田電鉄」
 朝、宿泊者用の共同浴場「大湯」に浸かってから、「一茶の散歩道」なる遊歩道を散歩したりして湯田中駅へ向かう。駅構内で「りんごが主人の万能だれ」というものがあったので買ってみたが、料金を受け取った駅員(駅員が販売している)は、「昨日入ったばかり」と言っていた。ということは、おそらく今年収穫されたリンゴを使っているのだろう。

@宿泊者用の大湯。誰もいなかったので撮ってみました

 信州中野行の各駅停車は、昨夕に乗車した旧い特急型車両であった。とりあえず、一番前に乗車する。車両自体は昭和39年製とあるが、来春に新しい特急車両が導入されれば、これは廃車になってしまうのだろうか。
 定刻の8時14分に出発し、ほぼ8割がた収穫されてしまった寂しいリンゴ畑の中を快走していく。信州中野で乗り換え、小布施で途中下車(エリンギ購入)、須坂で乗り換え(辛味大根購入)、屋代行に乗り込む。自分用のお土産が増え、次第にリュックが重くなってきた。
 須坂から分岐している屋代線は、本来は長野電鉄の嚆矢を担っている中心路線なのであるが、県庁所在地である長野市への一極集中もあり、今となっては支線のような扱いになってしまっている。
 私が乗車した列車は定刻の9時32分に出発したが、一つひとつ停まっていく駅には、旧い駅舎がそのままに残されているものが多く、とても趣深い。ホームには「乗って残そう屋代線」という幟もあったりするが、確かに乗客は須坂出発時点から少なく、観光地である松代を過ぎてからは私を含めても5人程度になってしまった。

 終着駅である屋代からは、しなの鉄道で移動することになる。この鉄道会社は、平成9年の長野新幹線(北陸新幹線)の開業に合わせて、在来線である信越本線の一部が第三セクター化されたものである。民営化ということで、それまでのJR時代からは営業体制も変えなければならないようで、様々な努力をしていることがテレビなどで特集されたりもしていたが、元JR(国鉄)ということで、今回はあまり深くは触れないことにしたい。

@屋代駅の長野電鉄への跨線橋は、なんと木製

 10時22分発に乗車して、坂城で途中下車し、「おしぼりうどん・そば」を頂くことにする。おしぼりとは、この地域で獲れる「ねずみ大根」という辛味大根の汁のことであり、それを蕎麦汁代わりにして食べるというものである。

@ねずみ大根とは(偶然、道端で干してあった。もみじが良いアクセント)

 目当てにしていた駅前の店は休業日であったが、適当にふらふら街中を歩くと蕎麦屋の看板を発見したため、足早にその店へ向かってそこで頂くことにした。店内はかなり盛況で結構待たされたが、旅程はいくらでも変えられるため、蕎麦の茹で上がりをしばし待つ。出てきた蕎麦の肝心の付け汁であるが、辛みはかなり強く、食後には多少汗ばむくらいであった。

@中央にある白い液体が「おしぼり」

 駅まで戻り、12時40分発のしなの鉄道に乗車、上田まで行き「上田電鉄」に乗り換える。

 上田電鉄の別所線は、別所温泉までの11.キロの路線であり、その歴史は先の2つの私鉄とほぼ同じ、大正10年に上田温泉軌道としての開通から始まる。その後いくつかの路線ができたが一部は廃止され、現在は上田から別所温泉までの1路線のみを運行している。東急系列の会社であり、車両も首都圏の東急で使われていたものが使用されている。
 上田電鉄のホームは高架になっており、しなの鉄道の駅からは駅舎伝いに外へ出ることなく行くことができる。ホームには、この鉄道が使用された最近の映画についての宣伝が大きく掲げられていた。
 13時07分発の列車は、約30人の乗客で出発した。車両は平成3年製であるが、料金箱の上には最新式の液晶料金表示機が掲げられている。沿線の風景は、松本電鉄の時のように、住宅のような農耕地のような、どっち付かずの塩梅である。駅のホームには、「未来に残そう別所線」なる標語が掲げられていた。
 下之郷を過ぎるとカーブが少し多くなり(長野電鉄ほどではないが)、乗車時間にして約30分弱で、終点の別所温泉に到着した。女性の駅長さんが、袴姿で到着客を迎えている。駅舎の近くには、廃車になった「丸窓電車」(昭和2年製で、昭和61年までこの鉄道で使用されていたもの)が野晒しのまま展示されている。

@瀟洒な別所温泉駅舎は、旅行客に人気がある

 ここには以前一度だけ来たことがあるが、すぐに折り返すのも面白くないため、北向観音だけ見ておくことにした。温泉街を歩き出すと、すぐに大きな駐車場があり、そこには大型観光バスが何台も停まっている。先ほどの列車でこの温泉に来た客もちらほらといたが、このバスの大群と比較すればまさに字の如く「ちらほら」程度で、やはりほとんどの温泉客は自働車で来てしまうのだろう。
 観音様を拝んでからまた温泉街を歩いて戻り、駅付近を適当にぶらついてから駅舎に入った。営業努力は各所にあり、映画だけではなくアニメとのコラボレーションや、いわゆる「萌えキャラ」のようなフィギュアまで売られている。「外湯入浴券つききっぷ」のようなものもすでにあり、これ以上は欲を言えば、「あの温泉へ行くにはあの鉄道に乗らねば」に近い、何か強い結びつきがあればいいのであるが、そうそう簡単ではないであろう(すぐに思いつくのであれば、もう行っているであろうし)。しばらくして2両編成の列車が到着し、吐き出された乗客のうち温泉宿への無料巡回バスに乗車したのは、15人程度であった。

@ホームの先の方に保存されている丸窓電車

 折り返しする車両に乗り込み、出発を待つ。2両目には団体さんが乗っていて、なんだか「歌を歌いましょう」的な集いのようである。車掌さん(駅員さん?)が軽快にハーモニカで伴奏を取り、それに合わせておばさん達が歌う。予想外に行われた歌謡ショーは、下之郷まで続いた(そこで団体さんは降りてしまった)。

 さて、あとは家に帰るだけである。軽井沢まで行き、信越本線の廃止区間代替バスである「軽井沢−横川」のJRバスに乗り、峠の途中で日が落ちたため、暗闇の中、高崎と赤羽で乗り換えて東京へと向かった。今晩の夕食の一品は、小布施で買ったエリンギを適当な肉と一緒に炒め、湯田中で買ったタレを絡めれば完成である。時折アクセントで、須坂で買った辛味大根を乗せればいいだろう。

@お粗末ですが…今回はグルメ系の写真が少ないので…

 

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