ベトナム「統一鉄道」の旅

はじめに
 ベトナム国鉄によるハノイからホーチミンまでの区間、いわゆる“統一鉄道”は、ベトナム戦争後の南北統一から来る愛称である。この「南北線」の距離は1,726キロ、以前は70時間以上の所要時間であったが、次第に高速化されて、29時間まで短縮された(現在は、SE3とSE4の30時間が最速)。表定速度(停車時間を含めた平均速度)は60キロに迫り、それなりの速度である。
 今回の鐡旅は、この統一鉄道に乗車することである。おまけと言ってしまってはなんだが、ハノイからハイフォンまでの支線にも乗車する予定である。
 統一鉄道の切符については、事前にホーチミンにある旅行代理店(日本人スタッフが常駐しているところ)に依頼しておいた。メールのやりとりはもちろん日本語であり、167万8,000ドン(約6,200円)の切符に対して請求額が90ドル×1.05(約7,300円)であるから、値段的にも良心的であった。

今回の旅程
1日目:成田→ホーチミン【ホーチミン泊】
2日目:メコン川ツアーに参加。市内散策後、23時00分発のSE4に乗車【車内泊】
3日目:ひたすら乗車【車内泊】
4日目:早朝5時にハノイ到着。ロンビエン駅まで歩いて移動し、ハイフォン往復。深夜の飛行機で成田へ【機内泊】
5日目:早朝に成田到着。いったん帰宅後、会社へ。

 フェリーでの2連泊の経験はあるが、鉄道でのそれは初めてである。その後続けて機内泊であるため、3日間も風呂に入れないのが玉に瑕である。


@ロンビエン駅に佇む「DOI MOI」号

■2011.11.3
 夕刻に出発して深夜に到着する、という微妙な時刻設定の便しかなかったため、昼過ぎに家を出発する。成田までは各駅で行く予定であったが、面倒になってしまったためスカイライナーに乗ってしまった。
 タンソンニャット国際空港到着後は、事前に下調べした通りに、カウンターでタクシーチケットを買う(メーターの方が安いが、ぼったくりタクシーに遭遇する可能性もあり、夜遅くに面倒なことに巻き込まれたくなかったため)。
 8ドルを支払い、指定されたタクシー乗り場へ行く。出発後に運転手は、車内の掲示物を指さして「ゲートを通るために金が必要だ」と言うが、それはメータータクシーの場合であって、チケットを購入している場合は支払う必要がない。よって、適当にあしらう(ここで払ってしまう心優しい(?)人が多いのだろう)。いつもの手が使えないと思ったのか、運転手はホテル到着前に「チップ、チップ」と真正面(?)から来たが、それも適当にあしらった。

@16万ドン分支払っていることになるが、実際のメーターはそれ以下である

 本日のホテルは、インターネット予約で1泊約2,800円。とてつもなく安いが、この地域(テダム)ではかなりの“高級ホテル”である。

■2011.11.4
 さて、統一鉄道の乗車日であるが、出発時刻は夜の11時である。それまでの時間、最初は自力で市内散策や観光でもしようかと思っていたが、インターネットで調べれば調べるほど「ぼったくり」等の悪い話題しか見つけられない。そこで、日帰りツアーでメコン川へ行くことにした。
 申し込んだのは海外における現地ツアーを手広くやっているサイトだったが、ツアー自体の実施主体が、鉄道の切符を頼んでおいた旅行社であった。ツアー参加後に切符を受け取ればいいわけで、一石二鳥でもある。
 朝7時過ぎにホテルを出て、屋台で買ったバインミーをかじりながら事務所へ向かう。ツアーでは、フルーツやお菓子の試食やメコン川クルーズ、少し変わった昼食もあり、たったの25ドルという安価にしては充実した内容であった。夕方5時過ぎまで、充分に楽しむ。

@メコンの支流をゆったり

 ツアー終了後は、薄暗くなりつつあるホーチミン市内を歩いて大聖堂などを見て回り、暗くなってからはコーヒーショップにて無線LANでインターネット、その後はチェーン店でフォーを食べたりして時間を潰した。
 午後9時近くなり、タクシーで駅へと向かう。ぼったくられないように、信頼があると噂のある会社を選び、しかも有名ホテルの前に停まっている車にした。地図を見ながら乗車していたが、良い運転手に当たったようで、きちんと最短経路を走ってくれていた。
 ホーチミン市のターミナル駅は、未だ「サイゴン」である。駅付近はまだまだ賑やかであり、駅名も電飾で夜空に浮かび上がっている。駅前広場にSLが展示されているが、もう日が暮れてしまっているため写真に綺麗に収めることはできなかった。

@サイゴン駅

 大都市ホーチミンのターミナル駅とはいえ、1日に数本しか発着しないため規模はそれほど大きくはない。探索もすぐに終わってしまい、出発までの2時間弱を持て余し続けた。駅付近の露店を見て歩き、ベトナムでは珍しい飼い猫の写真を撮り、その後は大人しく駅の待合室で待つことにしたが、じきにスコールになった(出発前にインターネットで調べた際には連日雨の予報だったが、今回の旅行では、列車で移動中に雨に降られたものの、観光中は幸いにも快晴続きであった)。
 22時15分頃に改札が始まったため、売店で晩酌用のビールを買ってホームへと向かう。私に宛がわれたのは8号車(ソフトベッド)の下段であり、車内にはフランス人らしき観光客で賑わっていた。

@1本しか停まってないので案内は無くても…

 ベッドに荷物を置き、ホームへ戻って編成を確認する。抜けている号車もあり、先頭から[食堂車][@座席][B座席][C三段寝台][D三段寝台][E三段寝台][G二段寝台][H二段寝台][I二段寝台][電源車]であった(途中駅で気付いたが、最後の電源車は半分ほど寝台であった。あまり乗りたくない車両であるが、調べたところ「乗務員用」という記事もあった)。先頭の機関車は「DOI MOI」(ベトナムにおける開放政策の意)号であり、ベトナムでの初めての乗車に相応しいといえる。

@出発前のホームの様子

 ベッドへと戻り、夜も遅いことから出発前から呑み始める。車内の半分以上は西洋人であったが、私のコンパートメントの残り3人はすべて現地のベトナム人であった。現地感はたっぷりであるが、旅先でのコミュニケーションという意味では残念な結果である。
 事前にインターネットで調べた際に電源コンセントがあるという情報があったが、確かに枕元にあった。しかしすべてのベッドにあるわけではなく、コンパートメント内に1つしかないため、使用できるかどうかは運次第である。
 出発の6分前に予備ベルが鳴り、ホームにあった売店の女の子たちも帰り支度を始めた。そして22時59分、定刻より1分早く出発してしまった。細かいことは気にしないのだろう。車窓には、ホーチミンの下町の街並みが続いていく。機会があれば、明るい時間帯に乗ってみたいところである。

@左下が私のベッド(コンセントあり)

 車掌はどの客がどこまで行くかを把握しているようで、特に車内での検札もない。ビールがなくなったところで、薄汚い毛布を被って寝てしまった。

■2011.11.5
 何度か目を覚ましつつ、翌朝5時半ごろに起きた。窓の外はすでに明るくなっている。このSE4はベトナムの統一鉄道では最速・最高級(すべて冷房車)の列車であるが、車両自体の製造年は40年ほど前であり、かなりくたびれていてボロく、お世辞にも綺麗とは言えない。リネン類も同様であるが、下に敷くシーツと枕カバーだけ新しいため、それがせめてもの救いである。

@寝台車で迎える朝

 5時52分、定刻より14分遅れでニャチャンに到着した。リゾート観光地としても有名な所であり、車内にいた西洋人の3分の2以上が降りてしまった。
 6時03分、ニャチャンを出発した。すぐに左手に分岐していく路盤があったが、引き込み線にしては大規模である。どこかへの廃線跡であろうか(この後、同様な分岐を各地で多数見かけた。ベトナム国内には運航休止中の路線がいくつかあるが、その比ではないほどの数であった)。
 しばらくすると、曇天であった空から大粒の雨が降り出してきた。ツアー等であれば残念な状況であるが、鉄道の旅は移動さえうまくいけばいいだけであり、雨も旅情の一要素でしかない。
 7時10分にとある駅で対抗列車と行き違ったが、サボ(列車の行先表示)がないのでどこ行きかわからない。この区間は5往復走っているようだが、時刻表を見ても該当しそうな列車はないようである。
 しばらくすると、車内販売が朝食のようなものを売りに来た(言葉はわからないが、ワゴンから漂う温もりから判断)。2万ドンを支払ってバナナの皮を開けてみると、中身はゼラチンのような中にひき肉などが入っているものだった。食べられなくはないが、あまり美味というわけでもない。

@こんな感じのもの

 その後ぼんやりとしていると、右手には海が広がりだした。9時02分、とある駅で貨物列車と行き違った(この後は意外に多くの貨物列車と行き違うようになったため、メモすることはやめてしまった)。
 ベッドに座って景色を眺めていると、今度は大声(ほとんど叫び声)で何やらを売りに来た。しかしワゴンはなく、男性は片手にチケットのようなものを持っている。見ると丼と箸のようなイラストがあったため、これが噂(?)の車内販売の弁当であるらしく、とりあえず1つ買ってみることにした。チケットに料金も明示されているため、安心して購入することができる(それ以外の車内販売は、正規料金か多少の上乗せがあるのか不明なまま、言い値で買わなければならない。もちろん、街中の市場などよりは安心できる料金であろうが)。それにしても、昼食のチケットを9時過ぎに売りに来るとは、あまり適正な時刻ではないような気がする。

@金額入りで安心のチケット

 9時30分に、DIEU TRIに到着した。ホーム上にはたくさんの店があり、薄黄色に煮込んである鶏肉(もも肉などは当然、頭肉(?)もある)がおいしそうである。朝食のゼリーみたいなものがイマイチだったため惹かれるところがあるが、昼の弁当はすでに車内で注文しているため、それに期待するしかない。それに、いったいどれがいくらするのかも不明である(値段交渉ができるベトナム語能力は皆無である)。

@売店あり

 同駅を9時39分に出発。すぐに右手に支線が分かれるが、これもその用途はさっぱり不明である。
 することと言えば景色を見ることしかないが、ひたすら続く水田、その中にたたずむ牛、有機農法として役立つであろう鳥の大集団(稲の収穫後は肉として食べられてしまうに違いない)、所々にある家々、その周囲に屯する人間と野良犬(これも食べられてしまう可能性大)、である。

@どこかへ行く支線(こういうのがたくさんある)

 10時32分に到着した駅にも貨物列車が停まっていたが、今度は行き違いではなくて追い越しであった。11時01分には、中国の緑皮車のような客車を大量に連ねた列車との行き違い。もしかしたら、インターネット検索で出る列車以外にも、短距離区間で運転している列車があるのかもしれない。
 11時30分を過ぎたころ、注文していた弁当が配られた(チケットと交換する方式)。おかずは、大きめの高菜のようなものを炒めたものと揚げ豆腐、そして先ほどの駅のお店で見かけた鶏肉のカレー風味であった。豪華ではないが、おいしく頂く。食べ終わったころ、今度はおかずのみ(鶏肉をこんがり焼いたもの)がワゴンでやってきた。おいしそうであるが、もう弁当は食べ終えてしまっている。売りに来るタイミングが悪いように見えるが、おそらく食堂車を同一に出発しても、弁当は事前購入客のみだから渡すだけ=サクサク進むのに対して、鶏肉は買いたい人のみ買う(しかもその場でハサミで細かくしたりする)=なかなか進まない、ということで、8号車に至るころには大きなタイムラグができてしまうのだろう。

@日本円にして約110円…なら納得か

 コンパートメント内は、ホーチミンで乗ってきた地元のおじさん3人組はニャチャンで降りてしまっており、向かい側にはDIEU TRIから一人の青年が乗ってきている。彼は私の弁当を見て何かを係員に言い(おそらく「あ、今からそれ買えるかな?」「これは事前に申し込んだ分しかない。でも食堂車に行けば何か作ってくれるよ」という会話)、おもむろに立ち上がり、しばらくして弁当を片手に戻ってきた。ごはんの上に数種のおかずを「ぶっかけた」ような弁当で、それはそれでおいしそうであった。しかも食べ終えた後、彼は私の弁当ガラまでゴミ箱へ持って行ってくれた。英語はできないようで残念だが、人はよさそうである。
 所々で路盤工事をしているようで、そういう場所では徐行運転となる。スピードがゆっくりになったので窓から外を眺める。たまたま通りかかった橋梁には「JICA」「JAPAN」などの刻印が見えた。

@保線工事中(思いっきり歪んでいる線路!)

 食後の散歩がてらに、車内を探索してみる。座席車両はほぼ満席であり、三段寝台もそれなりの乗車率である。車両によっては便座のないトイレであったり、しかも取っ手にある「使用中」の表示が中国語であったりするため、多くの客車が中国製のようである。
 それにしても、連結部分の音がうるさいことこの上ない。連結部がうるさいというより、路盤がうるさいのである。普通の路盤を走っているにも関わらず、まるで鉄橋を渡っているかのような騒音が続く区間もある。保線の仕方に問題があるのかどうかわからないが、不可思議な現象である。
 NONG SONという駅に14時10分に到着し、旅客列車と行き違った。インターネットの時刻表には乗っていない駅だが、時刻から想像すると、向こうはホーチミン行のSE3であるかもしれない。

@行き違い作業

 上記で「窓から外を眺める」と書いたが、冷房車であるため基本的に窓は開かない。しかし、車両の中央部の窓(1か所)だけは半分開けることが可能であり(非常口であろうか)、きれいな写真を撮りたい場合は適宜そこを開けて撮影していた。ちなみにその窓は、私のコンパートメントのすぐ横である。開く窓の位置や電源コンセントの位置、うるさい連結部から遠いことなど、ボロ車両の中では最良のベッドを得られたと言えよう。
 次第に町の規模が大きくなり、沿線の住居の数も多くなり、14時43分にダナンに到着した。観光地としても有名な都市であり、車両内に残っていた西洋人もここで降りてしまった。

@ダナンのホームも大賑わい

 ダナンでは進行方向が変わるため、機関車の付け替え作業を見るためにホームへ出る。余談ではあるが、今回の旅行ではリュック以外に小さなバッグ(背負えるもの)を持ってきており、取られてもたいして困らないもの=大きなリュック、少し困るもの=持ち歩く、とする予定であった(当然、貴重品は随時身に着けているが)。しかし、二段寝台内は外国人や、ベトナム人であってもそれなりの立場の人が多いようで、そこまで気にする必要はないようである。目の前にいる人のよさそうな青年も、iPhoneで電話をして時折パソコンで作業をしている。これは、ベトナム人の平均賃金(約2万円。一般作業者は1万円程度)ではできない所作であるといえよう。
 それはさておき、これまで最後尾であった電源車の先に機関車が取り付けられる作業を見に行く。ダナンから先は山岳区間になるため、機関車は比較的新しいD20Eである。撮影を済ませてからは、そそくさと車内へと戻る。車内の客層はダナンで一新されており、私のコンパートメントにも新しい乗客が増えていた。

@この機関車で坂を上る

 14時57分にダナンを出発、しばらくすると左手にホーチミン方面への路盤が分かれ、そしてそのあとにはまた左手から路盤が寄り添ってきて合流した。どうやらトライアングル状になっており(短絡線がある)、その気になればダナンを通過することもできるようである。
 列車はレールを軋ませながら、どんどんと坂を上っていく。山岳区間になっているためだが、すぐ右手には海が広がり続けるため、この区間は統一鉄道の中でも白眉の部分であるといえよう。しかもトンネルが少なく、ひたすら尾根にそって右へ左へと蛇行を続けるため、鉄道好きとしては非常に面白い路線風景が続く。人里などまったくないような地域だが、時折駅があるのに驚かされる。山中の信号所のようなところで対向の貨物列車が停まっていたが、あちらには貨車の前後に機関車が連結されていた。
 
@ひたすら登る                                  @さらに登る

 しばらく続く山岳区間を堪能し、ゆっくりと降りていくとLANG COである。係員がまたしても大声で食券(夕食用)を売りに来たため、1枚求める。その後も長閑な田園風景の中を走り続け、17時04分には車内に音楽が鳴り始めてフエ到着を予告する。ここで降りる予定の青年と握手をして別れ、17時24分にフエに着くころには薄暗くなり始めていた。
 フエには世界遺産があり、あと1日ほど暇があればぜひ立ち寄りたい都市である。後ろ髪を引かれる思いで、17時29分にフエを出発した。だんだんと日が暮れ、18時前にはすっかり暗くなる。外が見えなくてはすることもないため、適当にパソコンをつつき、配られた夕食を頂き(今回のおかずは、野菜炒めと目玉焼きに豚肉)、ワゴン販売からビール3本と「Oishi(おいしい)」と言うお菓子を買い、それらを平らげた後はさっさと寝てしまった。

@夕食(ピンボケ)

■2011.11.6
 4時に起き、洗面所で身だしなみを整える。まだ外は暗いが、バイクや自転車に大量の荷物を載せた人たちが、大挙して移動しているのが見える。
 大都市へ近づく雰囲気の中、5時15分にハノイに到着した。定刻より15分だけの遅れである。ホーム上は客引きなどで溢れかえっており、タクシーまでもがホーム上を走っている。下車した客の流れに逆らって先頭まで行ってみると、機関車はいつの間にか変わっていて、DOI MOI号の改良型(D19E)になっていた。

@どこかで変わった模様

 バイクタクシーの客引きを避け、待合室で日が昇るのを待つ。最初は「ハノイにしては小さな待合室だな」と思っていたが、それは到着口にいたためであり、すぐ隣りに巨大で風格のあるハノイ駅舎があることに気付いた。しばらく周辺を散策する。

@ハノイ駅

 さて、明るくなってからはハイフォンへ移動するためにロンビエン駅へ向かうだけである。まずは線路沿いに北上し、ハノイを6時00分に出発する列車が市街地内の線路を走る姿を撮影する(渋滞をさせないために多くの列車はハノイまで来ず、ロンビエン発着となっている)。ちなみに、踏切で車を止める作業は、踏切番のおじさん2人による手作業であった。

@仕事は1日に数回だけ?

 踏切作業を見届けた後は、市内を適当に散策し(大聖堂など)、市場付近で気さくな親子からバインミーを買い(これがかなり美味)、ロンビエン橋を途中まで歩いたりして時間を潰した。

 ロンビエン駅は、ロンビエン橋の西端にある小さな駅(片面ホームのみ)である。その入口はわかりづらいところにあり、駅の南西部にある階段から来るのは、初めての人には不可能であろう。一番確実なのは、駅東側にある大通りを歩き、右手にロンビエン橋が見えてきたら左手に上がっていく坂道(橋を走ってきたバイクが降りてくる道)を上るという方法で、そうすると左手に駅舎が見えてくる。

@ロンビエン駅

 ハイフォン行の列車と言えば、固い木製の座席(もちろん非冷房)で窓枠には鉄製の網があるような車両であったが、現在は「ハノイ‐ハイフォン エキスプレス」が冷房車両の営業を行っており快適に移動できる。迷うことなく、最上級の車両を購入した(そうしなくても、外国人が買いに行くと勝手に良い席にしてくれるようである)。
 9時14分に改札が始まったため、ホームへと入る。車両編成は、先頭から[貨物車]×2、[冷房リクライニングシート]×1、[冷房ボックスシート]×2、[冷房木製シート]×1(ここまでがエキスプレス)、[非冷房木製シート]×5、という塩梅であった。先頭に近い冷房リクライニングシートは改札のすぐ近くだからいいが、最後尾の列車は駅のはるかかなた向こうである。

@緑色の車両(見えない?)までたどり着くのは大変

 宛がわれた座席は、「進行方向とは逆の通路側」という変なところになってしまったが、ちょうど車両の中央部で、目の前にはテーブルがあって足元は広い。幸いなことに窓側の客がこなかったため、そちらへ座って車窓を眺めることにした。

@1両だけの冷房リクライニングシート車

 9時28分に予備ベルが鳴り、定刻より1分早い9時29分に出発してしまった。これでもかという超低速でロンビエン橋を渡り、ガーラムには9時39分に到着した。反対側のホームには対向列車が停まっており、その奥には中国のナンニンからやってきた寝台客車が係留されており、徐に国際色が強くなる。

@そのうち国境越えをしてみたい

 9時48分にガーラムを出発するが(まだほとんど移動していないのに、20分近くも経過してしまっている)、すぐ右手に路盤が分岐していく(使途は不明)。車内では歌謡ショーのDVDが流れていたが、それが急に大音量になった。
 沿線風景については特に刺激があるわけでもなく、基本的には田園風景である。やがて車内販売のワゴンが何種類かやってきて、そのうちの一つから、モチの間にハムを挟んだものを買ってみた。味は、普通に「モチとハム」である。コーヒーも頼んでみたいところだが、その氷の“怪しさ”から諦めてしまった(水に注意しても、うっかり氷で「やられて」しまうというのは、良く聞くパターンである)。

@そのまま「モチとハム」

 駅に着くたびに、数分間停車する。エキスプレスの冷房車両付近は静かだが、開いているドアからホームの向こう側(非冷房車両の辺り)を見てみると、物売りが大量にいて各車両の窓越しに商売をしていた。
 ひたすら走り続け、スピードが遅くなり住居の中を縫うように走るようになると、終着駅のハイフォンである。到着は定刻から3分遅れの12時13分、駅構内にはたくさんの貨物列車などで溢れかえっていた。

@瀟洒なハイフォン駅

 折り返しまで3時間ほど時間があるため、市内を適当に歩き回り、ハイフォン名物のバインダークアを屋台で食べたりした。素朴なフォーよりも味があり、どことなく日本の蕎麦(形状はきしめんのようだが)のような味で、おいしく頂いた。

@バインダークア(3万ドン)

 午後2時過ぎには駅に戻り、ロンビエン行の切符を購入する。出発の30分くらい前に改札が始まったが、ホームに停まっている列車は、往路の11両にさらに非冷房客車が6両追加され、総計17両という長大なものになっている。この長さは、私の鉄道乗車経験で最長のものであるかもしれない。

@1枚の写真には収まり切らない

 列車は、定刻よりも2分も早発の15時08分に出発してしまった。少し驚いたが、切符の裏面を見ると「出発の30分前には来るように」という注意書きがあった(だから早発していい、ということにはならないとは思うが)。
 今回も通路側になってしまい、しかも窓のカーテンをほとんど閉められてしまっている。「開けてくれ」とも言い辛いので、隙間からほんの少しだけ見える景色で我慢することにした。窓側にはかなり若い女の子が座っており、一所懸命にキャラクターの刺繍作業をしている。そして足元で充電しているのは最新のiPhoneである。ハノイまでは片道たったの6万ドン(約220円)だが、先にベトナムでの月収を示したように、日本の感覚からすると4千円くらいに相当してもいいくらいである。つまり、この車両に乗っているベトナム人は「それなりの家庭の人」なのだろう。

@ちなみに非冷房の客車内は、こういう感じ

 非冷房の車両の様子はわからないが、復路の冷房車内は満席であった。左手に陽が沈み始め、ガーラムですっかり日が暮れ、喧噪のロンビエンには18時過ぎに到着した。
 けたたましいクラクションの波に埋もれている市街地を歩き、屋台で食事を済ませ、最安のミニバスで空港へと向かった。ベトナムの慌ただしい日常に合わせたかのような忙しい旅程の最後は、日本までの夜行便(フライト時間は4時間と少し)である。

@何やら色々入っているフォー(3万ドン)

 

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