タイで寝台特急「あかつき」に乗る

はじめに
 世界各国(東南アジアを中心に南米など)においては、JRから無償で譲渡された車両が未だに現役で活躍している。中には“ブルートレイン”として一時代を築いた車両も含まれており、タイやマレーシア、フィリピンで乗車することが可能である(フィリピンについては、拙文「フィリピンで寝台特急『北陸』に乗る」参照。なお、フィリピンとマレーシアに関しては、2012年10月以降、それぞれ事故と車両メンテナンスで残念なことに運休中である)。今回は、そのうちタイで活躍する車両に乗ってくることにした。譲渡された車両は、タイでは特別に「JRクラス」というカテゴリを与えられ、第二の人生を送っているのである。
 今回乗車する車両は、以前は寝台特急「あさかぜ」などで使用されていたものである。外装はブルーでない色に再塗装されてしまっているが、中身はJR時代そのままである。
 そしてなにより、「A個室寝台」として使用されていた車両に乗ることができるのが大きな点である。このタイプは今でも「あけぼの」に連結されているが、その寝台料金は13,350円もするため(当然、特急料金や乗車券は別である)、とても買おうとする気にはなれない。それと同じタイプの寝台に、タイであれば数千円(すべて込み)で乗ることができるのである。

 タイ国鉄のインターネット予約が2013年1月に休止になってしまったため、以前も利用したことのある代理店(タイ国内だが日本語対応可能)に、3月末に切符を申し込んでおいた。乗車する路線はバンコク(ファランポーン)から北部の観光地チェンマイまでであり、往路は座席(エアコン)で641バーツ、復路は夜行寝台(旧JRのA個室)で1,953バーツである。往路の3倍以上と考えると高いようにも思えるが、6,000円程度と思えば安いものである。

(なぜタイトルが“寝台特急「あさかぜ」に乗る”ではなく“寝台特急「あかつき」に乗る”になったのかは、旅行記の途中を参照してください)

@行先票


■2013.6.1
 金曜日(5月31日)に仕事を終え、自宅に戻ってから羽田空港へと向かった(羽田発の深夜便は、こういう使い方ができるので便利である)。
 0時30分発のバンコク行は、定刻の5時20分より30分以上も早着した。早く着くのは普通は嬉しいものだが、早朝便の場合は微妙である。
 バンコク市内へ行く鉄道の始発は6時前後であるため、それまでは空港内で適当に時間を潰した。空が明るくなってから鉄道駅へ向かい、各駅停車の「シティ・ライン」の始発(5時57分発)で市内へと向かった。

@エキスプレスよりも、こちらの方が圧倒的に安い(ラッシュ時以外ならおすすめ)

 マッカサン駅で地下鉄に乗り換え、ファランポーン駅へと向かった。バンコク以前一度訪れたことがあるため、もう手慣れたものである。
 列車の出発時刻は8時30分であるため、少しだけ余裕がある。まずは、タイ国鉄本社近くに車両が展示されているらしいのでそこへ行ってみた。
 歩くこと15分、車両が展示されている公園のような敷地はまだ開園時間前だったが、柵の外から見ることができた。
 絵の描かれている車両(図書館として使用されている)以外にも、ミニ戦車(?)のような風変りな車両も展示されていた。

@鐡ネタは見逃さず

 その後は駅西側地区にあるいくつかの市場や、ワット・トライミットなどを見学して駅へ戻ってきた。小一時間であったが、すでに気温は30度を超えており汗だくになってしまった。
 駅へ戻ったのがちょうど午前8時、急に鐘が鳴りだし全員が起立して、そして国歌が流れ始めた。そういうのがあるということを雑誌で読んだことがあったのをふと思い出し、私も国歌終了までコンコースで起立し続けた。
 ホームには、すでにチェンマイ行の車両が入線していた。たった3両だけであり、すべて同じエアコン座席である。
 やたらに辺りが靄っているのは、作業員が清掃中だからである。窓が汚れていると撮影に影響するので、この作業は大変ありがたい。

@洗車中

 ホームで鶏肉を焼いて売っていたので夜用に少しだけ買い、車内に乗り込んだ。発車1分前に汽笛が鳴り、定刻の8時30分に出発した。
 途中にアユタヤなどの観光地を経由するためか、車内には西洋人も多く目立っている。その他にも、会話などから明らかな中国人も何人かいる(かくいう私も国外からの観光客であるが)。
 路盤に沿って建設途中の高架が続いているが、途中の段階でかなり放置されているようで、コンクリが変色したり住宅に囲まれたり(不法占拠?)しているところもあった。今後どうなるのかは、謎である。

@最後まで造る気あるのか

 バーンケンには9時14分に到着した。すでに15分の遅れである。
 しばらくすると、後ろからワゴンが近づいてきた。車内販売かと思って様子を伺うとどうやら違うようで、無料の飲み物等を配布しているようであった。
 渡されたのは、お菓子(ケーキみたいなもの2種類)であった。飲み物は水やジュース、コーヒーなどから選べるようである。

@タダならもらう

 列車は、ひたすら快走していく。計測はできないが、体感では時速120キロ弱は出ていると思われる。よって遅れもそれほど増えず、その後の各駅でも15分程度のままであった。駅ごとに乗客も増えほぼ満席となったが、観光地のアユタヤでは西洋人がかなり降りていった。
 ロッブリーには、定刻より22分遅れの10時49分に到着した。駅構内には、巨大な金色のサルのオブジェが置かれている。同駅を出発するとすぐ左手に、クメール様式の遺跡が見えてくる。

@遺跡の付近はサルだらけ

 11時過ぎ頃になって、またしても背後からワゴンがやってきた。今度渡されたのは、無料の昼食である(いくつかのブログ等を読んできたが、こういうサービスがあるという記述は見つけられなかった)。チェンマイ方面へ行くにはバスの方が早く、LCCとも料金的差がほとんどないらしいので、それへの対抗策としてのサービスなのであろうか。

@やはり、タダならもらう

 車内ではアンケート用紙も配られているので、やはり今後の方策を練っているのかもしれない(アンケートはタイ語しかないので、いかにも観光客顔の私には配られなかった)。
 列車は怖いくらい速度を出し、おかげで私の近くだけでも2人が水を溢していたが、それでもナコーンサワン到着は定刻から27分遅れの12時02分であった。元の時刻設定がかなりタイトなのであろう。
 同駅をすぐに出発、しばらくしていったん停止し、スイッチバックで引込線のような所に入っていった。こういう場合、たいていは対向列車との行き違いである。
 待つこと5分…10分…、列車はぴくりとも動かない。結局、何もないところで待つこと53分、13時03分になってやっと動き出した。

@こんな場所で小一時間も停止(何もない)

 当然の如く、タパーンヒン到着は定刻から1時間29分遅れの13時49分であった。「タイでは2時間くらいは普通に遅れる」というのを読んだこともあるので、ある意味タイ水準に近づいたとも言える。
 その後も列車は怖いくらいに揺れながら快走し(路盤が安定していない)、それでも遅れは取り戻せず、ピッサヌロークには14時44分に到着した。向かいのホームには、SLが展示されている。

@ここだけでなく、いくつかの駅で展示されている

 それにしても、車内が暑い。東南アジアでは異常なほどに冷房を強める傾向があるが、この韓国製の車両の冷房は効きがイマイチのようである。
 16時30分頃、みたびワゴンが近づいてきた。まさか夕食も(それにしては早い)と思ったが、なんと2回目のお菓子(しかも午前と同じもの)であった。
 周囲の景色はやおら山深くなり、16時45分頃には初めてのトンネルをくぐっていった。

@さすがにスピードダウン

 駅に停まるごとに、遅れは1時間23分、1時間20分、という塩梅で少しずつ取り戻していった。これならば、チェンマイ到着も深夜にならずに済みそうである。
 19時頃に、夕日は沈み切ってしまった。その後も外を眺め続けたが、さすがに19時30分過ぎには真っ暗になってしまった。

@トイレから沈む陽を撮影(窓が開いているので綺麗に撮れるが、ずっとここにいるわけにもいかない)

 結局、その後かなり取り戻したようで(暗闇の快走は恐怖であったが)、チェンマイ到着は定刻から56分遅れの21時26分であった。
 駅前のコンビニでビールなどを大量に買い、すぐ隣りにあった予約済みのホテルに投宿した。

■2013.6.2
 7時前に起きてホテルの朝食を頂き、9時頃まで部屋でゆっくりした。部屋からは左手に市内が遠く見渡せ、右下にはチェンマイ駅が見下ろせる。日本円で3,000円程度にしては充分な眺めである。

@駅を見下ろす

 貴重品やパソコンだけを身に着け、それ以外の荷物はホテルに預けて市内散策へ出発した。炎天下に晒されながら、ワット・プラ・シンなどいくつもの寺院や、大小様々な市場を歩き回り、暑さが限度になるとコンビニに入って氷入りのジュース(セルフサービスなので中身のほとんどを氷にしたもの)を買って、それを齧りながら市内を4時間半ほど歩き、さすがに疲労困憊となった。

@欄干もかわいい(チェンマイ市内観光については、他の方の旅行記(普通のもの)をご参照ください)

 13時45分頃に駅前まで戻ってきた。出発は16時00分であり、まだ余裕がある。試しに駅構内に入ってみると、すでにバンコク行の寝台列車が入線していたので(入線したまま清掃等をしていた)、編成を確認してみた。
 JRで使用されていた車両が中心で、後ろから[B寝台]×4(うち1両は「Bコンパートメント」(構造上はB寝台とほぼ同じであるが、ガラスのドアが付いていて4人用個室としても利用できるもの)として使用されていたもの)、続いて[食堂車]、[B寝台]×3、[A個室寝台]、[荷物車]の計10両なのであるが、驚いたことに、どういうわけか個室寝台が旧JR車両ではないもの(韓国製)になっているではないか。

@入線していたのはいいものの

 急いで窓口へ行き、たどたどしい英語で「JRクラスのファーストを予約したが、あそこの列車を見てきたが、JRではない」と言ったところ、窓口嬢は何のことかよくわからないらしく、「個室は売り切れですよ」と言うので、「そうではなくて、私はJRクラスの切符をすでに買って持っているが、あそこの列車の個室はJRクラスの車両ではない」と言ったところ、「アクシデント」と言われてしまった。続けて、「個室で使えるようにしている(2人使用にしていない)ので大丈夫です」とのこと。
 私がタイまで来たのはJRの車両に乗るためであって、韓国製ではまったく意味がない。それで、「とにかく、JRクラスの他の車両にしてください」と言うと、「個室じゃないですよ。それに、返金はできません」と言われてしまった。しばし悩んだが、仕様がないので、「返金なしでもいいので、普通のJRクラスにしてください」と言って切符を渡した。
 悲壮感の漂う私を察してか(それともやたらJRクラスに拘る変な日本人に困ってしまったのか)、受付嬢は電卓で計算し、「いったんキャンセルして(キャンセル料は50%)、新たに購入するようにすれば、…95バーツくらいなら戻ります」と言う。その後、切符や私のパスポートを持って裏方へ行き、関係者としばらく話し合ってきたようで、最終的には「全部返金します。その代り、パスポートのコピーとサインを」ということで、1,953バーツ(支払済の切符代)−881バーツ(B寝台下段の料金)の1,072バーツの現金と、新たな切符を渡してくれた。
 ついでに車両を見に行っただけだが、早く気付いて本当に良かったと思った(そして駅員さんも、特例処置をしてくれてありがとうございました)。

@なんとかJRクラスをゲット(上は返金のレシート)

 いったんホテルへ戻り、荷物を受け取ってしばらく体をクールダウンした。
 出発1時間前になりホームへ再び行って確認してみると、私に宛がわれた車両はBコンパートメントとして使用されていたものであった。A個室に乗れなかったのは残念であるが、実はBコンパートメントも乗ったことがないので、これはこれでよかったと言えよう。
 JR西日本からの譲渡車両でBコンパートメント、となると、「あさかぜ」ではなく「あかつき」で使用されていたものであろう(私は車両に関しては疎いので、間違いであればご指摘ください)。よって、旅行記のタイトルも変更することにした。

@初「Bコンパートメント」

 ツマミなどを駅近くで買い物して、15時25分くらいに乗り込んだ。荷物を自席に置き、他のB寝台車両なども観察してみる。他の方の旅行記にもある通り、トイレや洗面所なども現役時代とほぼ同じであり、さらにマットレスも追加されているので若干グレードアップしているとも言える。
 Bコンパートメントの車両についても、個人灯が改造されたくらいで、基本的にはほとんど変わっていない。出入口付近には、わざわざ「車のナンバー」という表示もあり、心憎いくらいの丁寧さである。

@かなり新しいので、誰かが気を利かせて作ったのでしょう

 定刻の16時00分、列車はゆっくりと動き出した。
 しばらくはチェンマイ近郊の平坦な土地を走るが、なんというのか、列車の振動や乗り心地が、昨日の車両とは違って「懐かしさ」で溢れているのである。おそらく、台車のバネなどに対して体が親しみをもっているのであろう。
 車内には巡回する警察官もいて、治安は大丈夫のようである。今日も天気が良いが、昨日と違って冷房の効きは良いので問題はない(逆に寒いくらい)。

@沿線風景

 16時30分頃になり、食堂車の従業員がメニュー片手に注文を取りに来た。以前、マレーシアのバタワースからバンコクまで列車で移動した際に利用したことがあり、正直言って値段は高い(街中の食堂の倍以上する)が、車内で食事という雰囲気は捨てがたいので利用することを決めていた。
 結局、炒め物とカレーなどのセット(160バーツ)と、ビール2本(1本当たり140バーツ)にした。ビールなどはコンビニで買えば60バーツ程度であるからかなりの色が付けられているが、仕様がないだろう。
 16時50分頃になると、係員が来てベッドメイキングを始めた。手慣れたもので、あっという間である。

@マットレスはぜひJRでも導入を

 じきに辺りの景色は山深くなり始め、17時26分、定刻から5分遅れでクンターンに到着した。山中の小駅、といった感じであり、駅員もいるにはいるが、何よりも目立つのは数えきれないくらいの鶏と犬である。寝台列車の乗務員が大量の残飯(骨)を撒き与えると、犬だけでなく鶏もやってきてそれを食べ始めた。

@帰国後に調べたら、タイで最も高い標高にある駅とのこと(鶏多し)

 その際にふと気づいたのであるが、私の車両の半分弱くらいは、列車関係者(車掌・食堂車従業員・その他の作業員)が利用しているようである。コンパートメントになっているので使い勝手が良いのと、隣りが食堂車だからであろう。
 先ほど頼んだ夕食とビール2本については、19時00分に配膳してもらうように頼んでいる(事前に希望時間を聞かれる)。18時30分過ぎ、列車がナコーンラムパーンに到着したので廊下に出て駅構内を眺めていると、隣りのコンパートメントから食堂車のおばちゃんが出てきて「ワンビアー・ナウ?」と訊いてきたので、せっかくなので持ってきてもらって持参のツマミで始めることにした。
 1本目のビールは、すぐにやってきた。旧国鉄の車両には栓抜きが付いており、久々にそれを使って開けたかったのであるが、持ってきた係員が開けてしまった(それが仕事なのだから当たり前であるが)。

@2本目も、うっかりしている間に開けられてしまった

 1本目が終わるころに、セット一式と2本目のビールがやってきた。メインは普通であったが、やはりタイだけあってカレーは美味であった。

@セット+ビール

 それらを平らげ、懐かしい日本式便器のトイレで用を済ませてから、就寝。

■2013.6.3
 5時15分頃に起床、すでに薄明るくなっているが、場所がどこなのかはわからない。
 5時31分頃に駅に停まったので、廊下に出て外を眺めてみる。同様にどこだかさっぱりわからないが、コンパートメントから出てきた寝起きの乗務員が「アユタヤー」と教えてくれた。約47分の遅れである。この程度ならば、今日の観光も予定通りできそうである。

@今日も晴れそう

 6時12分、定刻から49分遅れでランシットに到着した。待つこと5分…、10分…、列車はまったく動き出す気配がなく、まるで昨日のデジャビュである。
 じきに同じ方向に進む近郊列車に追いつかれ、貨物列車も入線し、6時38分になってやっと対向列車が入線してきて、こちらも動き出した。
 バンコク市内に近づけば近づくほど低速運転になり、終点のファランポーン到着は定刻から1時間28分遅れの7時58分であった。ホームに降りてしばらく歩くと、例の国歌が始まり全員が直立不動となった。

@お疲れさま

 さて、今日はローカル線に乗ってメークロン市場へ行く予定であり、ウォンウィエンヤイ駅を8時35分に出発する列車に乗る予定であったが、あいにくそれはもう難しそうである。もちろん、タクシーを使って飛ばせば間に合うが、そこまでしてメークロン滞在時間を増やしても、「市場の中を走る列車の姿を外から眺められる」だけであり、正直何時間も滞在するような観光地でもない。よって、バンコク市内でしばらく時間をつぶし、10時40分発の列車に乗ることにした。
 それまで、2時間以上の暇がある。まずはファランポーン駅構内を歩き、展示されているSLなどを見学した。

@線路内を歩いても注意はされない(もちろん自己責任で)

 それから駅構内のクーポン制のフードコートでグリーンカレーとソーセージの朝食(40バーツ)を頂き、タオル+サングラス+日焼け止めの「炎天下セット」で身支度して、市内散策へと向かった。そのまま、徒歩でウォンウィエンヤイ駅まで行くことにしたのである。
 ヤオワラート通りを歩き、名も知らぬ地の市場などを覗いたり、色々と寄り道をしたりして、1時間ほどで川のほとりにあるワット・ラーチャブラナに到着した。ここには、日本人納骨堂があるとのことである。大きな寺院の敷地内(駐車している車は多いが人は見当たらない)を歩いていると、本堂の北東に小さな建物があり、それが日本人納骨堂であった。
 近づいてみると、中で仏具の掃除をしていた人が、こちらを見て「…日本人ですか?」と聞いてくるではないか。そうだと答えると、「どうぞ中にお入りください」ということで、さらに「せっかくなので般若心経を」ということで唱えていただいた。
 お名前は聞き忘れたが、二十代に出家をして高野山に行き、そして寺からタイへ3年間行くように命ぜられたとのこと。パック旅行も楽であろうが、このような出会いも貧乏旅の醍醐味ではある。

@本堂

 礼を言って寺を離れ、30分ほどさらに歩いてウォンウィエンヤイ駅に到着した。道路の脇に表示があったのと、私が地図を持っていたから気づいたものの、普通に歩いていたのでは駅があるとは思えないような場所である(建物に埋もれてしまっている)。
 駅構内は、まるで市場のように個人商店で埋もれていた(よく言えば「エキナカ」)。窓口で切符を買ったが、10バーツであった。プリントアウトしてきた時刻表によると、10時40分発にはエアコンのマークがついており、その場合は25バーツとなっている。どうしてなのか、その理由は不明である(後で気づいたのだが、エアコン車両は途中の1両だけであり、それ以外は非冷房なのであった。有無を言わせず10バーツの切符を渡されたので、もしかしたらタイ人に思われてしまったのかもしれない)。
 列車は、出発の4分くらい前にゆらゆらと揺れながら入線してきた。

@早く渡り切りましょう

 定刻の10時40分、列車は動き出した。民家すれすれのところを走り、木々が車両にぶつかっていく。暑いので窓は全開であるが、ぶつかる木々が顔に当たりそう(少し当たる)ので怖い感じがする。
 路盤状態はあまり良くなく、列車は左右に揺れている。所々で改良工事もしているようであるが、工事中でもお構いなしに徐行で走り抜けてしまうのがいかにもタイである。

@工事中ですが(線路も曲がっている)

 終点のマハーチャイ到着は、ほぼ定刻の11時40分であった。有名なメークロンほどではないが、この駅も市場に埋もれており、列車の発着時には線路上の商品があわてて片付けられたりする。

@ここを走ってきたわけで(水上鉄道?)

 しばらく市場内を散策し、それから3バーツの渡し船で対岸へ向かった(メークロン線は、ターチン川で分断されているため)。
 目指すべきバーンレーム駅は、かなりわかり辛いところにあった(標識などはないので、事前にインターネットなどで調べておきましょう。グーグルマップをプリントアウトしておくのがお勧め)。線路がなければ、駅であるとは気づかないような場所である。

@寂しい小駅

 乗るべき列車は13時30分であるが、その時刻を過ぎても駅員は不動である。駅構内に停車していた2両の列車ではないらしく、どうやら折り返しメークロン行となる12時30分着の列車が大幅に遅れているようである。
 結局、列車は13時49分頃にやってきた。そして乗客の乗降を終えると、すぐに出発した。
 それにしても、とてつもない揺れである(マハーチャイまでの路盤がまともに思えるくらいである)。怖いくらいに横揺れし、今にも転覆しそうである。運転士も心得ているのか、路盤がひどいところではかなりの徐行をする(それでも揺れる)。私は、昨年の春に乗車したフィリピンのコミューター(ナガ駅発)を思い出した。
 船のような揺れに身を任せること約1時間20分、列車は執着のメークロンに近づいて行った。すると、車両最前部にいた車掌が、手招きをして運転室を指さすではないか(後で調べたのであるが、外国人観光客に対しての個人的なサービスのようである)。お言葉に甘えて、運転室内に入って動画や写真を収めた。

@写真を撮ったり撮られたり

 無事にメークロンに到着したが、列車が遅れてしまったため、滞在時間は15分だけである。慌ただしく市場を観光し、15時30分発の列車に乗り込んだ。復路も最後尾の車掌室を開けてもらって動画を撮影させてもらい、それはそれで良かったのであるが、あの悪魔的な揺れにこれから1時間以上も身を任せるのかと思うと、多少憂鬱である。

@マハーチャイ駅猫

(註:バーンレーム到着も遅れたため、列車は到着後すぐに反対側に動き出した。きちんと停車駅を確認していれば大丈夫であるが、うっかりしていると乗り過ごす(乗り戻される?)危険性もあるのでご注意を。復路の車内には私以外に2人くらい日本人観光客がいたはずであるが、バーンレームを降りて歩いている人の中にいなかったので、少し不安に思っている)

 

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