バタワース−バンコク、夜行列車の旅

はじめに
 今回の鐡旅は、初めてのタイである。タイ王国内にはJRの車両が無償で譲渡されたりしており、日本で使われていた寝台列車もそのまま走ったりしているためできればその手のものに乗りたいのだが、当該車両がどの路線に使用されているのかわからない。調べればもちろんわかるのだが、それなりに大きな国であるために、あちこち周るとなるとジャワ島の時のように数日必要になって来る。そこであれこれ勘案し、マレーシアのバタワースからバンコクまでの夜行列車に乗ることにした。こうすることで、マレーシア国鉄を、支線を除いてほぼ完乗できるし、タイ国鉄の下見(?)もできる。タイの鉄道の有名どころは、次の機会にしたいと思う。
 チケットの安さなどを考慮し、旅程は以下のようになった。

1日目(木):仕事を終えてから夜中に羽田を出発 機内泊
2日目(金):早朝にシンガポールへ 昼のLCCでペナン空港へ ペナン泊
3日目(土):昼ごろに対岸のバタワースへ バンコク行に乗車 車内泊
4日目(日):昼前にバンコク到着 観光後空港へ 機内泊
5日目(月):早朝に羽田着 職場へ

 昨年秋に羽田の新国際線ターミナルが完成し深夜発の便が出来て、ワイドショーなどでも弾丸ツアーがフリップ上で展開されていたが、上記はまさにその実践版である。会社を休むのは金曜日1日だけで済むが、4泊中3泊で移動中の睡眠を強いられる。


2011年1月20日 イントロ
 今日は羽田に行くだけである。かなり余裕をもって出発の2時間半以上前に着き、ラウンジで意外に美味な点心やその他料理をつつきながら、アルコールをいつもより多めにいただく。それの理由は、搭乗後すぐに寝入るためである。
 テレビの画面では、NHKの番組「ブラタモリ」が放映されていて、偶然にも羽田特集である。
 午後11時を過ぎてから搭乗口へ向かい、手続きを済ませる。アルコールのおかげもあって、離陸に気すら気づかなかった。

1月21日 ケーブルなし
 朝の6時過ぎに、シンガポール・チャンギ空港へ到着。いつも通りの光景であるが、旧正月と控えているため、あちらこちらで今年の干支のウサギが目立っている。
 ペナン行の格安航空会社路線まで数時間あるため、入国して市内に行き、シオン・リム寺院へ訪問してみることにした。最寄はMRTのトアパヨ駅で、ガイドブックにはタクシーなどの利用を勧めていたが、治安のよいシンガポールなら徒歩でも問題ないであろう。実際、歩いてみても20分以下であったし、所々に寺への案内板もあって迷うこともなかった。

@大きな千手観音坐像

 寺を参ってから再び空港へ戻り、11時45分発のペナン行の搭乗手続を済ませる。マレー半島を見降ろし続けながら飛行し、ペナン空港にはほぼ定刻の13時過ぎに到着した。一旦出発階へ行き、RM(リンギット。1RM=約27円)への両替をしておく。
 ここから繁華街のジョージタウン(コムター)への移動は、やはりタクシーではなく路線バスである(いつものパターン)。事前に調べておいたが、空港付近が改装中でありわからなかったため、空港の案内所で訊いてから歩き出す。空港のすぐ近くに小さなボックスのバス案内所があり、そこにいた人にあれこれ訊いたが、どうにも決まった出発時刻はなくて「30分に1本」としかわからないらしい。しばし待つ。

@切符を売ったりしてくれるわけではありません(ただのカウンター)

 幸い、待つこと10分程度で、コムターへ行く401E系統がやって来た。途中渋滞があったりしたが、約1時間ちょっとで到着し、そこから歩いて10分ほどの安宿(インターネットで予約できる範囲で最安で、日本円で2千円程度)に投宿した。
 ペナンと言えば、1923年に開通したペナンヒルへ行くケーブルカーがある。あまりにも老朽化したため全面的なリニューアルが決まり、昨年の秋には本格的に再稼働するはずであったが、どうやら順調ではないようで再開が今年の1月(つまり今)にずれ込んだというニュースを耳にしていた。時期的にギリギリだなぁと思っていが、出発の直前に、さらに遅れて3月以降にというニュースが入ってきてしまった。
 ペナンでの唯一の鐡要素が無くなってしまったが、動いていないのでは仕様がない。ところで、件の安宿に入ってみると、部屋は当然安物だが壁に掛けられていた絵画が偶然にもペナンヒルへ向かっているケーブルカーであった。代替として、それを写真に収めておく。

@これ(の新しくなったもの)に乗りたかったのですが…

 最低限の荷物だけを身に着け、再びコムターへ戻って極楽寺(ケック・ロック・シー)への路線バスを探す。掲示板にも書いてあったが、念のため係員に聞いてから、ちょうど入線していた203番系統に乗り込んだ。極楽寺は、例のケーブルカーが出発する付近にある大きな寺である。
 所々で再び渋滞があり、50分弱かかって終着のアイル・イタムに到着した。歩くとすぐ参道に入るが、両脇にはすし詰め状態で土産物屋が並んでいる。しかし、彼らは特にしつこいわけではないから問題はない。
 敷地内のほとんどは無料(7層になっているパゴダのみ2RM)であるが、とてつもなく大きい観音像が建設(?)中であり、そこへ登る小さなケーブルカーが往復で4RMだという。鉄道路線のような設備ではないが(斜めに置かれたエレベーター程度)、気休めでそれに乗っておいた。頂上からの眺めも良い。

@代替ケーブルは、ほぼエレベーター

 再び参道を下り、バス乗り場を探す。というのも、往路のバスを降りた地点が一方通行になっていたため、この手の構造の場合は反対へ向かう出発点が違う場所にあることが多いためである。急ぐ旅なら近くにいる人にあれこれ訊くが、今回はそうではないため自力の勘に頼ってみた。
 案の定、その一方通行をさらに進んで交差点になり、さらにその先のヒンズー寺院のある近くに何台かのバスが停まっていた。職員らしき人にコムター方面行であることを確認し、それに乗り込んだ。
 ジョージタウンに戻ってからは、適当に散策して屋台を検索し、サテーを20本と缶ビール3本を買って部屋に戻った。サテーは多過ぎと思われるかもしれないが、もともと小さい一口サイズものであり、20本全部合わせても値段は10RMである。それよりは、小さな缶ビールが1本で7RM以上もして、日本と変わらないのが痛い(それどころか、いつもは所謂第3のビールであるため、それと比較すると倍くらいの値段がする)。

@ここで大量に買いました

 部屋でサテーにかぶりつきながら、高いビールを飲む。食後のシメにと思っていたホテル前の屋台が閉まっていたため、再び少し歩いて賑やかな所へ行き、ナシ(ご飯)のうえにあれこれおかずをトッピングした弁当と、懲りもせずまたコンビニでビールを買って部屋に戻った。
 テレビの内容は当然わからないが、食後にちょうど始まったのは日本代表サッカーチームのアジアカップライブ中継であった。それを適当に観ながら、眠りに落ちた。

1月22日 やっと鐡旅に
 それなりの早い時間に起きたが、昨晩の日の入りが遅かった(午後7時を過ぎても明るかった)ぶんだけ、日の出は遅い。7時過ぎにやっと明るくなり、ホテルの質素な無料朝食(パンとオレンジと飲み物だけ)を摂ってから、8時過ぎになってから昨日の午後と同じ格好で出かけた。
 今日の訪問先は、大きな涅槃像のある寝釈迦仏寺院とその向かいにあるビルマ寺院である。プリントアウトしたグーグルマップは、ある程度の大きさになると通り(ジャラン)の名前も出ているため、とても使用しやすい。それを頼りに歩き2.5キロくらいの道を40分ほどで辿り着いた。両寺とも朝9時から開くとガイドブックにはあったが、どちらもすでに開いていたため大きな涅槃像などを拝み、今度は海側の道に沿って宿に帰った。

@涅槃像再び(前回見たコタバル近郊のそれより、少し小さい?)

 荷物を纏め、チェックアウトしてからジョージタウンの観光どころを適当に周る。ペナン博物館の庭には、旧い時代のケーブルカーの車両が展示されていた。
 猛暑(といっても、昨年7月に来た時ほどの酷暑ではない)の中を歩き回り、余ったRMをインド人街の両替商でTHB(タイバーツ。1THB=約2.7円)へ替え、コーン・ウォリス砦を経由して汗をかきながらフェリーターミナルへと向かった。ターミナル内には、マレーシア国鉄(KTM:Keretapi Tanah Melayu Berhad)のカウンターもあり、ここでも手続きができそうであるが、私は切符を事前にバンコクにある旅行代理店に頼んで手配・郵送してもらってある。
 フェリー乗り場への坂道を歩き、待合室へと行く。有名な話であるが、ペナンからバタワースに「戻る」際には、料金が不要である。ある意味バタワースで乗る際に往復分を徴収しているようなものであるが、私のようにペナンに別手段で入った人間にとっては、まったく無料で乗れてしまうようなものである。
 バタワースへの航路は10分ちょっとである。着岸する直前、貨物列車が引込線を奥の方へと走っているのが見えた。

@これは貨物線部分です

 フェリーターミナルへ降り、人の流れに沿って歩く。バタワース駅には半年前に来たばかりであり、感覚から駅がどの辺りかはわかっていて「降りてから右手」と思っていたが、ほとんどの人が左手のバスターミナルへと歩いていってしまった。それに付いていってしまったが、やはり鉄道駅とは反対側に出てしまったため、そこからは誰にも聞かず適当に迂回して歩いて駅へと辿り着いた。
 さて、ここで問題となるのが、今さらであるが列車の発車時間である。切符には13:15と印刷されているが、あれこれ調べたら違う時間が出てきてしまう(タイ国鉄とマレーシア国鉄でも違いがある)。バタワース駅に掲示されている時刻表では14:20とあるため、念のため窓口にいた女性に切符を差し出して訊いてみたところ、「それはタイ時間」ということであった。
 それでも5分違いの謎は残されてしまうが、そのような小さな疑問はどうでもいいだろう。それより大きな疑問は到着時間で、切符には9:55とあり、仮にこれに1時間足したところで10:55、しかし駅構内に掲示されているポスターには12:24とあり、何をどう計算すればいいのかすら不明である。いずれにせよ、時間通りに走ることは期待できないであろうから、目安時間程度でしかないのであろうが。

 午後2時を過ぎてから、間もなく入線する旨のアナウンスがあった。直後に、短い編成の列車が2番線に入ってきた。この列車は折り返し運転のため、2両だけのタイ国鉄車両(韓国の大宇製)にはたくさんの旅行客が乗ったままである。彼らが降りても、特に清掃係が乗り込むわけでもない。

@バンコクへ向かう2両の客車

 バンコク行の車両番号は9号車と10号車であり私は前者だが、車両の横にあるサボ(行先票)が付け替えられていないので、念のためにホームにいた駅員に訊くと、「エニシート オーケー」ということであった。不安もあったため、たぶん9号車と思われる方の、指定されていた12番席に座って発車を待っていた。

@昼間は座席として使用される寝台車両

 定刻より4分遅れの14:24分、バタワースを出発した。見覚えのある橋を渡るが、新しい工事中の路盤がずっと寄り添っている。
 マレー系の顔立ちの乗客以外に、西洋人のバックパッカー達がそれなりに乗っているが、彼らは発車するとすぐに寝入ったり本を読み始めたりしてしまい、外など一向に見る気配がない。彼らのそのような行動は列車内に限らず、市街地の飲食店でも空港でも、ひたすら寝たり読書をしたりして時間を潰している。私から見れば、せっかく海外に来ているのに非日常的なものを見聞しようとはせず、どうして無為に時間を潰してばかりいるのだろうか、と思ってしまうが、その考えはきっと彼らにとっては間違っているのだろう。きっと彼らにとっては海外にバックパックを背負って来ているという事実そのものに重点が置かれているのであり、逆に私のような者などは、「せっかく海外に来ているのに、ゆっくりしないで移動ばかりしているなんて、バカじゃないか」ということになるのかもしれない。人の価値観はそれぞれなので、押し付け合わないようにしたいとは思う。
 出発してから10分ほどして、駅も何もないところで停車して対向列車とすれ違った。これはクアラルンプールからのSenandung Mutiara号で、折り返し15時30分発のクアラルンプール行になるものである。
 車内では、まったくの私服ながら車内の業務を行っている男(車掌とは違う)が、あれこれ座席の指定を確認している。乗っているうちにわかったことだが、やはりどの席でもいいわけではなくて、バタワースで駅員が「どこでもいいよ」と言っていたのには違う理由があった。というのも、この国際列車は、マレーシア国内では近距離路線として地元の人も使用することができるのである(JRの寝台列車でいうところの「ヒルネ(寝台を昼間に座席として使用する)」利用と同じ)。そういう人にとっては、空いている席ならどこでも座ってよいわけであるが、大きなバックパックを背負っていない(小さなリュックのみ)の私は、もしかしたらバンコクまで行くとは思われなかったのかもしれない。
 14時50分、最初の停車駅であるブキッ・ムルタジャムに到着した。マレーシアの鉄道のうちイーストコースト線とウエストコースト線は乗車済であるが、ここから先のクダ線が、私にとっては初乗車となる区間である。ホームの上には旧くなった車掌車のようなものが置かれていて、前回のレポートにも書いたが「鉄優マレーシア」はここでも感じ取ることができた。

@ホームに置かれている旧い車両

 逸る気持ちをあざ笑うかのように、列車はなかなか発車しない。この駅で乗り込んできた家族連れはビニール袋に入った氷入りのジュースを飲んでいて、車掌まで似たようなものを買って飲みながら通路を歩いている。そういった人たちを眺めながら待つこと18分、15時08分になってやっと出発した。
 新しい路盤の建設はクダ線でも行われていて、ずっと右手に寄り添っている。しかし、大規模な建設工事の割には、従事している作業員(労働者)が明らかに少ない。日本であれば、纏まった人員が集中的に建設を行い、それが徐々に進行して行くのであるが、こちらでは全般的にちょっとずつ行っているような感じがする。おかげで、造りかけのコンクリート(鉄筋がむき出しのまま)が、延々と右手に続いている。
 とてつもない敷設用のレールの山が見え、駅に到着した(駅名は確認できず)。枕木に使うコンクリートも大量に置かれているが、この駅でまた20分以上待ち、対向の貨物列車とすれ違ってから15時50分に出発した。

@これらのレールは、おそらく新しい路盤上に敷設される

 16時07分には、スンガイ・プタニに到着。駅に停まるごとに、ヒルネ利用の乗客がどんどん乗ってくる。私のいるボックスとその向かいにもインド系の家族(親二人と娘と息子)が乗ってきたが、それにしてもよく喋る(特に息子が)家族で、何語かは不明であるがずっと喧々諤々と続けている。
 その会話は途切れることなく、列車は16時35分にグルン到着(貨物とすれ違い)、16時45分にジュヌン到着(再び貨物とすれ違い)し、17時07分、クダ沿線では大きな街であるアロー・スターに到着した。ちなみにガイドブックなどでは「アロースター」「アロー・スター」と書いてあるが、駅の到着を予告しに来た車掌の発音は、「アーロスター」に近かったような気がする。そもそも、車掌の発音など日本でも適当(我流)であり、「品川」も「しながわ」ではなくて「しながわー」であることがあるから、当てにはならないであろうが。それはとにかく、ここでさらに近距離利用の乗客が乗ってきて、17時09分に出発した。
 少しウトウトとすると、17時41分にはアラウに着いた。車内では、タイへ抜ける人に入国カードが配られる。しばらくすると右手には尖がった小さな小山が現れ始め、大きなセメント工場が見えてくると、ブギッ・クトリに到着した。

@石灰岩の含有が多いのでしょうか

 新しい路盤工事はやはり続いていて、小さな川を渡るコンクリート橋の横には、大きく「KTM」の文字が刻印されているのが見える。路盤工事が途切れると、今度はとてつもない量の貨物コンテナの山が見えてきて、ほどなくして、国境の駅であるパダン・ブサールに18時15分に到着した。
 駅構内にイミグレーションがあるため、ここで入国手続きをすることになる。貴重品もあるためとりあえずリュックを背負って出たが、大きな荷物は持っていく必要はないようであった(結局、荷物検査の類はいっさいなかった)。
 いつも通りに出国の審査を受け、そのまま歩いて20メートルくらい隣りにあるタイ側の入国審査へ向かったが、その手前でチェックをしていた係員が私のパスポートを見て、なぜだから出国の方へ戻ってしまった。よくよく訊いてみると、出国側の係員がスタンプの日付を間違えて(前の日のままで)押していたようである。もちろん私だけではないから、私以降の人たちもわらわらと修正のために戻ることになった。結局、そこを手書き(!)で修正され、あとはいつも通りに入国の審査を受けて車両へと戻った。
 目の前にそのまま停まっていた車両に戻ったのであるが、前方はいつのまにかタイ国鉄の機関車と荷物車に付け替えられていた。双方信じがたいくらいのボロ具合で、荷物車などは木製の窓が歪んだまま半開きになっている。走っている途中に分解しそうな廃れ具合である。

@まぁ、マレーシアの機関車もお世辞にも綺麗とは言えませんでしたし…

 乗客もそれほど多くなかったため(後述するが、最終的には満員になるものの、タイ国内から乗車する人が多いのである)、出入国手続きはつつがなく終了して列車は出発した。私の時計は18時40分を指していたが、両国はほぼ同じ経度にあるものの時差が1時間あるため、その分を巻き戻して17時40分にした。
 しばらく徐行して、一旦停止し、SEMPADAN(マレー語で「国境」)の標識を越え、タイ側へと入国した。

@「国境」という意味です

 隣国へ来たからといってすべてが急激に変わるわけではないが、それでも個人宅の屋根にタイ国旗が掲げられているだけで雰囲気が大きく異なる。公園がちらほらとあり、子どもが一斉にこちらに向かって手を振っていたりする。その長閑な田舎風景の中を、機関車はひたすら「プー」という安っぽい汽笛を鳴らし続けながら走って行った。

@どことなく、沿線の雰囲気も変わった気がする

 それ以外の違いといえば、仏教国だけあって、マレーシアに多かったモスクがなくなり代わって大きな寺院が時々見え、また文字も、私が読めないタイ(シャム)文字になっている点であろうか。そんな景色が流れて行くのをぼんやりと眺め続けていると、女性の係員が食事のメニューを配りに来た(全員に配るわけではなく、希望した人のみである)。
 夕食と翌朝の朝食とがあり、いずれもメインやスープなどが組み合わされたセットメニューとなっている。少しく考えた後、夕食のBセットと、メニューにはないがビールを2本頼んだ。Bセットは150THBであり、タイの一般的な食事の値段からするとかなり割高であるが、自席まで配膳してくれることを思えば、旅行者向け価格ではあるが相応の値段でもあるだろう。

@セットメニューの表面(裏面は朝食)

 少しだけ暗くなりつつある中、18時28分にハジャイ(ハートヤイ)に着いた。ホームに入線する直前、左手の車両地区には信じられないくらいにグシャグシャに潰れた車両が1両あった。当然列車事故でそうなったのであろうが、目の当たりに見せつけられると気分的にはあま
り優れない。そのまま廃車にすれば問題ないだろうが、東南アジアのこのような国々では「使える所だけ残そう」などという考えのもと、車両の台車部分などが再利用されそうで怖い。
 ハジャイはそれなりに大きな駅で、駅前には大手のスーパーなどの建物もある。ここで一旦車両が連結されたような大きな衝撃があり、その後に車両はバックをし始めた。それからまた元の方向に戻り始め、一本隣りのホームへと入線していった。実はここハジャイからタイ国内だけで夜行列車となる部分を連結するためであり、最初のショックは後方に機関車を付けるためで、その機関車が引っ張ってバックをし、隣りのホームに移動してハジャイで待機していた部分に連結したのだろう。
 列車内では色々な食べ物の売り子たちが入ってきて、呼びかけながら右往左往している。その場では買わなかったが、チキンが気になったのでホームに降りて1本だけ買ってみた(30THB)。先ほど注文したビールがハジャイで積み込まれたようで、セッティングされた大げさなテーブルの上に瓶ビールが2本置かれた。それをちびちび飲みながら、チキンを手で割いて食べ始めると、18時47分にハジャイを出発した。停車しているうちに、日も暮れたようである。

@チキンは、あっさりした胸肉だった

 注文していた夕食のBセットであるが、1人当たり4皿あり、注文した人全員にあれこれ配るためには時間がかかるようで、なかなか私のテーブル上が揃わない。この状態でビールだけでは持て余してしまうが、偶然買ったチキンが助け舟となって、それをツマミにしながら良い塩梅で食事を待つことができた。
 1本目を飲み終わった頃、やっと私のセットが揃った。炒め物とスープは普通、しかしカレーが意外に美味であったし、何より温かいのが良い。

@カレーが良かった

 車両内では、男性の係員がベッドのセッティングをし始めた。天井に上げられている上段部分を下げ、中にしまってある2人分の枕とマットレスを上下段それぞれに分け、それらにシーツと枕カバーを掛けて、ビニールに包まれた新しいタオルケットを置けば終了である。食事が終わると、私のいたボックスも同様にセッティングされた。

@手慣れたものである

 私は寝台の下段を押さえていたが、上段と下段とでは格段の違いがある。まずその幅が全然違うことと、高さも当然違い、そして上段には外を見る小窓すらないのである。下段は日本の開放A寝台の下段くらいのスペースが確保できているため、多少の値段の違いはケチらずに下段を予約した方がいいだろう。
 
@上段の例(かなり狭い)
○○○○○○○○○○○          ○ @私の下段(幅は充分過ぎる)

 さて、あとは酔いに任せて寝るだけである。すぐに寝入ったが、夜中に一旦起きてしまった。というのは、冷房がかなり効いているものの、カーテンをきちんと締め切ると意外にスペース内が暑かったためである。

1月23日 バンコク鐡探し
 車掌の大声に驚き、目が覚めたのが3時13分。おそらくチュムポーン停車の直前であろう。降りる予定の人がいたらしく(車掌の大声はその人に教えてあげるため)、私のいた近くから1人が荷物を纏めて出口へと向かっていった。
 再び寝入り、起きたのが5時半頃で、窓の向こうの辺りはまだ暗い。寝台のスペース内は余裕があってそれなりに快適だが、個人灯の類がいっさいないため、明りを取り入れるにはカーテンを開けなければならない(逆に通路は、夜中でも煌々と点いたままであった)。

@各寝台に新しいカーテンがある

 6時48分、フワヒンに到着。ちらほらと乗客が降り、代わって物売りが乗り込んでくる。コーヒーなどの飲み物以外に、エビが入った焼き飯のようなものもある。売り子があっという間に通り過ぎてしまったため吟味したり買ったりすることができなかったが、次回もし乗ることがあれば、このようなところで朝食を買ってみるのも、色々な意味で面白いだろう(もちろん、体調への影響は自己責任で)。
 沿線では、子どもだけでなく大人も時折手を振っていたりする。「微笑みの国」として東南アジアの優等生的存在であったタイも、昨今の政情不安で最近は少しイメージが悪くなりつつあるが、徐々に元の状態に戻りつつあるのかもしれない。野良犬が多く、鶏が勝手に民家の前を歩き回り、刈り取られた田んぼの中をたくさんの牛が彷徨している。まるで、人間もそれら動物の一部であるかのようだ。

@いつの間にか陽も高く上がっていた

 7時44分にはペッチャブリーに到着、その後は8時27分にラーチャブリーに到着した。向かい側には、トンブリーから来た(へ行く?)普通列車が停まっている。ここでも物売りが大挙して乗り込んでくるが、時間的には6時台に停まる駅よりは不利であり、もう朝食も買う人も少ない。
 9時03分にノーンプラードゥックで対向列車とすれ違い(駅前に旧い列車が展示されていたように見えたが、詳細は確認できなかった)、9時18分にはナコーンパトムに到着した。その後は2両編成のディーゼルカーとすれ違ったりしたが、確実に言えることは、マレーシアにいるときよりもすれ違う旅客列車の数が多いということである。もちろん、それだけ沿線人口も多いのかもしれないが。
 気づくと時刻は9時50分、タイ国鉄の時刻表や切符を信用すればそろそろ終着駅へ、マレーシア国鉄の掲示板を信じればあと2時間半先という、かなり大きな差があるが、どうせその先の予定は大まかにしか決めていないから、私個人としては何ら問題ない。次々と現れてくる駅名からするとかなりバンコクに近づいているため、おそらくタイ国鉄の時間とそれほど違わない時間に到着できそうである。
 9時57分にはタリンチャンに到着、周囲は新しい駅舎や路盤のための大工事が行われている。その次はバンバムルに10時06分着。手持ちでコピーして来たバンコク市内の地図の範囲に入ってきたため、順調に行けばあと2〜30分で終着駅(ファランポーン)であろう。

@ひたすら工事中

 しかし、そこから先はひたすら徐行運転をするようになり、なかなか快走してくれなくなった。崩れかけた民家の軒下すれすれのところを、ゆっくり走って行ったりもする。
 10時29分に、バーンスーに到着した。私はこれからチャトチャック公園に行く予定であるため、ここで降りて歩いた方が時間の短縮ができるのであろうが、初めてのバンコクであるからこそ、ファランポーン駅まで行ってみたい。
 列車は進行方向を南側に変え、街中をゆっくりと進んでいく。右手には王宮の広大な敷地が見え、所々で警備兵が銃を構えているのが見える。
 さらに徐行になり、右手に大きな車両地区が見え(JRから譲渡されたB寝台車両も発見)、10時53分にファランポーンに到着した。頭端式のホームを抱える荘厳な雰囲気のある駅で、数多くの人々で賑っている。
 私は荷物を纏めてホームに降り、ハジャイでは確認できなかったため車両の編成を確認した。

【編成】
←バタワース[2等寝台][2等寝台](←ハジャイ)[2等寝台][食堂車(厨房)][2等寝台][2等寝台][2等寝台][1等寝台(個室)][荷物車][機関車]バンコク→

@厨房車と、使用後の寝具類の山

 急ぐ旅でもないため、しばらファランポーン駅構内を歩く。一番端のホームには、JRから譲渡されたB寝台車両が停まっていた。とりあえず写真だけ撮ったが、ドアが開いていたため、少し悪いとは思いながらも中に入ってみた。懐かしいままの、いつも通りの構造であったが、昨晩寝ていたのと同様の灰色のマットレスが導入されていた。
 もっと車内を詳細に探索したいところであるが、そういうのは「きちんと」乗るときのために取っておきたい。後ろ髪を引かれる思いで、その場を離れた。

@こっそり少しだけ乗りました

 ファランポーンからは地下鉄に乗り、再び北上してパホンヨーティンで降りる。目的は、チャトチャック公園にある小さな鉄道博物館である。最寄りはチャトチャック公園駅であるが、こちらの方が近いようなインターネット上の情報もあったため、詳細は不明であるが降りてみることにした。

@地下鉄の車両はシーメンス(ドイツ)製ですが、建設自体には円借款が利用されています

 駅に降りたのはいいが、大きな一般道や高速道路を越えるため、かなり右往左往した。やっとの思いで公園脇に辿り着いたが、今度は中に入る入口を探すのに苦労した。困難のうえそれを探し当て中に入る。公園の中では若い男女がボートに乗っていたり芝生で休んでいたりして、まるで井の頭公園を何十倍かに大きくしたような感じである。その中をあれこれ歩き回り、広大な敷地内の北西部に旧いSLと車両が展示されているのを無事発見した。その近くでは、タイの鉄子(?)であろうか、3人組の女性がひたすら車両の撮影をしていた。

@いつの時代の車両なのか、詳細は不明

 さて、次は肝心の博物館である。しかし、どうにもその車両の近くにはなさそうであり、半ば諦めて南方面歩き出してしまった。かなりの距離を歩いたが、博物館が見つからないどころか、今度は公園の出口すらどこだかわからなくなってしまった(今さらの情報であるが、ここはバンコクで一番大きな公園である)。
 近くにいた警察官に訊いてみたが、こういう時に限って彼は英語ができなかった。そして偶然通りかかったおじさん(ほぼおじいさん)に訊いてみたところ、幸いにも彼は英語が堪能であり、親切にも出口まで案内してくれるということであったので、それに甘えることにした。
 お名前は聞きそびれてしまったが、彼の英語が流暢であるには理由があり、これまでに何回も世界各国を旅行しているとのことであった。アメリカはもちろんのこと、日本にも数回来たことがあり(東京、京都、北海道など)、そしてソビエト連邦にも行ったことがあるという。そんなおじさんと、公園の出口までお互いの国のことや旅行先のことなど、15分ほど話をしながら歩いた。
 一旦大きな敷地内を出て道路を渡り、もう一つの公園のような敷地に通りすがったところ、彼が「これが鉄道のミュージアム」と指差すではないか。道に迷って彼に出会ったおかげで偶然にも辿りつくことができたため、ここで分かれて私は博物館を見ていくことにした。彼は親切にもそこから先の駅までの道順を英語で丁寧に教えてくれ、我々は鉄道博物館の入口で笑顔で別れた。
 博物館といっても、小さな車両や機関車などが5〜6両と、あとはどういうわけか旧いバイクや壊れたパソコンなどが無造作に展示されているだけである。しかし、まだ本格的な鉄道博物館がないタイでは、鉄道好きとしてはここを押さえておく必要はあるだろう。夏目漱石の『坊ちゃん』に出てくる車両ではないが、まさにマッチ箱のような小ささの客車もあったが、中に入ってみると寝台車のような構造になっている。しかしその大きさとなると、あまり大きくない私ですら膝を屈めないと横になれないくらいであった。
(帰国後に調べたのであるが、私が最初に歩いていた大きな公園(旧い車両を見つけたり、道に迷ったりしていたところ)は、ロットファイ(ワチラベンチャタット)公園であった。チャトチャック公園は、その公園の東側、1本の少し太めの道路を挟んで南北に長く造られた公園で、その真ん中くらいに件の鉄道博物館がある)

@博物館にある車両

 小さな小さな博物館を後にしてからは、おじさんに言われたとおりに歩き、地下鉄のチャトチャック公園駅のすぐ上にあるスカイトレインのモーチット駅へ行った。そこから市街地方面の列車に乗り込み、一旦サイアムで下車、サイアム・パラゴンのグランドフロアにあるフードコートでグリーンカレーの昼食を済ませた。
 再びスカイトレインに乗り、川沿いにあるサパーンタクシンで下車してチャオプラヤ川の高速ボートに乗る。向かう先は、やはり日本文学科卒業者としては外せないワット・アルンである。知っている人にとっては有名であるが、ここは三島由紀夫の小説『暁の寺』の舞台となったところである。もちろん、私は読んで……いないのが恥ずかしいところであるが。
 ボートは満員の客(地元民が半分と、あとは西洋を中心にした旅行客)を乗せ、チャオプラヤ川を疾走(ほぼ暴走)していった。No.8の船着場で降り、対岸へ別の船で渡ると目の前がワット・アルンである。
 タイでは一番過ごしやすい1月とはいえ30℃を少し超えていて、やはりそれなりに暑い。照り付ける太陽の中、ワット・アルンにある高い塔に登ったり、大きな布に記帳したりしてゆったりとした時間を過ごした。

@お約束観光地その1

 続いては、これは有名観光地として欠かせないワット・ポーである。3THBの渡し船で対岸に渡るとすぐであり、入場料はワット・アルンと同じ50THB、巨大な黄金の涅槃像を観たのはもちろんのこと、敷地の奥に行けばいくほど様々な仏像があるためそれらを拝み、何匹かの猫の相手をし、読経を眺めたりしながら過ごした。

@お約束観光地その2

 飛行機の出発までまだ時間があるが、たいていの観光施設は午後6時くらいで閉まってしまう。夜遅くになってまで特に行く宛てもないため、再びサイアムに戻ってパラゴンにあるスーパーで自分用のお土産(グリーンカレーの素)を買ったりし、それからスカイトレインと地下鉄を乗り継いでペチャブリ(マッカサン)へと向かった。目的は、昨年やっと完成した空港へのエアポート・レール・リンクに乗るためである。

@スカイトレインは渋滞知らず

 エアポート・レール・リンクの詳細はインターネットで調べればわかるのであえてここに詳細は書かないが、2006年に出来たスワンナプーム国際空港に合わせて2007年に高速アクセス鉄道を完成させる予定であったが、工事の不具合による路盤のひび割れなどで遅れに遅れ、やっと昨年(2009年)になって完成したものである。昨年6月からは無料での開放、その後は8月から運賃が暫定で100THBとなり、今年の1月になって正規の150THBになったばかりであり、一番高くなってから乗るようであまりタイミングは良くない。
 この列車の乗車率はかなり悪いらしく、その理由としては駅へのアクセスの悪さと料金の高さである。たしかに、同じ路盤を走る各駅停車(シティ・ライン)が市街地内部のパヤータイまで向かうのに対して、ノンストップの特急(エキスプレス)はマッカサンでしか発着せず、しかも地下鉄の駅から遠い。さらに遠いだけではなく、恰も車道のような、歩道も何もないところを歩かされるのである。私は小さいリュックだけだったからいいが、大きな荷物を引き摺っている人などは、タクシーの方に流れてしまうだろう。
 また料金にしても、各駅停車が35THB(パヤータイまで行っても45THB)であるのと比較すると、ノンストップの150THBはとてつもなく高い。さらに、空港から市内までタクシーで300〜400THB程度が相場であることを考えると、エキスプレスはマッカサンから先の交通機関の料金も必要であるから、2人以上いれば普通にタクシーを使ってしまうだろう。
 そういう事情も影響してか、駅構内はまるで工事中かのように閑散としている。僅か見える人の影は駅員や警備員であり、乗客の姿などどこにも見えない。自分の足音が響くような静寂の中、有人窓口で150THBのトークン(コインのような切符)を買い、それを投入して改札を通った。まるで私1人のためだけに、巨大な建物と駅員と係員と警備員がいるかのような錯覚になる。

@註:客はいませんが営業しています

 エスカレータを上がってホームに行ったが、3両の編成に先客は2組(合計5人)だけである。私は彼らのいない(つまり誰もいない)車両の片隅に陣取った。車内では、人の代わりにたくさんの蚊が飛んでいて、それを払うのが大変であった。

@他の乗客が見えない…

 19時00分ちょうどに、空港行のエキスプレスは出発した。すぐに快走し始めたが、とてつもなく揺れる感じがする。私が車両の端に座っていることを考慮したとしても、やはり最近できた高速鉄道レベルとはとてもいえない。もちろん、ローカル線ではこれより揺れる鉄道はいくらでもあるが、この路線は昨年開通したばかりである。
 車両はドイツのシーメンス製であるが、この揺れは必ずしも車両のせいではないと思える。昨年、クアラルンプール空港へ行く際に乗った車両は、タイプこそ違うとはいえシーメンス製であったが、日本製と遜色ないほどしっかりした走りであった。専門的なことはわからないが、工事の遅延のことも考えると、タイでは土木建築の基本的な技術自体が低いのかもしれない。
 各駅停車用の途中駅がいくつかあるが、どこも閑散としている。しかし、エキスプレスの乗客よりは多そうである。
 空港までの所要時間は約15分(タクシーに勝るのは時間だけであろう)、到着後は案内のあまり親切でないスワンナプーム空港で少し迷ってから(「←Departures」とあるのに、その先にあるエスカレータが二つとも下りになっている)、手続きを済ませ、ラウンジでタイのビールを浴びるほど呑み、復路も離陸に気づかぬままにタイ王国を後にした。

 

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system