冬空南国(鐡ネタ拾い旅)

■はじめに

 台湾へは昨年9月に訪問したばかりであるが、半年もたたぬうちに再訪することとなった。2月10日を休みにすれば4連休になるからであり、あれこれ行先を検討したがどこも高く、台湾ならばLCCを使えばそれほど高くないことが判明したため、行くことにした次第である。これで5回目の訪台であるが、冬に行くのは初めてである。
 当然のことながら、台湾各地で鐡ネタを拾うこととなる。過去4回の鐡旅でかなり網羅したつもりであったが、探してみるとそれなりにまだ残されているものがあった。
 今回拾うのは、以下のようなネタである(出発時点での予定)。

・龍騰斷橋と勝興車站訪問(廃線跡と、観光地化された廃駅)
・沙崙線乗車(2011年に開通した、台湾新幹線への短絡線)
・高雄の打狗鉄道故事館(鉄道博物館)訪問
・1往復だけ残っている客車の普快車に乗車(これはすでに2回も乗車済みであるが、やはり外せない)
・池上飯包博物館(弁当博物館)訪問(当然、有名駅弁も購入)
・旧台東駅訪問(すでに訪問済みであるが、時間調整で)
・余命幾許もない(と思われる)DR2700に乗車
・台湾最長の夜行列車である655次に乗車
・彰化扇形庫訪問(ここもすでに訪問済みであるが、時間調整で)
・鉄道ネタで有名な福井食堂で昼食

 4日間(1日目は移動だけなので実質3日間)で周れるのは、これが限度である。つい先月(2014年1月)に運転再開をした深澳線などにも惹かれたが、今回は乗りに行く時間がない。そのうち、また来る機会があるだろう(そもそも未だに阿里山森林鉄路に乗っていないし、新型特急の普悠瑪(プユマ)号にも乗っていないので、否が応でも再訪しなければならない)。

@台南駅にて(寒くても花は咲く)

■2014.2.8
 天気予報では前夜から「関東では記録的な大雪」と報じており、どうやら当たりそうな雲行きであった。朝から各天気予報サイトなどで情報を収集し、「東京は絶望的だが、千葉方面は雨かもしれない」との結論に至った(個人的独断)。飛行機が飛んでも東京を脱することができなければ意味がないので、予定を2時間以上も早めて家を出て空港へと向かった。
 成田空港到着は、飛行機が出発する4時間前であった。こんなに早く空港に来たのは初めての経験である。

@成田到着(とりあえず、大雪の首都圏を脱出)

 今年末の航空券(オーストラリア)の予約決済をネットで済ませたり、早めの昼食を摂ったりして時間を潰し、昼前になってからチェックインを済ませた。その後も待合室でネット検索をしていたが、どうやら羽田は雪が酷く、正午以降の便は運休になるということである。成田も雪がちらほらと降っているが、視界を遮るほどではなく、時折雨になったりしている。
 14時過ぎ、混雑する空港内をタキシング(機体がゆっくり走行すること)している最中に吹雪いてきて「これは…」と不安になったが、14時40分過ぎに無事に機体は宙に舞い上がった。これで一安心である(その後のニュースによると、成田も17時以降は滑走路が閉鎖され、陸上の交通機関もかなり麻痺してかなり大混乱に陥ったようであった)。

@意外と美味(那覇便搭乗時から気になっていた)

 台湾桃園には、17時過ぎに到着した。初めての第一ターミナルである。建物は旧いが、バスの切符売り場などは新しくなっており、小奇麗であった。
 約50分のバス移動で台北駅へ行き、ネット決済してある5枚分の予約票とパスポートを提出して切符に交換してもらった。
 その足で、駅弁売場へも行ってみた。いつもとは違う「北海道特色弁當」という宣伝があってかなり惹かれたが、時間的に無理(売り切れ)であり、結局いつもと同じ排骨飯にした。

@無念

 駅から歩いて5分の安宿に投宿。まだ19時過ぎであり、本当は夜市へ行って買い食いなどをする予定であったが、出発前後の雪関連の混乱で精神的に疲れてしまっている。よって、近場にあったバスターミナルで鶏の唐揚げなどを買い、コンビニでビールと台湾風おでんを買って駅弁と一緒に部屋で夕食を済ませた。

■2014.2.9
 夜中に、大粒の雨が落ちる音で何度か目を覚ました。朝、なんとか小雨になった中、台北駅まで歩いていった。
 まずは自強号で苗栗まで行くこととなる。列車は定刻の7時00分に、台北を出発した。

@「火車環島接力・百年車站巡禮」のマーク付き

 さて、半年弱ぶりの台湾であるが、今日の座席は残念ながら通路側である。人越しに景色を覗き込んだりしていたが、朝早いこともあってしばらくウトウトとしてしまった。
 なお、2014年2月現在、台湾の在来線はネットでの座席指定ができない状況にある(カード決済が終わって初めて座席番号が表示される)。「ネットでは通路側しか出ない」という都市伝説もあるようだが、そうではなく、その場の運であるらしい。ちなみに今回は5回乗車分をネット予約し、そのうち窓側は3回であった(まぁまぁの戦績)。
 列車は、8時41分に苗栗に到着した。この駅の近くには機関車などを展示している施設(苗栗鉄道文物展示館)があるため初めて台湾に来た際に訪問済みであるが、駅舎が新しくなって当時とはまったく違った雰囲気になっている。高架駅になったので、展示館へも行きやすくなったようである(以前はわかりにくい地下道を発見する必要があった)。

@イメージチェンジ

 8時53分の區間車に乗車し、三義着は9時12分。最初に旅程を示した通りここからはタクシーを使って龍騰斷橋と勝興車站へ行く予定である。しかし、目の前はかなりの大雨で、雨音がうるさいくらいである。
 旧い駅はともかく、旧い橋は「ただ見るだけ」が目的であり、せっかくならば天気の良い日の方がよい。すぐに消えてなくなるものでもないし、私も人並みに生きればあと30年以上は体が動くであろうから再訪する機会もあるだろうし…、などととうでもいいことをあれこれ考え、今回は駅だけ訪れることにした。
 目の前に1台だけあったタクシーに料金を訪ねると(田舎のタクシーは交渉制)、事前に調べたとおりの200元(台湾ドル)であったので、さっそく向かってもらった。廃線跡を沿うように走り、勝興駅まではほんの10分程度であった。

@とりあえず目標(1つだけ)達成

 駅の周辺は観光地化されており、お土産や飲食など数多くの店がある。駅舎から向かって左手(南)にはトンネルがあり、龍騰斷橋はそれを超えてさらに遠くにある。
 駅舎の前の道路は狭いため、一方通行のようである。実はタクシーを降りる際に勝興駅よりかなり手前で降ろされてしまったのだが、どうやらいったん入ると戻るのが面倒であるらしい。運転手が言った中国語の「ゾウルゥ(走路)」が聞き取れた(理解できた)からよかったものの、そうでなければ困惑するところであった。

@向こう側が見えます

 さて、タクシーの運転手は私が降りる際に名刺を渡して「戻るときはここに電話を」みたいなことを言っていたが、復路は歩いて三義駅まで戻ることにしている。というのも、この区間の線路は実質は廃線ではなく、ときおり観光列車が運行している=完全な状態で路盤等が残っているからである。グーグルマップもプリントアウトしてきてあるが、駅までは4キロ強くらいであるから、雨であることを除けばそれほど難しくはないだろう。
 往路のタクシー内からの車窓を逆回転で思い出しつつ、雨の中を歩き続けた。トンネルの近くには説明版があったりして、それなりに楽しめるものであった(普通の観光客は楽しめないであろうが)。しばらくしてとてつもない土砂降りになって後悔しかかったが、その後は小雨になって、駅に近づくころには傘も必要ないくらいになった。

@「廃線」と言ってはいけないレベル

 三義発12時15分発の列車に乗る予定であったが、橋を断念した関係で1時間早い列車に乗ることができた。しかし、そのまま新幹線(高鐡)の乗換駅である新烏日まで行っても仕様がないので、「駅弁がありそうな駅」という基準で台中で途中下車することにした。
 三義を出発してしばらくすると、長いトンネルに入る(この経路が開通した関係で、勝興駅は廃駅となった)。トンネルを抜けると、晴れてはいないが雨は完全に上がっていた。
 台中着は11時50分、まさに昼時である。駅弁売場には弁当が山のようにあったが、普通の排骨飯では面白くない(そもそも、去年春に台中駅で排骨飯の駅弁を買ったばかりである)。
 そこでふと横を見ると、肉を使用していない「素食」の弁当があったので、初めてそれを買ってみることにした。

@これはこれで美味しく頂く

 弁当はすぐに食べ終わり、それでもまだ1時間弱の時間がある。台中を観光する予定などなかったので地図などは何も持っていないが、適当に駅周辺の市場や商店街、台中公園などを散策して時間を潰した。日差しはないが、やっと台湾らしい暑さ(ビルに掲示されている温度表示によると23度)になってきた(結局、今回の旅で寒くなかったのはこの日の午後だけであった)。
 13時07分の列車で移動し、新烏日には13時15分に到着した。新幹線との乗換駅であるが、連絡通路には鉄道関係の土産物店や鉄道関係の展示、またミニチュアの乗り物などもあって、どういうわけか「鐡づくし」の空間であった。

@これら以外にもたくさんあり(私はとりあえずスタンプを押しまくった)

 13時38分に高鐵台中を出発し、高鐵台南まではたったの41分間であった(高速鉄道は私の叙述能力を低減させるのか、いつも記述が少なくなる)。
 さて、これから乗るのが在来線との連絡路線である沙崙線の乗車である。ただ単に連絡線としての意味しかないため、正直なところ「初めてローカル線に乗る」ようなワクワク感はない。そのまま高鐵に乗車していれば高雄にはかなり早着できるわけで、これに乗るためわざわざ途中下車するなど、我ながら物好きであると思う。
 車内に入って電光掲示を見たとき、台南からの接続案内が台北方面しかないのに気付いて、「なんで反対側への接続情報がないんだ」と思いそうになったが、それはお門違いである。高雄方面に行く普通の乗客は高鐵にそのまま乗っていくので、沙崙線など使うわけがないのである。

@左手に見えているのが高鐵の高架

 14時30分発の列車は、高架部分をやけにゆっくりと走っていった。そのうち在来線の路盤が近づき、それに合流。さらに数駅北上して、台南に到着した。
 その後は15時18分発の自強号で南下し、高雄には15時58分に到着した。その足で地下鉄に乗り換え、打狗鉄道故事館の最寄駅へと向かった。
 建物内にはちょっとした展示物があり、屋外には数両のSLと客車があるが、それよりも目立つのは広大な土地とそこを埋め尽くしている家族連れである。どうやら「普通の公園」として、市民の憩いの場となっているようであった。

@凧多し

 展示物を見た後は地下鉄で高雄へ戻り、安宿へ投宿した。
 ちなみに過去2回は駅から徒歩5分くらいのところにある安宿に泊まっていたが、今回はさらに安いところを見つけたのでそちらにしてみた。部屋自体は3畳くらいしかなくトイレも風呂も共用だが、大浴場であるし部屋も改修したてで綺麗であったので、次回もしまた高雄に来ることがあれば、ここでもよいと思えるレベルであった。日本のカプセルホテルよりは断然広いし、台湾のラブホ兼用のホテルの湿ったベッドで寝るよりはいいだろう。

@まぁ満足

 荷を置いてからは、高雄名物の夜市である。当初から行く予定であったが、それをさらに後押ししたのが台湾観光協会が発行している夜市の無料券(100元分)である。
 台湾観光協会では時期によっていろいろとキャンペーンをしており、気前の良い時だと空港バスの無料券や交通用ICカードなどを配布している。年明けに同協会のホームページを見てみたところ、ちょうど「夜市無料券」の配布時期であったので、いそいそと申し込んでおいた。たったの100元(約300円程度)だが、無料であればなんでも嬉しい。
 夜市をあれこれ歩き、無料券を使って50元の品を2点、自腹で100元の鶏肉を買い、コンビニでビールなどを買って部屋に戻った。

@こんなセット(締めに排骨飯も買ったので、最後は苦しくなった)

■2014.2.10
 今日も曇り空であるが、昨日よりも寒い。街頭の表示によると、8度ということである。私の幼稚な知識では、台湾は冬でも暖かいものだとばかり思っていた。
 8時過ぎにホテルを出て高雄駅へ向かい、まずは弁当売場を見に行ってみた。というのも、高雄で海鮮を中心にした駅弁があるという話を耳にしていたのだが、昨夕は見つけられなかったのである。今朝はというと、それ以前の問題でまだ営業時間になっていなかった。
 枋寮行の列車は、7両編成という意外な長さで8時28分に入線してきた。定刻の8時34分に出発。しばらくすると、雨粒が窓を伝い始めた。
 しばらく走行し、屏東からは単線非電化区間となった。しかしそれにしても、新しい高架部分がひたすら続いてく。前回の訪問時とイメージが違うので調べてみたら、昨年(2013年)に開通したようであった。

@高架駅(西勢駅)

 南州以降は旧い路盤に戻り(一部は高架もあったが)、終点の枋寮には10時36分に到着した。
 枋寮には過去2回途中下車したことがあるが、いずれも恐ろしく暑い日だったので駅周辺を少しだけ散策しただけである。今日は幸い(?)寒いくらいなので、歩いて10分弱のところにある海岸線まで行ってみたりした。
 さて昼時であるので、ここで昼食にすることにした。駅前の交差点付近に自助式(セルフサービス)の店がいくつかあったので、敢えて新しい店ではなく古い店に入ってみた(宅配の弁当を山ほど作っていたので、外れではないと勝手に想像)。
 台湾に来てから魚を摂っていなかったのでそれを一切れ取り、バランスも考え野菜も取り、結局最後に大きな鶏肉を取ってしまい、いつもの「台湾らしい」食事になってしまった。

@右手に積んである箱で弁当にすることも可能

 食後は小雨の中を適当に散策し、駅へと戻った。
 まずは、切符を買わなければならない。券売機で台東までの最安の切符(143元)を買おうとしたが、100元札が使えない機械であった。仕方なく窓口で買ったが、なんと103元であった。実はうっかりしていたのだが、今となっては数えるくらいしか残っていない普快車であるが、その運賃体系は同じ各駅停車である區間車とは違っているのである(大きな理由は冷房の有無)。…そもそも、券売機から普快車の選択を外してしまう方も問題であると思われるが。
 それはさておき、出発の20分くらい前に入線してきた「貴重な」普快車に乗り込んだ。今日は3両編成で、前2両が日本製、最後尾がインド製である。

@今日の撮影はこんな角度で

 車内にいる乗客は疎らで、今のところ3両合わせても7人だけである。所持品や様子から判断すると、鉄分多目な人4人、自転車好き2人、釣り師1人(なぜか釣竿を手入れしていたので)である。この乗車率じゃ今後の存続も危ういかと思っていところ、出発直前になって乗り継ぎ客が40人ほど乗り込んできて意外に賑やかになった(ただしそのうち30人程度は団体観光客だったが)。
 列車は、12時05分にゆっくりと動き出した。曇天(時折雨)であるが、過去は2回とも晴天だったので、これはこれで別の景色が見られてよい。
 この路線とこの車両については語れば尽きることがないし、今回もたくさんの写真を撮影したが、鐡旅でも過去2回も触れているので、今回はさっくりと省略。

@海の撮影もこんな角度で

 14時19分に台東に到着後は、26分の乗り換え時間で日本製の新型ディーゼルで運行されている自強号に乗り込んだ。これからは「駅弁めぐり」である。
 駅弁といえば池上が有名であるが、まずはその前に関山で入手することにしている。
 ディーゼルカーはウンウン唸りながら走り続けるが、その脇では高架と電化工事が行われている。所々では、列車はすでにその新しい高架に乗って走っていった。

@中央部分、細く横に見える部分が旧路盤

 15時15分に関山に到着し、駅前にある店で弁当を入手した。店舗では何種類かの弁当を売っているので、駅売りではない珍しいものにしようかとふと思ったが、やはり初めてであるので一番オーソドックスなものにした。
 15時49分の自強号で移動し、池上にはすぐに到着。まずは、歩いて5分程度のところにある池上飯包文化故事館へ行った。ここは各種弁当が買えるだけでなく、弁当関連の歴史の展示があり、また屋外には旧い車両も置いてあって飲食スペースとなっているのである。

@東急車輛製とのこと

 さて、ここでも駅弁を入手することにしている(すでに1個購入済みであるが、台湾の駅弁はボリュームが控え目なので、片方をツマミにする予定である)。ここでも変り種(魚の弁当など)に惹かれたが、やはりオーソドックスなものにした。ちなみに池上で一番有名な駅弁は駅前にある全美行であるが、すでに2回買ったことがあるので今回はパスである。
 台東へ戻る列車まで1時間以上あるので、あてもなく池上の町中を歩き続けた。
 さて、次に乗る台東行の普快車は、これまた残り少なくなったDR2700である。私は○系とか○型という列車形式には疎いのであるが、これには乗っておきたかった。大昔には光華号として台湾の特急列車の一時代を築いた車両であるが、もうかなり古くなってしまい、現在は普快車として余生を過ごすのみである。この辺りの電化工事が済めば、恐らく廃車にされてしまうのではないだろうか。
 券売機で切符を買い(この駅の券売機には「普快車」のボタンが残っていた)、ホームへと向かった。時刻表によれば、この池上で普快車が上下線で行き違うはずである。となるとDR2700が並ぶ姿を見ることができるな、と思っていたら、最初に入線してきた反対方向の玉里行は、どういうわけか旧型客車であった。

@何故?

 私が知っている限りでは、旧型客車は東沿岸を走る台東線からは姿を消したはずである(後になってネットで調べてみたら、昨秋にDR2700の一部車両に深刻なトラブルが発生し、そのため旧型客車が代用に充てられているということであった。それにしても、世の中には様々なことに詳しい人が多いものである)。
 しばらくして、私が乗るべき台東行が入線してきた。こちらは、ちゃんとDR2700であった。

@私にとっては見納め(?)の車内

 17時42分、池上を出発した。昔のディーゼルカーらしく、ガラガラというエンジン音を響かせて走り続ける(うまい表現が浮かばないのだが、最新のディーゼルは大音量でグォーンと唸っている感じがする)。1両目の前の方に座っていたが、運転席の表示によると、速度は60キロ程度、せいぜいがんばっても70キロ程度であった。
 18時少し前に、関山に到着した。18時09分発の予定であるから、かなり停車時間があるはずである。向こうのホームには玉里行のDR2700の普快車がやってきて、やっとそろい踏みとなった(離れているので両方まとめての撮影はできないが)。

@私が乗っている方

 定刻に関山を出発。次第に辺りは暗闇となり、18時46分に台東に到着した。
 さて、この後は夜行列車に乗ることになっているが、出発時間は22時30分で4時間弱もある。現在の台東駅は旧駅とは違って市街地から離れており、周りには全く何もない。待合室でじっとしているには長すぎるので、路線バスで繁華街(旧駅周辺)へ行くことにした。
 バスの時刻は事前に調べてあった通りで、19時05分のバスに乗り20分程度で旧駅近くにあるバスターミナルに到着した。旧駅はさすがにライトアップなどはされていなかったが、最低限の電灯は点いていたので、なんとか歩いて回ることはできた。

@懐かしく再訪

 そして市場や商店などを適当に散策すれば、1時間半くらいはあっという間である。
 21時前になったのでコンビニで台湾特有の茶葉蛋とビールを買い、バスターミナルの待合室で呑み始めた。1本目が終わる頃にちょうど21時20分発の最終バスがやってきたのでそれに乗り込み、台東駅には21時40分頃に戻ってきた。
 さて、あとは駅弁タイムである。ビールの残り2本と弁当2個で晩餐を続けたが、それにしても待合室内は寒風が体に沁みるくらいであった。

@あなたはどっち派?(ストロボなしで撮ったので色味が悪いです)

 今日はホテルではなく、先述したとおり夜行列車である。キョ光号(655次)は台東から反時計回りで高雄まで、台湾をほぼ一周するような変わった経路である(すべてを乗り通す人はいないであろうが)。一部の人には有名な列車であるため、きっと日本人による乗車記もたくさんあるのだろうと思って事前に調べたのであるが、意外に見つけられなかった(結局見つけられたのは、列車自体の紹介や昼間時の部分的な乗車記のみ)。寝台車がないので、興味を持ってもらえないのであろうか(斯くいう私も、寝台があれば倍の料金でも払って乗りたいくらいである)。
 座席での夜間移動は厳しいものがあるが、実はこの655次には1両だけ商務車があるのである(料金は自強号と同じ設定)。それをネットで押さえているので、夜行バスなどよりはマシであるはずである。
 出発の15分前に改札が始まったので、車両へと向かった。

@こういう席

 列車は、定刻に出発した。席は大きいが、フットレストがないのが玉に瑕である。また減光しないのと、駅に着く度にアナウンスがあるので、1時間くらいは寝つけなかった。タオルで顔を隠してアイマスクの代わりにしてあれこれ考えているうちに、どうやら寝入ったようである。

■2014.2.11
 出発直後は直前にいるディーゼル機関車がドコドコと五月蠅かったが、どこか(おそらく花蓮辺り)で電気機関車に変わったので、その分静かになっていた。5時前に目が覚めたが、二度寝するにはやはり座席ではしんどいものがあるので、結局そのまま起きてしまった。
 5時25分に台北を出発。この列車は夜行列車ではあるが、台北からの始発列車も兼ねているため、乗客の入れ替わりも激しい。台東出発時は疎らだった乗客も、夜中にふと目を覚ました際にはほぼ満席に近くになっており(おそらく花蓮などで乗車した模様)、その乗客もほとんどが入れ替わってしまった。私の隣りの2列席には台東から同じ客が乗り続けているが、彼女たちも8時02分に到着した豊原で降りてしまった。やはり、夜行としての役目はこのくらいまでが限度であろう。物好きな部類に入る私も、あと30分で降りる予定である。
 一昨日と同じ景色を眺めながら、彰化には8時37に到着した。

@お疲れさま

 駅を出て扇形庫の方に向かったが、それにしても寒くてどうにもならない(後になってネットで調べてみたら、彰化の最低気温は7度だったようである。これでは日本と大差ない。もちろん通常は違うようで、前の週の最低気温を調べてみると14〜18度であった)。
 寒さに堪えつつ歩くこと10分程度で、車庫に到着した。4年弱前に訪問した際はパスポートを預けたりしなければならなかったが、今は記帳するだけ(パスポートを見せることすら不必要)となり、かなり簡易化されたようである。
 ちょうど朝の作業時間に当たったのか、前回はピクリとも動かなかった転車台が、今回は訪問するや否や3回転もしてくれた。これはタイミングの問題であるが、せっかくなので動画や写真を様々な角度から撮り続けた。

@今日はラッキー

 20分ほど滞在し、車庫を後にした。寒いので温かいものに惹かれるし、彰化といえば肉圓で有名であるので悩ましいところであるが、今日はこれから福井食堂に行くため食べるわけにはいかない。時間が余っているので、前回訪問時に肉圓を買った店に行って覗き込んだりして時間を潰した。
 9時41分発の區間車で社頭へ行き、駅付近を適当に散策して時間調整をしてから歩いて福井食堂へ向かった。この食堂の詳細については余所様のサイトを参照してほしいが、食堂内が鉄道をテーマに統一されており、2階には資料館も備えているのである。

@外観

 10時半過ぎに店内に入り、ここの名物という鰻の定食を頼もうとすると、対応したおばさんが浮かない顔をする。かといって、「ない(メイヨウ)」というわけでもない。拙い中国語で「時間がかかる?」と訊いたら、そうではなく、掛かっている値段の札を指差して「250元」と言うではないか(伝票の価格は180元だったので、さらに値上がりしたようである)。日本国内でうなぎの高騰が問題になっているが、どうやら台湾でも同じようである。
 出せない金額ではないが(せいぜい800円弱)、物には相応というものがあるし、なにもうなぎ不足のご時世に無理にそれを食べる必要もない。おばさんが他のおすすめ(鶏の足)を示してくれたので、素直にそれにすることにした。

@表面はカラッとしている

 食べた後は、2階にある「鐡道文物館」の見学である。展示物は雑多ながら多種にわたり、個人レベルで蒐集したものとしてはかなりの充実度合であった。日本の鉄道の行先票である「福井」が置いてあったりしたが、あれは誰かが寄贈でもしたのであろうか。
 さて、まだ時刻は11時であるが、後は大人しく帰国するだけである。區間車で員林まで行き、そこから自強号で桃園まで北上し、路線バスで桃園空港へ。夕方の飛行機に搭乗して、順調に行っても部屋に着くのは24時直前である。近場の台湾であるが、海外だけあってそれなりに遠いものである。
 …という感じで終了するはずであったが、航空会社の都合でフライトが遅れてしまい、成田着時点ですでに24時であった。「難民確定」ということで、毛布をもらってからは寝床となる場所(椅子)を確保。幸い第2ターミナルであり24時間営業のコンビニがあるので、そこで「超セブンイレブンセット」を揃えて、今回の旅を締めくくるチープな晩餐を行うこととなった。

@自棄で(家でもやったことがない組み合わせ)

 

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