台湾鉄路、「落穂拾い」の旅

はじめに
 昨年の春、台湾を訪問して1週間以上の鐡旅を行った。その直前にシンガポールに行ったが、本格的な海外旅行は私にとって初めての経験であった。反時計回りに一周したりいくつかの支線にのったり、また列車についても自強号からキョ(草冠に呂)光号、復興号から旧型客車により普快車まで色々と乗車している。
 しかし、それでもまだまだ手の付けていないところは多々ある。9月末の三連休、高値の交通費を使ってまで出かけるつもりもなかったが、かなり早めに予約をすればそれなりの値段に収まることがわかったため、往復の航空券だけを予約しておいた。
 今回の旅程でも落穂は拾いきれないが、大枠の旅程は以下の通りとなった。

初日:午後の飛行機で松山空港へ。淡水の街並みや夜市などで時間をつぶす。
2日目:台北→花蓮(落穂1:前回乗車できなかったタロコ号で)。花蓮の市街地にある「鉄道文化園區」を見てから、駅前にある車両展示を見学(落穂2:前回は2回も花蓮に行ったのに、なぜか見落としていた)。自強号で台東へ移動し、そこからは残り少なくなった旧型客車の普快車で枋寮へ、そこから先はキョ光号で高雄へ行き宿泊。
3日目:高雄近郊の左營より、台北まで台湾新幹線で移動(落穂3)。夕方の飛行機まで時間があるため、烏来にあるトロッコ列車に乗る。

 在来線を運行管理する台湾鉄路管理局については、今はインターネットでの予約・決済が可能となっている。さっそく発売日である2週間前に画面に向かったが、すぐに取れたのは花蓮→台東の1枚だけであった。予約は朝6時(日本時間7時)から可能であるため、毎朝、凝りもせず何回もチャレンジしたところ、1週間前にタロコ号が取れ、その後も毎日同じことを繰り返し、出発日の前日に枋寮から高雄までのキョ光号を手に入れることができた。何事も、継続が重要である。

@残り少なくなった旧型客車

■2011.9.17
 午前中の便が取れなかった(というか高かった)ため、出発は13時30分である。家でテレビを見ていても仕様がないため、無謀にも歩いて羽田空港まで行ってみることにした。少なくとも、奥まった場所にある国内線ターミナルよりは楽なはずである。
 品川区にある自宅から歩くこと約2時間、かなり暑くて難儀したが無事に国際線ターミナルに到着した。
 カウンターで手続きをすると、「確認しますので少しお待ちください」と来た。このパターンはインボラ(航空会社都合によるアップグレード)の可能性大である。さらに「お連れ様はいらっしゃいますか?」など訊かれたため、これはもう確実である。そわそわしながら(そう思っていることがバレないように何でもないようなそぶりで)5分ほど待たされ、ビジネスクラスの搭乗券を手渡された。最安の料金で予約しているため、申し訳なさ半分とうれしさ半分である。

@ごちそうさま

 レベルの高い食事をアテに酒を飲みつつ、意味もなく椅子を倒して横になり、松山空港へは3時間10分ほどのフライトであった。搭乗時間は前回と大差ないが、桃園であった去年との違いはその後の移動時間の手軽さである。松山空港はMRTが通じているため、悠遊カード(ICカード)を自販機で買い、台北へと向かった。

@悠遊カード

 台北駅でまずやるべきことは、決済した切符を発券してもらうことである。そうするためのフォーマットもネット経由で印刷できるようになっているため、それを提出するだけである。これまでのように、紙に行先やら枚数やら(○○→○○、1張、全票、単程)を書かなくて済むし、使えない中国語を無理して話す必要もない。
 発券後は、去年も利用したホテル(最寄りは地下鉄の中山であるが、台北からも15分程度で歩ける)へ行き、荷物を置いて身軽になって淡水へと向かった。特に目的はないが、海辺を適当に見て賑やかな老街を彷徨うだけである。彷徨った後は、地下鉄の劍潭で降りて、有名な土林夜市にある美食市場に行ってみる。場内は大混雑で、せめて大?排(大きなフライドチキン)でも買って帰ろうと思ったが、某有名店は30メートルくらいの長蛇の列である。そこは諦め、近くにあった店(それでも10人ほど並んでいた)で1枚買ってホテルへと戻った。

@淡水の海辺

■2011.9.18
 7時前にホテルを出て、台北駅まで地下鉄の上(遊歩道になっている)を歩いていく。台北の駅構内は改装中であり、駅弁屋や鉄道グッズの売っている店もどこかへ行ってしまっている。
 まず乗るべきは、タロコ号である(詳細な薀蓄は余所様のサイトにお任せする)。区分としては自強号の一種であるが、日立製の最新式の“振り子式”列車であり、現地でも人気を博している。また他の自強号のような立席券がないため、指定席が取れないと乗車することができない。
 私が乗る列車は台北始発ではなく樹林からやって来る。列車は7時15分頃にホームに入線してきた。

@タロコ号

 さっそく乗り込み、宛がわれた座席へ行く。元からわかっていたが、今回の旅程でこの列車だけ通路側の席になってしまっている。隣りの窓側には恰幅の良い男性が座っていて、どうやら添乗員のようで時折席から立ち上がってはいくつかのグループのところに行って話をしたりしている。
 定刻の7時20分に台北を出発した。8両編成の車内は満席で、タロコ渓谷にでも行くのであろうか、若者たちのグループも楽しそうに話し込んでいる。しばらくはビルの多い街中を走り続けるが、七堵を過ぎると木々も多くなり、次第に振り子の実力を発揮し始める。車両はさすがに日本で乗り慣れた感覚ではあるが、汽笛の音だけが「ポー」という感じで安っぽい気がしてならない。
 見えにくいながらも外の景色を眺めつつ、さてそろそろ左手には海が広がって、と考えていたら、窓のシールドを下されてしまった。しかも隣りだけではなく、車両内の私から前方ほとんど(しかも左右とも)閉められてしまい、外の景色を見ることができなくなってしまった。
 外の雰囲気はうっすらと判別できるため、海らしきものが左手に広がったり、山岳らしきものが右手に聳えるたびに、デッキへ行って出入口にある窓からそれらを眺め続けた。

@デッキより

 右手にある山岳の険しさが増し、短いトンネルをいくつか抜け、左手から廃線となった路盤が合流してしばらくすると、この列車の終着である花蓮であり、到着は定刻の9時25分であった。

@定刻

 前回来た時も散策した花蓮の町であるが、今回も炎天下の中歩くことになる。地図を片手にひたすら歩き続けること約40分、なんとか鉄道文化園區を発見した。インターネット情報では日曜休館とありダメモトで来てみたのだが、有難いことに開館していた。

@展示の一部

 展示資料等を見てからは、また歩き出す(直射日光はつらいため、ビルの1階部分が歩道になっている個所を探しながら歩く)。駅へと戻り、どういうわけか前回は見過ごしてしまった駅近くに展示されている車両を見学する。SLや貨物車は残っていたが、客車については移転されていた(鉄道文化園區の方に、より本格的な施設ができるそうで、その準備のためらしい)。

@展示車両

 続いては駅弁である。駅でも購入可能だが、花蓮の場合は駅前(と言っても広場が大きいため少し歩くが)に駅弁屋あがり、できたてのものが購入可能である。そこへ行き、心惹かれたものを購入し、駅へ戻って構内でいただく(せっかくの出来立て、出発まで待つこともないだろう)。

@鶏肉は箸で崩せるほどの柔らかさ

 駅の窓口近くで旅のスタンプを押してから、ホームへと向かう。これから乗る自強号は新左營行のディーゼルカーであり、3両編成が3つ連なり合計9両編成である。すでに入線しており、幸いにも日の当たり難い側の窓側であった。

@ディーゼル自強号

 定刻の11時37分に、ディーゼルカーは車体を唸らせながら出発した。比較的多くの駅に停まる自強号であるため、各駅で復興号やキョ光号とすれ違っていく。目の前に広がる田園風景をぼーっと眺めていると、車内販売がやってきた。思えば、台湾では初めての車内販売のような気もする。特に何かを買う気はなかったが、台鉄とコラボしたミネラルウォーター(柄に列車が書かれている)があったため、うっかり買ってしまった。

@中身はただの水

 田んぼだらけの風景というのは日本にもよくあるものだが、大きな違いはヤシの木畑やバナナ畑が混ざっているという点である。駅弁で有名な池上周辺も、当然田んぼだらけである。この駅は立ち売りの駅弁売りがいるため彼らから直接買いたいところだが、しかしお腹はあまり空いていない。池上に近づき、出入口付近に立ち売りがいれば買ってみようかと思ってドアまで行ってみたが、列車が長編成のため彼らは前方の車両近くにしかいなかった。

@田んぼ(手前がバナナ)

 長閑な東岸の旅が終わり、台東着は14時18分。乗り換えで1時間以上の暇があるが、この駅は市街地から離れているため近場には何もない。駅構内の観光案内を眺めてから、台東名物である釈迦頭(果物。お釈迦さんの頭の形に似ていることから)のアイスを食べる。本物も売っているが、一人旅では持て余してしまうだろう。

@釈迦頭アイス

 ここから枋寮までは指定が必要ない普快車のため、自販機で切符を買う。日曜の夕方であるため駅構内は乗客で大混雑であるが、そのほとんどは自強号などで高雄や花蓮方面に行く人たちであり、自販機で普通列車の切符を買っている人はほとんどいなかった。
 構内には売店もいくつかあり、左手の奥まったところでは池上弁当を買うことができる(他の売店でも「池上」の名前を使った弁当を売っているが、それらは駅売りの有名なものとは違うものである)。夜用として、1つ買ってホームへと向かった。

@案内板には、なぜか台湾カラーの0系新幹線が!(本文とは関係ありません)

 台湾内で旧型客車を使用した普通列車は、今はこの南廻線の2往復だけになってしまっている。今月(2011年9月)の末に時刻改正がある予定で、その後は1往復に減らされる運命にあり、もう余命幾何もない状況である。前回も逆方向で乗ったが、この手のものはあるうちに何度でも乗っておかなければならない。
 編成は2両のみであり、当然クーラーなど付いていない。普快車で使用されている旧型客車にはインド製と日本製とがあるが、今回は2両とも日本製の「SPK」であった。ドアは自動ではないため走行中も開けられるし、車両後方は細い手すりが1本あるだけで、転げ落ちればあの世行きである。

@後方から

 乗客は2両合わせて10人程度で、そのうち半分くらいはカメラを片手に右往左往している(つまり“専門”の方)。ホーム上の温度計は34度を示しており、この車両に乗るにはまだまだ辛い季節である。旧式の扇風機が天井で回っているが、走り出さないことにはいかんともしがたいほど暑いため、ホーム上で出発時間を待った。

@車内の様子

 15時30分に台東を出発し、ボロい客車は各駅へちまちまと停まっていく。ちらほらと乗客も増え続け、20人くらいまで増えていった。左手には海が見え始め、路盤が高台にあるため遠くまで澄み渡った青い海原が広がり続ける。

@窓から顔を出して

 金崙を出発しようとした際、乗ろうとしている客がまだ駅にいるということで急ブレーキがかかり、数分待ってから出発した。ローカル線ならではである。
 左手にあった海が見えなくなると、峠越えのためにトンネルをいくつも抜けるようになる。SLではないから煤煙を気にする必要はないが、機関車の爆音がトンネル内に響くため耳栓が欲しいくらいである。古莊から先はさらにローカル色が強くなるが、それまで単線だった路盤はここから複線になった。しかし、すれ違う列車は皆無である。

@後方が見渡せるのでこういう写真も

 17時02分に枋野に着いたが、ここは正式な駅ではなく信号場である。よってホームもないが、なぜかここで1人の客が乗ってきた。駅員もそれを容認している。

@信号場から乗る人

 峠を抜けて人けのある街並みが近づき、養殖の池が多くなり、陽も少し傾きかけたところで、17時30分に枋寮に到着した。昨春に散策した駅付近の景色が懐かしい。
 駅のホーム上は工事中であり、特に柵もないためどこを歩いていいかわからない(日本ではありえない状況である)。ほどなくしてやってきたキョ光号に乗り込むが、指定券の手配に一番苦労しただけあって、すでに車内は120%くらいの乗車率である。私の席にも立席券の乗客が座っていたが、切符を見せるとすぐにどいてくれた。

@白線の後ろに…下がれません

 高雄方面に進むにつれて乗客は増え、しまいには通路いっぱい、おそらく150%以上のすし詰め状態になってしまった。しかも、走る速度は普快車以下のノロノロ運転である。走行している路盤の近くには建設中の高架もあるため、あちらが完成すれば状況も変わるのであろう。18時過ぎには日も落ちて景色も見えなくなり、定刻より少し遅れた19時10分に高雄に到着した。
 前回も利用した駅近くの安ホテルに投宿する。夜のツマミは、六合夜市で買い集めた品々(大きな焼き鳥、カキと卵などの包み揚げ、小龍包など)である。

@結局、去年と同じ店で買ってしまった

■2011.9.19
 高雄から左營まで地下鉄で移動し、高鉄の駅へと向かう。いったん外に出るが、思わず見上げるほどの巨大なターミナル駅である。まだまだ新しい駅構内を散策して、スタンプを押したりする。

@新しいターミナル

 ホームに降りてみたが、出発までまだ20分ほどあるため車内はまだ清掃中であった。先頭まで歩いてみたが、端(台北方面)にある自由席車両の入口には多少の乗客が並んでいた。日本の「のぞみ」で見慣れた形式の車体であるが、日本ほど洗車はしていないようで、白地の部分が水焼けのように斑に赤茶けている。

@自由席に並ぶ人も

 ほどなくして清掃も終わり、車内に入ることができた。事前に予約した席は商務車(グリーン車)であり、台北までの料金は1950元である。かなりお高いが、円高もあり、5000円程度で東京から名古屋くらいの距離に乗車できるわけであるから、そう考えれば安いとも言えるだろう。

@商務車の座席

 定刻の7時30分に出発したが、路盤の線形や騒音対策のために最初は遠慮がちな日本の新幹線とは違い、こちらはすぐに本気で走行する。
 さて、走り始めてしまえば、あとはぼんやりと景色を眺めるだけである。ほどなくすると女性の乗務員が、商務車用の無料サービスであるお菓子とケーキと飲み物を配りに来た。それを飲みながら、読めもしない車内誌をめくってみたりする。

@サービスの品々

 少しスピードが緩くなり、短めのトンネルを抜け、台中には8時12分に到着した。ホーム上にはかなりの乗客が待っており、商務車の乗車率も8割程度になり、私の隣りにもサラリーマンらしきスーツ姿の男性が座った。
 定刻の8時15分に台中を出発し、再び高架を快走し続ける。台北が近づくと地下に潜り、終着駅に到着したのは定刻より心なしか早めの9時05分であった。

@にゃー!(旅行記とは関係ありません)

 羽田に戻る飛行機の出発時刻は16時45分であるため、近場の観光地に行くことができる。そこで路線バスで烏来まで行き、以前の森林鉄道を使用したトロッコ列車に乗った。温泉街も味があり、暇があれば1泊してのんびりしてもよさそうなところであった。

@こんなトロッコ

 出発前に確認した限りでは連日雨続きの天気予報であったが、実際は快晴続きであった。今回はいくつか「落穂」を拾ったが、まだまだ乗り残している支線もあるし、そもそもあの「阿里山森林鉄路」がまだ残っている。また、拾いに来なければならないだろう。

 

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