【第三セクター応援鐡旅H】北海道編

■はじめに
 第三セクター鉄道を「鉄印」「(食べ物などの)消える系グッズ」「その他(駅弁等)」で応援するシリーズであるが、今回は北海道の1社のみ(道南いさりび鉄道)である。一昔前(と言っても15年も前であるが)であれば、ちほく高原鉄道も対象になったから結構な旅程になったが、今は1つだけなので、単純にそれだけを訪問するのでは面白くない。そこであれこれと考えて、今回はバス旅をメインにしてみることにした(鉄印は「おまけ」的に)。
 使用する切符は、「江差・松前周遊フリーパス 〜千年北海道手形〜」である。2日券であれば、3,000円で乗り放題の切符である。函館から江差までバス片道で約1,900円するので、単純往復でも元が取れる品である。
 バス旅と言っても、私が実施する旅行であるから、駅跡や廃線跡など、鐡ネタが中心になることは当然である。

@五稜郭駅にて

■2021.9.24
 7時50分の便で羽田を立ち、函館空港へ。9時30分頃に空港を出発するバスで函館駅へと向かった。さすがに北海道だけあって、関東では「残暑が」ということで30度近い気温であったが、ここでは長袖でも少し肌寒いくらいである。
 まずは駅前にある函館バスの営業所に行き、上述したパスの入手である。3,000円を支払い、無事に購入した。

@こんな切符(記名式の部分は隠してある)

 江差行のバスが出発するまでまだ15分くらいあるので、函館駅に入って適当に売店などを見ていると、道南いさりび鉄道の券売機に、一日券(いさりび1日きっぷ)が隣接するホテル「JRイン函館」で買えると書いてあるではないか。明後日に五稜郭駅で買えばいいのだが、早めに買っておくと安心であるため、せっかくだから入手しておくことにした。
 早速ホテルのカウンターに行ってみると、待ち構えていたのはたくさんのヘッドマークであった。これは「拾い物」である。

@早速撮影

 懐かしい快速「海峡」などはもちろんのこと、運行本数の少なさから現役時代すらほとんど見たことのない「エルム」まであり、感慨一入である。
 カウンターで切符を買い、駅前バス乗り場へと向かった。
 バス旅の第一番手は、10時09分発の江差行である。

@これから始まる

 定刻に駅前を出発。函館市内では数人の乗降があったが、新函館北斗駅以降は私を含めても乗客は3人だけであった。
 次のバスへの乗り継ぎ場所は「江差ターミナル」であるが、ターミナルは町外れの寂しい場所にあり、周囲に何もない。ということで、「南が丘通り上り口」というバス停で降りてみた。そこから5分ほど歩き、目的地は江差駅跡である。

@駅跡

 駅舎は完全になくなってしまい、残っているのは駅名標とレールの一部だけであった。
 旧駅前ロータリー付近にあるバス待合所に江差線の資料が展示されていたので、それを見てからバスの江差ターミナルまで20分ほど歩いて向かった。
 しばらくしてターミナルに到着したが、かなり古い建物で味わい深いものであった。あれこれ気になるものがあったが、やはり一番気になったのが路線図であろうか。これから原口までバスに乗るが、小砂子と原口の間が繋がっておらず(トンネル開通前?)、江差線も残っている。なお、松前線の部分については、消した跡がうっすらと残っていた。

@昭和の終わりくらいの状況?

 13時26分発の「原口漁港前」行に乗車。定刻に出発したが、乗客は私を含めても2人だけであった。
 しばらくは旧江差線に沿うように南下し(朽ち果てた鉄橋も散見)、大留(旧上ノ国駅)からは海沿いに走り続ける。ここを走るのは、恐らく22年前に大型バイクでツーリングして以来である。
 それにしても、首都圏はコロナ禍であれこれ混乱しているが、この辺まで来るとかなり様子は違う。運転手などはマスクを一応しているが、道路工事の人などはほとんどしていないし、最近はロープで区切られて座れなくなっているバスの最前列にも着席可能である。

@景色も長閑

 ひたすら海に沿って走り続け、小砂子トンネルを抜けて幹線道路から外れて海際まで降り、14時30分に原口漁港前に到着した。それにしても、長閑で静かな集落である。
 ここから松前方面に乗り継ぐバスが1日に2本しかないため、今日の旅程はこれに合わせた感もある。14時45分、その「松前出張所」行のバスに乗り込んだ。

@今日3本目

 せっかくなので、久々に最前列の席に座った。なお、「こんな小さい集落から乗る人はいないだろう」と思っていたのだが、始発時点で私以外にもう1人おばさんが乗ってきた。
 今日明日でかなりの本数のバスに乗るが、今乗っているバスだけは少し毛色が違い、「大漁くんバス」と名付けられていて、どこまで乗っても100円である。恐らく地域振興が目的なのであろうが、函館バスも慈善事業者ではないので、それなりの補助金が出ているのであろう。

@全部100円なら整理券も不要では?

 15時31分、松前出張所に到着した。ここでしばし待ち、15時45分発の木古内方面行のバスに乗り込んだ。
 今日の宿は松城バス停が最寄りであるが、そこまで行かず、手前にある「博多公宅前」というバス停で下車した。目的は、松前駅跡の訪問である。
 廃線後まだ5年の江差線と比較して、こちらは33年も経過しているため、遺構らしきものは皆無であった。

@碑があるのみ

 駅前には「観光案内所」と書いてある廃墟もあったので、「大昔はここが町の玄関口だったのだな」と思わせる雰囲気は残っていた。
 歩いて中心部へ向かい、道の駅に寄り道してから旅館へ投宿した。いつもは安宿ばかりであるが、今日は奮発して「あわび・まぐろ」付きの16,500円コースである。
 夕食時は焼酎のボトルも注文し、酔っぱらってから就寝。

■2021.9.25
 今回の予約プランには朝食も付いているが、まずは散策である。

@海も奇麗

 城には入れないが(そもそも緊急事態宣言により、今月中は閉鎖)、城周辺にある寺や神社、書家たちの石碑などを見てから旅館に戻り、朝食を頂いてからチェックアウトした。松城バス停に向かったが、バス待合所自体がプチ武家屋敷風である。
 さて、今日の旅は8時44分発のバスからである。

@今日もバス旅

 奇麗な海を見るのであれば右側に座るべきであるが、廃線跡を探すのであれば主に左側である。ということで、左側に陣取ることにした。
 松前線の路盤跡はあまり海際ギリギリにはなくて、どちらかというと内陸側に多いが、それでも時折遺構を見ることができた。

@鉄橋の土台

 千代の富士の故郷である福島などを過ぎて、9時58分に知内出張所で下車した。このまま木古内まで行っても待ち時間が長くなってしまうためでもあるが、ここが旧駅跡であるというのも下車した理由である。
 ただし、遺構のようなものは皆無である。唯一、駅名標(復刻?)が掲示されているだけである。

@何もないより良い

 10時08分発の函館方面行のバスに乗り、木古内へ。10時26分到着。これから乗る江差方面行のバスは11時07分であるため、少し時間がある。ということで、昨年訪問済みの道の駅などを見て回った。
 それにしても、木古内にはこの10年以内で何度も来ている。旧駅舎がなくなり、食堂「急行」の店主も亡くなり、江差線が廃線となり、新幹線が開通し、だんだんと町の雰囲気も変わってきているようである。
 11時07分発のバスに乗り込んだが、超小型バスである。

@こんな感じ

 定刻に出発したが、乗客は私1人だけである(なお、今朝松城から乗ったバスは、数人とはいえ乗客がいた)。
 それもそのはず、国鉄からJRになった時点で、江差線の木古内以西よりも松前線の方が乗客は多かったのである。江差線は途中の木古内までが青函トンネル開通によって幹線となったため生き残り、松前線は単独ではノルマを達成できなかったのである。もし松前線の定義が五稜郭からであれば、JR発足時に江差線が廃線になっていたはずである。
 現状の需要としても、江差町民で函館に行きたい人は北周りの直行バス(昨日私が乗ったバス)に乗ればいいので、遠回りして木古内を経由する必要はない。ということで、江差と木古内を行き来するという、かなりの少数派だけを対象としているに過ぎない。
 廃線となった路線の代替バスでもあるため、バスは小さな集落にも寄り道していった。

@神明駅跡(バス停の左後ろが路盤跡)

 なおバスになったことにより、小回りも利くようになっている。廃線前にこの路線に乗った際には、湯ノ岱で下車して温泉施設まで歩いて行ったが、今は温泉施設にもバス停ができている。
 その湯ノ岱を過ぎると、左側に廃線跡がちらほらと見えるようになってきた。

@その一例

 その後、上ノ国の街中で1人乗客が増えたが、大留で私と一緒に降りてしまったので、バスは運転手だけになって走り去っていった。
 大留は先述した通り上ノ国駅があったところであるが、駅跡は工事中であった(大きな施設ができる模様)。近くにスーパーがあったので夜用食材を買い、12時55分発の木古内方面行のバスに乗り込んだ。
 往路と同じルートであるが、湯ノ岱で5分ほど停車時間があったので降りてみた。バス待合所や消防などの複合施設が新たにできており、残念ながら駅やレールなどはすべてなくなってしまっていた。

@残り香なし

 その後もバスは走り続け、14時12分に木古内駅前に到着した。3分の乗り継ぎで、函館方面に行くバスに乗り込んだ。定刻に出発し、奇麗な海を眺めつつ、15時30分頃に函館市内で下車して予約済みの安ホテルに投宿した。
 なお、この2日間のバス代を定額で計算すると7,880円になる。さすがにこんなバカな乗り方をする人はいないと思うが、江差や松前の単純往復でも元は取れるため、お得な切符であると言えよう。

■2021.9.26
 さて、3日目にしてやっと旅行記のタイトルの内容(第三セクター応援)である。ホテルから歩いて五稜郭駅へと向かった。ここで、一昨日に買った切符の出番である。

@乗り放題

 五稜郭から木古内までの正規運賃は980円であり、それよりも安い700円である。なお、この価格設定(補助金利用)は今月いっぱいまでであり、その後は1,000円に戻るが、それでも充分にお得であろう。
 改札を通り、今日はまず6時56分発の木古内行からである。奇麗な茶色に塗装されているが、中身は国鉄時代のキハ40系である(道南いさりび鉄道の車両は、他にも緑や黄色、旧国鉄色やJR色に塗り替えられている)。しかし、見た目は奇麗であるが、いつまでもキハ40系を使うわけにもいかないので、そのうち新車が必要であろう(その際は、ぜひロングシートにならないことを願う)。

@お色直し済

 1分遅れで五稜郭を出発。昨年度に「ながまれ海峡号」に乗ってあれこれ観光アナウンスを聞いたので、それを思い出しながら沿線風景を眺め続けた。
 このまま木古内に行ったのでは芸がないため、7時26分に到着した茂辺地で下車した。目的は、近くにある「茂辺地北斗星広場」である。寝台特急「北斗星」の車両が2両係留されている公園であり、一度来てみたいと思っていた場所である。

@ありました

 保存されているのは嬉しいが、数年も野晒しであるため塗装がボロボロである。近くにあるカフェの売り上げが保存資金になるようなので買ってあげたいが、コロナにより休業中である。
 なお、この施設は「宿泊もできる」ことを目的として整備されており、本来であればもう泊まれるようになっているはずであったが、コロナ禍により中断されている。「動かない列車に乗る」シリーズを実施している私としては、宿泊可能となれば再訪必須である。
 さて、途中の上磯までは1時間に1本くらいあるが、上磯以西は2時間に1本くらいしかない。かと言って、ここで2時間30分も待つのはしんどいので、渡島当別方面に歩くことにした。
 ひたすら歩き続け、1時間40分ほどでトラピスト修道院に到着した。まずはソフトクリームである。

@濃厚

 ここには9年くらい前に来たことがあるし(寝台特急「日本海」の臨時列車に乗って青森まで来たついでに)、大昔(30年弱くらい前)には往復はがきで申し込んで院内を見学したこともあるから、色々な思い出がある。
 修道院を後にして、渡島当別駅へと向かった。やって来たのは「ながまれ海峡号」カラーの列車であった。

@再会

 車内の装飾やテーブルが外されているが、まぎれもなく昨年度に乗った車両と同系統である。
 しばし走り、木古内には10時14分に到着した。折り返しまで1時間ほどあるが、何度も来た(昨日も来た)木古内である。駅にあった地図と相談し、佐女川神社と「木古内の坊」を訪問した。
 駅に戻り、11時16分発の列車で五稜郭へ。12時11分に到着。さて、やっと本題の鉄印である。

@最北の鉄印

 よくよく見たら、木古内の佐女川神社のものであった。
 続いては、食べ物などの「消える系」グッズである。売店内を探して、クッキーと五勝手屋羊羹、きびだんごを購入した。日本酒などがあれば速攻買ってしまうが、残念ながらないようであった(大吟醸「ながまれ」なんてあったらたぶん買うので、木古内駅近くにある酒蔵と組んでみてはどうでしょう、と勝手に提案)。

@大量

 その後は歩いて五稜郭付近まで行き、路線バスで函館空港に向かって帰るだけである。

 

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