船で行く韓国盲腸線の旅

■はじめに
 韓国への鐡旅は2回行ったことがあり、韓国内のかなりの割合の鉄道に乗車済みである。しかし、いくつかの盲腸線には未乗であるため、今回はそれを乗りに行くことにしたい。
 まず1つ目が、三陟線である。この路線には定期列車がないため本来なら乗車することはできないのだが、「海列車」という観光列車があり、それに限って三陟線に入り終着の三陟まで行ってくれるのである。
 そしてもう一つの盲腸線は、同じく東海岸にある浦項への支線である。終着駅は工業都市である浦項であり旅情はあまりなさそうだが、今回はこれも制覇しておきたい。
(双方は数年後に「東海中部線」としてつながる予定のようだが、それを待たずに行くことに意義(?)があるのである)
 ここで問題になるのが、列車の予約である。韓国内の鉄道はKORAILのホームページで予約・決済ができるが、海列車は観光用の専用サイトで予約し、さらに韓国内発行のカードなどで決済しなければならないのである。
 仕方がないので、乗車当日に東海駅で手に入れる他はない。出発直前まで専用サイトで残席の確認をしていたが、いくらかは席が残ったままである。それが売り切れないことを願うしかない。

 さて、韓国へのアクセス方法であるが、日本国内は敬老の日による三連休で、航空券はとてつもなく高くなってしまっている。よって今回は、往路はフェリー、復路は高速船を利用することにした。鉄道や船の良いところは、きちんと手配すれば繁忙期でも値段はあまり変わらない、という点であろうか。

【当初考えていた旅程】
1日目:羽田空港→米子空港(境港、美保関観光)、夜にDBSフェリー乗船(境港→東海:船内泊)
2日目:午前中に東海港着。海列車の切符手配後に三陟へバス移動。三陟→正東津(海列車)、正東津→慶州(ムグンファ号)。慶州泊。
3日目:慶州⇔浦項(ムグンファ号)、慶州→釜田(セマウル号)、釜山→博多(高速船ビートル)、博多空港→羽田空港。
(台風のため、3日目の旅程は変更することになった)


@海列車(正東津駅にて)

■2012.9.15
 本日の予定は、境港へ行くだけである。3連休であるので国内航空券も安くはなかったが、2か月以上前に安いチケットを押さえておいた(決済した後になって「サンライズのノビノビ座席にすればよかったか」と思ったが、後の祭りである)。
 朝一便の米子空港行へ搭乗し、到着後は100円バスで境港駅へ。鬼太郎関係の像が数えるほどしかなかった頃(15年前)に初めて訪問した地であり、その頃は地味な商店街だったが、今はもう立派な大観光地である。何かにつけてよくここには来るが(隠岐等への旅行や仕事で)、その度に何かしらが増えている。町も大賑わいである。
 ここで夕方まで時間を潰すわけにもいかないので、まずは歩いて対岸の町へ渡る。バスはあったが、それだと早く着きすぎるのと、境水道大橋を歩いて渡ってみたかったからである。

@高所恐怖症の人は避けた方がいいかも

 歩くこと1時間と少し、目的地は「まつや」という食事処である。実は以前に宿泊(民宿も経営している)したことがあり、海鮮づくしの食事をもう一度味わおうとしたためである。

@海鮮丼

 その後は、コミュニティバスで美保関へ。炎天下に晒されながら、神社や旧い街並みなどを散策する。前回の訪問時も寂しい印象しかなかったが、それでも、新しい展示施設なども造られていて、若干の違いはあった(美保関町が松江市に編入された影響であろうか)。
 バスで戻り、再度橋を歩いて渡って境港へと戻る。途中、急に雲行きが怪しくなり、強烈な落雷と大雨になってしまった。個人商店の軒下に佇んでいると、店の人が中に入って避難していけという。せっかくなので、それに甘えることにした。店内を見てみると、惣菜なども売っている店である。お礼といってはなんだが、夜用の食材をここで仕入れることにした。

@こういったもの(お礼を兼ねて写真アップ)

 雨が弱くなってから駅へと戻り、近場のスーパーでワインなどを仕入れる。その後はDBSフェリーの無料送迎バスでターミナルへと向かった。ターミナルといっても、プレハブのような建物でとても国際線ターミナルぽくはないが、それは大きな空港と比較した感想である。稚内の国際フェリーターミナルに比べたら、その4〜5倍の大きさはあるだろう。

@ターミナル

 しばらく待合室に座り、窓口が開くのを待つ。簡易の両替商もあり、手持ちのウォンが8万くらいしかなかったので、ここで少額だけ替えておく(1,000円→12,000ウォンという塩梅でレートはよくなかったが、東海港の両替商が閉まっていたというブログを何件か目にしてたため)。
 その後は開いた窓口で切符を購入し、出国の手続きをして船へと向かう。今回予約しておいたのはセカンドクラスで、ベッドの部屋である。薄いカーテンだけだが、プライベートは保てそうである。まずは、船内の風呂で今日の汗を落とした。
 18時55分、船体が揺れ始めたので外へ出てみると、定刻の5分前だというのにもう動き出してしまっていた。見送りなどは誰もいない(正確に言うと港湾係員2〜3名はいる)が、遠くなりつつある港を見届ける。

@こういったスペース

 その後は食材と酒で自室内で酔いどれて、寝るだけであった。

■2012.9.16
 船内の掲示板には、日の出時刻が6時03分とあった。それに合わせて5時半くらいに目を覚ましたが、残念ながら雨模様で、お日様は拝めなかった。
 船内の言語は、韓国語80%、英語15%、日本語5%といった塩梅である。英語が聞こえてくるのは、船員の多くが東南アジア人だからである(社員ぽい女性は韓国人だが、荷物を運んだり食事のサービスを手伝ったりするのは東南アジア人が多い)。ちなみに掲示物関係となると、当然ロシア語が各所に書かれている。乗客自体となると、韓国人75%、ロシア人15%、欧米旅行者5%、日本人5%か(もちろん、私の適当な想像である)。
 8時を過ぎると左手に朝鮮半島が近くなり、じきに接岸。予定入港時刻である9時20分過ぎに下船をした(韓国人を先に降ろすようで、外国人である私は遅くなってしまった)。

@船体

 入国手続きを済ませ、ターミナルへと入る。小さな売店が両替商を兼ねており、見てみるとレートも悪くない(1,000円→14,080ウォン)。残金を気にしながら旅行するのも忍びないので、ここで1万円を両替しておいた。
(ちなみに、帰国時に釜山港で確認すると1,000円→13,700ウォンであったから、ここで両替したのは正解であった)
 雨の中、約10分ほど歩いて東海駅へと向かう。駅構内には、4年ほど前にデビューした豪華寝台列車「ヘラン」の車両が係留されているのが見えた(イベントで来ているのであろうか)。
 さて、問題の海列車の切符手配であるが、窓口にいた女性係員に片言の韓国語と英語でやりとりし、無事に手にすることができた。夏休みシーズンも終わっているし、天気も良くなかったのが幸いしたのかもしれない。

@無事ゲット

 さて、定期列車が走ってない三陟へは路線バスへ向かうこととなる。三陟行のバスはかなり頻繁に発車しており、駅前すぐ右手にあるバス停から乗ることができる。
 知らないおばさんに何やら話しかけられながらバスを待つこと約5分、三陟行のバスがやってきた。それに乗り込み、運転手の荒っぽい腕さばきにしばし身を任せる。
 三陟市街に到着したのは、10時30分過ぎであった。美味しそうな店でもあれば入ろうと思っていたが、時間的にまだ開いていないようである。市場などを適当に見ながら散策し、その足で三陟駅方面へと向かい始めた。

@三陟駅へ向かう途中の道端にはこのようなものも

 歩くこと30分ほどで、小さな小さな三陟駅へ到着した。背後には巨大なセメント工場があるが、駅周辺には小さな市場(と言える規模ではない)があるだけで、コンビニも飲食店もない。市場の奥に薄汚い食堂のようなものもあったが、午前中から焼酎で勢いづけている数人の常連がいるだけであり、今のご時世(竹島問題で両国関係が冷え切っている)では、入る勇気もない。目の前にあった大きな橋の反対側まで歩いてみたが、釣具店などがあるだけで結局何もなかった。
 駅へ戻ると、すでに海列車が入線していた。待合室も、家族連れなどで意外に賑やかである。

@海列車と巨大工場と花

 発車10分前を切り、車両へと向かう。海列車は3両編成で、そのうち1・2号車の料金が少し高くなっている。東海で買うときはあまり気にせず1号車にしたが、結果的には正解であった。というのも、1・2号車は座席が2人単位で豪華な造りであることは同じであるが、2号車のほうは座席間の仕切り(アームレスト)がないのである。つまり、御一人様なら1号車、カップルで仲良くしたい場合は2号車がお勧めなのである。

@このような車内(1号車)

 定刻の12時10分、海列車は三陟を出発した。その名の通り海岸近辺を走る列車であるが、海際を走るのは東海以北が多く、東海−三陟(定期列車が走行していない部分)で海が見えるのはほんのわずかである。海列車の走行区間がどういう理由でこうなったのかは知らないが、途中に三陟海辺という駅があるからであろうか。
 しばらくすると、車掌(というか係員)が名前の確認に来る(切符は提示する必要がない。その代り、切符購入時に名前を言う必要があり、東海駅ではそれで少しく手間取った)。車内では、男性係員によるDJ風のアナウンスが延々と流れている。

@東海中部線が完成すると、複線になるのであろうか

 東海に到着したのは、12時30分頃であった。その後しばらく走行すると、お待たせの海である。車両も少しスピードを落とし、ゆっくりと写真撮影ができるようにしてくれる。車内にはモニターがいくつかあって、前面の走行風景や車内の様子(備え付けカメラで撮影している)を映したりしている。子どもたちは、自身の姿を見て大はしゃぎである。

@残念ながら雨模様

 その後は海が見えたり見えなかったりで、正東津には13時03分に到着した。この駅は、「世界一海岸に近い駅」としてギネスブックにも載っているということである。確かに海には近いが、海水面に近いのであれば東京の海芝浦駅の方がよっぽど近いとは思う。きっと、何かしら理由があるのだろう。海列車はこの先の江陵まで行くが、私はここで降りて南下することになっている。
 折り返しの列車まで時間があるため、駅近くの売店でアメリカンドックを買って齧ったりして時間を潰した。

@海に近いことは近い

 ほどなくしてやってきた4両編成のムグンファ号に乗り込む。13時31分の定刻に出発し、しばらくは今度は海岸線を左手に走行する。東海から分岐してしばらくすると、スイッチバクが廃止されてしまった道渓である(拙文「韓国『レールパス』の旅」参照)。ここを訪問するのは1年半ぶりであるが、駅名標の隣駅も、スイッチバック駅だった羅漢亭が消されて東栢山に変更されてしまっていた。

@当たり前ですが

 さて、ここから先は新設されたループ線である。道渓を出発してすぐにトンネルに入ったが、それにしてもトンネルというのは青函トンネルなどでも同様だが、一旦入ってしまうと後は面白くもなんともない。現在走行しているのがループ線であるのかどうかをわかるためには、方位磁石でも持ってこないとならないが、そこまで私も酔狂ではない。やはり、旅情としてはスイッチバックの方が数段上である。
 ループを抜けるのに、意外と時間を要した。要するに、馬力不足で速度が出せないようなのである。せっかく短絡線を新設しても、列車が非力では意味がない。ここは韓国側に意地を捨ててもらって、日本製の高性能で馬力のある電車を導入してもらいたいものである(数年前から、日立製の車両がちらほらと導入されつつあるが)。

@沿線にあった謎のオブジェ(名産品らしい)

 さて、あとは慶州まで突き進むだけである。乗車すること約6時間、それでいてたったの21,800ウォン(約1,500円)で、19時35分に慶州に到着した。
 ここでやるべきことは、宿探しである。韓国では飛び入りで旅行客も泊まることができるモーテルが多くあり、これまでに私も堤川や木浦でやってきたことがある。
 雨が横殴りで酷い中、大きな建物にハングルで「モーテル」と書いてある建物が駅を出た北方にあったので7分ほど歩いて行ってみたが、周囲に飲食店どころかコンビニすらない。これでは困るので、今度は駅の南西側にある繁華街を放浪し、駅を出てから歩くこと30分、やっとの思いで「いかにも本来的な方法で使われています」という雰囲気のモーテルを発見した。背に腹は代えられず、そこに投宿。35,000ウォンだが、室内もそれなりに清潔で、大型液晶テレビやパソコンもあり、なによりも無線LANが使用できるのがよかった。
 その日の晩は、コンビニの惣菜と近くにあったマクドナルドで。どちらも地の物ではないが、せめてもの抵抗でプルコギバーガーを頼んでみた。しかし、てりやきとの違いが判らずじまいであった。

@せっかく韓国に来たのにこんな夕食

■2012.9.17
 台風接近により、夜半は雨音が窓をたたき続けていた。起床後、今日の博多行高速船はすべて欠航になったため、フェリー会社から来ていた案内に対してメールにて返信をする。さらに、羽田行の航空券もキャンセル(キャンセル料不要)、そして釜山の宿を予約・決済して、明日の飛行機の予約を取り直して決済をした。すべてパソコン経由だが、LANが使えればこその対処方法である。
 「嵐の前の静けさ」状態になったので、少し早いが6時半過ぎに歩いて慶州駅へと向かった。窓口におばさんが1人いたので予約済のチケット情報を渡したが、昨日の東海駅のおねえさんとは違い、どうやら発券方法がわからないようで右往左往している。そのうちに出社してきた駅員に助けられてなんとか発券できたが、少し余裕をもって出てきて正解であった。

@慶州駅(裏側の方)

 台風接近となると日本では列車は運休になるが、恐らく韓国ではそうならないだろうとの読みでこの先の旅程を進めることにする。最悪どこかで足止めになっても、そこから路線バスや高速バスを乗り継げば、釜山くらいまでなら辿り着けるだろうとの考えもある。
 浦項行のムグンファ号は、東大邱方面からやってきた。それに乗り込み、指定された席で待つ。すると定刻に、反対側に動き出すではないか。よくよく考えればそれも当然で、浦項に行くためには慶州でスイッチバックをしなければならないのである。
 沿線風景はさすがに台風直下で、あちらこちらで田んぼや地下道が水没している。そんな景色を眺めること約35分、終着駅の浦項に到着した。

@大荒れの浦項(植木の角度に注意)

 本来はここで1時間ほど街歩きをする予定であったが、とてもそれどころではない強風と雨である(上記の写真を撮るだけでも一苦労であった)。仕方なく、待合室でこの旅行記を更新して時間を潰した。台風のせいか、時折電気が停電のように途切れたりする。こんな経験は、子どもの時分以来である。
 折り返しの慶州行は8時53分発である。出発の5分くらい前に案内されたが、嵐はさらに酷くなり、大きな屋根があるホーム中央にいても風雨に晒されるような状態でる。風速は軽く30メートルを超えているだろう。こんな状況で本当に列車を走らせるのかと疑いたくなるが、反対側に列車が入線するのを待ち、定刻より3分遅れできちんと出発した。
 沿線の水没具合は、往路よりも酷くなっている。風で車両が転がる分にはかまわないが、橋の上だけは勘弁してほしいと思った。

@ある意味、日本にいては体験できない(註:ここは川ではありません)

 慶州に無事に戻ったが、ここで釜田行のセマウル号まで1時間半弱の時間がある。本来ならばこの時間を利用して、歩いて行ける範囲の名所(古墳など)を散策する予定であったが、当然不可能である。待合室で、コツコツとパソコンのキーを打って過ごした。
 釜田行のセマウル号は、運休になるどころか、たったの4分遅れで到着した。指定された特室に入ると、なんと乗客は私だけである。セマウル号の特室は一般室と比較して大差ないので人気がないとは聞いていたが、それにしても少なすぎる。

@人気(にんき・ひとけ)なし

 大雨と強風の中、さすがに若干徐行気味でセマウル号は走り続けた。この路線は海の見える区間があるが、海面はやはり大荒れである。
 時折、大きな木に当たる音がする。対向列車のセマウル号など、先頭車の隙間に大きな枝が何本も挟まっていて、カツラを被ったような変な顔になっていた。

@こんな天気ですから

 それでも、定刻より遅れること24分程度、12時50分に釜田に到着した。まだ風は強いが台風の中心は過ぎたようで、雨はおさまっている。
 西面の方まで歩き、有名店でクッパブを頂く。やっとのこと、韓国らしいものを食べた気がした。

@たったの5,500ウォン(唐辛子まで食べたら汗が出た)

 その後は釜山市内を適当にぶらつき、今朝ネットで予約した日本系列のホテルにチェックインした。一休みした後はチャガルチに行き、今晩の「プチ魚祭り」の食材探しである。

@焼き魚は10,000ウォン(本当は大きな2匹だけだったが、夕方だったのでおばちゃんが小さな焼き魚を数個おまけしてくれた→食べきれなかった)

 酔いどれたまま、就寝。

■2012.9.18
 さて、予想外に1日増えた旅程である。昨晩のうちにパソコンとあれこれ相談し、梵魚寺(ポモサ)へ行くことにした(慶州リベンジという案も捨てきれなかったが、後日落ち着いて来た方がいいだろうという結論に至った)。

@最終日になってやっと晴れた(ホテルより撮影)

 地下鉄に乗り、梵魚寺駅からは路線バスである。3キロ程度なので歩けるという情報もネットでは散見されたが、往路だけはバスに乗ることにした(最近は体力の低下が顕著であり、わずか3年前にお遍路を制覇した頃の勢いはない)。
 バスを降りた後人の流れに付いて行ったが、どうやら山道の方に行ってしまったようである(多くの人は参拝ではなくハイキングのようである)。途中で左折し、宝物館のような建物の横から参道に侵入した。
 梵魚寺は数年前の火事で一部消失したということであるが、仏教があまり盛んではない韓国にしては大きな寺院であった。

@読経が響き渡る

 復路は歩いて降りて行く。距離も長くなく、下りだから負担は少ない。
 地下鉄で西面へ行き、今日は別の店でチャジャンミョン(ジャージャー麺)を頂いた。よせばいいのにこの店名物の餃子まで頼んだものだから、かなり苦しくなってしまった(合わせて6,500ウォンしかしなかったが)。
 釜山市内へ戻り、農協スーパーで自分用のお土産を買う。これといったものがなかったので海苔だけにしたが、あとで気づいたのだが、今回は国際線の飛行機ではないので、持ち込みの荷物に液体100ml以下という制限はないのである。それならば、缶詰など買えばよかったと少しく後悔した。
 高速船の出発は15時15分。博多までは3時間弱である。
 今日の波は穏やかであった。

@無事に帰国

 

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