惜別「三江線」part2

■はじめに
 2018年3月末をもって廃線となる三江線であるが、廃止直前になるとゆっくり乗車することもできなくなるため、昨年9月に「お別れ乗車」を体験済みである(拙文「惜別『三江線』」参照)。しかし、直前になったらなったで、もう一度くらい乗ってみたくなってしまった。3月1日からは青春18きっぷが使用できるようになる=さらに混雑するため、それより前に乗車することにした。
 なお上記については、偶然思い立った側面もある。2月は旅行閑散期であるため、航空券も早めに手配するとかなり安くなる。2月最終週の土日について検索していたところ、往路は萩・石見空港で8,990円、復路は岩国空港で11,390円を見つけたため、その場で決済をしてしまった。最初は「久々に山口県の日本海側でも行くか」と思っていたが、ふと三江線のことを思い出し、そちらに路線変更をした次第である。
 ということで、ただ単に再訪するだけの予定であったが、旅行前になって大問題が生じてしまった。今年は北海道や北陸以外でも大雪に見舞われており、その影響で三江線が1月11日以降長期運休になってしまったのである(水害で長期運休になることは多々ある三江線であるが、雪での長期運休は初めてとのこと)。これではそもそもの計画が遂行不可能であり、「最後の乗車が代替バスに」なんてことになりかねない状況となってしまったが、JRの懸命の復旧活動もあり、なんと私が訪問する週末にぴったり合わせるかのようにして、2月24日に運行再開となった。

@石見川本駅にて

■2018.2.24
 飛行機は10分ほど遅れたが、空港連絡バスに乗り継ぎ、ほぼ予定通りに13時少し前に益田駅に到着した。13時30分発の浜田行まで中途半端な時間があるが、行く場所もないし、すでにホームに入線していたのでそれに乗り込んだ。

@石見神楽模様

 定刻に出発。この辺りは時折左手に日本海が大きく広がるので、景色を眺めていて飽きない。
 浜田で乗り継ぎ、15時04分に江津に到着した。上下の山陰本線と三江線がほぼ同時に入線して3本もの列車があって賑わっているが、この賑わいもあと1か月と少しだけである。

@三江線に乗り換え

 三江線の車両は2両編成で、大混雑というほどではないが、座席はすべて埋まり立っている人もいる。「いかにも鉄道ファン」という人以外にも、年配の人もたくさん見受けられる。ツアーのバッチを付けていたりするので、そういう旅程になっているのであろう。
 先頭部分(運転士横のスペース)も鐡分多めの人で占領されていたので、今回は最後尾から後ろに流れていく景色を眺めることにした。

@定刻に出発

 15時15分に出発すると、すぐに江の川と合流する。何度か見てきた光景であるが、これが最後と思うと感慨一入でもある。
 各駅には、撮影目的のファンがちらほらと待ち構えている。それ以外にも、赤ちゃんを抱えた地元の人がこちらに向かって手を振っていたりして(無視するわけにはいかないので手を振り返したが)、観光列車に乗っているようで少しく恥ずかしい。

@滔々と流れる

 今日の宿泊予定地である川戸を乗り越し、石見川本で下車した。前回来た際は地元の人が大勢で迎えてくれたが、今日は夕方も遅いのでそういうのはないようである。
 三好方面へ行く列車を、名残惜しく見送った。

@「ありがとう三江線」

 さて、川戸に戻る列車まで1時間以上の暇がある。川本の街中は前回訪問時に散策しており、今日はまず小さなスーパーに入って地物探しである(今日は食事付きの宿にしてあるため、お土産探しである)。
 川本はエゴマが有名なようであり、スーパーの角で小さな専用コーナーを発見した。エゴマ油そのもの以外にも、焼き肉のたれやポン酢などもある。そのものだと使用方法をあまりよく知らないので、ポン酢を買ってみることにした。小さい瓶で500円以上するが、地物は別勘定である。

@外で幟を発見

 その後は、街中散策である。観光地になりそうなものではないが、所々に旧い家が散在していたりしており、適当に目的もなく歩くのには丁度良い街である。
 しかし、三江線があるからこそこうしてこの町(川本)にも複数回訪れているが、それがなくなるとなれば、果たして再訪する機会があるかどうか疑わしいのは事実である。三江線沿線の自治体もそれを見越しており、廃線跡を活用した観光資源も考えているとのニュースも目にしている。

@4月以降は危険ではありません

 適当に歩いてから、駅に戻った。駅前すぐにはバス停もあり、広島行が5本、太田発の川本経由の広島行も2本あり、地元の人にとっては三江線がなくなっても大きな影響はないように思われる(そもそも文化圏が違っており、旅館の人も話していたが、買い物や病院で三次に行くことはまずないそうである)。ただし、「訪れる人が減る」という意味では、大きな影響があるであろう。
 17時48分の江津行は2両編成であったが、前1両は団体貸し切りのお座敷であり、通常の乗客(2両目)は私を入れても10人くらいであった。江の川沿いを走り続け、日が暮れた頃に川戸に到着した。

@今日はここまで

 駅前にある旅館に投宿し(5年ぶり2回目の利用)、値段の割に豪華な刺身や煮付けなどを頂いてから、就寝。
(夕食時に地元のニュースをテレビで見ていたが、そのうちの一つが「三江線運行再開」であった)

■2018.2.25
 朝一番列車に合わせて5時50分に朝食を用意してもらい、それを頂いてから駅に行って6時23分の列車を待った。
 駅の構内には、昔この一帯を襲った水害の様子を紹介した写真や、桜の季節に写された写真などが掲示されている。訪問した旅行者による寄せ書き(付箋)も大量に貼られている。余生あと1か月であるが、次回ここに来ることはあるであろうか。

@その一部

 しばらくして乗るべき列車がやってきたが、なんと3両編成である。
 まだ青春18きっぷの季節ではないため、車内も各ボックスに1人いる程度である。先頭車の運転士横が空いていたので、前回同様ここで立ち続けることにした。
 川戸出発時はまだ薄暗かったが、次第に明るくなっていった。

@夜明け

 石見川本を過ぎ、その後は浜原や潮、宇都井などに停まっていき、車内は少しずつ混んでいった(前回と同じような紹介文・写真になってしまうため、これらについては省略)。
 口羽を過ぎると、雪が多くみられるようになってきた。冒頭に「雪で運休」と書いたが、正確には「雪による倒木で運休」である。所々でそれらを片付けたような痕跡が見られたが、1か月以上も運休させるほどのようには見えなかった(あくまで私見)。もし三江線が乗客の多いドル箱路線であったなら、JRも1週間未満で作業を済ませたのでは、と疑いたくなる部分も無きにしもあらず、であった(もちろん、皆さん最大限に作業されたことは承知していますが)。

@雪が多くなる

 その雪も消え、三次の大きな町が近づき、9時21分に三次に到着した。これで、正真正銘最後である。ありがとう三江線。
 ホーム上では折り返しの列車に乗るべき乗客が多く待ち構えていたが、まだ「溢れるほど」ではなかった。来月に入れば一気に増え、最終週は積み残しが出るかもしれない。

@三江線で「3両」表示が見られるとは

 この後は岩国に行く予定であるが、すぐに出発する広島行には乗らず、江の川まで歩いていくことにした。鉄橋を渡る三江線を撮影するためである。
 今から25年以上前(お金のない頃)、一人用テントや寝袋などの「野宿セット」と共に中国地方を旅行していた際に、三次市内の江の川の橋の下で1泊したことがある(たいていは無人駅や公園であったが、この日は良い場所が見つけられなかったのである。橋の下で寝たのは、後にも先にもこの時限りである)。
 てっきり三江線の鉄橋かと思っていたが、現場に久しぶりに行ってみると、私が寝たのは国道の橋の下であった。さすがに、鉄橋はうるさくて諦めたのであろう。
 ほどなくして、三次を10時02分に出発した列車が通り過ぎて行った。

@見納め

 4月以降、三江線は代替バスとなるわけであるが、その将来は明るいものとは言えないであろう。先ほど少し書いたが、文化圏の問題もあり、元々利用される要素がないのである。買い物や病院がそういう状態であり、学校についてもスクールバスが対応できているという(旅館の人の話によれば、そういうのがない学校に通う子だけが鉄道を利用している、とのこと)。となれば、北海道の湧網線のように、「代替バスも廃止されました」となりかねない状況である(今、「ゆうもうせん」がワードで変換できなかったので、「さんこうせん」も変換できなくなる日が来るかもしれない)。
 そうなる前に、「代替バスを検証する旅」として、数年後にでも訪問しようかと思っている。

@ラッピング列車

 

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