惜別「三江線」

■はじめに
 今回の目的地は、余命幾何もない三江線である。紙幅の関係で詳細な理由は省略するが、来年(平成30年)4月1日をもって廃止されることとなった。
 私は三江線には数度乗車したことがあり、一番最近では、2年ほど前に廃止の話が新聞に乗り始めた頃に「念のため」として乗車したものである(拙文「老婆心ながら三江線に乗っておく旅」参照)。それよりさらに3年ほど前には、鉄道に並行してバスを増発する社会実験を行っており、それを検証するために訪問をしている(拙文「サンライズ出雲で行く「三江線増便社会実験」検証の旅」参照)。
 廃止直前は色々と殺伐とした人が増えるため、前もって最後の乗車をすることにした。
 それにしても、いつも旅程には悩まされる。場所が関東から遠いこともあるが、明るいうちに走り通す列車が三次発2本と江津発1本しかないのである(これでも、以前のダイヤよりは選択肢が増えた。もちろん、途中で泊まるという技もあり、2回ほど実践したことがある)。今回は、日曜の早朝に江津を出発する列車で乗り通すことにした。
 往路であるが、ベストの選択肢はサンライズ出雲であるが、ここ最近は人気が高くて金曜発はなかなか取れない。ということで、かなり早い時期に山口宇部空港行の便を押さえておいた(最寄りは石見空港であるが、値段の関係で断念)。復路は広島空港である。
 悲しい話題(廃止)だけでは心もとないので、他の鐡ネタとして「可部線の再開業区間の乗車」を加えることとした。


@宇都井駅にて

■2017.9.3
 山口宇部空港に到着後は、歩いて目の前にある草江駅に向かった。空港のすぐ前にあるので「連絡駅」でもあるが、いかんせん列車の本数が少ないため私と同様のことをしているのは3人くらいであった(ほとんどはバス等で移動)。
 山口と言えば、カードレールも各駅停車も「黄色一色」である。

@定番

 10時13分の列車に乗り込み、時折右手に海を見ながら新山口へと向かった。10時51分に到着したが、何やら駅構内が大混雑であり、コンコースでもイベントが行われている。遠くでSLの汽笛が聞こえたので向かってみると、どうやら今日は「SLやまぐち号」の新型車両のお披露目日であった。客車が刷新されることは雑誌で目にしていたが、まさか今日であったとは。
 ファンのみならず、関係者や報道陣などで、ホーム上はごった返していた。

@タッチの差で写真は撮れなかったため、この後乗る列車の写真を(これも10年後にはレア物に?)

 11時00分の列車で山口に向かい、そこで乗り換えてから上山口へ向かい、1時間半ほど徒歩散歩を楽しんだ(五重塔など)。今日は「普通の観光の日」である。
 そんなことをしていると、美術館の近くで偶然にもSLを発見した。つい数週間前も砺波市内を歩いている際にチューリップ公園で偶然SLを発見したが、このような「予期しない鐡ネタ」は嬉しいものである。

@偶然の出会い

 山口駅に戻り、時間に余裕があるためいったん湯田温泉に戻ってから13時52分発の益田行に乗り込んだ。後は、ひたすら乗り続けるだけである。
 峠を越えると津和野に到着したが、件の新車両が係留されているではないか。停車時間はほとんどないが、目の前であったので急いで下車して写真に収めた。

@こういうアイディア(昔風の客車)は良いと思う

 益田には15時58分に到着。1時間ほど待ち時間があるので近場のスーパーで夜用の刺身を買ったりして時間を潰した。
 16時58分発の快速「アクアライナー」に乗り込み、江津までの道程は1時間20分弱である。時折見えたり隠れたりする海を見ながら、時間が過ぎるのみである。

@海

 江津駅からほど近いスーパーで半額の刺身や酒などを買い、駅前にある新しいビジネスホテルに投宿。

■2017.9.3
 5時53分発に乗るべく、少し早めに5時40分前に江津駅のホームに向かったが、もうすでに10人以上もいるではないか(同業者)。三江線といえば「1両に乗客がちらほら」がデフォルトであったので、さすがに廃止前という感じである。列車が入線する頃にはその数は20人以上になり、「まさか最初から座れない人が出るのでは」と思ったが、JRもそれを見越してか入線してきたのは2両編成であった。

@今日が(私にとっては)最後

 いつもならボックス席を陣取ってぼんやりと車窓を眺めるところであるが、今日は最後ということもあり、車両の最前部(前方を見渡せる部分)に立ち続けようと思っている。その場所もそれなりに人気でありすぐに占領されてしまうが、私の前に並んでいた数人は意外にも座席に向かってまっしぐらに進んだため、その場所を確保することができた。
 定刻に出発。すぐに山陰本線と分岐するが、ここから先は余命7か月である。

@見納め

 車内は2両合わせて出発時点で50人以上の乗客がおり、もちろん普段からこれだけ乗っていれば廃止はされないのであるが、あくまで「線香花火の最後の頑張り」みたいなものである。
 隣駅の江津本町までは、すぐである。地元民が2人ほど乗り込んできた。ここから数駅は左手に雄大な江の川が寄り添うため、なかなかインパクトがある区間である。

@出発

 次の小さな駅(千金)を出発してしばらくすると、川平である。今は線路が1本だけであるが、もう1本がありそれが外された跡がある(昔は行き違いができたということ)。そこからしばらく川沿いに進み続け次の駅は川戸であるが、ここも同様である(線路撤去済み)。
 簡便化のため行き違い設備の撤去=時刻に柔軟性がなくなる=利便性が悪くなる=乗客が減る、の悪循環であったと個人的には思う。
 それにしても、5年前にバスの社会実験で訪問した際にはこの駅前にある旅館に泊まったので、懐かしい限りである。

@覚えています

 この辺りは「三江北線」として昭和初期に敷設されたため(開通当時は「三江線」で、「三江南線」が出来た際に改名)、路盤はほとんど川に沿っている(当時は難航時であったトンネル工事を避けるため)。そのため過去数度となく川の氾濫による損害を受けており、今でも各所で徐行運転(30キロ規制。場所によっては25キロ)が必要で、なかなか快走することができない。自家用車にどんどん抜かれていくが、これも三江線の乗客が少ない理由の一つでもある。

@川の堤防を横切ることもあり

 それまでは民家も少なく時折野生のサルの群れなども見ることができたが、久々に家並みが続いて町らしくなり、6時55分に因原に到着した。続いての石見川本には7時03分に到着。行き違いのできる「駅らしい」大きな駅であり、今日始めての対向列車とのすれ違いである。2年前に訪問した際はここで乗り換えの時間があったので、地元お手製の観光地図を頼りに散策した思い出がある。

@曇ってきた

 さて、このペースで各駅をレポートしていると長大な旅行記になってしまうため、ここから先はポイントだけを記述したい。
 同駅を出発してからは、これまでと同様に「徐行」「加速」「徐行」の繰り返しである。立ちっぱなしで足が痛くなってきたが、最後であるので我慢して経ち続ける。
 7時42分、浜原に到着した。昭和12年以降、しばらく(10年以上)はここが終着駅であったため、駅もこれまで見てきたような簡易乗降場のようなものではなく、きちんとしたものである。
 ここでも対向列車と行き違ったが、あちらは1両だけであった。

@駅らしい駅

 浜原を過ぎると、それまでの鬱憤を晴らすかのような快走をし始めた。完成が昭和50年以降であるため、線形が良く(トンネルや鉄橋を多用して、川に沿わない部分もある)、そのため徐行をする必要がないのである。快走といっても時速80キロ程度であるが、それまでの鈍足と比較すると怖いくらいの速度である。
 7時55分、潮に到着した。今から9年前にこの線に乗車した際には、この駅の近くにある温泉に泊まったことがあり、これまた懐かしい限りである。

@潮駅(また晴れてきた)

 続いての見所は、8時13分に到着した宇都井である(到着前から何人かの乗客がカメラを抱えて前方に集まってきたため、私の周囲は大混雑になってしまった)。地上20メートルほどの高架の途中にある駅であり、鉄道ファンでなくともそこそこ有名な駅である。いつもはホーム上に2〜3人がカメラを構えているが、今日はそれが20〜30人、しかも下界からこちらにレンズを向けている人もたくさんいる。
 下車する時間はないが、運転手が乗客対応でしばらく後ろに行ったため、その間に少しだけホームに降りて撮影をした。

@大賑わい

 8時22分には口羽に到着。上述のバス社会実験の旅の際には、ここで時間があったので小さい町並みを散策した思い出がある。今日は、すぐに出発。
 この駅から先は「三江南線」として開通した部分であるため、路盤は再び川に沿ってくねくね曲がるようになり、それに伴って徐行区間もまた増えてきた。しかし、民家のすぐ横(玄関前)を通ったりして趣があり、一長一短である。

@利便性か旅情か

 気付かなかったが、ふと後ろを向くと2両とも立ち客が目立つほどの乗車率であった。「普段からこのくらい乗っていれば収益が」と思うが、それは仮定の話である。そういう私も「どれくらい三江線にお金を使ったのか」と問われれば、答えに窮するところもある。今回は9月の初め、前回と前々回は12月ということは、いずれも青春18きっぷを使用しており、収益的には何の貢献もしていないのである。
 定刻から1分遅れの9時22分、終着の三次に到着した。この列車は折り返し10時02分発の石見川本行となるが、ホーム上ではすでに数多くの人が待ち構えていた。

@お疲れさまでした

 さて、これで三江線詣では終わりであり、残るはサブテーマである可部線である。9時28分発に乗るほど急ぐ旅ではないので、久々の三次をぷらぷら歩いて「はや」の甘露煮を買ったりしてから、10時30分発の快速で広島方面に向かった。
 普通に乗り継ぐのであれば広島乗換えとなるが、芸備線と可部線は太田川を挟んでほぼ平行しているため、途中の玖村で降りて対岸の梅林(駅名です)まで歩くことにしている。
 玖村駅といえば、自動改札の上で微動だにせずまどろむ猫の動画で有名になったことがあるが、その後しばらくしていなくなったようである。「まさか」と思って少しだけ期待したが、やはりいなかった。

@空振り

 対岸までは20分ほどかかるが、大きな堰の上を歩くので、景色も良く退屈ではない。
 梅林駅に行ってみると、意外に立派な駅舎があるではないか。10分ほど待ってやってきた列車であるが、「どうせ可部線など使い古しの旧型電車だろう」という予想を覆し、山陽本線でも導入されている新型車両であった。

@意外

 再開通区間は、可部から「あき亀山」までの2駅である。かなり昔であるが、廃止前に三段峡まで乗ったことがあるため「初乗車」ではないが、当時とはまったく異なっているからほぼ初乗車のようなものである。
 あき亀山には、12時32分に到着した。住宅開発等が進んだことも再開通の理由にあるらしいが、確かに新しい住宅はあるものの、戸建てが多くて「大型マンションがずらり」というわけではない。日曜の昼ということもあり乗客数もパラパラ程度であるが、それにしてもこのようにして復活することは嬉しいものである。

@終着駅的な雰囲気

 さて、飛行機の出発までまだ少し余裕があるので、後は横川乗換えで宮島口まで行き、青春18きっぷで乗船できるフェリーに乗って宮島を見てから帰るだけである。

 

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