サンライズ出雲で行く「三江線増便社会実験」検証の旅

■はじめに
 国鉄末期時代に国鉄再建法によってかなりの路線が廃止されたが、JR発足以降もいくつかの路線(北海道の深名線など)が廃止されている。
 現在も廃止の危機に直面している路線がいくつかあり、その筆頭格であった岩手県の岩泉線は、2010年7月の災害(土砂崩れ)の影響によって、廃止されることが決定的となった。
 そして、収支的に岩泉線の次に危ういのが、広島県三次から島根県江津へ至る三江線なのである。この路線は山陰と山陽を結ぶ幹線には成り得ず、また各都市間(三次や大田市や浜田)の移動に関してしてもそれぞれ大迂回となってしまうため、過疎化しつつある沿線住民の乗車しか期待できないのである。沿線には大きな観光地もなく(三瓶山や石見銀山へのルートにはなり得ない)、このままで行くと廃止を待つばかりであった。
 噂話ではこれまで何度も廃止の話題が挙がっていたが、今年(2012年)の10月より、JR西日本が「三江線増便社会実験」として、現状の運行本数に加えてバスを追加し、利用促進に繋がるかどうかを見極めるということを始めたのである(列車ではなくバスを追加するのは、三江線は単線であり、列車だと「行き違い」設備のある駅が限られるため時刻に柔軟性を持たせられないためである)。
 この試みに対しては、「これがきっかけとなって三江線の利用率が上がれば廃止にならなくなる」という前向きの意見から、「近い将来にバス転換をするための口実作りでしかない」という批判的な意見まで、ネット上でも様々である。
 それはさておき、このような試みはJR発足以降初めてのことであるから、実験の期間内(12月末まで)に訪問してみることにした。
 思えば、私もこの三江線は2回ほどしか乗車したことがない。東京から行こうとすると、なかなか予定を立て辛いのである(特に、昼間の列車本数が少ない浜原〜口羽がネックとなるため)。今回は、バスのおかげであっさりと旅程を決めることができた。

@出雲市駅にて


■2012.11.30
 山陰へ行くとなれば、やはりサンライズ出雲であろう。そこで10月30日の昼休みに最寄りのJR駅の窓口へ行ってみたが、なんとすでに満席であった。シングルのうち、車両端にある「平屋」(サンライズは基本的に二階建だが、車両端は平屋になっている)の進行方向右側を押さえようとしてその番号を控えておいたのだが、それは徒労に終わってしまったのである。
 何かの間違いかと思い、会社帰りに別の駅に行って調べてみたが、やはり「ほぼ」満席であった。ただしキャンセルが出たようで、ほんの3室ほど空いているという。我儘は言えない状況なので急いで1室を押さえてもらったが、なんと「平屋の進行方向右側」であった。期せずして、希望通りの切符を取ることができた次第である。

@平屋(車両端のため音がうるさいという意見もあるが、やはり室内の広さが魅力)

■2012.12.1
 岡山到着前に目が覚めたが、少し遅れているようである。結局、出雲市には定刻より33分遅れの10時31分に到着した。
 本来の予定では、10時16分の各駅停車に乗車して江津で乗り継ぎ、下府で下車して昼食で「うに」を頂いてその後に未成線跡(今福線跡)を散策する予定であったが、大幅に時刻を変えなくてはならなくなってしまった。出雲市駅で時刻表を確認し、結局うには諦め、廃線跡散策だけをすることにした。

@海を眺めながらの移動

 11時08分発の列車で移動し、大田市で乗り換え、下府には14時16分に到着した。予定より2時間以上遅れてしまったが、まだ2時間弱の自由時間はある。
 天気は晴れたり雨が降ったりで慌ただしいが、ここからは今福線の廃線跡を小一時間ほど散策する。この路線は広島と浜田を結ぶ計画で広島の三段峡までは可部線として1969年までに開通したが、それ以降は延伸するどころか可部線自体が部分的に廃止になってしまったものである。ただし、島根県側もそれなりの部分で工事が進んでおり、その跡を今でも見ることができる。

@駅の近くから「いかにも線路跡」

 駅近くにある路盤となるはずであった土手を歩き、その後は一般道となった路盤跡を歩き続けていく。そのうちに短いトンネルがあり、それを過ぎると通り抜けのできない細い道となり、その突き当りはまたトンネルとなっていた。フェンスで塞がれていて中には入れないが、なかなか立派なトンネルであり、もったいない気もする。

@しかしトンネルの二次利用は「倉庫」か「しいたけ栽培」程度

 雨が酷くなってきたので急いで下府駅へ戻り、しばらくしてやってきた16時09分発の江津行に乗り込んだ。
 江津では、三江線に乗り換える。今回は三江線を「鉄道」「バス(大型)」「バス(中型)」「バス(小型)」と全種類乗り継ぐ計画であり、まずは普通に鉄道からとなる。

@三江線その1「鉄道」(ノーマル版)

 16時34分、定刻に江津を出発した。車内には16人ほど乗客がおり、まぁまぁの盛況である。走り出すと、すぐに左手に滔々と流れる江の川が見え始める。
 この文章の出だしのところで、三江線で都市間を移動すると大迂回になると書いたが、それは何も意図的に迂回をしているわけではない。ただ単に、この江の川に沿い続けているだけなのである。
 車内では係員がこの社会実験に関するアンケートを実施しており、私も答えることになった。三江線への希望を訊かれたので、「こんな風に徐行区間ばっかりなので、もっと速くしてほしい」と述べた。三江線は、どういうわけか至る所で「30キロ」規制があるのである。

@江の川と、車内でもらったパンフレット

 日が暮れかかる中、17時過ぎに川戸に到着した。今日は、この駅から徒歩0分の旅館に宿泊することになっている。駅構内に三江線のパンフレットが置いてあったので持って帰ってみたが、アニメキャラ(萌えキャラ?)などが観光案内をしており、なかなか必死な感じであった。
 意外に豪華だった夕食を平らげ、風邪気味だったこともあり8時前には就寝。

■2012.12.2
 朝食を済ませてから、社会実験バスに乗る前にまずは川戸駅周辺を散策してみた。駅構内には行き違い設備があった「跡」だけがあるが、レールは剥がされてしまっている。行き違い設備が多ければバスではなくて列車を増発できるのであろうが、いったん撤去した設備を復活させることは不可能であろう。

@もう手遅れ

 この駅に限らないが、「さあ、三江線に乗ろう」というポスターが各所に貼ってある。三江線の乗車人数に関する掲示もあったので読んでみると、20年前に比べてなんと6分の1にまで減っているという。
 こういう話題になると、必然的に「少子化」「過疎化」「モータリゼーション」という三点セットが語られるのであるが、三江線の場合はそれだけに限らないと思われる。確かに人間は減っているだろうが6分の1までにはなっていないし、車社会に変容を遂げつつある時代とはもっと昔(1970年代頃)のことである。
 それはさておき、定刻にバスがやってきたのでそれに乗り込んだ。JRバスなので、特に違和感はない。

@三江線その2「バス(大型)」

 車内にはそれなりに人が乗っていたが、1人は運転手の格好をしており、もう1人はアンケートをする係りの人である。もう1人も、リュックを持って途中で写真を撮ったりしているので、旅行者(もしくは関係者)である。そうなると、私も含めてまともな客はゼロ、ということになるようである。
 出発後、アンケート記入を求められたので、それを記入する。バスは、時速55キロで快走し続ける(30キロ制限の列車とは大違いである)。おかげで、迂回して駅前などに寄らなければならないのに、所要時刻は列車と大差ないのである。
 石見川本に到着し、ここで9分ほど待ち時間があったので下車してみた。バスを待っている人はいるが、広島行のバスを待っているようで、こちらには関係がない。結局、「まともな客」は現れることなく出発することになった。

@平日なら事情は違うのでしょうが(石見川本駅にて)

 先ほどまでは、江の川を挟んで線路と反対側の国道を快走していたが、石見川本以降は線路と同じ側の細い道を行くため、離合が少しく大変である。
 私は「鉄道好き」というよりは「旅好き」なので、移動についてはバスでも船でもそれなりに楽しめるが、同じようなところを走るのであれば、やはり車よりは鉄道の方が良いと思う。車だと、どうしても道路が目に入りすぎてしまうのである(鉄道であれば、草木を間近に見ることができる)。
 このバスの終点である浜原には、定刻より1分遅れの9時01分に到着した。霜が降りて凍てつく街中をしばらく散策し、次に乗るべきは9時49分発の三次行バスである。

@三江線その3「バス(中型)」

 先ほどまでのバスは車体もJRで乗務員も制服だったのでそれなりの雰囲気があったが、今度のマイクロバスは、シニア人材のような方(私服)が運転手であり、車内でもらう整理券や運賃箱も手作り感いっぱいであった。
 車内には運転手以外にもう1人いたが、この人はアンケートを集める役所の人であり、結局乗客は私1人だけ(まともな乗客はゼロ)であった。
 話好きの運転手だったので平日の様子などを訪ねてみたが、やはり少ないということであった。元々、三江線の中でも本数の少ない区間であるから、仕様がないのかもしれない。

@空中に浮く宇津井駅を車内から拝む

 定刻に出発後バスは国道を快走し、所々で迂回をして駅前へと行く。しかし、乗客は増えることはなかった。場所によっては離合すら難しい細道を行くため、大型バスでは運行はできないであろう。
 このバスは三次行であるが、もう1種類のバスに乗車するため口羽で途中下車することにしている。口羽着は10時45分で、定刻より2分早着であった。私が降りるのと交代で、1人のおばさんがバスに乗った(まともな乗客を初めて発見)。
 私が乗ってきたバスが走り去り、それからは10時56分発の石見川本行の列車を見送った。
 駅周辺には、自販機すらない。歩いてすぐのところに、三江線全通記念碑があるくらいである(浜原−口羽が最後に開通したため。似たような碑が浜原駅前にもある)。

@記念碑(他に見るべきものはありません)

 南西側にある口羽の街並みを歩いてみたが、とにかく「人がいない」のである。旧く味わいのある旅館などの写真を撮りつつ歩いてみたが、開いている商店もほとんどない。腹は減っていないが、寒いので店が開いていれば入ろうと思っていたのだが、飲食店はほとんどなく、あっても閉まっているのである。
 仕方なく、やっと見付けた自販機で温かい飲み物だけを買って、駅へと戻った。

@三江線の各駅には、神楽ゆかりの名称がそれぞれに付けられている(写真は口羽駅の場合)

 次に乗るべきバスは12時53分発であり、今回の社会実験で唯1往復だけある「9人乗り」のバス(ジャンボタクシーの車両)である。私は、三次からやってきた件の車(折り返し、三次行となる)に乗り込んだ。乗り込んだ後は、昨日から都合4回目となるアンケートへの回答である。

@三江線その4(バス「小型」)

 出発まであと数分となったが、乗客はまたしても私1人だけである。「やれやれ、またまともな乗客はゼロか」と思いかけたところ、急に7人もの人がやってきた。この車は補助席や助手席を入れても定員9人なので、アンケートを取る人を含めるとちょうど満員になった。
 交通機関は空いている方がいいが、このような社会実験の場合はある程度乗ってくれた方がいいだろう。しかし、出発時点で満員では、途中で乗る人が現れた際に困ってしまうであろう。
 ただ、出発直前に大挙して乗ってきた乗客は、三次へ行く1名を除いて全員が隣駅の江平までの乗車であった。よってすぐに車内は空いてしまったが、すぐ次の昨木口で2名の女性が乗ってきた。結局、私を含めて都合4名が三次まで乗車したから、これはそれなりに健闘している数字であると言えるだろう。

@無事に到着

 三次から先は、芸備線と山陽本線を乗り継いで白市まで行き、広島空港から東京へ戻るだけである。口羽を出て以降は雨模様であったが、芸備線に乗っているうちに少しだけ固形物(雪かみぞれ)も混ざり始めた気がした。雪だとしたら、今年初めて見る雪となる。

 

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