【その他・昔鐡B】デジカメ編

■はじめに
 新型コロナによる自粛に伴う「手持無沙汰」解消の「昔鐡」シリーズであるが、前回まででネガフィルムで撮影した写真のネタは尽くしたため、今回はデジカメで撮影したものを紹介したい(初めてデジカメを購入した1999年から、旅行記を投稿するようになった2010年の春頃までの写真。それ以降については、投稿済みの各旅行記をご参照ください)。
 やみくもに紹介しても締まりがなくなるため、廃線や廃止によって今ではもう見られなくなった車両や路線に特化して紹介していきたい(一部例外を含む)。ネガフィルムで編集した旅行記ほどの古さではないものの、「この20年でこんなになくなってしまったのか」としみじみ思うくらいである。

@東京駅にて

■1999
 この年は大学院博士課程後期課程に在籍していたが、某調査会社の契約社員もやっている時期であり、その関係で西日本のあちこちに出張していた頃である。この写真は広島に出張した際のものであり、説明するまでもない新幹線0系である。数多くはないものの、この頃は「こだま」だけでなく「ひかり」でもまだ乗ることができる時代であった。

@新幹線「ひかり」

 次の写真は、新岐阜駅で撮影された名鉄美濃町線(2005年廃止)の車両である。顔が縦長過ぎるが、圧縮時に比率を間違えたわけではなく、元からこういう顔である。

@名鉄「モ600形」

 なおこの出張後は、自腹で移動して名鉄谷汲線(2001年10月廃止)にも乗ってきている。今思えば、動いている谷汲線に乗れたのはラッキーであった。

@名鉄「モ750形」

■2000.8
 能登地方への旅行であるが、目的は翌2001年4月に廃止となるのと鉄道の「穴水−輪島」を乗車することであった。

@のと鉄道「NT100形」

■2004.7
 この年の春から、東京で新しい職(現職)を始めている。当時は国内出張の多い部署であり、7月に福島県(浜通り)で出張があった後、常磐線沿線の私鉄に乗車しながら帰って来た(出張後がちょうど土日であったため)。乗車したのは、日立電鉄、茨城交通湊線(現、ひたちなか海浜鉄道)、鹿島臨海鉄道であるが、このうち日立電鉄は翌2005年4月に廃止になってしまっている。

@日立電鉄「2000形」

■2004.9
 この時は、金沢への出張である。仕事の後、やはり土日になったため、能登方面に出掛けた。目的は、翌2005年4月に廃止となるのと鉄道能登線(穴水−蛸島)に乗るためである。

@のと鉄道「NT100形」再び

■2005.2
 2005年3月限りで寝台特急「さくら」と「あさかぜ」が廃止になるため、駆け込みで乗車したものである(今思えば、よく寝台券が取れたものである)。もちろん、仕事ではなくプライベートの旅行である。
 まずは東京から下関まで、「あさかぜ」で移動した。

@寝台特急「あさかぜ」

 その後は秋吉台などを普通に観光してから、長崎まで移動した。東京への復路は、当然「さくら」である。
 長崎駅に向かったが、ホーム上は「撮影部隊」でごった返していて、とてもではないが普通には撮影ができない。腕だけをホーム上から伸ばして適当に何枚も写して(よって歪んでいる)、やっと撮影することができた。

@寝台特急「さくら」

■2005.6
 この時も金沢への出張である。会社の経費は、越後湯沢までの新幹線+特急「はくたか」であったが、私は北陸方面へのフリー切符(寝台特急「北陸」も利用可能)を愛用していた。たいていは「北陸」で移動していたが、寝台券が取れなかった場合には「能登」の指定席を利用したこともあった。

@急行「能登」

■2005.8
 夏季休暇中、「どこか近場で旅行しよう」と思って訪問したのが、鹿島鉄道線(石岡−鉾田)である。この時は深く考えていなかったが、1年半後の2007年4月には廃止されてしまった。

@鹿島鉄道「KR500形」

■2005.9
 寝台特急「彗星」が翌10月に廃止になるため、乗りに行ったものである。「京都−南宮崎」という運行区間であるため、初日は近江鉄道や信楽高原鉄道で乗り鉄をしてから京都駅へ向かった。寝台に乗り宮崎へ行き、観光をしてから復路も「彗星」で戻ってきた。とにかく、2000年代の半ばから後半にかけては、寝台特急の廃止ラッシュであった(東海道・山陽本線の時刻表が一気に寂しくなった時期である)。

@寝台特急「彗星」

■2005.12
 今回は仕事である。青森市での仕事であったが、ふと時刻表を見ると寝台特急「北斗星」に乗っても帰ってこられることに気付いた(当時は、青森駅にも停車していた)。真夜中の発車であるため使い勝手は悪いが、めったに乗ることがない列車であるし、寝台券も取れたので、ホテル代わりに使ったものである。上野到着時に写真を撮るために先頭へ行くと、機関車は「カシオペア」仕様であった。

@寝台特急「北斗星」

■2006.1
 仕事で新潟へ行き、復路で越後湯沢に立ち寄った。すると、化石クラスのボンネットの「はくたか」がなぜか停車していたので(たぶん臨時列車)、慌てて撮影したものである。

@特急「はくたか」

 同じ月に、寝台特急「出雲」にプライベートで乗りに行った。これももちろん、「廃止直前の駆け込み乗車」である(もしこの当時に旅行記を作成・掲載していたら、ひたすら「惜別」シリーズの連続であっただろう)。「サンライズ出雲」は今でも健在であるが、従来の寝台特急「出雲」はこの年の3月限りで廃止となった。

@寝台特急「出雲」

■2006.2
 この当時、寝台特急「日本海」は2往復体制であったが(1往復が「大阪−青森」、もう1往復が「大阪−函館」)、この年の3月限りで函館乗り入れがなくなるため、わざわざ乗りに行ったものである(この際の写真については、「【北海道・昔鐡C】番外編」参照)。
 大阪に着いてから奈良まで移動して、次に乗ったのが急行「かすが」(2006年3月廃止)である。特に思い入れがあるわけではないが、この時代は「急行列車」自体が絶滅危惧種であり、昼行急行としては「かすが」「つやま」「みよし」くらいしか残っておらず、その1つがなくなるということで、わざわざ来たのである。

@急行「かすが」

■2006.6
 ある意味これも「廃止直前の駆け込み」であるが、「乗車」ではなく「搭乗」である。国産旅客機であるYS-11もこの年限りで退役である(鉄道ばかりの写真であると食傷気味になるので、一休みとして)。
 福岡空港−高知空港という航路であったため、まずは萩・石見空港に飛び、SL「やまぐち」号に乗り、YS-11に乗って高知に到着した後はレンタカーで四万十方面に行ったという内容であり、かなり大掛かりな旅であった。

@YS-11

■2007.2
 兵庫県方面への旅行である。いくつかの私鉄や第三セクター鉄道に乗っており、三木鉄道三木線(厄神−三木)にも乗車している。この時はただ単に「旅の一部」として乗っただけであるが、この年の夏に廃止が表明され、翌2008年4月に廃止となってしまった。

@三木鉄道「ミキ300形」

 同じ月に北海道へ出張に行き、仕事が終わった後の土日に日高本線に乗りに行った。この当時は「ただ単に乗りに行った」だけであるが、2015年に発生した自然災害により、鵡川から先は不通となっている(おそらくこのまま廃線)。写真は静内駅であり、今となってはもう不可能な絵である。

@JR北海道「キハ40系」

■2007.6
 同じ年の6月にも北海道に出張に行った。札幌駅で乗るべき列車を待っていると、なぜかSLがやってくるではないか。しかも「納税協会」という意味不明の列車である。牽引されている客車も味のある旧型であり、前もって知っていれば乗りたい列車であるが、乗る術は分からなかった(というか、存在も知らなかった)。

@SL「納税協会」号

 同じ月には金沢にも出張に行った。この際も復路が土日になったので、大糸線経由でゆっくり帰ってきている。当時はキハ52系がまだまだ現役で走っている時代であった。
(この頃から、デジカメの画素も上がって画質も良くなってきた(なお、旅行記アップの際は、実際より容量をかなり落としています))

@JR西日本「キハ52系」

■2007.8
 夏季休暇の際に、宮城県と山形県の温泉地などを観光した。その旅行とはまったく関係ないが、復路で青春18を使って東北本線を南下している際に、583系の特急「あいづ」を発見したので、思わず撮影したものである。

@特急「あいづ」

■2008.1
 またしても「寝台列車廃止シリーズ」である。この年の3月をもって寝台特急「あかつき」と寝台急行「銀河」が廃止になるため、まとめて乗車した旅行である。
 大阪経由で和歌山方面に行き、駅長「たま」に会ったりして(当時は有名になりすぎる前であり、たまは売店の棚に座っていて、お願いをすれば直接抱っこもできた時代)、京都から「あかつき」に乗車して長崎へと向かった。

@寝台特急「あかつき」(寝台特急「なは」と併結)

 この時の旅行は大規模であり、長崎到着後はペンギン水族館などを観光して、この日は佐世保方面にある夕食が豪華な民宿に泊まった。翌日は島原方面に向かい、島原鉄道沿線の観光である。
 今では島原外港が終点であるが、当時は加津佐まで通じていた(島原外港−加津佐は同年8月に廃線)。

@加津佐駅

 雲仙観光もして、この日は再度「あかつき」に乗って京都へ向かった。
 翌日は神社仏閣をまったり観光して、大阪駅に向かい、最後に乗ったのが急行「銀河」である。ビジネスマンご用達の名物急行も、その歴史を終えてしまった。

@寝台急行「銀河」

■2008.2
 またしても寝台特急の乗り納めである。今回は「はやぶさ」であるが、この列車の廃止は翌2009年3月である。しかし、乗り納めの寝台券がだんだんと取り難くなってきており、「有名特急の『はやぶさ』はもっと大変なことになるであろうから、今のうちに乗り納めをしておこう」と思ったためである。
 東京から「はやぶさ」に乗り、早朝の広島で下車。その後は鞆の浦などを観光し、尾道近くで宿泊。翌日は海を渡って高松観光をして、寝台特急「サンライズ瀬戸」で帰って来た。

@寝台特急「はやぶさ」

■2009.1
 ほぼ1年後、またしても寝台特急の乗り納めである。同年3月、「はやぶさ」と同時に「富士」も廃止となるため、それに乗車するための旅行である。
 福岡空港へ飛び、英彦山や日田、別府などで観光+宿泊をして九州内を南下し、大分から「富士」に乗り込んで夜を過ごした。

@寝台特急「富士」

■2009.3
 絶滅危惧種となっていた昼行急行であるが、最後まで残っていた「つやま」もついに廃止となってしまった(この時点で、夜行急行の「はまなす」や「きたぐに」は残っていたが)。
 ということで、乗りに行った際の記録である。

@急行「つやま」

■2009.9
 宮城県の女川に出張に行った際の記録である。仕事を終えて移動のために駅に行くと、「風っこ さんま祭号」が停車していたので撮影した(乗ってはいない)。
 なお説明不要であるが、東日本大震災の津波により女川町は甚大な被害を受けており、駅舎のみならず周囲の家々はすべてなくなってしまっている。思い出となる施設はほとんど残っていないのが、悲しいところである。

@JR東日本「風っこ さんま祭号」

■2009.12
 金沢方面に出張に行く際には毎度のように利用していた寝台特急「北陸」も、2010年3月で廃止となることとなってしまった。今回の利用も出張であるが、結果的には「乗り納め」も兼ねることとなってしまった。

@寝台特急「北陸」

■2010.2
 なお、出張時に良く利用した寝台特急は「北陸」と「あけぼの」が双璧であった。「あけぼの」は幸いにも2014年まで生き延びることができたが、青森出張時に利用した際の写真が出てきたので掲載したい。

@寝台特急「あけぼの」

■2010.5
 北海道の奥尻島や青森県の五能線近辺を観光した際の記録である。絶滅危惧種である急行「はまなす」にも乗っている。
 なおこの時は、「のびのびカーペット」の2階席を確保できた。指定席料金だけなのに完全にプライベートが確保できており、最高の車両であった。

@急行「はまなす」

 なおこの旅行の復路で(秋田付近)、係留されている583系を発見した。
 今回は結果的には「単なる車両紹介」のような旅行記になってしまったが、最後の1葉は、私の好きなこの車両で締めくくりたいと思う。

@JR東日本「583系」

 

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