【その他・昔鐡A】ご近所+α編

■はじめに
 新型コロナによる自粛に伴う「手持無沙汰」解消の「昔鐡」シリーズであるが、今回は私が小中学生時分に撮影していた写真を紹介したい。「そもそも論として、それは旅行ではないだろう」というツッコミもあり得る内容であるが、「ご近所散策」を旅行記として紹介している人もいるようであるから、ご容赦いただけるのではないかと思っての作成である。
 なお+αとして、東京訪問時の写真も追加したい(母方が北海道であるため旭川駅での昔の写真を紹介したことがあるが、父方が東京であるため、そちらに帰省した際の写真も少しあるためである)。

@小学生の頃に交通博物館で買ってもらったヘッドマークシール

■1981.10
 まず最初は、宇都宮駅での特急「やまばと」の写真である(転勤族であったが、小学高学年から高校生までは宇都宮に居住していた)。「なんで行先標なのか」というと、他の写真はピンボケばかりなのである(当時のカメラは、ピントはもちろん、天候に合わせて「絞り」も手動で調整する必要があった)。まぁ、小学6年生による撮影であるから、無理もないであろう。

@特急「やまばと」(上野−山形)

■1981.12
 これもピンボケ写真であるが、あえて紹介したい。駅ではない場所で早朝に撮影したものであるが、「丸顔」が多い20系の中でも、珍しい貫通式の最後尾である。

@寝台急行「新生」(上野−仙台)

 続いては、宇都宮駅で撮影されたものである。当時はボンネット車両もそれなりにあったが、昭和の終わりに向けてだんだん少なくなり、平成に入ると絶滅危惧種になっていった。

@特急「あいづ」(上野−会津若松)

 駅で数枚写した後、また沿線での撮影である(今度は昼間)。静止画ですらピンボケが多いのであるから、動くものを撮る「流し撮り」となると、失敗ばかりである。唯一「及第点かな」と思えるレベルが、次の1葉である。

@特急「ひばり」(上野−仙台)

■1982.4 part1
 中学生になったばかりの春休みに、父方の実家に行った際の写真である。絞りの設定が良くなくて真っ暗だが、知る人ぞ知る「青ガエル」の現役時代である(蒲田駅で撮影)。私の父方の実家は、目蒲線(当時はこういう路線区分であった)沿線にあった。

@東急「目蒲線」(目黒−蒲田)

 なお暇を見つけて、カメラ片手に東京駅と上野駅に向かった。まずは、東京駅での1葉である。

@寝台特急「さくら」(東京−長崎・佐世保)

 上野駅に移動して、特急列車の撮影である。上越新幹線など影も形もない時代であり、特急が頻繁に発着していた時代である。181系は他のボンネット車両とカラーリングのパターンが違っていたので、印象的であった。

@特急「とき」(上野−新潟)

 上野駅での最後の1葉は、特急「みちのく」である。青森行の昼行特急であるが、常磐線経由であるため、宇都宮駅では撮影できない列車であった。もちろん、東北本線経由の「はつかり」が数多く走っている時代であったが、「1往復だけ常磐線経由」というのと、「583系である」というのと、そのネーミングから、当時のお気に入り列車の一つであった。

@特急「みちのく」(上野−青森(常磐線経由))

■1982.4 part2
 近所で撮影した1葉である。前回の「【その他・昔鐡@】北海道以外編」で「50系には思い入れが深い(小学生の頃、近所にあった富士重工宇都宮工場で、完成したばかりの50系車両を引込線で見かけたことがある)ため」と記載したが、その様子がこの写真である(塀越しに撮っているので、盗撮のようなアングルであるが)。

@50系客車

■1982.6
 再度、宇都宮駅での様子である。ピントの甘い写真が多く、これも及第点ではない(まだまだ「修行中」という感じである)。

@特急「やまびこ」(上野−盛岡)

 続いては早朝の写真である(朝早く起きて駅まで自転車で行き、4〜6時くらいに発着する列車の写真を撮って家に帰る、ということを何回かやったことがある)。
 なお当時は、数多くの夜行寝台だけでなく、長距離急行もたくさんあった時代である。上野発だけでも、「八甲田」「十和田」「津軽」「鳥海」「出羽」「いわて」など、枚挙に暇がない。

@急行「いわて」(上野−盛岡)

 先ほどの写真は夜行急行の盛岡行であったが、寝台特急にも盛岡行があった。今ならば新幹線で2時間ちょっとであるから(夜行列車など成立しない距離)、隔世の感である。

@寝台特急「北星」(上野−盛岡)

■1982.11
 これも宇都宮駅での写真である。特急「はつかり」には、赤色の485系と青色の583系があったが、個人的には圧倒的に後者贔屓であった。「座席が夜は寝台になる」という、なんというか「変身するヒーロー」のようなイメージを持っていたのかもしれない。

@特急「はつかり」(上野−青森)


@行先標も

■1982.12
 同じく宇都宮駅である。この駅でよく見かけた電気機関車はEF65であったが、この当時はEF58がまだまだ現役であった。

@EF58

 なお、上記のEF58が牽引していたのは「ざおう銀嶺」である。
 前回の旅行記で「シュプール○○」を複数紹介したが、それより前の国鉄のスキー用列車名は「○○銀嶺」であった。何気に撮影していた1葉である。

@急行「ざおう銀嶺」(上野−山形)

 なお、ここから先は若干イレギュラーの内容である。
 まずは「白黒写真」である。と言っても大昔の写真ではなく、1982年に撮影したものである。当時の私は中学校の「写真クラブ」のようなものに入っており、自分自身で白黒フィルムを現像したりしていたのである。撮影自体が下手なうえに現像もいまいちの出来栄えであるが(しかもかなり経年劣化している)、そのフィルムから1葉だけ紹介したい。

@特急「つばさ」(上野−秋田)

 最後の3葉については、「プリントした写真は残っているが、ネガフィルムが見当たらない」ものである(おそらく1本分を失くした模様。複合機でスキャンしてデータ作成)。しかし、撮影時期等の記録はアルバムに残してあった(1982年12月、友人2人と宇都宮駅で撮影)。
 まずは、またしても583系である。

@寝台特急「はくつる」(上野−青森)

 続いては、20系客車である。これだけを見て、列車名を当てられる人はいるであろうか。ヒントは、「急行」「早朝の宇都宮駅(上野行)」である。

@20系客車

 ということで、答えは急行「津軽」である。

@急行「津軽」(上野−青森(奥羽本線経由))

 古いネガフィルムからの紹介は、今回で最後である。次回は「デジカメ編」として、1999〜2010年に撮影していた中から、廃線や廃止によって今ではもう見られなくなった車両や路線を紹介する予定である。

 

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