【その他・昔鐡@】北海道以外編

■はじめに
 新型コロナによる自粛に伴う「手持無沙汰」解消のために北海道関連の写真を「昔鐡」として掲載したが、当然のことながらその他の都府県の写真もある。ということで、今回はそれらを紹介したい。
 時期としては、1992(平成4)年から2002(平成14)年までである。言い換えれば、「私がネガフィルムで写真を撮っていた頃」のデータである。自分で見直していても、思わず「あー」と懐かしむ声を出してしまう写真もちらほらとあった。皆さんの中でも、「あ、これは乗ったことがある」という懐かしい写真があれば幸いである。

@三沢駅にて

■1992.9
 大学生時分の九州旅行である。写真には、門司港駅、桜島、グラバー邸、青の洞門、竹田城址とあり、まさに「九州一周」であるが、24枚フィルム1本分しかないため、車両の写真は1葉だけである。
 しかし、なかなかインパクトのある1葉であった。

@ボンネットのRED EXPRESS

■1993.9
 香川と岡山方面に行った際の記録である。栗林公園や岡山城に紛れて琴平電鉄の写真が1葉あるが、「なんでこんな角度から」と文句を言いたくなるような撮影であった。しかし、車両がなかなかの古び具合であるため、あえて掲載したい。

@高松築港駅

■1997.8
 大学院生時分であるが、またしても九州周遊旅行である。色とりどりの特急「ハウステンボス」の車両は今見ても新鮮であるが、撮影しただけで乗車はしていない。

@前4両が「ハウステンボス」

 なおこの時の旅行では、意図的に「客車の各駅停車」の写真をたくさん撮っている。効率化のためにローカル線の「ディーゼル化」が進められ客車が淘汰されていた時代であり、「九州にはまだ客車の鈍行(当時はこう言っていた)がある」という情報を得て、あえてそれを探して乗りに行っていたのである(時刻表を見て、列車番号にMやDが付いていなければ客車である)。特に50系には思い入れが深い(小学生の頃、近所にあった富士重工宇都宮工場で、完成したばかりの50系車両を引込線で見かけたことがある)ため、あれこれ撮影した。

@オリジナルカラーの50系
(なおこの車両も、拡大してみると右のテールランプの上に「宇都宮 富士重工」とある)

 同じ月には、横川にも出掛けている。この年の10月に長野新幹線(当時の呼称)が開業するのに合わせて、碓氷峠の在来線区間が廃線になるからである。

@特急「あさま」(まだ高崎駅)

 横川駅に行くと、撮影目的の人がたくさんいたことを覚えている。電気機関車(EF63)との連結には、多くの人が群がっていた。

@ボンネットの特急「白山」と

■1998.3 part1
 中国地方(山陰+山陽)の旅行である(1人用のテントや寝袋を持参しての「野宿旅」であった)。今もある「とっとりライナー」であるが、当時はこんなボロ車両であった(それでも、当時は「急行車両なのに特別料金なしで乗れる?」と驚いたものである)。

@博物館クラス

 境港線(目玉おやじの車両)などもあったが、今と大して変わらないので紹介するまでもないだろう。
 すでに退役したキハ181系の写真があるので、そちらを紹介したい。

@特急「いそかぜ」


@特急「おき」

 山陰方面の旅行を終えてから訪問したのは、小野田線である。当時は1両の旧国鉄車両(42系)がまだ現役の頃であった。

@化石クラス

 意図的にこれに乗るために訪問したため、旧型車両だけで9葉も写真を撮っている。

@もちろん内部も

 この日は山陽本線の某駅で野宿し(記録はあるが、あまり勧められる行為ではないため記載はしない)、翌日に撮影したのが次の写真である。
 露出は良くないし、ピントもいまいちだし、車両も特に珍しいものではないが、何を隠そうここは「三段峡駅」である。

@最初で最後の訪問

■1998.3 part2
 同じ月の、東北旅行である(これまた野宿旅行である)。
 大阪駅に行ったら、臨時列車の「シュプール」(しかもボンネット)がいたので思わず撮影してしまった。

@私はスキーをしないため縁がない列車

 もちろん、関西(当時は西宮市在住)から東北へ行くために私が乗ったのは、急行「きたぐに」である。

@こちらの自由席に乗車

 無人駅での野宿を繰り返し、いくつかの観光地へ。津軽鉄道にも乗り、金木にある斜陽館(太宰治の生家)にも訪問している。
 芦野公園にも足を延ばし(太宰治の記念碑がある)、芦野公園駅で列車を待っていると、やってきたのは乱雑な文字だらけの車両であった。この車両は、前年(1997年)にテレビ番組の企画で某有名芸能人によってペイントされたものである。

@その後の2017年には「再塗装する」企画もあった

 その後は、三陸方面へ(吉里吉里駅や、岩泉駅の写真がある)。岩泉駅で4葉も写真を撮っているのは、それだけ印象深かったのであろう。

@車両側面

 東北ワイド周遊券(確かこの月で廃止?)を使って出鱈目に移動していたため正確な記録は残っていないが、移動中にまたしても「シュプール」を見つけたので思わず撮影した。

@今度は583系

 なおこの旅行では、今は亡き国鉄型の特急列車の写真を他にも撮っていたので、2葉ほど紹介したい(撮影しただけで、乗ってはいない)。

@特急「いなほ」


@特急「こまくさ」

■1998.6
 大学院生であった当時は不定期で語学試験開催のアルバイトをしていたが、年に2回ほど「地方遠征」があった。最も遠いのが熊本であり、通常は飛行機での移動となるが、「こっちの方が安いから」と運営会社の担当者に言って、寝台特急「なは」で移動したことがある。その際の1葉である。

@バイトで使用

■2001.11
 またしても九州旅行であるが、社会人であったので金銭的には余裕があった。よって寝台特急「はやぶさ」で熊本に向かい、肥薩線で人吉へ。
 そこから先は「いさぶろう」号である。今でこそ改造車両で観光列車化されているが、当時は「ただ単にヘッドマークを付けただけ」であった。

@普通の車両

 その後は阿蘇や熊本周辺にある夏目漱石ゆかりの地をあれこれ訪問し、続いてやってきたのが上熊本駅である。目的は当然、熊本電鉄に乗ることである。

@青ガエル(というか三色ガエル?)

 観光を終え、復路も豪華に寝台特急「はやぶさ」である。

@憧れの寝台車両

■2002.9
 1999(平成11)年から2001(平成13)年まではデジタルカメラとフィルムカメラを併用していたが、デジカメの信頼性も上がってきたため、2002(平成14)年以降はデジカメに移行している。しかしこの年の夏、デジカメに不具合が出てしまったため、1回だけ急遽フィルムカメラを復活させた。
 今回の旅行は「東北地方私鉄乗り潰し」である。初日はJRで福島まで行き、福島交通で飯坂温泉へ。車両の写真も撮っているが、この路線はまだ残っているから省略。
 翌日はJRで石越まで行き、「くりはら田園鉄道」に乗車である。

@まさか5年後に廃線になるとは

 終点の「細倉マインパーク前」から路線バスに乗り継いで、この日は温湯温泉の佐藤旅館に泊まったのであるが、その後の災害で旅館まで営業を終えてしまった(今日現在再開されず)。鉄道も宿泊先もなくなってしまうという、なんだか悲しい思い出である。

@運動むなしく

 翌日はまたしても北上し、続いて乗車したのは「十和田観光電鉄」である。説明するまでもなく、こちらも今は廃線となっている。

@まさか10年後に廃線になるとは

 翌日以降は弘南鉄道や秋田内陸縦貫鉄道に乗っており、写真もあるが、まだまだ頑張って運行中であるので、掲載は省略したい。

 さて、次回は「ご近所+α編」として、1980年代前半に近所(宇都宮駅など)で撮影した古い写真を紹介する予定である。

 

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