【北海道・昔鐡A】平成2年編

■はじめに
 新型コロナウイルスによる自粛期間中の「手持無沙汰」解消としての「北海道・昔鐡」、その第二弾である。
 第一弾は高校時分の初の一人旅であり思い出も多く、またちょっとしたメモや乗車記念、買っていた入場券や指定席券から手掛かりを得て旅程の全体像を掴むことができたが、今回はそれがかなり厳しい(第三弾では平成6年の旅行を紹介する予定であるが、その旅行では写真の右下に日付を入れていた。しかし、平成2年の旅行ではそれもやっていなかった)。ということで、日付は特定できていなかったが、昔の切符の山を漁って、なんとか手掛かりとなるもの(北海道周遊券と、朱鞠内駅の入場券)を発見した。それらによると、出発日は1990年3月5日で、朱鞠内駅に寄ったのは3月10日である。

 個人的なことを書いても仕様がないが、この時分は「宙ぶらりん」な時期であった。1989年の春から夜間大学に通っていたが、両親との仲がうまくいかなくなって学校にも行かなくなり、11月の途中からは生活のために自動車工場の期間工として3か月働き、それが終わった後、ちょっとしたご褒美的な意味合いで北海道へ行ったのである。夜行急行の自由席で夜を明かしつつ、ある程度の旅程は決めていたが「それ以外は現地で決めよう」としていた旅行であり、よってメモも何も残っていない。

 前回の北海道旅行からたったの3年半しか経っていないが、その間に国鉄はJRとなり、また数多あった特定地方交通線は、すべてが廃止されてしまっていた。

@手掛かり一式

■1990.3
 旅程は残っていないし写真もないが、上野から急行「八甲田」の自由席に乗ったのは確実に覚えている。自身の置かれた環境と旅情とが相まって、しんみりとした思い出もある。
 青森に到着。前回との違いは、青函連絡船が廃止され、快速「海峡」で青函トンネルを走り抜けたことである。

@今となってはこれも懐かしい

 2枚目の写真は函館湾越しの函館山のようであり、3枚目は一気に納沙布岬である(想像するに、特急「北斗」で札幌に向かい、急行「まりも」で釧路へ(車中泊)、そして根室まで行ったのであろう)。

@納沙布岬

 納沙布岬での写真が数枚あり、その次はいきなり網走刑務所である(ネガフィルムの苦しいところ。山のように撮れるデジカメなら、移動中の写真を絶対に撮るはずである)。距離が遠いため、おそらく急行「まりも」と「大雪」の夜行乗り継ぎをしたに違いない。
 続いての写真は、能取湖である(これはよく覚えている)。売店で「能取岬」と書いてあるキタキツネの耳かきを買ったのだが、私は未だにそれを使っている。

@冬なので白鳥

 観光を終えてから、網走へ戻った。網走駅で撮った特急「オホーツク」の写真がある。JRとなり塗装も変わったので、イメージがガラッと変わっている。

@今っぽい感じ

 続いての写真は、いきなり深名線+朱鞠内駅である。計算が合わないので(朱鞠内駅の入場券は3月10日付)、かなりの寄り道をしたはずである(連日の車中泊+写真の数が少ないため、「たぶんこうだろう」という想像もできない)。

@雪の朱鞠内駅

 名寄から朱鞠内に至る区間(白樺駅付近など)は、とにかく雪深かったことは今でも覚えている。
 その後の移動についてはさっぱり記憶にないが、この日の寝床については写真に残っていたので明らかである。

@快速「ミッドナイト」

 翌日は、いきなり大沼公園の写真が7葉もある。前回の旅行でも、廃止予定路線の乗車をよそにして普通の観光をしていたが、今回も同じ場所(サロベツ原生花園なども)を訪問している。これには2つの意味があり、「前回と同じ観光地を訪問して懐かしみたい」というのと、「廃止対象路線がもう残っていない」というものであった。

@またしても大沼公園

 1本目のフィルムの残りは、函館市内のハリストス正教会や、トラピスチヌ修道院であり、そして最後の1葉は函館山からの夜景であった。

 次のフィルムの1葉目は、またしても網走駅である(急行「大雪」下車後と思われる)。麗らかな天気であった数日前とは違って、猛吹雪である(この様子はよく覚えている)。

@除雪中

 網走駅での2葉の写真の後は、いきなり宗谷本線からの利尻富士の写真である。とにかく、周遊券を大活用して乗ってばかりいた記憶がある(特急「オホーツク」で札幌に向かい、急行「利尻」で夜を明かしたのであろう)。
(宗谷本線のこの区間はこの後も何度も通過しているが、「利尻富士」の標識と実際の利尻島をいかにしてうまくフレームに収めるかは、毎度毎度チャレンジしている。なお、この標識の存在は、紀行作家である宮脇俊三氏の文章で知ったと思う)

@上出来でしょうか(走行中に撮影)

 稚内に着いてから各駅停車で豊富まで戻り、そこからバスに乗ってサロベツ原生花園にやってきた(ここも再訪の地)。しかも、季節的に何もない時期である。しかし、それはそれで面白い写真は数枚撮ることができた。

@雪の波

 JRで稚内に戻り、バスでノシャップ岬へ(写真あり)。その次の写真はいきなり北見市にある「ピアソン記念館」になっているので、想像するに、急行「利尻」で札幌に戻り(車中泊)、特急「オホーツク」で北見に行ったのであろう。
 その後は留辺蘂に移動し、路線バスで温根湯温泉に移動して、奮発して温泉旅館に宿泊した(数年前に温根湯温泉を再訪したが、この温泉旅館は廃業して更地になっていた)。

@夕食(大ピンボケ)

 翌日は、まずは温根湯観光ということで、「北きつね牧場」である。ここでの写真が、なぜか13葉もあるのはご愛敬である。今思えば、「そんなものより移動中の景色や希少車両の写真を」と思うが、まぁ、若気の至りである。

@可愛いですが

 前述した通り、詳細な旅程は現地で決めていたのだが、この時点でふと思い出したのが数日前の猛吹雪である。猛吹雪=季節外れの流氷が再度来ているかもしれないと思い、釧網本線にある北浜駅に向かったのだが、これが大当たりであった。浜まで大きな流氷が押し寄せており、大興奮しながらその上に乗って記念撮影をしたりした。

@流氷の上から(自己責任で)

 同じようなことを考えていた人も多いようで、観光客が多かったことを覚えている。ちょっと風変わりな雰囲気のある若い女の子が、「はい、旅の記念」と言って、木の実を渡してくれたのをなぜか覚えている。
 今と同じような1両のディーゼルカーで、網走に戻った。

@JRっぽい車両

 その後は、おそらく急行「大雪」で札幌へ。どこかを観光してから、この日の宿泊は小樽の朝里川温泉である(旅行の途中で旅行会社に寄って、あれこれ相談して宿泊場所を決めた記憶がある。いかんせん、「ネット予約」などない時代である)。

@夕食(これまた大ピンボケ)

 フィルムの最後は、小樽運河での1葉であった。
 その後、どうやって帰京したのかについての詳細は明確には覚えてないが、快速「海峡」と急行「津軽」であったはずである。

 この時の旅行は、精神的に不安定であったこともあり、旅程は支離滅裂で、写真もあまり充実していなかった(鉄分も少な目)。次回紹介分(平成6年編)では、もう少し鐡ネタも紹介できる予定である。

@小樽運河

 

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