奥飛騨などで鐡ネタを探す旅

■はじめに
 今回の訪問地は、岐阜県奥飛騨地方と富山県である。月曜日以降に北陸に行く要件ができたため、「だったら三連休もそちらに行ってしまえ」と思ったのであるが、今さら北陸地方で3日も時間を潰せるネタはない。ということで、普通の移動(北陸新幹線経由)でなくて、高速バスで奥飛騨を経由して北陸にアクセスすれば、ある程度の時間潰しができるとの算段である。
 奥飛騨と富山の鐡ネタであるが、特に前者は、第三セクター鉄道であった神岡鉄道神岡線くらいしかなく、それも2006年末に廃止されてしまっている。しかし今回は、そこの廃線跡も含めて、いくつかのネタを収集する予定である。

@鉱山前駅跡にて

■2022.9.23
 5時台に家を出て近郊列車を乗り継いで、やって来たのはバスタ新宿である。今日の宿は新平湯温泉であるため、ここから高山行のバスに乗ってまずは平湯温泉で下車となる。
 定刻の7時05分に出発。首都圏を抜けるのに多少の渋滞があるのはいつものことであるが、今日は相模湖付近で大規模な事故があり、山梨県に入った時点で1時間半近くも遅れてしまっていた。

@談合坂で一休み

 松本インターで高速を降り、その後は松本電鉄上高地線と寄り添うように走り、それが終わってしばらくするとアルプス越えである。うねるような道となり、大きなダムが時折現れて来る。ダム自体の上を走るルートもある。
 巨大なトンネルが工事中であったので、あれが完成すれば、この素晴らしい景色が見られる定期バスもなくなってしまうのか、と思う。
 定刻より1時間38分遅れた13時23分、平湯温泉バスターミナルに到着した。しかし、今日は急ぐ旅ではない(時間が有り余っている)ので、問題はない。
 しばし売店をうろついたりして、続いて乗るのは新穂高ロープウェイ行のバスである。

@少し遅れてやって来た

 当初の旅程では、12時40分発のバスに乗り「ガーデンホテル焼岳」バス停で降りることにしていたが、これから乗る13時40分発のバスはルートが若干違うためそのバス停は通らない。しかし、1つ手前の「クマ牧場前」で降りて15分ほど歩くことでもアクセスできるので、そうすることにしている。
 バスに8分ほど乗車して件のバス停で下車し、少し強くなってきた雨の中を歩き続けると、ガーデンホテル焼岳の大きな建物が見えてきた。そしてそれより気になるのが、建物の前にある鉄道車両である。

@これが目的で来ました

 より詳細に観察したいところであるが、雨雲レーダーによるとこれから雨が強くなるようなので、まずはこのホテルで日帰り入浴である。
 詳細は撮影できないため紹介できないが、専用着を巻いて入る混浴部分にある「うぐいすの湯」や「瀑泉洞」は非常に印象的であった。
 混浴部分はさておき、連休というのにかなり空いていて男湯部分は私だけになったので、そこだけ紹介したい。

@ここも負けないくらい良い湯

 しっかり温まり、湯上り処で水を飲んで休憩してからは、鉄道車両の見学である。中には入れないが、プラットフォームがあるためそこから車内を見ることができる。
 この車両は「カラオケ列車」として使用されている。JR北海道で使用されていたキハ27系であり、JRと神岡鉄道で奥飛騨温泉口駅まで移送され、そこからはトレーラーで運ばれてきたようである。車内は完全にカラオケルームになって座席などは変わってしまっているが、運転台や出入口はそのままである。

@そのまま

 なお鉄道車両にある程度詳しい人ならば、「こんな塗装の車両あったかな」と不思議に思うであろう。その通りであり、実は本来の塗装の上に鉄板を貼り巡らせているのである。実は以前は普通の塗装であったのだが、改装に伴ってこのようになっている。少し残念ではあるが、鉄道車両の塗装は経年劣化して再塗装が必要になるため、このようにして保存するのも一案なのであろう。

@行先票はこんな感じ

 全体的に奇麗に保存されているし、ヘッドライトも点灯してその存在もアピールしている。ホテルフロント横に観光スタンプがあったので押してあるが、そこにもこの車両が描かれている。これだけシンボル的に使われているのであれば、今後も奇麗に保存してくれそうである。
 この時点で14時半過ぎである。大雨になっているが、ここからは1時間ほど歩いて新平湯温泉方面に歩くことにしている。雨が強すぎるため14時38分に来るバスに乗ることも考えたが、そうすると時間が余り過ぎてしまうため、却下である(東京からのバスが1時間半も遅れたのに、まだ時間が余っている)。
 傘だけでなく合羽も羽織って、雨の中を歩き始めた。かなり歩きにくいが、あれこれと珍しいものとの邂逅もあるので、やはり徒歩旅は素晴らしい。

@大谷とドアラと鬼滅と

 1時間ほど歩き、新平湯温泉を少し過ぎて地元のスーパーで夜用食材を買い込み、少し戻って素泊り宿に投宿した。台風接近で大雨となっているが、豪雨となっているのは東海の沿岸部であり、飛騨地方は今晩中に雲が抜けそうである。

■2022.9.24
 今日は神岡で1日観光して、その後は富山市に移動して泊まるだけである。神岡観光は半日もあれば充分なのであるが、いかんせんバスの本数が極端に少ないため、1日滞在せざるをえない。
 7時過ぎに宿を出て、新平湯温泉バス停から神岡行の路線バスに乗り込んだ。1日に2本しかなく(それ以外はすべて新穂高ロープウェイ行)、しかも1分違いで新穂高ロープウェイ行のバスもあるため、運転手は「神岡行ですが、いいですか」と念押ししてきた。

@今日はこれから

 定刻の7時13分に同バス停を出発。長閑な山間の中を走っていくが、車内は私1人だけである。今日は連休中日の土曜日なので、平日であれば通学客(温泉宿の子どもが神岡の学校に行くなど)がそれなりにいる、と信じたい。
 このまま神岡まで乗り通しても早く着き過ぎてしまうため、上宝支所前バス停で下車した。ここから神岡の街中まで、徒歩観光である。ずっと乗客は私だけであったが、入れ替わりで、ここで3人乗って来た。路線バスとしての面目躍如である。

@実りの秋(徒歩観光中)

 2時間弱歩き、9時35分頃に奥飛騨温泉口駅に到着した。もう鉄道は走っていないがここからトロッコ(正式名は「レールマウンテンバイク」)に乗れるようになっており、10時からの便をネットで予約してある(1人でも乗れる「サイドカー」は1台しかないため、予約は必須である)。

@16年ぶりに来ました(前回は鉄道で)

 なお今は駅前に鉱山用の鉄道車両(トロッコなど)が展示されているが、前回訪問時は通常の鉄道で使用されていた大きな機関車が展示されていた。あれがどうなったのか調べてみると、廃線翌年の2007年に解体されてしまったという。

@残念(2006年6月撮影)

 受付で支払いを済ませて、しばし駅舎内に飾られている昔の資料を見たりして時間を潰した。出発の10分くらい前から簡単なブリーフィングがあり、そして出発である。多種多様な車両があるが、今日はほとんどの時間帯(毎時出発)で満席であるという。
 私の車両(サイドカー)は、先頭であった。出発してすぐ(1キロもない)で、次の神岡大橋駅である。

@駅を通過します

 そもそも電動アシスト付き自転車であるため楽であるが、往路は下り中心であるためさらに楽である。
 トンネルを抜けると、飛騨神岡駅である。前回訪問時は街中散策後に復路はこの駅から乗ったのであるが、今はもうホーム上は荒れ放題であった。

@廃線ですから

 撮影のための停車は禁止であるため、自転車を漕ぎながら撮影を続けた。2つ目の長いトンネルを抜け(トンネル内はすごく寒い)、しばらく漕ぎ続けると、トロッコの終着駅となる鉱山前駅である。1番手でしかもかなりの速度で来てしまったので、「折り返しまでずいぶん待つことになるな」と思っていると、係員が「まもなく、おくひだ号が来ますよ」とのこと。なんと、今日は動態保存されている列車の運行日(有料の「運転体験」の実施日)であった。慌てて撮影(表紙写真もこの時に撮影)。

@懐かしい

 全車が到着するまでかなり時間があるため、ホーム上の待合室にある写真や、屋外にある掲示などを見て時間を潰した。
 なお、1両しかない私が運転しているサイドカーであるが、今日は私の1人利用であるため(同伴者がサイドに乗ることもできる)、サイドの部分には「さるぼぼ」が乗車している。よって、撮影会の的にもなっていた。

@今日のお供

 10時30分頃、復路の出発となった。今度は、私が最後尾である。上り坂中心であるが、電動アシストもあって程良い疲労感であった。往路とは違って、ゆったりとしたスピードで奥飛騨温泉口駅まで戻った。

@トンネル内にはこのような仕掛けも

 その後は、市内をフラフラと歩いて道の駅へ。ここまで来て、スーパーカミオカンデ関連の施設を見逃す手はないであろう。

@定番(スカイドーム神岡)

 この時点で、まだ12時である。猪谷方面へのバスは16時20分であるため、神岡城などを見学するにしても、まだ時間が余り過ぎている。道の駅に自由に使える机があったので、この旅行記を書いたりして時間を潰した。
 しかし1時間もいるともう限界であるため、城などの観光に行き、スーパーで地元食材を見たりした。それでもまだ14時半である。途中、船津座という場所で無料休憩所(しかもWi-Fi付き)を発見したので、そこでしばらく休憩した。
 その後は、適当に街中散策をしてからバスターミナルに向かった。

@鐡ネタのある町

 これから乗るバスは、上述した通り16時20分発の猪谷行である。廃線となった神岡鉄道神岡線の代替となるような路線であるが、本数は1日たったの5往復(土日休日は3往復)しかない。そもそも、神岡へのアクセスは高山駅から可能であるため、貨物輸送がなくなってしまった時点で神岡鉄道の存在意義はかなり薄れてしまったのである。
 出発の直前、バスがやってきた。本数が少ないだけでなく、小さなマイクロバスである。

@神岡線のルートを走る

 定刻に「濃飛バス神岡営業所」を出発。なおこのバスであるが、どんなに長距離を乗っても200円である(私は終点の猪谷まで47分も乗るが、もちろん200円)。
 出発後すぐには猪谷方面には向かわず、神岡の街中をぐるぐると巡っていく。スカイドーム神岡にも寄るので、急ぐ旅の場合はそのような場所からも乗車可能である。
 街中を抜けると、神岡線の跡に沿うように走り続けた。なお、レールマウンテンバイクには2つのコースがあり、今日私が乗ったのは「まちなかコース」であるが、それ以外にも漆山駅跡を起点とする「渓谷コース」もある。

@こちらも興味あり

 廃線跡と交差しつつ走り続け、17時07分に猪谷駅に到着した。17時20分発のJR高山本線(富山行)に乗り、富山駅に近いスーパーで半額総菜を買い揃え、富山電鉄で稲荷町まで移動して安ホテルに投宿した。

■2022.9.25
 今日以降は富山編となるが、簡素に紹介する程度に留めたい(今回の旅行記は奥飛騨がメインであるので)。
 昨晩は疲れていたので1駅だけ富山地方鉄道を使ったが、今日は30分弱歩いて富山駅まで向かった。
 今日使用する切符は、「とやま1日乗り放題きっぷ」である。射水市と富山市を中心として「あいの風とやま鉄道」「富山地鉄」「万葉線」など、様々な交通機関が乗り放題であり、料金はたったの1,000円である。

@今日の移動手段

 今日はこの切符を大活用して、射水市のベイエリアを中心に観光する予定である。
 7時24分発の列車で、まずは高岡に向かった。ここで万葉線に乗り換えとなる。万葉線には何回か乗っているが、いつも乗車(乗り通し)中心であり、ベイエリアまでは観光をしたことがなかった。
 ホームに行ってみると、待ち構えていたのは「ドラえもんトラム」であった。

@偶然

 7時45分に出発。昨晩に考えた旅程では、まずは西新湊で下車してベイエリアを観光しようと思っていたが、東新湊から歩ける場所に美味しそうな海鮮丼などを出す店があるようであり(しかも朝から営業中)、そちらを先に訪問することにした。
 東新湊で下車し、数分歩いて件の店へ。ワンコイン(500円)で買える漬け丼を注文した。

@旨い

 安価であるため「切れ端」中心である。筋のようなハズレもあるが、トロのようなアタリもあり、全体としては美味しく頂いた。
 その後は、近場にある海王丸や、ベイエリアにある観光スポットを徒歩であれこれと観光した。詳細については、余所様の丁寧な訪問記にお任せすることにしたい。

@一例だけ

 ベイエリアの観光を終えてからは西新湊停車場に向かい、そこから越ノ潟行に乗り込んだ。やって来たのは新しいトラムではなく、旧式の路面電車であった。
 しばし路面電車に揺られ、越ノ潟へ。終点で下車し、続いて乗るのは目の前にある富山県営渡船である。乗船時間はほんの数分(4分程度)であるが、この船、実は無料である。

@タダ乗り

 越ノ潟までは何回か来ているが、この渡船に乗るのは初めてである。改札が始まったので乗り込むと、すぐに出港した。目の前にある新湊大橋が巨大で迫力がある。
 あっという間に対岸の堀岡に到着。この渡船に乗ったのは、無料ということもあるが、実はここ堀岡付近まで大昔は鉄道(富山地方鉄道射水線)が通じており、その廃線跡があるからである。
 廃線跡は、サイクリングロードとなっているため歩きやすい。そこを15分ほど歩くと、駅名標が現れてきた。

@実際に存在した駅名ではありません

 さて、本来の旅程ではこの後は射水市のコミュニティバス(小杉駅行)に乗る予定であったが、出発時刻は13時38分である。観光が順調に進んでしまったため、この時点でまだ11時半。この付近で2時間は滞在できないので、往路と同じルートで戻ることにした。
 渡船乗り場まで戻り、11時44分発の船で戻り、越ノ潟からトラムに乗り込んだ。
 トラムの車内でふと、往路でドラえもんトラムに乗車した際に「藤子・F・不二雄ふるさとギャラリーへお越しの方はこちらで」というアナウンスがあったのを思い出した。調べてみると、料金も500円でそれほど高くない。ということで、そこに寄り道をすることにした。
 トラムを途中下車し、美術館の2階にあるギャラリーへ。原画がたくさんあり、興味深く見学した。

@展示品は撮影できないので

 見学後はトラムで高岡駅に戻り、あいの風とやま鉄道で富山に向かった。
 まだ時刻は15時前であるため、最後の締めとして岩瀬浜方面の鉄道に乗ることにしている。それにしてもこの路線、JR(国鉄)岩瀬浜線から富山ライトレールとなり、それが富山地方鉄道に合併されたりと、慌ただしい歴史を有している(国有化前の歴史も含めると、さらに複雑である)。
 15時00分、富山駅を出発した。もう何度も乗っている路線なので、終点の岩瀬浜までは行かず、東岩瀬で下車して保存されている駅舎や古い町並みにある家屋などを見学した。

@途中下車

 観光を終えてからは、トラムで富山駅まで戻り、そこから歩いて稲荷町にある安宿に戻った。

■2022.9.26(おまけ)
 旅行記自体は上記で終了であるが、月曜午前の状況を少しだけ紹介したい。
 私は「鉄印マイスター」(全国すべての鉄印を収集した証の会員証)を持っているが、いくつかの第三セクター鉄道会社では、このカードを提示すると様々な特典を得ることができる。あいの風とやま鉄道もそのうちの1つであるが、事前連絡が必要で、そして平日でないと受け取れないためハードルが少し高い(本社で受け取るため)。
 今回、偶然にも月曜から富山入りする必要があったため、事前に訪問することを連絡している。頂けたのは、一日乗車券とファンクラブ用のボールペンである。一日乗車券など、普通に買えば1,500円するので、これは有難い。

@戦利品

 

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