【非鐡の旅21】小笠原諸島放浪記

■はじめに
 今回の訪問先は、表題にある通りの小笠原諸島(父島・母島)である。私は過去に島旅も何度となく行っており、北海道の利尻島や鹿児島県の屋久島など観光客に有名なところだけでなく、例えば山形県の飛島や石川県の舳倉島など、マイナーなところにも訪問している。沖縄県にある島々も、空路や海路がある島はほとんど制覇している。
 しかし、東京都の小笠原諸島と鹿児島県のトカラ列島だけは、ほぼ海外旅行並みの日数を要することから、これまで訪問できずにいた。コロナ禍も落ち着きつつあるが、まだ海外旅行はハードルが高いため、思い切って夏季休暇を使って小笠原に行くことにしたのである。
 問題は、「旅行記に成り得るか」という点である。私の旅行記は主に鉄道について叙述するものであり、例外として「非鐡の旅」という枠も作っているが、これにしても飛行機や船による移動が中心であり、つまり「乗り物ありき」ということである。「公共交通機関で移動して、夜は安食材で一杯」みたいな内容ばかりである。今回も、小笠原諸島に行くのにマリンレジャーを一切しないという内容であるが、ある意味「毛色の違う」ものになるのかもしれない(小笠原らしい内容は期待しないでください)。

@二見港(父島)にて

■2022.8.16
 前々日に提出したPCR検体も無事に通過し、今日は「おがさわら丸」で父島に向かうのみである。往復の2等寝台(半個室)と父島での宿泊(3泊)については、旅行会社を通じて9万円弱で押さえている。8月はおがさわら丸の値段も高いので、お手頃な金額であろう。
 10時少し前に竹芝旅客ターミナルに到着して、手続きを済ませた。

@一式

 緑色のリストバンドは「PCR検査済み」の証拠であり、現地で飲食店等に入る場合は提示が求められることがあるという。つまり、腕に着けっぱなしにしておけばよい。
 10時過ぎになり、700番台の船室(上位階のランクが上の部屋)から乗船が始まった。しばし時間が経過し、私の400番台も乗船が始まった。ゆるキャラの「おがじろう」もお見送りをしている。

@いざ乗船

 400番台であるため、私の部屋は4階である。2等寝台は他のフロアにもあるが、4階の場合は船の後部にあるのがありがたい(揺れが少ない)。
 指定された場所は、下段であった(これも幸い)。船内はかなり混雑しているが、私の向かいと上部は空席であったので、そういう面でもラッキーであった。

@寝床

 おがさわら丸と言えば、揺れる・雑魚寝というイメージであるが、2016年に就航した3代目は、昨今の流れに従って個室も増えており、また大きさも1万トンを超えており、揺れの心配も少なくなっているようである。ただし、沖合では揺れることもあるということなので、久々に(小学生以来?)酔い止め薬を買って飲んでいる。
 船は大きくなったが、エスカレータはなく、エレベータも小さいのが1台だけなので、上層階で荷物が大きい人は行列になってしまっていた。

@小笠原らしいオブジェも

 銅鑼が鳴り、しばらくして定刻の11時00分に竹芝を出港した。岸壁では「おがじろう」も見送りである(中の人が暑そう…)。
 レインボーブリッジを過ぎ、羽田空港の横を過ぎると、揺れは少し大きくなった。しかし、まだまだ東京湾内であり、外海はかなり先である。

@さようなら東京(これから行く場所も東京都ですが)

 当初予定では、船内では適当に過ごそうと思っていたが、結局やることがないので(大型フェリーにありがちな映画投影場などはない)、予定変更で昼から呑み始めてしまうことにした。売店に行くと「島レモン」のサワーがあったので、おやつ用に買っておいたお菓子と、夜用に買っておいた生ハムなどで、呑み始めてしまった(これ以外にも、持ち込んでいたサラミや焼酎も頂いてしまった)。

@昼から

 すっかり酔い、ベッドで横に。ふと目を覚まして「14時過ぎくらいかな」と思って時計を見ると、まさかの19時13分であった。飲み慣れない薬+アルコールで、変な酔い方をしてしまったようである。数少ない見所であった夕日も、完全に見逃してしまった。
 仕方ないので、そのまま晩酌を開始。再度酔っ払いとなり、21時前には寝入ってしまった。

■2022.8.17
 目を覚ますと5時過ぎ。ちょうど日の出の時間帯であるため、デッキに出て朝日を拝んだ。

@ご来光

 その後は、特にすることもなく船内をぶらぶら。天気も良いためほとんど揺れもなく、これならば酔い止め薬はなくても大丈夫だったかもしれない。
 本も映画(データ)も持ち込んでいないため、船内に掲示されている資料(硫黄島関連まである)をあれこれと見て過ごした。
 しかしそれもすぐ終わってしまうため、後は海と鳥を眺めるくらいである。

@付き添ってくる

 自室で横になったり船内をうろうろしたりを繰り返し、10時頃になると遠くに島が見えてきた。やっと父島かと思ったが、あれはまだ弟島である。

@陸が見えてきた

 しばらくすると父島に寄り添うようになり、港に入って行った。港湾内で旋回するのだが、海面に茶色いゴミのようなものが浮いている。よくよく見たら、泳いでいる海亀であった(さすが小笠原)。
 定刻より少し早い10時50分に着岸。上層階の乗客から下船を始めて、私が下船したのは11時頃であった。

@初上陸(の直前)

 下船後は、歩いて宿へと向かった(多くの宿は港に送迎に来ているが、私が泊まるところは自力で行く必要がある)。トンネルを通っていくが、ここも戦争と関連がある場所である(防空壕的な使われ方をしていたらしい)。

@トンネル内

 荷物を置いて、2時間ほど休憩してからは、観光である。ただし、今日は歩ける範囲で適当に散策するだけである。
 集落内にある施設(ビジターセンターなど)を見てから、坂を歩いて行き公園墓地の方へ行ってみた。時刻は丁度15時半であり、おがさわら丸が竹芝に向かって出港する時間である。ということで、高台からお見送りである。

@トーチカ+おがさわら丸

 まだ早い時間帯であるが、あまりにも暑く、今日は氷水などの用意もないためこれ以上歩くのは危険である。ということで、スーパーで買い物をして宿に戻ってしまうことにした。
 さて、今日からは自炊の連続である(宿にはIHコンロや炊飯器もある)。問題は「小笠原らしい食材を得られるか」であるが、今日はスーパーにて近海で捕れた尾長鯛のアラを発見している(残念ながら亀の刺身はなかった)。これをフライパンで焼いて、醤油をかけて頂くだけである。

@今日の食材

■2022.8.18
 リュックにはタオルや凍らせた水2本など最低限のものだけを入れて、9時過ぎに宿を出発した。すでに朝早くから物産館が開いていたので入ってみると、島レモンが4個500円くらいで売っている。しばし悩んだが、その場では買わなかった。
 役場前にあるバス営業所に行き、一日券(500円)を購入。バス料金は一律200円であるため、3回以上乗れば元は取れる。

@今日の交通手段

 定刻から遅れた9時46分頃に村役場前を出発。この時点では私を含めて5人くらいの乗客であったが、すぐ次で3人ほど乗り、さらに集落の端で8人くらい乗ってきたため、小さいマイクロバスは立つ人まで含めて満員となった。
 右手に奇麗な海を見やりながら所々勾配のある道を走り続け、10時06分頃に終着である小港海岸に到着した。そこから林の中の小道を歩いて行くと、海岸である。やっと小笠原に来た雰囲気である。

@奇麗

 さてこの後であるが、当初はコペペ海岸につながる遊歩道(山道)を歩こうかと思っていたが、虫よけスプレーを持ってくるのを忘れてしまっている(海岸にあった東屋で休んでいた時点でもう刺されている)。そこで予定変更し、バス通り沿いに戻り、亜熱帯農業センターを経由してコペペ海岸に向かうことにした。
 ということで後戻りを始めた。かなり暑くて日差しが痛いくらいであるが、雨傘を日傘代わりにして行けば多少は紛らわせられる。辺りの景色(樹木)は、沖縄の離島のそれに近い雰囲気である。

@にしても暑い

 途中、東屋があったのでそこで休憩し、ここで早めの昼食である。内容は昨日のうちにスーパーで買っておいた市販の総菜パンであるが、消費期限は昨日までである。無理もない、おがさわら丸で2日かけて運送されてくるので(しかも11時出港であるから製造日はその前日であり)、到着して店頭に並べられた昨日の時点で消費期限ギリギリなのである。よって、期限が切れたものでも店舗で売られているのが「小笠原あるある」であるらしい。
 休憩後は再度歩き始める。坂道がきついので、玉のような汗がボロボロと落ちてくる。時折休みながら、溶けてきた氷水を飲んで体を休めた。それにしても、道路のあちこちに車に轢かれた大きなカエルがいるのが目に付く。
 坂の頂上に近付くと、亜熱帯農業センターである。

@しばし見学

 植物を見学してから、コペペ海岸へと向かった。道端に動物捕獲用の小さい箱が置いてあるが、これはノネコ用である。小笠原固有種を守るために、野良化した猫を捕獲する活動が行われているという。
 ぐるっと迂回してきたが、11時40分頃にコペペ海岸に到着した。

@ここも奇麗

 しばし海を見ながら東屋で休憩し、元来た道を少しだけ戻り、大きな道沿いに進んで扇浦海岸へとやって来た。ここでもしばし、海を見ながら休憩である。
 やっと汗も引いてきて、13時03分発のバスに乗り込んだ。まだ昼過ぎであるが、猛暑の中を歩くのはこのくらいが限度であるため、いったん宿に戻って休憩である。

@バスで戻る

 部屋で涼みながらテレビを観たりして、17時台のバスに乗って境浦海岸へとやって来た。夕陽を見るためであり、バスの一日券を買った理由もこれである。
 ここの海岸はかなり高い位置にあるバス停から下っていく必要がある。今日は晴れているが地平線沿いが靄っていたため、残念ながら奇麗な夕日を見ることはできなかった。
 境浦海岸と言えば、戦時中に魚雷により座礁してそのままになっている濱江丸が有名である。海面上に出ている部分は年々少なくなっているらしいので、そのうち見られなくなってしまうかもしれない。

@現状

 17時51分のバスで集落に戻った。今日の観光はこれで終了である。
 さて、地元食材を使った夕食であるが、スーパーでメカジキの刺身とアラを買っており、別のスーパーで地場産のニラを買ってある(亀の刺身は今日もなかった)。アラはそのまま焼いて醤油で、ニラは豚肉と共に塩胡椒で焼くだけである。
 なお、夕方になって「島レモンを買って焼酎に入れよう」と思って物産館に向かったが、すべて売り切れであった。残念。

@今日の食材

■2022.8.19
 今日は、母島への日帰り旅である。7時30分出港であるため、それに合わせて7時過ぎには港に向かった。「ははじま丸」も2016年に新たに新しい船が就航しており、大型化している。大型化しているといっても500トン以下なので揺れが心配であるが、今日も晴れていて波は高くない。ただ、念のため酔い止め薬は飲んでおいた。
 港に着くと、ははじま丸との対面である(朝の時点では超絶逆光であったため、この写真は帰って来た時のもの)。

@ははじま丸

 窓口に入って切符を購入するが、本来の片道料金(3,950円)に燃油の追加等(1,360円)があり、5,310円とかなりの高額である(往復するだけで1万円超え)。もちろん、日常使いのために島民割引は存在する。

@一式

 7時15分、乗船開始となった。船内にはカーペット席と普通席があるが、横になってゴロゴロするために前者を選択した。すでにビニールが被せられた洗面器もいくつか置いてあり、天候が悪い日はこれが大活躍しそうである。
 この船は「ホエールライナー」とも呼ばれている。航路付近で鯨を見られるということであるが、シーズンは12〜5月ということで、今回は難しそうである。

@こういうのは期待できない

 定刻の7時30分、数人に見送られながら二見港を出港した。しばし島の風景を眺め、それが見えなくなったら船内に入ってゴロゴロするだけである。
 9時頃になると、左手に母島近付いてきた。父島同様、険しい山脈である。

@戦前は島北部にも集落があった

 定刻から少し遅れて、9時37分に母島(沖港)に到着した。私は早速散策に向かったが、他の乗客はツアーに参加する人が多いようであった。
 まず向かったのは、静沢の森遊歩道である。この遊歩道には戦争関連のものが残されているので、ちょっとした戦跡ツアーになる。
 しばし歩いて遊歩道入口から中に入ったが、普通に歩ける道ではない。森が茂っているため、屈んで歩く部分がかなり多いのである。

@門構え

 汗だくになりながら歩き続ける。大きな落木があってそれを避けようとして、棘のあるシダ植物が足に刺さったりして、難儀な道程であった。
 所々に、兵器庫などが残されている。Tシャツ1枚でも汗だくだというのに、上下長袖の軍服でこんな場所にいたら、あっという間に脱水症状になってしまいそうである。

@無残

 その後も中腰になり続けながら歩き続けた。ぐるっと迂回する道があり、そこに入っていくと高射砲が見えてきた。母島や父島はこのように要塞化されていたので、当時の米軍は地形が平らで長い滑走路のある硫黄島に目を付けたという話もある。

@高射砲

 遊歩道を抜けた後は、普通の道路を歩いて戻った。遊歩道入口まで戻り、そこから南へも入ることができたので、そこを散策。軍施設の残骸+可愛いメグロなどを見て歩いた。
 集落方面に戻り、途中から別の遊歩道を経由して鮫ヶ崎展望台に向かった。ここはホエールウォッチングの名所ということであるが、それは冬場であり、やはり今は難しいとのこと。

@手前にある絵で想像する

 小高い丘の上にあるため、強い風が吹いている。ちょうど良いので、ここでしばらく休憩した。
 その後は集落に戻ったが、港に近付いて海を見たら、「ここは水族館か」というくらいの魚の群れであった。釣り竿など不要で、網があれば一網打尽である。それにしても、豊かな海である。

@魚だらけ

 集落の中に入り、ロース記念館(民俗展示館)を見学したり、農協や漁協の店舗で買い物をしたりして(詳細後述)、この時点で12時半頃である。ははじま丸の出港(14時)までまだ時間はあるが、山登りなどする気になれないし、集落付近の観光スポットはもうないので、木陰のベンチにて店で買ったガリガリ君を食べて休憩である。
 13時半頃に港へ行き、まずはスタンプラリーの景品(絵葉書)の受領である。

@戦利品

 待合室内に小さな店舗が開店していたので、エコバッグやオガスコ(小笠原食材を使用した調味料)を購入した。
 13時45分に乗船開始。定刻の14時00分、島の子どもたちなどに見送られながら母島を出港した。

@さようなら

 往路と同じく、島が見えている間はデッキで、途中はカーペットでゴロゴロ、島が見えてきたらデッキで過ごし、定刻から少し遅れた16時07分に父島に戻って来た。
 さて、今日の夕食であるが、まずは母島の漁協売店で買った亀甘煮である。沖縄で食べた山羊汁みたいなものを想像していたが、あそこまで薬味を多用しておらず、純粋に肉として食べられた。肉以外にもいろいろな部位が入っており(歯ごたえのあるモツのような部位もある)、おかずというよりはツマミである。
 それと、母島の農協売店で買った島レモンである。通常の島レモンは100グラム108円で売っており、「2〜3個買っていくか」と思ったが、その下に明らかに傷があったり形が小さかったりする島レモンが特売になっていた。「どうせ焼酎に入れるだけ」ということで、それを買うことにしたのである。

@こんな内容

■2022.8.20
 今日は、おがさわら丸の出港までプチ観光である。今日も凍らせたペットボトル2本を用意して、まずはウェザーステーション展望台へと向かった。
 それにしても、まだ9時台だというのに痛いくらいの日差しである。大汗をかきながら、所々で休憩して凍ったペットボトルを首元に当てたりして、40分ほど歩いて展望台に到着した。一面を見渡せる壮大で奇麗な景色であるが、写真1葉では表現できないのが難しいところである。

@遠くまで見渡せる

 強い風も吹いていたので、ここで20分ほど休憩した。
 さてこの後であるが、当初は宮之浜方面に行こうと思っていたのだが、これ以上炎天下で歩くのは厳しそうである。ということで、早めに集落に戻ってそちらの観光をすることにした。
 山から集落まで降りてくると、時刻は10時40分頃。ということで、11時に入港するおがさわら丸をお出迎えすることにした。

@後で乗ります

 その後は水産センターに行って水槽にいる魚などを見たり、海洋センターに行って飼育されている亀を見学したりした。
 それでもまだ時間があるため、世界遺産センターを見学し、初日に続いて二度目となるビジターセンターを見学したりした。
 そろそろ宿に戻ろうと思ってメインストリートを歩いていると、寿司屋で「亀」の文字を発見。結局亀の刺身がスーパーでは買えなかったが、ここなら確実である。ということで、「島かめ」(島寿司と亀寿司の融合)を買うことにした。

@島かめ(下段が亀)

 亀の刺身を食べるのは21年ぶり2回目である(前回は宮古島)。見た目はマグロの赤身や血合いのようであるが、やはり肉に近い感じであった(魚っぽい肉?)。
 宿に戻り、置きっぱなしにしていた大きな荷物を引き取り、港に向かって手続きをした。14時45分から乗船が開始となり、15時頃には自室に辿り着いた。今日も下段である。
 そして定刻の15時30分、父島(二見港)を出港した。超絶多数の見送りである。

@大人数

 掲げられているボードや旗にある文字は、「さようなら」ではなくて「いってらっしゃい」なのである。つまり、また来る(帰ってくる)ということなのであろう。
 お互いに大声で挨拶をし合い、出港すると船に付いて来る人もいて、そして岸壁から子どもたちが大人数で海に飛び降りる、…ここまでは他の航路でも見てきた景色である。小笠原で特異であったのは、多数の船も付いてくるというところであった。結構大きめの船が何艘も並走してきて、そこから手を振ったり、中には大人数で海に飛び込んだりする船もあった。

@並走中

 並走していた船もだんだん少なくなり、その後は島の姿を見続け、それが見えなくなると自室に戻った。
 この時点でまだ16時半くらいであったが、もうやることもないので呑み始めることにした。今日も酔い止め薬を念のため飲んでいるが、これとの相性によってまた深く寝てしまうかもしれないからである。なお、今日の食材は父島のスーパーで買った冷凍食品であるため、掲載はしない。

■2022.8.21
 昨日は18時前に寝て、途中21時頃の船内アナウンスがあったのを覚えているし、1時半頃に1回目覚めたが、結局4時半まで寝てしまった。
 シャワーを浴びて、朝日を見るため5時頃にデッキに出たが、残念ながら曇っていて朝日を拝むことはできなかった。

@無念

 船内のフリースペースでこの旅行記を書いたりしていたが、結局9時頃からまた呑み始めてしまった。10時頃から、またひと眠り。
 12時過ぎに起床。船は房総半島の先の沖合にいるが、曇っているためあまり良く見えない。しばらく眺めていると、やっとうっすらと見え始めて来た。
 東京湾アクアラインを過ぎ、羽田空港の横を通り、レインボーブリッジの下をくぐると、竹芝旅客ターミナルである。15時19分に着岸した。これで、「マリンレジャーがいっさい出てこない小笠原旅行記」は終了である。

@ただいま(羽田空港)

 

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