復活「日本海」(+桜づくし…の予定が)

■はじめに
 今年(平成24年)の3月16日、寝台特急「日本海」号はその長い歴史に終止符を打つこととなった。私は惜別の意を込めて廃止前に乗車しようとし、1月の切符を押さえておいたが、残念ながら当日になって運休となってしまった(拙文「惜別『きたぐに』『日本海』」参照)。
 しかし、廃止となってしまった「日本海」であるが、しばらくは多客期に臨時列車として運転されることが決まっている。今年のゴールデンウィークには、たったの4往復であるが復活することになったため、前回の埋め合わせという意味も込めて乗車することにした。
 寝台券は、発売当日(乗車日の1か月前)に、JR西日本の電話予約サービスで押さえておいた(朝の10時に仕事を抜けて駅に行くことができなかったため)。電話がつながった時点ですでに下段は満席、仕方なく上段(しかも喫煙車)にしたが、30分もしないうちに売り切れ(満席)となってしまったから、贅沢は言えないだろう。
 ……と思っていたのだが、出発日の数日前になってウェブ上の空席照会サービスを参照すると、なんと△(空席あり)になっているではないか。仕事が忙しくてみどりの窓口に行くことが出来なかったが、出発当日に時間があったので駅に行って尋ねてみると、あっさりと下段に変更できてしまった。団体のキャンセルでも出たのか、それとも転売目的で切符を購入した人間がいて思うように売れなかったため手放したのか、とにかく、謎である。

@復活「日本海」(酒田駅にて)

■2012.4.28
 午前中、JR品川駅で上記の変更手続きを済ませる。それから少しだけ会社に顔を出して仕事をし、その後は予約していた献血を都内某所で済ませ、家に戻ってからは、翌週のフィリピン旅行の準備をする。斯様にモタモタしているのは、飛行機の出発時刻が夕方であるためである(3連休であるため、早い時刻の便は値段が高く、今さら大阪に早めに移動したところで見るものもないため)。
 羽田へ行き、16時30分発のJAL便で伊丹へ。それでもまだ時間に余裕があるため、空港のカードラウンジでフィリピンの情報検索をしたりして時間を潰し、阪急蛍池駅近くのスーパーで夜の食材を買ってから大阪駅へと向かった。
 大阪駅11番線、夜行列車などを中心に発着するホームであり、つい数年前までは多くの列車を送り出していたホームであるが、今となってはここを始発とするのは不定期の「トワイライトエクスプレス」だけである。しかし、今日は久々に「日本海」の文字が電光掲示に光っている。

@改札の電光掲示にも「日本海」が久々に

 ホームには、復活した「日本海」を撮るべき鉄道好きな輩が、それなりに屯している。しかし、運転最終日の半狂乱状態(見たわけではないが)のようなものにはなっておらず、落ち着いた感じである。私もホームの片隅にいたが、しかし、なかなか入線してくる気配がない。「これではビールを買っている暇がなくなるな」と危惧し始めた20時33分頃になって、駅員のアナウンスとともにやっと前照灯が見えてきた。急いで先頭部分を写真に収め、ホームの最後方にある売店まで走ってビールを急いで買い、最後尾の1号車に飛び乗った。
 定刻の20時38分、「日本海」はゆっくりと走り始めた。

@大阪駅にて

 走り出してしまえば、まるで定期列車として毎日走っているかのようで、特段に何かが変わっているというわけではない。並走する新快速の車内からは、こちらの呑気な夜着姿が丸見えである。気にすることなく、こちらはこちらで安食材での晩餐を続ける。
向日町の操車場では、「日本海」と同様に臨時として復活した「きたぐに」用の車両が係留されているのが見えた。

■2012.4.29
 目が覚めるとすでに外は明るく、どこかに「運転停車」(客扱いをしない停車)をしているようである。時刻は5時30分、駅名標には、「岩舟町」とあった。
 すぐに走り出したが、左手には日本海が見えたり隠れたりしている。定期列車時代の「日本海」は、その発着時刻の関係からほとんど日本海を拝むことができなかったが、今回の臨時便は大阪発が3時間ほど遅くなったため、斯様にして大海原を見ながら旅を続けることができる。

@「日本海」からの日本海

 目覚ましの車内放送があり、その後は鶴岡や酒田に停まっていくが、停車するたびに大勢の鉄道ファンがホームに降りて写真を撮るために駆けずり回っている。どの駅で撮っても同じだとは思うが、何かしらいろいろあるのだろう。
 私のコンパートメントは、結局下段の2人だけで、上段は空いたままである。6号車まで歩いてみたが、上段はちらほら空いており、1〜6号車まで含めると20弱は空いていそうな感じである。予約開始当日から3週間ほどずっと満席だったのは、いったいなんだったのか。

@主、来たらず

 本物の日本海は付かず離れずの距離にあり、遠くには島(粟島)がぼんやりと見えている。沿線の桜も、葉桜だったものが北上するにつれてだんだんと花弁が増えていく。
 さて、11時10分には大館に着く予定である。前回(1月の時)、列車運休の連絡をわざわざ私の携帯までしてくれた弁当屋さんから、ぜひとも弁当を購いたいと思っていたところである。しかし、弁当屋のホームページを事前に確認すると、ゴールデンウィークは多忙のため「列車への積み込み」(ホームまで持ってきてくれるサービス)はしていない、ということであった。
 それならば、こちらから出向いて買えばよい。停車時間は3分あるので何とかなるだろうと思っており、大館到着後に慌てて探してみたが、ホーム上には売り子はもちろん売店すらなく、手も足も出せなかった。
 弁当は買えずじまいで大舘を出発、その後、列車は定刻の11時57分に、弘前に到着した。

@弘前駅にて下車、お見送り

 マニアならば終点(青森)まで乗り通すべきであろうが、私はそこまで偏執的でもなく、それよりはこの時期、弘前城の桜の方が観光要素としては重要であろう。それゆえの途中下車である。
 弘前駅から歩くこと約30分、桜の木々に包まれている弘前城に到着した。南側の堀周辺(暖かい陽が当たるところ)はかなり咲いていたが、全体的につぼみの部分が多く、観光センターの掲示板によると「3分咲き」ということで、満開日は3日後の5月2日だという。今のままでも十分綺麗であるが、実は数年前に満開日の弘前城を偶然訪れたことがあり、それと比較すると、やはり「まだまだ」である。

@しかし、人出はすごかった

 桜を堪能した後は弘前駅に戻り、青森で乗り換えて蟹田へ向かう。青森から出発してすぐの左手には車両基地があり、「あけぼの」や「はまなす」用の車両の先には、また来週出番がやってくる「日本海」の車両が係留されているのが見えた。
 さて、今日の宿泊先は蟹田というマイナーな町である。特に観光地があるというわけではないが、太宰治の『津軽』にてこの町のことが触れられている。昭和19年、久々の帰郷をした太宰は蟹田を訪れ、知人の饗応を受けるのであるが、読んで字のごとくカニを食べながらの宴であったようである(詳細は小説を参照してください)。
 時期的にも、4月下旬からは「しろうお」と「蟹(ドゲクリガニ)」の季節になるということで、それらをフルコースで堪能できるプランで予約してある。

@蟹田駅

 蟹田止まりの各駅停車は、定刻の16時46分に到着した。ホーム上には、『津軽』からの一節「蟹田ってのは 風の町だね」が彫られている厚い板がある。私が初めて蟹田を訪れたのは20年くらい前であるが、当時は光沢のあった板も、長年の海風の影響からか、ずいぶんと色あせていた。
 人けの少ない港町を歩き、事前に電話で予約してあった漁港のすぐ近くにある旅館に投宿。今年は春が遅く、そのため「しろうお」の踊り食いはできないということであったが、蟹は大振りのものが1匹、しろうおも天ぷらや卵とじなどはあり、かなり満足のいく夕食であった。

@満腹(ビール瓶の大きさと比較してください)

■2012.4.30
 朝早い出発であるため朝食は辞退し、7時22分発の臨時特急で木古内へと向かう。下北半島側と北海道側、どちらも北海道新幹線の工事がかなり進められていた。
 木古内にて、普通列車に乗り換える(蟹田‐木古内は特急しか走っていないため、普通乗車券のみで特急に乗ることができた)。右手に函館山を眺めつつ、渡島当別にて下車。目的地は、トラピスト修道院である。

@トラピスト修道院(男子修道院です。観光地として有名なのは、函館の「トラピスチヌ修道院」(女子))

 今回の旅行を計画した際、時期的に弘前と道南の桜を堪能できると思っていたのだが、今年は全国的に春が遅かったため、残念ながら修道院付近もまだ咲いていなかった。結果論からすると、弘前で3割程度、道南ではすべてつぼみであった。
 それはそれ、天気は最高に良いこともあり、修道院から眺める景色は良く、ソフトクリームもお世辞抜きでかなり美味であった(トラピストバターが決め手か)。
 ちなみにここの修道院は、事前に往復はがきで申し込みをすると見学も可能である(ただし、男性のみ)。私は約20年前に、院内の案内をしてもらったことがある)。

@美味(かなり濃厚)

 渡島当別駅に戻り、9時43分発の各駅停車で五稜郭へ。歩くこと約30分、五稜郭公園へ向かったが、桜は100%つぼみであった。残念ではあったが、この上ない快晴であったので、初めて五稜郭タワーに登ってみた。

@快晴(早めの昼食は、眼下にある「ラッキーピエロ」(函館B級グルメ)で済ませた)

 再び五稜郭駅へ戻り、13時26分発の列車で大沼公園へ向かう。大沼公園自体はもう何度も訪れたことがあるので食傷気味であるが、今日は「SL函館大沼号」の運転日であり、時間的にちょうどそれを眺めることができる。
 大沼公園に来るのは片手以上であるが、この日は私の経験では過去最高の人出であった(天気の良いゴールデンウィークであるから当然であろう)。ちなみに、一番人が少なかったのは、今から十数年前の冬の平日の早朝で、駅から遊歩道を歩いて駅に戻るまで誰一人ともすれ違わなかった、という経験もある。
 駅へ戻ると、遠くから汽笛が聞こえてきて、SL函館大沼号がバックしてやってきた(大沼駅からスイッチバックしてきたため)。やはり、SLは「乗るもの」ではなく「見るもの」である。

@SL函館大沼号

 鐡づくしの旅の締めくくりは、「道南さくらエクスプレス」である。この臨時列車はノースレインボー・エクスプレスの車両を使用しており、その先頭車両の1列目は、実質展望座席となっている。1か月前の発売日の昼に申し込んだが、4席のうち残りは1枚しかなかった。やはり人気があるのだろう。

@これの最前列へ

 列車は、定刻の15時04分にやってきた。上記のこともあり、心して乗り込んだのだが、混雑している車内であるにも関わらず最前列は私しか座っていない。桜の開花が遅れたせいで旅行のキャンセルでもしたのであろうか、いずれにせよ不可思議である。しかし、場所的には人気のある席であるため、鉄道ファンや子ども、さらには女性客までが、代わる代わるやってきては少し座って前方を撮影したりしていた。

@行き違い(ディーゼル特急と)

 すれ違う列車は各駅停車や特急はもちろんのこと、貨物列車や、さらにはトワイライトエクスプレスや北斗星、カシオペアまで多種多様であり、それだけで充分に楽しめるものであった。南千歳到着直前には、大型旅客機までが直前を斜めに横切って行った。
 南千歳で乗り換えて新千歳空港へ、あとは羽田へ飛ぶだけである。

@この行先表示が見られるのはいつの日までか

 

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system