ミャンマーで旧友たちと再会する

■はじめに
 今回の訪問先は、ミャンマーである。軍事政権ということもあり、つい先日までは鉄道関係はすべて撮影不可(事前の許可が必要)ということで、どうしても私の足が向かなかった。しかし総選挙の結果でアウンサン・スーチー氏率いる国民民主連盟が圧勝したことなど、いくつかの要因も重なり、ここ1〜2年で事情は大きく変わってきている。件の鉄道に関する撮影も、最近は何も言われなくなってきているようである。入国に関してビザは相変わらず必要であるが、こちらについてもネットでの申請が可能となり、大使館まで行く必要もなくなった。
 何より、ミャンマーには日本のJR各社から移譲された多くの鉄道車両がある。これまでは二の足を踏んでいたが、自由に行けるとなった以上、これはぜひとも行ってみなければならない。
 今回の旅程は、三連休を利用しての弾丸旅行である。

初日:深夜便で羽田からバンコクへ飛び、ヤンゴン便に乗り継ぎ。ヤンゴン到着後は寝台の切符を申し込んでいた旅行会社に行って切符を受け取り、その後は環状線に乗り日本の旧車たちと邂逅する。(ヤンゴン泊)
2日目:ヤンゴン市内の臨港線(トラム)に乗り、やはり日本の旧車と再会。その後は市内観光をして、15時発の夜行列車でマンダレーに向かう。(車中泊)
3日目:マンダレー到着後は市内観光をし、午後の便でバンコクへ。羽田便に乗り継ぐ。(機内泊)

@ヤンゴン市内にて

■2016.1.9
 9時40分過ぎにヤンゴン空港に到着し、タクシーカウンターで配車をしてもらって市内に向かった(料金は8,000チャット。10チャット=約1円)。
 他の旅行記でも多く触れられているが、ミャンマーの中古車は日本車率がかなり高い(最近の新興国では韓国製が多くなってきているが、ミャンマーではほとんどが日本車である)。バスも日本車が多いが、ミャンマーは右側通行なので、改造して右側にもドアを作っている(左側の旧ドアは開きっぱなし)。

@こんなカラーリングまで

 まだ午前中であるため、ヤンゴン名物の大渋滞も「そこそこ」であった。約45分で市内に入り、旅行社の近くで降ろしてもらい、手配済みの明日の寝台列車の切符を受け取った。
 その後は散策も兼ねて、市内をぶらぶら。街全体が市場のようであり、様々な商店や出店が連なっている。変に「観光客慣れ」もしていないので、しつこく声を掛けてきたりもしないので安心である。
 その足で、環状線に乗るために駅へと向かった。ヤンゴン中央駅は壮大な駅舎であるが、正面入口は各地方に行く列車の乗り場であって、環状線はここからは乗車できない。他所様のサイトで調べた通り、階段を上がって駅東側の橋を渡り、その途中から6・7番線ホームに降りる階段で向かった。

@ここを渡ります(前を歩いているのは同じ目的の外国人)

 13時台の列車に乗る予定であるが(昨年の時刻表は入手済みであるが、今年1月1日にダイヤ変更があったらしく、詳細な時刻は手にしていない)、まだ12時半過ぎであるため、しばらく駅付近の車庫が見える辺りを歩いてみた。
 明らかにJRから譲り受けたという車両が、ちらほらとある。それもそのはず、「そのまま」だからである。

@久々に見る「伊勢奥津」行(本当の伊勢奥津行は2か月後に再開予定))

 車庫にある車両を確認し、6・7番線ホームへと降りて行った。日本製でない超ボロ車両も停まっているが、見慣れた車両も停まっている。7番線の西側(時計回りが出発する側)にいたのは、久留里線で走っていた車両ではないか。

@私だけ大騒ぎ

 車両全体は「ミャンマービール」の広告で緑中心に塗られており、車内もかなりくたびれてしまっているが、優先座席や消火器の説明書きなどは日本語そのままである。
 ちらほらいる西洋人は「長閑な景色を楽しむ」という目的でこの環状線に乗っているようだが、一部日本人(私以外にも少しいた)は、どうやら同じ目的のようであり、これと同じような写真を収めていた。

@撮らずにはいられない

 同じホームの東側(反時計回りが出発する側)にいるのも、日本製の車両であった。数種類ごちゃまぜであったが、エンジン等は外され、機関車に牽引される客車として運用されていた。
 ホームの端からは、SLが展示されているのも見える。軍事政権時代はあまりよいイメージではなく情報も入ってこなかったが、意外に「鐡に優しい」お国柄なのかもしれない。

@旧いものも大切に

 ミャンマーに譲渡された車両のうち、個人的に最も乗ってみたいのはキハ181系である。この環状線に配置されているという去年の情報もあったが、いかんせんダイヤ改正がされたばかりである。待っていてもそれがやってくる可能性も不明なので(そもそも、環状線も途中まで運行される列車が多く、一周するのは数が少ない)、まだ7番線に停まっていた「元久留里線」に乗ってしまうことにした。
 ホーム中ほどにある小屋で切符を買い(たったの300チャット)、車内に入った。冬とはいえ少し暑いくらいだが、「JR東日本」の扇風機が回っているから大丈夫である。

@懐かしい

 13時10分、久留里線(ではないが)は出発した。この環状線は駅間が1キロ未満程度のものも多く、低速ではあるがすぐに次の駅となる。次の駅でさらに乗客が増え、その次では立つ人も多くなった。
 日本の中古車両は「自動ドアが閉まる」というのが、実は優れている点である。この車両もそうであるが、日本との違いは「走り出してから閉まる」という点である(走り出しても飛び乗る人がいるため)。
 ほどなくして、2編成続けてキハ40とすれ違った。最初のは正面だけがJR北海道カラー、次のはJR東海カラーで行先は「半田」であった。

@これも懐かしい

 駅によっては構内が市場のようになっており、野菜が売られていたり、食事の屋台みたいなものがあったりする。
 13時55分頃、インセイン(Insein)駅の手前右手方向に車庫が見えてきた。その奥まったところに、確定はできないがキハ181系らしきものが見えた気がする。今は別の路線で運用されているのかもしれないし、もしかしたら廃車になってしまったという可能性も捨てきれない。

@手前のJR北海道カラーの右側に見える赤い車両が、それかもしれない

 同駅を出発して4駅目のダニンゴン(Danyingon)はHlawga方面への路線が分岐する駅であり、やはりここも駅自体が市場のようになっていた。途中下車をしている時間はないが(次の列車がいつくるか不明であるため)、このような雑踏とした市場をぶらぶらするのも楽しいものである。

@雑然

 同駅を14時32分に出発し他の路盤から分かれて右に曲がり、次の駅はその英語名が「ゴルフコース」であった(駅の近くは、どう見ても田畑と雑木林しかないが)。
 明らかにツーリストである西洋人(スウェーデン人とのこと)が、明らかにツーリストである私に話しかけてきた。せっかくなので、この列車が日本の中古車であることを教えてあげた。

@窓がないため撮影しやすい

 長閑な田園風景が続くが、集落の近くには決まってゴミの山がある。もちろんそれを分別することで生計を立てている最下底の層の人もいるのかもしれないが、なかなか厳しい生活環境のようである。
 しばらくすると、出発直後にすれ違った半田行(ではないが)とまたすれ違った。ちなみに、後ろ側の行先票は多治見であった。

@今日2回目

 その後は、空港近くでは間近に飛行機を拝み、なんだかよくわからないパイプラインのような物を右手に見続け、左側からマンダレー方面からの路盤が合流し、あれこれ見ているうちにマラゴン(Ma Hlwa Gon)に到着した。同駅でしばらく停車してから出発したが、かなりの超低速である。というのも、マンダレー方面の本線2本を跨いで一番南側の路盤に移らなければならないのである。

@移り終わる

 16時04分、ぐるっと回ってヤンゴンに戻ってきた。
 別のホームには、先ほど見かけた「正面だけJR北海道カラー」の車両が停まっていた。それに乗る用事はないが、せっかくなので線路上を歩いてそのホームに行って撮影した。

@どこかで乗った可能性大

 無事に1日も終え、駅近くのホテルにチェックイン。
 夕食については、まずはちょっと高めのショッピングセンターでフライドチキンを買い、屋台で鳥の揚げ物(各部位)を身振り手振りで買い、数人並んでいた店(並んでいる=きっと人気がある)で焼きそば風の麺(カレーソースを掛けて食べる)を手に入れ、そして最後はスーパーでミャンマーのビールを山ほど買い込んで、準備万端である。

@いつもの光景

■2016.1.10
 今日の目的は、まず臨港線(トラム)に乗ることである。この路線に広電(広島電鉄)の中古車両が導入されるとの話があり、すでに車両もミャンマーに移送され電化の準備も整っている。問題はいつ開業するのかということが不明というところであるが、仮にまだ営業していなくても、昨年は三陸鉄道で走っていたディーゼルカーがこの路線走っていたので、それに乗れたとしても充分である。
 ホテルの朝食は、モヒンガーという郷土料理。なんだかよくわからない西洋式の朝食よりは、こういう方が嬉しい。

@美味しく頂きました

 ホテルを出て南の方へ歩き、トラムの駅があるらしきところへ向かった。
 パッと見たところ駅らしいものはないが、オレンジ色のブロックのようなものが置いてあり、どうやらこれが駅のようである。横の壁(工事用の壁)には、即席の駅名票と新しい時刻表が貼ってあるので、ここで間違いないようである。

@駅です

 地元の人2〜3人と、日本人の同志と思しき人(カメラを抱えているので間違いない)がいるので、列車はそろそろ来そうである。待つこと約15分、近づいてきたのは、まさかの広島市電ではないか。カメラを構える手が、心なしか緊張する。

@本当に久しぶりです

 乗り込んでみると、機器類は当然のこと車内の広告や路線図まで広島のままである。逆に言うとビルマ語がほとんどなく、外装が塗り直している以外はほとんど広島のままである。

@広島?

 それより異様なのが、車内の様子である。一般の市民も半分くらいいるのであるが、それ以外のほとんどが関係者(鉄道関係者など)のようなのである。しかも、運行に関してあれこれ確認しながら、試行錯誤の状態で各駅進んで行っている。どうやら行名票の「試運転」というのは、半分本当のようである。

@漢字は読めませんので

 西側の終点に到着すると、車内にいた関係者たちはわらわらと下車し、車両の先頭に皆で立って大騒ぎとなった。続いて日本式の「万歳三唱」が起こり、その後は各人の記念撮影大会となった。
 日本のNHKテレビも取材に来ており、一般客にインタビューなどをしている。どうやら、なんと今日が開業日だったようである。

@お祝い

 お祭り騒ぎは20分間も続き、一段落してから折り返しの列車が出発した(運転手がメインのスイッチを入れていなかったため動かず、関係者が慌てていたのは開業日ならではのご愛敬)。
 珍しいものが動いているためか、沿道にいるミャンマー人たちもスマホやタブレットでこの車両の写真を撮ったりしている。車内ではNHKのニュース用画像の撮影が始まり、「開業初日ということもあり、多くのミャンマーの人たちが」のような声が聞こえてくる。その原稿で「初の電車ということもあり」とあったが、なるほどそういう意味でも珍しいのであろう。

@撮ったり撮られたり

 車内にいるNHKクルー以外にも、伴走しながらこちらの動画を撮影している一団がいる。NHKの現地スタッフ(英語ができる女性)に「あの人たちもテレビですか?」と聞いたところ、「たぶん鉄道省の人が記録を取っているのでしょう」と教えてくれた。

@料金所を通るのはこのトラムの名所

 料金所を過ぎてしばらくして、東側の終点に到着した。駅名票には「LANS DOWN」と書かれており、過去の資料にはない駅名である(短縮されたか、この先の電化整備が整ってないためか、いずれにせよ今はこの駅までである)。
 道路脇では、スタッフが目印をペンキで書いている。というのも、「駅」が独立したブロック状であるため、それに合わせて止めるのが難しいのである(先ほども、運転手は後ろを向いてブロックの位置を確認していた)。その場で「やっぱり目印付けちゃおう」という感じでやっているようで、いかにも試行錯誤という感じである。

@この位置に止めましょう

 折り返しの列車に乗り、朝に乗車した駅(パンソダン)で下車した。このトラムは本来1乗車当たり100チャットの料金が発生するが、今回は開業日(半ば試運転)だったためか、全員無料であった。3回分、たった300チャットであるが、得した気分である。
 充分に堪能した後は、タクシーで移動してシュエダゴン・パヤーをおのぼりさん的に観光である。ヤンゴンに来て、さすがにここに来ないわけにはいかないだろう。

@定番

 観光を終えてからは再度タクシーで市内に戻り、夜用のツマミ(チキンや缶詰)やビールをあれこれ買占め、夜行列車にのるため駅へと向かった。
 ミャンマーの鉄道切符は前日でも取れるという話であったが、もしもの場合を備えて、今回は「ミャンマーPLG」という旅行社に事前にお願いしてある。切符の値段が1万2,750チャット(約1,300円)に対して振り込んだのが25ドル(約3,000円)であるから半分以上が手数料であるが、安心料と思えばこの程度は理解できる範囲である。
 中央駅には14時半頃に到着したが、15時00分発予定の「5up」はすでに入線していた。

@これに乗る

 編成は前からOrdinary(木製座席の普通車)3両、Upper Class(横3列のリクライニング)3両、Upper Class Sleeper(寝台車)1両、Ordinary5両、荷物車1両である。こうして見ると寝台は1両だから豪華のように思えるが、非冷房で、しかもかなり古い車両である(車内のほとんどは木製)。私の子どもの時分でも寝台車は冷房車両であったから(例:「ゆうづる」など)、思えば非冷房の寝台に乗るのは初めてかもしれない。

@車内の様子(出発時は他人がいたので、下車時に撮影。かなり汚いが、新しいシーツと枕が提供されるので安心)

 列車は、14時58分に出発した。同室の西洋人3人(若いカップルとそれなりの年齢の女性1人)は、「まだ2分あるわよ」と英語で言って笑っている。
 出発して30分くらいすると、前方に赤色の車両が見えてきた(非冷房=窓全開=写真撮影には最適なのである)。臨港線が電化されるまではそちらで使用されていた車両であり、以前は三陸鉄道で走っていたものである。これはこれで、またしても懐かしく写真に収める。

@本当に本当にお久しぶりです

 それにしても、先頭のディーゼル機関車は「SLか」と言うくらいの黒煙を上げて走っている。エンジンがよっぽど「へたって」いるのだろう。
 路盤が良くないため、時折船のように揺れる(しかしまだこれは序の口で、そのうちさらに酷くなるのであった)。西洋人たち3人は、「この列車に乗るのに保険を掛けろと言われた」みたいな話題で盛り上がっている。所々ではバラスト(砂利)が線路付近に撒かれており、一応「保線をする」気持ちはあるようである。

@全路線にわたってやってください

 思いの外すれ違う列車が多く、特に貨物列車が目立つ。貨物輸送も重要な収入源であるから、今後のためにもがんばってもらいたいところである。

@これは旅客列車(すれ違う列車の写真を撮るのは、少し怖い)

 沿線の風景は田畑が中心であり、時折繁みや非耕作地になったりする。大小のパゴダが見えてくると、16時45分にボゴーに到着した。時刻表によれば16時41分着であるから、たったの4分遅れである。ホーム上は物売りなどでごった返しており、そのうち数人は車内に入ってきて売り始めている。
 同駅を出発してからは、再び長閑な農村風景である。17時45分頃には左手に夕日が沈んで行った。

@落日

 さて、あとはヤンゴン市内で買っておいた品々で一献するだけである。
 夜の風景を見ながらすべてを平らげ、それからベッドに横になって寝た。それにしても、ものすごい揺れである。フィリピンなどで列車がゆさゆさ揺れる経験をしたことは何度かあるが、ここの揺れは「路盤が悪いのにスピードを出す」ため、縦揺れがすごいのである。ベッドに横になっていても、冗談ではなく体全体が5pくらい浮くのである(それがバンバンバンバンと何回も続く)。寝始めた際に「これは一睡もできないのでは?」と思ったが、アルコールと耳栓等のおかげで、なんとか横になったうちの半分くらいは寝ることができたと思う。

@ビールは押さえてないと外に飛んで行ってしまいます(夕食時)

■2015.1.11
 ミャンマーの鉄道は遅れることが日常茶飯事であり、今回の「5up」にしても「7時着いた」というブログを読んだ気がする。遅れが2時間程度はマシな方で、半日程度くらい遅延することもあるという。
 私もそれを覚悟し、敢えて出発時間が早めのこの列車に乗ることにした。2時間くらい遅れればちょうどよいくらいであるし、半日遅れても午後の飛行機には間に合う。
 目が覚めたのは4時40分頃、真っ暗でありどこにいるか不明であるが、そのまま横になった。しばらくして駅に停まった感覚があり、西洋人が窓を開けてホーム上にいた人にどこなのか聞くと、まさかのマンダレー到着であった。時刻は5時05分、奇跡的にたった5分の遅れであった。

@こういう時は、逆に遅れてほしい…

 まだ暗く、徒歩移動するにもどうにもならない。仕方なく、有料トイレを済ませてから薄明るくなる6時半過ぎまで駅構内で待ち、それから歩いて徒歩観光に出かけた。
 マンダレー市内を観光した後は、14時15分のバンコク便に搭乗。スワンナプームでは6時間程度の待ち時間があるが、ラウンジでこの旅行記を仕上げていればちょうどよい時間つぶしとなる。

@マンダレーの猫家族

 それにしても今回は、本来から目的としていたものや、また予想外に遭遇したものも含めて、数多くの「旧友」たちと再会することができた。廃車にならず、各国でこのように頑張っている姿は、やはりどことなく心打つものである。
 実は年末年始のエジプト旅行でかなり体力を消耗しており(帰国後に体調も崩した)、出発前は「2週連続の海外旅行は失敗したか」と思っていたが、今回に関しては訪問して本当に良かったと思っている。

 

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