マレーシア乗り潰しの旅(東海岸を中心に)

はじめに
 先月のマレーシア鐡旅の途中(マラッカへ移動する前)、早朝に時間があったので今回の鐡旅のチケットを手配しておいた。
 5日間有効のレールパスと、トゥンパへの寝台券等である。パスの料金は5日間で$35であり、購入時のレートでRMに換算される。詳細は忘れてしまったが、おおよそRM104程度であったと思う。日本円で約2900円であることを思えば、かなり安価なパスであるといえる(寝台に乗るためには追加料金が必要になるが)。
 窓口にいた若い男性はあまり慣れていないようで(そもそもレールパスの発行自体もあまり多くないようである)、結局、隣りにいた若い落ち付いた感じの女性があれこれ取り仕切って指示をしていた。トゥンパへの寝台は下段が埋まっていたため上段に、その他、イポー方面の指定券は発売前であることなどを教えてもらったりして、ほぼ二人がかりで、数種類の指定券を手配するのに20分くらいもかかってしまった。手書きのパスを手にして、礼を言ってカウンターを離れた。


@路線図概略(青線がウエストコースト線、赤線がイーストコースト線)。グーグルマップ機能で作成。
@今回乗車した列車
 KLセントラル〜(グマス経由)〜トゥンパ 2等寝台 ※夜行
 ワカフ・バル(コタ・バルの最寄駅)〜グア・ムサン 3等座席
 グア・ムサン〜グマス 2等座席
 グマス〜KLセントラル 1等座席
 KLセントラル〜バターワース 2等座席 ※夜行
 バターワース〜イポー 2等座席
 イポー〜KLセントラル 2等座席

2010.7.23 成田からシンガポールへ、夜行に乗る
 いつも通りの早朝起床で、テレビを見ながらパソコンであれこれマレーシアの最終確認をしていたら、結構大きめの地震があった。速報によれば震源は茨城南部のようである。JR東日本や京成電鉄のページ速報によると、運休はしていないものの遅れが生じているようである。開通したばかりの成田スカイアクセスの指定券は押さえてあったが、念のために早めに出発することにした。
 京成電鉄にはよく乗るが、京成上野駅に来るのはかなり久しぶりである。窓口の前にはそれなりの行列があり、電光掲示板は「調整中」になっている。
 遅れが出ているもののそれほど深刻ではないようで、次の出発予定のスカイライナーに変更をしてもらった。時刻は8時を過ぎているが、渡された指定券は7時52分発になっている。これが遅れて出発することになる。
 8時12分、それほど多くない乗客を乗せた新型車両は京成上野を出発した。途中までは見慣れた沿線風景である。マレーシアとは関係ないので詳細は省略するが、地震の影響で所々スローダウンしたり停まったりしたため、成田までは1時間近くかかってしまい謳い文句の「最速36分」からはかけ離れてしまったが、新たに敷設された区間での時速160キロは少しだけ経験することができた。
 やっと慣れてきた成田空港。しかし、受付にカードを渡すと係員がすぐに電話をして確認作業をしている。これはまさに「インボラ」(「インボランタリー・アップグレード」の略。無償で上位クラスにアップグレードしてくれること)だなと直感でわかったが、渡された搭乗券はエコノミーのままである。腑に落ちないままラウンジのカレーで遅めの朝食を取り(JALラウンジのカレーは有名であり、また他の食材も豊富であることから、エコノミーの食事などを食べるくらいならばここで済ませた方が豪華である)、満腹になってからゲートへ向かって搭乗券を係員に渡し、それが機械に翳されるとピーと音が鳴る。やはり予想は当たっていて、ここでビジネスクラスの搭乗券を渡されることになった(そうならそうで、早めに教えてくれればカレーは控えめにしたのに、とは思うが)。ちなみに今回の旅行では、手持ちのマイルをICクーポンに変えて購入している。そして様々なキャンペーンやステータスマイルが戻ってくるため、実質9500マイル程度だけで往復できる(しかもフライオン・ポイントは付く)という、ほぼタダ乗り状態で、さらにビジネスであるから、かなり得した気分である。

@発券済の切符で旅程を再確認(左隅はレールパス)


@ビジネスクラス、ごちそうさま

 せっかくのビジネスクラスなので、ウェルカムドリンクのシャンパンからフランスワイン、選択した食事のフランス料理、着陸前の軽食(そばとおにぎり)まで、すべて頂くことにした。たまにだからいいが、これが毎日だとかなりダメな人間になれそうである。

 さて、マレーシアとはまるで関係のない二つの話も終わり、ここからが本題である。
 クアラルンプール空港から市内までは、ドイツのシーメンス社の技術によって造られた高速鉄道で移動する(前回は、旅費を安くするために往復ともバスで移動してしまった)。市内のセントラル駅までの所要時間はたったの28分、料金はRM35(約980円)である。設定料金が高すぎるためか、あまり乗客は多くない。今回もRM10の高速バスの誘惑に負けそうになってしまったが、鐡旅が主目的であるため、1度くらいはきちんと乗っておくことにした。

@空港に展示されていた模型

 成田スカイアクセスとこのKLIAエキスプレス、どちらも最速160キロを謳っているが、贔屓目なしで比較すると、車両設備の高級感は成田スカイアクセスが、振動や騒音のなさについてはKLIAエキスプレスが勝っているように思える。
 なおこの高速鉄道であるが、現在各種割引はすべて廃止されているものの、やりようによっては半額以下で乗車することが可能である。復路はそれを試してみたい。
 約1ヵ月ぶりのセントラル駅。まずはチケットカウンターへ向かい、旅程後半の指定券を手配する。私の英語能力がイマイチであるため詳細は聞き取れなかったが、どうやらレールパスでは1等車(ファーストクラス)は指定できないようで、いずれも2等車で指定されることになった(すでに手配済であるグマス−セントラルについてはファーストクラスなのであるが、そのことは言わないでおいた)。
 トゥンパへ向かうEKSPRES WAUの出発予定時刻は20時35分であるが、乗客が多いせいか午後8時過ぎには改札(といってもロープだけだが)が開いてホームへ向かうエスカレーターが動き出した。車両編成は、[機関車]+[電源車]+[個室寝台×2]+[2等寝台×4]+[2等座席×2]+[ビュフェ]+[3等座席×4]という、客車だけで13両の長大なものである(外からさらっと見ただけなので、2等と3等は逆かもしれない)。いつもは空席の多いマレー鉄道であるが、今日のこの列車に関しては満席の予定である。
 編成の確認が終わったのち、宛がわれた寝台へと向かう。前回、シンガポールからのSENANDUNG MALAMで体験したのと同じ韓国製の2等寝台だが、今回は上段である。幅は下段より多少狭く、上体を起こすと頭が少し突っかかってしまう。私程度ならばなんとかなるが、身長が170センチ以上の人では少し苦労するだろう。上段用の窓も、小さいながらも外が見える程度には誂えてある。マレーシアの場合、朝になっても寝台は畳まない(座席に戻さない)ため、この窓は重要である。

@2等寝台上段

 20時30分に反対側のホームから列車が出発し(おそらく、セレンバンからクアラルンプールへのシャトルトレインが遅れたもの)、そしてしばらくしてから、定刻より3分遅れの20時38分にこちらも出発した。まだ夜もそれほど更けていないため、車内は話し声や笑い声で溢れている。ほどなく車内アナウンスがあったが途中で切れてしまい、それからはほとんど聞こえなくなってしまった。
 車掌が検札に来て、あとは眠るだけである。細長くて小さい窓からは、空港へ向かう高速鉄道が追い抜いていくのが見える。
 ふと目が覚めると駅に停まっている。貨物列車が停まっているその様子は、つい先月に見たグマス駅のようでもある。時刻は23時56分、グマス到着予定時刻の4分後であり、15分ほど停車してから反対側へと動き出した。ここからが、ジャングルを走り抜けるイーストコースト線の始まりである。
 だからといって、外を見たところで何も見えないことは承知である。それゆえそのまま寝続けたが、揺れ方が半端ではない。そろそろちゃんとした保線作業が必要であると思える(マレー鉄道の脱線は、その走行数と比例してかなり多いのも事実である)。

7.24 東海岸を走り抜ける
 何度か目を覚ましながら寝続け、ふと気付くと対向列車が停まっているのに気付く。時刻は午前4時前であることから、駅はジュラントゥット辺り、向こうに見えるのはトゥンパからシンガポールへ行くEKSPRES TIMURANが少し遅れているのであろう。続いて目が覚めると、今度は貨物列車が停まっているのが見える。時刻は午前5時少し前である。時刻は常に遅れ気味で、相手が貨物列車では場所を推測することもできない。
 6時24分、定刻より遅れること45分でムラポーに到着した。なんとか駅名標がうっすらと見えるようになってきた。
 そのまま遅れは変わることなく、6時51分に今日の宿泊予定地であるグア・ムサンに到着した。これから約12時間以降に、ここにまた戻って来る予定である。周囲も明るくなりつつあり、少し霧が多く靄がかかっているが、快晴では暑すぎて移動もままならないため、これくらいの天気の方が良い気がする。

@川の水はもれなく茶色い

 ジャングルの中を走ってはいるが、所々に人家がある。その多くは質素な造りで、そしてたいていはバラックのような屋根で、高床式の構造になっているものが多い。決められているかのように鶏が庭に放し飼いになっていて、猫がうろついているのも多い。集落を形成せずにバラバラに人家があるのには、彼らの生業など様々な理由があるのだろう。
 ダボンには8時14分に到着し、遅れはちょうど1時間になった。カラコロと車輪の音がして、車内販売員が朝食を売りに来た。物珍しいので買ってもいいのだが、食堂車という誘惑も捨てがたい。とりあえず車内販売は受け流し(頭のつかえる上段で食べるのもしんどいだろうし)、食堂車へ行ってみることにした。
 2等座席車両を進んで行き食堂車へ辿り着いたが、席はほぼ埋まっている。作り置きのナシゴレンでもあるかと思ったが、他の客の席上にあるのはトーストやコーヒー程度のものである。店員に「メニューはある?」と聞いたが「ない」ということで、朝食はカップラーメンだという(パンも売り切れたということだろうか)。せっかくなので、ラーメンとコーヒーという奇抜な組み合わせの朝食にすることにした。代金は併せてRM4.4である。ラーメンはエスニックで辛く、コーヒーは「これはココアだ」と言われて出されても疑問に思わないであろうくらいに甘い。相席だったマレー系の男性二人連れは、私のラーメンに触発されたのか、揃って追加で同じラーメンを買ってすすり始めた。メニューは安易でその割に高いが、食堂車自体が日本の在来線から消えて久しいから、ものを食べながら車窓を眺めるこの感触はかなり懐かしいものであった(ちなみに私が在来線の食堂車を利用したのは、今から24年前、特急「おおとり」での室蘭本線〜函館本線が最初で最後である)。

@久々の食堂車

 9時25分にクライに到着した。駅のすぐそばには踏切があり、竿が下りて音が鳴っている。踏切ならば当たり前と思われるかもしれないが、イーストコースト線に乗って初めての踏切音である(結局、今回の旅行中に3〜4か所でしか音を聞くことはできなかった)。車掌が外国人観光客から遅れ時間について聞かれ、「ワンアワー、ハハハハッ」と陽気に笑いながら対応していた。
 続いて10時40分、比較的大きな駅に停まったのでワカフ・バルかと思ったが、駅名標を見るとまだパシール・マスであった。遅れは1時間半近くになっているが、誰も文句は言わない(長距離列車はアナウンスがあるのだが、それが全くない。昨晩から調子が悪かったのもあり、もしかしたら完全に壊れてしまったのかもしれない)。
 しばらく走行して10時55分、コタ・バルへの玄関口であるワカフ・バルに到着した。ここでほとんどの乗客が下車してしまい、車内は閑散としてしまう。地元の人からバックパッカーの西洋人まであっという間に消え去り、あとは駅のホームでは猫がのんびりと歩いているだけである。終着駅までのトゥンパまではあと少しだが、停車したままで出発する気配がない。プリントアウトしてきた時刻表を見てみると、トゥンパからの各駅停車が11時03分にワカフ・バルに到着予定であるため、それと交換するのであろう。案の定、しばらくしてから反対側に動き出してスイッチバックをし、隣りのホームへと移動をした。
 対向列車も少し遅れてきたためそれを待って出発し、終着駅のトゥンパには定刻から約2時間遅れの11時40分頃に到着した。
 トゥンパは小さな町である。駅も小さく、長大なWAU号は最後の2両ぐらいがホームからはみ出てしまい、おかげで駅のすぐ横にある踏切も鳴りっぱなしである。今日はここから少し観光をして、ワカフ・バルからグア・ムサンへ移動する予定である。観光のためにタクシーと交渉しなければならないが、待合室に行くまでもなくホームですでにつかまってしまった。明らかに白タクだが、交渉の結果は普通の範囲(涅槃像まで行ってコタ・バルまで行きRM30)であったので、それに決めてさっさと移動してしまった(おかげで、駅前の雰囲気を充分に確認することができなかった)。
 
@トゥンパ駅ホーム(駅前写真は撮ることができず)
 
@巨大な涅槃像とコタ・バルの市場

 涅槃像を見た後は市街地まで行きそこでタクシーを降り、市場や戦争記念館などを観てから、正当なタクシーでワカフ・バル駅へ移動した(路線バスもあったが、時間が間に合いそうになかった)。駅構内には3つの売店と簡易食堂もあり、すでに人で賑っている。喉が渇いていたので売店で炭酸飲料をRM2で購う。

@ワカフ・バル駅猫

 14時20分頃にグア・ムサン行の各駅停車が入線してきた。自由席が3両連なっているだけであり、私が立っていたところよりもかなり手前で停車してしまったため、席を確保するために急いで車両の方へと向かった。機関車の横を過ぎると、続いて短いコンテナ車のようなものが繋がっている。貨物にしては変だなと思ったが、よく見ればこれは電源車の代わりであった(この先、やはり同じような電源を積んでいる編成とすれ違ったが、機械の横には日本語で「低燃費!」というステッカーが貼ってあった)。

@まさかの簡易電源車

 14時26分、気のせいではなく1分の早発でワカフ・バルを出発した。なんとか席は押さえることができたが、通路やデッキに人がいるくらい混んでいる。よそ様のサイトでは、この路線の各駅停車は非冷房で客も少なく、のんびりしているような記事を読んだことがあるが、どうやら最近は事情が違うようで、通学らしい制服姿の中高生も含めて車内は混雑しており、車両も冷房化されている。2列ほど前には西洋人のグループがいて、小さい現地の女の子たちが珍しがって色々と話しかけたりしていた。
 パシール・マスには14時41分に到着した。降りる客も多いが乗る客も多く、混雑具合は悪くなるばかりである。日本の鉄道事情ならまだしも、走行中も開いてしまうようなドアで、さらに路盤が悪くて揺れも酷いから、デッキの乗客は注意が必要であろう(そもそも、現地の人にとっては当然のことなのであろうが)。
 朝にWAU号で走ったのと同じ路線であるが、外も明るく、大きな窓側に陣取っているため初見のような景色である。バラックのような建物はジャングルの所々に見られるが、どんなに建物が朽ち果てようとも、女性が頭部につけているヒジャブだけは上品で綺麗なのが目立っている。
 それにしても、電源車が小型発電機であるせいなのかどうかはわからないが、車内の冷房の効きが悪い。汗が流れるほどではないが、じんわりと湧いてくるためそれをタオルで押さえなければならない。時折、鉄道会社とは関係のない物売りが手持ちで物をぶら下げながら往復する。ビニール袋に詰められた氷入りの飲料に惹かれるが、どんな氷かわからないので正直買うことはできなかった。目の前で赤子も泣き出すが、即製ミルクを口にしたらすぐに大人しくなった。
 暑さに耐えつつ、16時22分にクライに到着した。ここでもやはり、降りる乗客もいるがさらに多い乗客が乗ってきた。
 これほどの乗客がどこに住んでいるのかわからないようなジャングルの中を、列車は走り続ける。ウル・トゥミアンの手前くらいでは、珍しくいくつかのトンネルを抜けたり鉄橋を渡ったりする(山間を走る割には、その敷設時期の古さからこの路線はほとんどトンネルがない)。ウル・トゥミアンを過ぎてからも、また短いながらもトンネルを抜けて走り続けた。途中、なんでこんな山中にという場所に駅がある。しかしそれでも、数人の乗客やバイクにまたがった人(お迎え?)がいるのが不思議だ。峠を越えるとまたまばらに人家が見える。それぞれの駅付近には、牛が屯し、民家のそばには鶏が彷徨う。七面鳥のような馬鹿でかい鳥も混ざっていたりする。

@駅牛

 ブキッ・アブには17時26分に到着し、遅れはたったの16分だけである。ヒジャブを被った女子中高生が乗ってきて、乗客の西洋人に少し話しかけたりしている。彼女たちは17時46分に到着したダボンで降りていった(遅れはあっという間に1分だけになっている)。18時10分に到着した駅(クンブかスリ・ジャヤのどちらか)では、反対側に各駅停車が停まっていた。客車の編成はこちらと同じ3両だが、それ以外に荷物車両が1両連結されている。続いてブルタム・バルには18時47分に到着。ワカフ・バルから延々長時間に亙って西洋人にちょっかいを出していた小さい女の子(とその家族)はここで下車し、ホームからこちらに手を振っていた。
 日も暮れかかり、19時34分にグア・ムサンに到着した。なんと21分の早着である。これが途中駅ならば、充分にあり得る(時刻表には大きな駅以外は発時間しか載っていないため、長時間停車して発車する場合は時刻表にある時間より早く到着することがある)。しかし、グア・ムサンはこの列車の終着駅である。しかもその早着にしても1分2分ではなく、21分である。詳細は謎だが、宿をこれから決めなければならない身としてはある意味幸いであった。
 山間にある小さな都市グア・ムサン。GUAとはマレー語で「洞窟」を意味し、駅のすぐ背後にはそれに見合うかのような断崖がそそり立っている。インターネットで予約できるようなホテルはなく、私の旅経験で初めての「飛び入り宿泊」をしなければならない(国内旅行ですら飛び入りはしたことがない)。
 グア・ムサンの街と宿泊については、出発前に色々調べたがあまり詳細な情報はなかった。個人的に、旅行における感想は個人差が激しいと考えているため、宿泊施設や飲食店の固有名を出したりするのは控えることにしている。しかし、今後この街を訪れる人がいるかもしれないため、あくまでも個人的意見として別途記しておきたい。
 グア・ムサンについては、こちらへ。

7.25 ジャングルを抜ける
 すぐ背後に断崖のあるグア・ムサン駅は、その雰囲気だけでなかなか趣がある。マレーシアでの少し大きめの駅にありがちなように、駅の入口は飲食店と同化している。
 
@グア・ムサン駅と背後の崖

 そのすぐ近くでは野菜などの即売が行われていて、ドリアンなどが並ぶ中を猫が彷徨う。駅舎の隣りには朽ち果てたような貨物車が置き去りにされ、その中にはペトロナスのドラム缶が転がっている。

@朝市と子猫

 しばらくすると、貨物列車が引込線に入線してきた。停車すると機関車が切り離され、ホームの前を走っていったかと思うと今度はそれが貨物の反対側に付けられて、元来た方向へ走っていったかと思うと、スイッチバックをして今度は違う引込線(一番奥)へと入っていった。要するに、一番奥の引込線が行き止まりになっているため、機関車を「活かす」ためにこんな複雑なことをしているのだろう。文章では意味不明であろうから、簡単な図示をしておく。

 要するにグマス方面Aから図のように貨物列車は入線してくる。機関車だけが外されてBへと移動し、ホームの前を通って貨物の後ろに連結される。そしてまたA方面へ移動し、そのままバックでCへと貨物を入れる。

@機関車が反対側に付いた状態

 そんな面倒なことをしているため、ガシャガシャと騒がしい。貨物列車は日本でも音が大きいだろうと言われるかもしれないが、それにしてもうるさい。というのも、引込線の保線の状態が良くないため、レールとレールの間が5センチくらいも開いていたり(しかもそこを車両が通るとかなり沈み込むし)、レールを押さえるべきボルトが緩んで外れかかっていたりするからである。もう少しで転覆しそうな感じであるが、この程度のことは気にしないのだろう。
 
@さらに上下にも撓む

 ホームには人が溢れだしているが、アナウンスがあって、どうやら出発が遅れるらしい(マレー語は意味不明であるが、乗客の諦め加減からそう感じた)。それにしても、始発駅なのに遅れるとは意味不明である。
 本来の出発時刻である9時30分を少し過ぎてから、シンガポール行のLAMBAIAN TIMURが入線してきた。しかし車内を見てみると、乗客がかなりいるではないか。これはおそらく、トゥンパを早朝4時前に出発した各駅停車の車両がそのままシンガポール行に使用されるということなのだろう。ちなみに編成は、[機関車]+[2等座席]+[3等座席×3]+[電源車]である。

@タブレットを渡しながら入線(駅員、停車後に先頭まで行くのが面倒?)

 定刻から15分くらい遅れて、グア・ムサンを出発した。2等車の席を押さえてあるが、進行方向とは反対向で、さらに窓との相性が最悪であまり外は見えない。
 高く聳える崖の傍を走り抜ける。しばらくすると、人工物などまったく見当たらないジャングルの中を走行し続ける。空をモクモクと漂っているのは、こちらの機関車が吐き出す煙である。鉄道と言えばエコの代表と言われがちだが、旧いディーゼル機関車ではあまりその効果はなさそうでもある。森を抜けるとそこはスンガイ・トゥマウで、10時38分着である。
 まばらなバラックの人家が見え、それらが消えると森になり、また人家が現れるという同じパターンが続き、しばらくウトウトとしてしまう。ふと眼を覚ますと、途中駅としては比較的大きいクアラ・リピスである。駅近くにはモスクがあり、辺りは建設工事などで賑っている。

@駅近のモスク

 またしばらく居眠りをし、ジャラントゥットには12時53分。ここでシンガポールから来た下りのLAMBAIAN TIMURと交換する。すぐに出発したが、その速度が半端ではなく、恐怖を感じるような速度である。早いといってもおそらく時速100キロかそこらだと思うが、路盤が安定していない場所であるためその揺れも半端ではなく、今すぐにでも転覆しそうな勢いである。マレー鉄道の脱線確率の高さは、意外とこんなところにも原因があるのかもしれない。

@上下列車が交換

 その暴走気味の走りも影響したのか、クアラ・クラウ到着は13時18分、遅れはたったの1分に回復している。しかし数多い荷物を降ろしている乗客に時間を要し、出発はまた4分ほど遅れてしまった。ちなみに私の乗っている2等車にも、大きな豆(サヤエンドウのような形であるが、1本の長さが70センチくらいもある)などを山ほど乗せている乗客がいる。

@荷物を降ろし終わったら出発です

 再び走り始めるが、またしても恐ろしいような揺れになるまで加速をする。車内販売の若い男もふらついて座席に手を掛けてしまうほどの揺れである。車掌たち(こんなに短い編成であるのに、車掌は2〜3人、さらに車内販売員が1人と掃除担当が1人勤務している)が、DVDを観ようとし始める。彼らは駅到着前後では仕事をするが、それ以外はデッキでタバコを吸ったり空いている座席で居眠りしたりと、なかなか長閑な仕事具合である。
 車掌の1人がもう1人の偉そうな車掌から指示されたが、彼はDVDの操作が苦手なようで、車内販売員がディスクを持って車両の先頭へと行かされた。テレビは韓国のサムスン製であるが、DVDが起動された後の表示は件のPENSONICである。そしてなかなか読み込むことができず、最初のソフトは諦めたようであった。続いて車掌がバッグから出したDVDはうまく起動した。どうせ私が観たところで言葉がわからないので期待はしていなかったが、車内にはまさかの日本語が流れ始めた(ただこれは予告編2作のみで、本編は西洋の作品であった)。
 そんな面白作業を見届けているうちに、トゥリアン到着は14時19分、なんと4分の早着である。別に急ぐ旅ではないので、転覆してしまう前にもう少し普通に走ってほしいものだが。しかし私の期待とは逆にバウンドの激しい走行は続き、バハウ到着は15時11分、早着は7分へと増している。車内はだんだんと混み出し、私の隣りにも中国系の人が座った。バハウを出発してしばらくすると、車掌がわざわざ私の肩を叩いて「次はグマスだから」と教えてくれた。鉄道には酔ったことがない性分だが、進行方向と逆向きで約6時間、しかも後半は経験したことのない揺れのため、少し酔ったような感じになってしまった。
 ぽつぽつと雨が降り出し、車庫が見えターンテーブルの横を走り過ぎ、クアラルンプール方面への線路と合流し、グマス到着は15時48分、早着は見事9分へと増えていた。
 グマスは特にこれといった観光地もなく、地味な町である。しかし駅前の旧い商店街はいにしえの西洋風で少しマラッカのような雰囲気で、綺麗ではないがお洒落な感じの街並みである。駅構内には、4畳くらいの大きなマレー鉄道の大きな絵が掲示されている。
 
@グマス駅前通りと、駅構内の大きな絵

 ただしかし、どういうわけか全体的に鶏小屋臭い(季節のせいかもしれないし、雨のせいかもしれないが)。雨は10分程度で上がったため、ターンテーブルがあった方に10分ほど歩いてみたが、すぐ傍まで行くことはできなかった。そこでまた雨が激しくなったため、近くにあった公園の屋根付きベンチで地元の猫と一緒に15分ほど雨宿りをした。
 
@グマス駅遠景と、一時を過ごしたグマス猫

 グマス駅前方面へ戻り、旧い街並みを適当に歩いてコンビニでアイスを買ったりして駅へ戻った。これから乗るのはセントラル行SINARAN PETANGで、1等席を押さえてある。発車時刻が近づくにつれてホーム上は人が多くなってきたが、なんだか1番線と2番線に人が分かれている。そこで駅の掲示を良く見てみたら、ほぼ同時刻にシンガポール行も出発するようである。どっちのホームで待つべきか、駅員に聞こうと思っていると、もう南側から列車が入線してくるのが見えてしまった。どうやら2番線のようであったので、急いで跨線橋を渡って(それでも写真だけはきちんと撮り)、慌てて乗車した。対向のシンガポール行の入線を待ち、定刻より8分遅れの17時30分に出発した。

@セントラル行が入線(跨線橋より。奥に見えるのはグマスからタイのハジャイまで直行する列車)

 ここからは、先月乗車した区間と同じである(向きは逆であるが)。見覚えのある工事中の路盤も、今日の席は窓との相性が良いためしっかりと見える。列車は快走し、バタン・ムラカ到着は取り戻し過ぎて2分の早着。しかし、ウエストコースト線の方が比較的路盤が安定しているため、先ほどのような恐怖感は感じられなかった。
 1等車の乗客は裕福層が多いようで、年配の西洋人の旅行者も何組か見られる。ちなみに今回のサービス用の水とお菓子であるが、大きな袋菓子であった。できればもう少し小さいものにしてほしかったが、我儘は言えないので車内で片づけてしまった。

@今回のお菓子

 セントラル到着は20時24分、11分の早着であった。

 次に乗るべきは、23時30分発のバターワース行SENANDUNG MALAMである。時間があるためミニ観光でもしようかと思っていたが、雨が降り続いていたためそれは諦め、駅のフードコートでチキンライスの夕食を済ませておくだけにした(内容はいまいちであった)。待合ベンチの近くに電源を見つけたのでパソコンを差し込み、ラウンジ用の無線LANが届く範囲だったのでそれを利用したりして時間を潰した。
 ホームへのロープが開かれたのが出発の5分前くらい、エスカレーターでホームへと降り、指定された席へと向かう。今日の席は、残念ながら通路側である。狭い2等席であるから隣りに来る人次第でさらに過酷な状況が考え得るが、幸いに隣りに来たのは小柄なマレー系の若い女性であった。
 それにしても車内は寒い。東南アジアの列車は冷房が利きすぎている、という話はよく聞いていたが、あまりこれまでは遭遇してこなかった。もとより私が暑がりで、いつもクーラーを付けて寝ているくらいであるから気にならなかったのかもしれないが、そんな私でも気になるほどの寒さである。とりあえず、用意しておいた長袖の上着を着込んで、さらにバスタオルを掛けて寝ることにした。

7.26 西海岸を走り抜ける
 寒さ、座席、通路側という三重苦で何度も目を覚ましながら、一晩を過ごした。隣にいた女の子が降りたため、薄暗い駅のホームを見てみるとそこはパリッ・ブンタール、定刻から1時間5分ほど遅れているようだ。確かに、夜中とはいえかなりトロトロと走っていたような気がする。バターワースでは1時間ほど時間があり、駅付近を散歩でもする予定であったが、これではほとんど時間がなくなりそうである。
 ブキッ・ムルタジャムから支線に入り、大観光地ペナンの玄関口へと向かっていく。それを象徴するかのように、大きなホテルなどがちらほらと見え始め、また巨大な工場なども現れ始め、小さな橋を渡るとバターワースである。駅付近に山のようなコンテナが積まれていて、港湾都市としても大きいことを窺わせることができる(ただ町全体が発展しているということはなく、橋のふもとには酷いバラックのような建物もあったりする)。
 バターワースの駅はホームは1面だけであるが、線路は引込線も含めて6線ほどあり比較的大きな駅である。行き詰った感じも、いかにもな終着駅である。付近には旧いSLと機関車が展示されていて、待合室の中にもちょっとした鉄道用品展示コーナーなどもある。
 
@バターワース駅と、展示されていたSL


@ミニ展示コーナー(意外と鉄に優しいマレーシア)

 折り返し、7時45分発のシンガポール行EKSPRES RAKYATに乗る予定であったが、どうやら今まで乗ってきた車両がそのまま宛がわれるようである。指定された座席は先ほどとほぼ同じで、1列違いであった。しかし場所は良くなく、進行方向と逆向きで後ろから2列目(つまり、ほぼ目の前が車両の端)、しかも通路側であるため、今までのマレーシア鐡旅では最悪の位置取りと言ってよいだろう。
 車内清掃などがあるため、定刻になってもまだ出発しない。車両のデッキに車内販売員のお姉さんが2人いて、そのワゴンには朝食らしい入れ物が並んでいる。聞いてみると、見た目は皆同じ発泡スチロールだが、中身はナシゴレンやナシレマッ、ミーゴレンと色々ある。マレーシアに来てまだミーゴレンを食べていなかったことを思い出し、それを買うことにした。席へと戻り、出発前にそれを頂いてしまう。かなり辛みが強く香草の香りも豊かであるため、私はそれらに慣れているから大丈夫だが、食べ手を選ぶ内容ではありそうだ。

@激辛ミーゴレン(RM4。街中より少し高い)

 定刻より20分ほど遅れて、バターワースを出発。睡眠不足であることと、外を見るのが難しい(首をほぼ真横にしなければならない)ため、バスタオルを体に掛けてウトウトとしてしまった。
 目を覚まして外を見ると、工事中の路盤がずっと寄り添っている。その影響もあり、走行速度はずっと遅いままである(おそらく、時速60キロ以下程度ではないだろうか)。トロトロと走り続け、タイピン着は11時05分、定刻より1時間37分の遅れである。昨日の早着続きとは打って変わり、かなりの遅延である。タイピンは大きな駅で、駅構内には10本近い引込線があり、工事用の線路の山や枕木(正確には木ではなくてコンクリートだが)や路盤用の石がうず高く積まれている。
 タイピン出発後は、またしてもトロトロ運転になる。寝不足であり席位置のため外も見づらいことから、また居眠りをしてしまった。気付くとクアラ・カンサー着は11時55分、遅れは1時間47分に増えている。工事中の路盤の上にはたくさんの重機があり、中には「○○土木」のような日本からの中古車も見受けられる。
 当初の予定ではイポーで途中下車し、そこで2時間半程度の時間があるため、タクシーでも時間借りして洞窟にある寺院でも観光する予定でいた。もし鉄道が遅れて空き時間が1時間程度ならば駅から歩いていける無料の博物館でも、と考えていたが、こうなってはそもそもイポーからのシャトルトレインにすら間に合いそうもなくなってきた。焦る気持ちを嘲笑うかのように、クアラ・カンサー出発後もトロトロ運転が続く。このまま遅れが増え続け、イポーでの乗り継ぎが上手くいかなければ、車掌と交渉してこの列車にそのまま乗り続けてセントラルまで向わなければならないだろう。
 結局、定刻より2時間12分も遅れて、13時16分にイポーに到着した。向かい側にはすでにセントラル行のシャトルトレインが停まっている。それの出発まであと10分弱しかないため、急いで駅前の写真などを収めた。イポーの駅舎は古い歴史があり、ホテルとしても利用することができるとのこと。瀟洒なこの建物に泊って、1日くらいはゆっくりしてみたい都市であるが、今日はもう行かなくてはならない。駅構内の売店(キオスク?)でナシレマッと小さな調理パンを購入し、急いでシャトルトレインに乗車した。
 
@旧い瀟洒な建物と、真新しい屋根とホームと、ボロい車両(右は駅舎+ホテル)

 
@KIOSKとは(日本人ならわかります)。そこで買ったナシレマッと調理パン(どっちもRM1.3)

 ほぼ定刻の13時26分に、シャトルトレインは出発した。向かいのホームには、先ほどまで私が乗っていたシンガポール行がまだ停まったままである。短距離列車が優先で発車するとは意外だが、何かしらの理由があるのだろう(おかげで向こうの遅れは2時間半近くになってしまっているが)。
 イポーまではつい最近になって電化複線工事が終わったばかりであり、路盤も見違えるほど安定していて、まるで日本の幹線に乗っているかのような安定した高速走行であり、とにかく速い。窓際で進行方向を向いており、窓との相性も最高の位置で気分はとても良い。ナシレマッの包みを開いてスプーンでかき混ぜつつ、口に運びながら外を眺める。何かの展示の準備なのか、SLや旧い列車が連なっているのが見える。続いて車庫が見え始め、導入されたばかりのシャトル用新型電車も見つけた(残念ながら私が乗っているのは、ディーゼル機関車が牽引する旧い客車であるが)。
 複線電化に合わせて各駅も改築され、ホームなども綺麗である。各ホーム上には電光掲示板もあり、現時刻から次の列車の発時刻までが詳細に示されている。待合室なども小奇麗で、SURAU(お祈り部屋)も完備されている。
 イーストコースト線に比べると、やはり畑などが多い中を快走し、人家が増えてきて背の高いビルやその裾にある朽ち果てたようなバラックが増えてくると、旧クアラルンプール駅である。セントラル駅ができるまでは長距離列車の発着を担っていたこの駅には、あとで歩いて来る予定である。
 セントラル駅には、定刻より5分ほど早い16時15分に到着した。遅延もあって昨日からはほとんど観光もできず、ただ乗り通しているだけでさすがに少し食傷気味である。
 しばらく時間があるので、歩いて駅の裏手方面にある国立博物館入口の鉄道車両(3つほど)を観に行き、さらに旧クアラルンプール駅舎、その前にある鉄道局の建物、駅舎内にある鉄道資料や模型の展示を見てから、チャイナタウンなどを経てコミューター路線でセントラル駅へ戻った。
 
@博物館入口の車両と、旧クアラルンプール駅構内の展示物たち(「鉄優」マレーシア再び)

 さて、最後はKLIAで空港に戻るだけである。最初に記したように、エキスプレスに乗車するより半額以下で空港へ戻ることにする。
 まずは、KLIAトランジットの切符売場へと向かう。ノンストップのエキスプレスの乗車口等はセントラル駅の南側にあって荷物預け口などもあるが、トランジットのそれは駅の北側にある。まずここで、プトラジャヤまでの乗車券を買う(RM9.5)。
 トランジットのホーム自体もエキスプレスとは違うため、専用のホームで待つことになる。エキスプレスのように大きな荷物を抱えている客層とは違い、通勤客っぽい感じの人が多い。
 30分に1本のトランジットに乗り込み、プトラジャヤで下車。ここで次のトランジットが来るまで30分待つことになる。駅の東側には新都心があり、夜はライトアップのようになっていて見ているだけも暇つぶしになる(遠いのでそこまで歩いて行くことはできないが)。また駅構内には売店もあるため、余ったRMでお菓子やラーメンなんかも買っておくことができるだろう。

@締めはトランジットで

 自動券売機で乗車券を買うが、空港まではRM6.2、つまり合計RM15.7で空港まで行けることになる。エキスプレス(RM35)の半額以下である。バスよりは高いし、プトラジャヤで時間を潰すため結局はバス(約1時間)より時間がかかってしまうが、高速鉄道に試し乗りができるということと、交通渋滞がないという利点もあるだろう。

 マレーシアは治安も良く鉄道の移動も安易だが、宗教上アルコールが手に入りにくいことが玉に瑕であろう。空港へ到着してからは、航空会社のラウンジで3日ぶりのビールを山ほど飲み干し、寝不足を解消するためにソファーでうたた寝をして搭乗時刻を待った。

 

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