【非鐡の旅P】LCCで行く鉄分補給の北海道旅

■はじめに
 先週に引き続き、またしても三連休の予定を決められずに右往左往していた。ぼんやりとネットを調べていたところ、9月22日に「道の駅あびらD51ステーション」でキハ183系の車内公開イベントがあるようである。飛行機で行って駆け付けるほどのイベントではないが(しかも年に何回もやっているようである)、他にこれといったものがなかったので行ってみることにした。キハ183系には、少なからぬ思いでもある。オマケという感じで、三笠鉄道村も再訪することにした。
 さて、航空券である。連休ということもあり、大手は高いため、LCCである。復路は連休の中日に戻るようにすれば簡単であり、すぐに込々で9千円程度の便(ピーチ)が見つかった。往路は難儀したが、春秋航空の午後便で込々1万円程度の便を見つけたので、それを買ってみることにした。LCCについては、これまでジェットスターやバニラエアに数多く乗ってきており、上記ピーチなども何回か搭乗経験があるが、春秋航空は初めてである。
 続いての予約は、ホテルである。「札幌の安ホテルでも泊まるか」と思って検索すると、なぜか「空室がほとんどない」状態である。怪しいと思ってイベント系サイトを見てみたら、なんとラグビーワルドカップの開催日であった。なんとか探して、岩見沢のホテルを確保した。
 最後は、現地での移動手段である。当初は路線バスとJRで移動することを考えたが、室蘭本線(岩見沢−追分)の本数があまりにも少なく、すぐに行き詰ってしまった。ということで、久々のレンタカーである。

@三笠駅跡にて

■2019.9.21
 今日は移動のみ、しかも夕方便ということもあり、余裕だらけである。
 成田発ということなので、少し早めに空港へ移動して「自動化ゲート」の登録をしたりした(今週、パスポートを新しくしたばかりであるため)。
 手続き終了後、行き慣れた第3ターミナルへ移動し、乗り慣れない春秋航空に搭乗である。

@お初

 15時の便は少し遅れて出発し、到着もそれだけ遅れたため、17時00分発の快速エアポートは1分差で乗ることができなかった。
 しかし、代替案は用意してある。というのは、次のエアポートに乗って南千歳で下車し、新夕張行に乗り換えて追分で下車、そして室蘭本線で岩見沢へ向かう方法である。途中で日が暮れてしまうが、ちょっとだけ運賃が安いという利点もある。
 券売機では買えないため窓口で切符を買い、上記の通り乗り継ぎ。エアポートなどに乗るより、1両だけのディーゼルに揺られた方が旅情はある。

@追分駅(もう日暮れ)

 18時50分に岩見沢に到着し、駅歩いて10分ほどの場所にあるホテルへ。荷を置いてからは、ホテルから歩いて15分ほどの場所にあるスーパーへ行って食材を揃えた(微妙に歩かされる旅である)。
 いつも通りの安食材(北海道らしい「ザンギ」や「ホヤ」もあるが)の写真であるため、ここはホテル内にあったポスターで代替。

@室蘭本線(岩見沢−苫小牧)の将来は明るくないと思う

■2019.9.22
 ホテルから30分弱歩いて、レンタカー屋へ(今日も若干歩く旅に)。手続きをして、久々のレンタカー旅である(唯一の心配は天気であったが、雨は降らない予報である)。
 まずは、萱野駅跡に行ってみる(以前から行ってみたいと思っていたが、公共交通機関では少し訪れ難い場所にある。今回はレンタカー旅であるため、これ幸いと訪問である。
 駅舎と記念碑以外にも、ホームや車掌車も置いてあった。駅舎のドアが開いていたので、中も少し覗かせていただく。

@ホームと車掌車

 続いての訪問先は、三笠駅跡である。ここは、これから訪れる三笠鉄道村の一部「三笠ゾーン(クロフォード公園)」として整備されている。
 屋外展示で目を引くのが、長編成のキハ80である(表紙写真)。特に思い入れがあるのが、途中にあるキシ(食堂車)である。今から33年前の初一人旅の際、すでにその時代も在来線の食堂車は絶滅危惧種であったため、特急「おおとり」の食堂車(まさにこの形式)をわざわざ利用した思い出がある。

@まさかこの車両?

 さて、やっと三笠鉄道村である。資料館に入り、チケットを購入して展示物を見学した(車両などの屋外展示物は無料で見られる)。
 なお、「はじめに」で「再訪」と書いたが、全く覚えがない。前回の訪問は22年も前(バイクツーリング)であり、この新しい資料館はなかったのかもしれない(もしくは、全面改装されたか。まったくのうろ覚え)。実質「初訪問」であり、あれこれと見学した。

@色々あり

 屋内展示物を見てから屋外にある車両(中に入れるものもある)をあれこれ見ると、時刻は10時前である。SL(別料金300円)が10時に出るということで、せっかくなので乗車することにした(SLは「乗るもの」ではなくて「見るもの」という持論があるが、こういう際は「お金を落とす」のも重要である)。

@動態保存SL

 敷地内を往復して約5分。あっという間であるが、こういう活動(保存鉄道)は重要であると思う。「俺も定年になったら年金生活でこんな場所で奉仕活動を」などと思いそうになる。
 鉄道村を出発してしばらく走ると、幾春別の集落で旧駅跡を発見したので行ってみた(現在はバスターミナルになっている)。あるのは記念碑だけであるが、実は上記の旅行(33年前)でここに来ており、なんだか感慨一入である。

@当時の写真

 その後は、国道452線でひたすら南下し続けた。車通りはかなり少なく、まれにすれ違うのはツーリングライダーくらいである(そういえば、萱野駅はライダーズハウスを兼ねていた)。
 シューパロ湖が見えてきたが、今日は水面も高くなく、夕張岳方面へ行く道路から湖面を見渡せるようであった。行ってみると、以前の旅行であれこれ撮影した鉄道跡も今日は見えているではないか。

@水没した国道と鉄橋が

 その後も南下し続けて、長いトンネルを抜けて行くと、南大夕張駅跡(三菱石炭鉱業大夕張鉄道線)である。ここに初めて訪問したのは上記22年前のツーリングであり、その頃は荒れ放題であったが、その2年後(1999年)から保存活動が始まったということで、今は奇麗に整備されている。
 車内にも入れるようになっているので、あれこれと撮影した。
(実は1997年に行ったツーリングは、北海道各地にある廃線跡を訪問するのが主目的であった。たくさん撮影した写真を紀行作家の宮脇俊三氏に送付し、お返しに年賀状を頂いたのは、今でも良い思い出となっている)

@現在の様子

 夕張の集落が近づいたところで、少し時間に余裕があったので石炭博物館に行ってみることにして、車を北上させた。
 それにしても、石勝線夕張支線の廃線があったとはいえ、ここ2年間くらいでもう何回目の夕張であろうか(来過ぎである)。
 12時少し前、資料館に到着した。なぜここに来たのかというと、少ないながらも鐡ネタがあることを知っていたからである。

@このように

 展示を見終えてからは、今回の旅のメインである「キハ183の車内見学」である。ナビに任せて運転して、13時頃に道の駅にやってきた。
 しかしここでの誤算が、まさかの大行列(駐車場に入れない)である。私の勝手な想像で「片田舎の行事だから、来る人もいないだろう」と思っていたが、大きな間違いであった。
 仕方なくその列に車を停め、10分ほどでやっと駐車場に入ることができた。肝心の車内見学であるが、こちらも大行列であり、もう受付も終わったという。

@外見が見られたから、よしとしよう

 この道の駅には鉄道資料館もあるが、車内見学イベント(車両が外に出ている)の場合は封鎖となっている。「だったら、イベントのない日に来た方がよかったか」という考えもよぎるが、ざっとであればガラス越しに資料を見られるし、それに屋外に出ている車両を見られただけでもいいであろう(と納得する)。

@資料館

 後は、給油して車を返すだけである。新千歳空港へ送迎され、15時20分発のLCCで成田へ。

 冒頭でキハ183に関して「少なからぬ思いでもある」と書いたが、それに触れないまま最後になってしまった。私が小学校高学年時代に宇都宮市に在住しており、宇都宮富士重工の引込線で完成したばかりのキハ183系を見たことがあることは、確か別の旅行記ですでに書いたこともあったかと思う。それ以外にも、上記33年前の旅行を含めて、何回も乗った思い出がある。

@33年前の釧路駅にて

 今回は往復がLCCで現地移動がレンタカーのため「非鐡の旅」に分類せざるを得なかったが、写真に関しては冒頭の航空機以外はすべて鐡ネタという、実にアンバランスな旅行記に仕上がった。

 

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