国境にかける橋

■はじめに

 今回の訪問国は、初めてのラオスである。
 しかし、植民地時代には小さな輸送用の鉄道があったものの、ラオスには建国以来長いこと鉄道がなかったため、鉄道好きにとっては渡航の対象外の国であった。しかし2009年、タイとの国境にある友好橋に路盤が完成し(橋自体は1994年に完成していた)、そしてそこに、距離は短いが国境を越える鉄道が走り始めたのである。
 その鉄道に乗るだけならば、空路を乗り継いでラオスに行って乗ればいいだけであるが、いかんせん距離にして3.5キロ、乗車時間はたったの15分(実際は10分弱)でしかない。そこで、タイ側の国境の町であるノーンカーイへはタイ国鉄の夜行列車で行くこととし、さらに旅程の前後にはタイのローカル線乗車も含めることとした。

【旅程】
1日目(土曜日):金曜の夜、帰宅後に羽田へ向かい、0時25分発の便でバンコクへ。エアポート・レイルリンク(ARL)を一駅で降りてラックラバンでタイ国鉄に乗り換えてアランヤプラテートへ。路線バスでバンコクへ戻り、20時00分発の夜行列車でノーンカーイへ向けて出発。
2日目(日曜日):ノーンカーイ到着後、ラオス側の国境の駅であるターナレーン行の列車に乗車。到着後は徒歩で橋の出口に付近にあるバス乗り場まで歩き、ビエンチャン市内へ移動。市内観光をしてから、徒歩でワッタイ国際空港へ。タイ航空の便でバンコクへ向かう(バンコク市内泊)。
3日目(月曜日):バンコク市内からタイ国鉄で終点のバーンプルータールアンまで往復。夕方には市内に戻り、羽田行の便に搭乗(機内泊)。火曜日の早朝に帰国。

 月曜日が会社の創立記念であるため上記のような旅程にしたが、4泊中3泊が車内泊である。寝台は良く寝られるからよいが、飛行機での中距離の夜便はそろそろ卒業したいところである。
 その飛行機であるが、基本的に早く買った方が安いことが多いので、去年の暮れには予約決済をしてしまっている。その後タイではあれこれと政治事情が変わり、ついには夜間外出禁止令まで出る事態となってしまった。本来なら渡航の是非を検討するような状況かもしれないが、実際は平穏を保っているというニュースは確認しておいた(そしてその通りであった)。

@バーンプルータールアン駅にて

■2014.5.31
 予定より少し早い4時50分頃にバンコク(スワンナプーム空港)に到着したが、列車の始発は6時過ぎまでないため、前回と同様に空港内で適当に時間をつぶした。
 ARLの各駅停車(シティライン)の始発は6時02分で、定刻に出発した。これまでも利用したことがある列車であるが、今回は一駅で降りてしまう。
 5分程度で、ラックラバンに到着した。国鉄の駅は目の前にあり、探すまでもない。ひとまず国鉄の駅へ行き、適当に歩いて見て回った。

@右手がARLの駅、左下が国鉄

 アランヤプラテート行の出発予定時刻は、6時55分である。国鉄の駅を探すのに手間取った場合を想定して始発に乗ってきたが、もうすでに発見してしまっている。こんなにわかりやすい所にあるのを知っていれば、もう少し空港で涼んであと2本くらい後の列車で来てもよかったかもしれない。それに、肝心の切符売り場がまだ開いていないので、何もすることができない。
 再びARLの高架駅へ戻る(高い位置の方が風があって涼しいため)。近場(見たところ1キロ未満)に寺院が見えるが、まだ朝の6時台だというのにかなり蒸し暑く、とても歩いて行く気にはなれない。結局、20分以上も同じ場所でぼぉっとしながら、着陸していく飛行機を眺めたりしていた。

@この写真は旅程3日目、国鉄駅より撮影したもの

 しばらくして、国鉄駅へ降りていく。6時45分を過ぎたが、切符売り場はまだ開いていない(しかし、中に人がいる雰囲気はあり、何かしら機械が動いている音もしている)。
 6時47分になり、やっと窓口が開いた。様子を見てみると、カウンター内には大量の切符が山積みになっている。つまり、いくつかの駅(利用客が多い行先)については、あらかじめたくさんの切符を打ち出しておくのであろう(先ほど聞こえてきた機械音は、これらを打ち出している音だったらしい)。
 自分の番になり、「アランヤプラテート」と言うと、それらの切符ではなくて改めて発券していた。恐らく、終点まで行く人は少ないのであろう。

@無事ゲット

 さて、これから来る列車が何両編成かわからないのでホームのどこで待ったら良いかが不明であるが、意外にホームの端の方まで人がいるので、それなりに長編成なのかもしれない。
 その後はホームで時間をつぶしたが、6時55分になっても当たり前のように列車は現れなかった。そして7時03分、ボロボロの客車を連ねた列車が入線してきた。写真を撮り、一両目に乗り込んだ。

@8分程度の遅れは、この国では定刻みたいなもの

 列車は7両編成で、見た目も中身も若干違っているものが多いが、共通しているのは「ぼろい」という点である(新しいのは先頭の機関車だけ)。乗車率は120%程度でデッキにも人がおり、もちろん座れず、夜行便でほとんど寝られなかった身としては少し辛いものがある。
 立ったままなのであまり景色も見られないまま、7時46分にチャチューンサオ・ジャンクションに到着した。定刻からは10分だけの遅れである。この駅でそれなりの乗客が下車したため、乗車率は8割程度になった。

@ここから分岐(もう片方には明後日に乗車予定)

 同駅を出発後は席に座ることができたので、ぼんやりと景色を眺め続けた。小さな駅に停まり、時折対向列車とすれ違っていく。寝不足もあり、うっかり眠ってしまう刹那もあった。

@田舎駅

 9時半を過ぎた頃、この地域にありがちなスコールが降り出した。ただしそれも30分ほどで上がり、また蒸し暑くなっていった。物売りの人々が何人も行ったり来たりしており、氷入りのジュース(ビニール袋入り)が気になるが、お腹のことを考えるとその氷を口にする勇気はない。

@踏切

 その後も、ぼんやり+ウトウトを繰り返していた。それなりに順調とは思っていたが、単線で行き違い列車がないにも関わらず2回も止まったりして、サケーオに到着した際に時刻を見てみるとどうやら40分近く遅れているようであった。今日だけはあまり遅れてほしくない(夜行列車に乗れないと旅程が崩れてしまう)ので、少し焦り始めた。
 結局、終点のアランヤプラテートに到着したのは、定刻から42分遅れの12時17分であった。

@ゆっくりしている時間はない

 この駅からバンコクに戻る列車は1日に2本あり、次の出発は13時55分である。しかし、バンコク到着が19時55分であるため、どう考えても20時00分発のノーンカーイ行には間に合わない(日本なら接続を取ってくれるかもしれないが、タイでは無理な話である)。そのため、復路については元からバスを利用するつもりで、ネットであれこれ調べておいた(12時30分発があるらしい)。
 そうは言っても、ネット情報が最新とは限らない。炎天下の中、速足でバスターミナル方面へ歩いて行った。最初のバス会社では「次は15時00分発」と言われて焦ってしまったが、もう一つの会社があり、12時40分との表示があるではないか。安心して、切符を1枚買う。
 しかし、12時40分になってもバスが来ない辺り、さすがにタイである(しかもここが始発なのに)。13時少し前になって、意外に古いバスがやってきた。

@これで無事に帰ることができる

 バンコク北(モーチット)バスターミナルまでの料金は、223バーツである。600円程度と思えば安いかもしれないが、鉄道ならば50バーツもしない。空調の有無という差があるにせよ、かなりの違いである。
 バスは、13時03分に出発した。ぼろいバスとはいえ、やはり冷房があると快適である。
 道路標識を見てみると、どうやらアジアンハイウェイ1号線を走っているようであった。

@ベトナム以来の再会

 夜間外出禁止令が出ているとはいえ、バンコクに近づいていっても特にこれまでのタイと変わりはなく、2か所で検問があっただけであった。
 少しだけ渋滞に引っかかったが、モーチットには18時25分に到着した。広大なチャトチャック公園を抜けて地下鉄の駅へ行き(この公園は出入り口が少ないので、前回と同様今回も迷ってしまったが)、そこからファランポーン駅へ移動した。

@親日国家タイ

 チャトチャック公園でまごまごしていたため、ファランポーンに到着したのは出発の10分前であった。急いでコンビニでビールの大3本とパン、その他のちょっとしたツマミを買い、閉店間際の小さな店で売れ残りのような惣菜を買い、寝台列車に乗り込んだ。

@ノーンカーイ行

 夜行列車の切符(2人用個室寝台)は、これまでもお世話になったことのあるバンコクの旅行代理店(日本語対応可能)で入手済みである。ノーンカーイまでは1,317バーツで、これに500バーツの追加料金を支払って、1人で使用できるようにしてある。
 トイレは共用(デッキ)だが、室内に小さな洗面所は付いており、ミネラルウォーターもある。日本円にして約5,500円。日本人の感覚からすれば普通であるが、タイの平均年収からするとかなり高価な移動手段であろう。ちなみに、一番安い3等座席(非空調)であれば、同じ区間でもたったの253バーツである。確かに、個室寝台1つで8席分くらいのスペースはあるので、妥当な金額設定と言えよう。

@独り占め

 出発予定の20時00分を過ぎたが、当たり前のように停まったままである。他のブログ等を参照すると、始発の時点で1時間以上遅れることもあるらしいが、20時14分に無事に動き出した。
 すぐに、食堂車の係員が注文を伺いにやってきた。すでに最低限の食材は買ってあるが、車内での食事も旅の“味付け”であるので、夕食用に一品(トムヤム風の海鮮惣菜)と朝食を注文しておいた。どちらも150バーツで、市内価格の3倍から5倍であるが、背に腹は代えられない。それに、一番高くついてしまうビールをすでに入手しているのが大きい(前回はビールまで注文したので、えらく高くついてしまった)。
 それらを頂き、酔いどれて就寝。

@海鮮(地味に見えますが、底の方からはエビやイカが出てきました)

■2014.6.1
 5時過ぎに起床。どこを走っているのか不明であるが、ぼんやりと外を眺める。6時12分、何もないところで停まったが、もちろんどこだかわからない。そこで反対側(通路側)へ行って見てみると、どうやら小さな駅であった(私のいる13号車は最後尾なので、小駅ではホームにかからないのである)。すぐに出発したので、小さな駅舎を通過する際に駅名標を見てみると、“Kumphawapi”と書いてあった。時刻表を参照すると、なんとまさかの定刻ではないか。
 じきに、朝食が配膳された。道端の屋台で買えば30バーツくらいという感じの内容であるが、これはもう場所代がメインと考えるべきである。

@おかずは「景色」

 ウドーンターニーを定刻から1分遅れの6時57分に出発し。終着のノーンカーイには定刻ぴったりの7時45分に到着した。これは、まさに「奇跡」である(大げさな表現かもしれないが、私の過去の経験や、ネット上や書籍での情報を参照するに、稀にみる奇跡としても過言ではないだろう)。

@ノーンカーイの奇跡?

 出発時に時間がなかったため、下車してからゆっくりと編成を確認した。前方から、
 [荷物車]×1、[3等座席]×2、[食堂車]×1(ここまでが非空調)、[2等座席]×1、[2等寝台]×4、[1等寝台(個室)]×1
 であった。ちなみに2等座席は、日本の中古車両を改造したものであった。機会があれば、これにもまた乗ってみたいと思う。

@もしかして日本でお世話になったかも

 奇跡的な定刻到着であったため、ターナレーン行の出発まで1時間以上もある。2〜3時間あるのなら駅前にいるトゥクトゥクと交渉してノーンカーイ市街に行って観光してもいいが、そこまでする時間もない。
 しかし、事前に調べてきた通りノーンカーイ駅付近にはちょっとした鐡ネタがあり、駅前すぐのところに旧い客車を再利用した図書館があるのである。とりあえず、それを訪問することにした。まだ開館時間ではないが、外から見ることができれば充分である。

@鐡ネタは漏らさずに

 見学は2分で終わり、まだまだ時間がある。駅舎へ戻り、ラオスとの鉄道開通を記念した展示物を見たり、先ほどまで乗ってきた車両が洗車される様子を眺めたりして時間をつぶした。
 国境ということで、ライフルを抱えた兵士が3人ほどいるが、張り詰めた空気はなく、兵士らも観光客からの要請に応えて一緒に記念撮影をしているくらいである。

@まさかのシベリアンハスキー発見(暑そう)

 もうこれ以上はすることもないので、出発の45分くらい前に駅窓口でターナレーンまでの切符(20バーツ)を買って、イミグレーションを経て専用の待合室へと向かった。
 出国手続きをしたといっても、車両と柵の間はいくらでも自由通行が可能である。それどころか、列車のドアはどこも開きっぱなしであり、進行方向左手側のドアを降りると、それは先ほどまでいたホーム(タイ側)である。何の手続きもしないでこの列車に乗ることは容易であろうが、もちろんそんなことをした場合はラオスに到着してから面倒なことになる。

@左側のホームは制限区域で、右側のホームはタイ

 2両編成の車内にいる乗客は20人程度で、大きな荷物のある外国人風の観光客は5人程度である(ビール片手に談笑している地元民もいて、「ちょっとラオスまで」という感じである)。それもそのはず、普通の旅行客ならば、こんな中途半端な列車には乗らずにバスでビエンチャンに抜けた方が楽であろう。
 8時58分、定刻より2分早く動き出したが、すぐに急停止した。後ろを見てみると、バックパックを背負った観光客が3人ほど飛び乗っていた。
 改めて出発後、3〜4分は専用軌道を走り続けたが、すぐに友好橋に合流し、橋の中央を走り始めた。

@ラオスへ向かう

 上記写真のような構造のため、列車走行時は車の走行はできない。双方のゲートが閉められ、この列車が走り終わるまで待たされるのである。
 メコン川の川面は茶色く、あまり綺麗な感じではない(東南アジアの河川はどこもこのような感じであるが)。

@越境中

 友好橋を渡り終え、これといって何もない中を走り続け、踏切を過ぎてしばらくすると、もう終点のターナレーンであった。所要時間は8分である。
 窓口へ向かい入国手続きとなるが、2007年より日本人はビザ不要となっている。通常は手続きをするだけであるが、日曜や夜間などは特別に手数料(10,000キープ(約80円))が取られる。今日は日曜日であり、窓口氏が「40バーツ」と言ったので、100バーツ札を出した。お釣りがないのか、彼は一瞬困ったような表情をしたが「キープでいいよ」と言うと、お釣りとして20,000キープが戻ってきた(ビエンチャン付近では米ドルやタイバーツが普通に使用できるが、レートは若干良くない)。お釣りをキープでもらったのは、この後の観光で少額のキープが必要だからである。

@何もない駅周辺

 「タクシー?」と聞いてくる客引きがいたが、体よく断って駅舎外に出た。この暑さの中を歩くのはしんどいが、「ラオス唯一の踏切」など、鐡ネタを拾うため歩くことにしている。
 まだ朝の9時台であるため、それほど気温も上昇してはいない。長閑な田舎道を歩き続けることしばし、この先に踏切があることを知らせる看板が見えてきた。もしかしたら、ラオスで唯一のものかもしれない。

@汽車のイメージ=SL、は万国共通

 それにしても、何もないところである。鉄道の利用者も、かなり少ない(減っている)のかもしれない。少し前の書籍やネット情報であると、「駅には乗り合いタクシーの受付あり」となっているが、それがしばらくすると「タクシーの客引きが多い(ぼったくりが多い)」となり、今日の感じでは、その客引きすら2〜3人しかいなかった。
 駅から歩き続けること約10分で、件の踏切に近づいた。近くに踏切番用らしき建物はあるが人けはなく、列車が通るときのみ係員がやってきて柵を移動させるのである。
 なお、この鉄道でラオス側に入った直後にも柵で車を止めているところがあるので(友好橋に侵入する車を止めるため)、そこも踏切と言えるのかもしれない。しかし、「踏切」というのは、「線路を跨いで反対側まで行く」ということであると思えるので、そう定義すれば、ここが「ラオスで唯一の踏切」とすることができよう。
 駅の東側では大規模な工事が行われており、どうやら第二期工事として駅周辺が整備されるようである。そんな工事よりも、ビエンチャン方面に延伸する方が先なのでは、と思うが。

@踏切からの景色(目立つのは工事車両のみ)

 踏切を過ぎた後は、長閑な田舎風景の中を歩き続けた。大通りに出ると、あとは交通量が多いだけのひたすらつまらない景色となり、その中を修行のようにして歩き続け、10時過ぎにビエンチャン行の14番系統バスが出るところに辿り着いた。
 バスは日本のODAで供与されたものであり、前面と側面に日本の国旗が付けられているものである(かなりの数のバスが供与されているため、ビエンチャン市内は日本の国旗だらけである)。

@冷房がありがたい

 バスに40分ほど揺られてビエンチャン市街地に入ってからは、普通の観光である(三輪タクシーは交渉が面倒なので、徒歩中心で)。
 まずは、パトゥーサイ(凱旋門)へ行く。壮大な建物で装飾も素晴らしかったが、いかんせん昼近くなり日差しは強く、再び市街地に戻った時点で汗だくになってしまった。数少ない冷房のある建物(5階建てくらいのショッピングセンターだが、店舗が入っているのは2階まで)で、取り急ぎ体を休ませた。そこにはフードコートがあったが、いかんせん暑すぎて食欲もない。
 その後、炎天下を避けるため近場にある市場に行ってみたが、これはこれで蒸し暑くてならない。結局、すぐにショッピングセンターに戻った。冷房の下で30分ほど休むと食欲も出てきたので、手持ちの米ドルでフードコートのクーポンを買ってチキンライスを頂いた。

@なかなか美味(17,000キープ)

 その後は、定番のワット・シーサケットや国立博物館を見て回った(あまりに日差しが強いため、雨傘を日傘代わりに使用して歩き続けた)。
 さて、時刻は15時前、これから歩いてワッタイ空港まで行くことにしている(距離にして4キロ程度しかないのに、歩いて行ったような記述がネット上で見つけられなかったため、試しに実行してみることにしたのである)。
 雨傘で直射日光を遮っているが、それでもかなり暑い。10分くらいで限度に近づくが、上手い具合に800メートル毎くらいに寺院があるので、そこで休憩しながら歩き続けた。

@名も知らぬ寺院

 そのうち、体の芯から熱を感じるようになってきた(熱中症手前かもしれない)。歩いている地元民は皆無であり、要するに、空港までは歩ける距離であるが、天候がそれを許さないのであろう。
 ただし、初めて歩く身にとっては、多数の寺院や日本のODAによる気象監視システムなど、それなりに興味を引くものはあった。2度目はないが、1度だけ経験するのなら「あり」である。
 16時10分頃、へとへとになって空港に辿り着いた。待合室で飲む冷えたコーラの旨いこと。

@空港の建設も日本の援助による

 飛行機の出発予定時刻は21時40分であり、まだ搭乗手続きすらできない(今思えば、市街地で時間をつぶして、日が傾いてから歩くべきであった)。適当に3時間くらい時間をつぶしてから手続きをし、出発ロビーへと向かった。
 ワッタイ空港は小ぢんまりとした空港であるが、上級会員用のラウンジが一応ある。食材はこれといったものがないが(なぜか安っぽいケーキばかり)、ビアラオの大瓶が飲み放題なのは嬉しい限りである。

@2本半も飲んでしまいました(ツマミは冷えたピザ)

 件の飛行機に搭乗し、スワンナプームまでは1時間弱。ARLで移動し、マッカサン駅近くの宿に着いたのは23時20分頃であった。

■2014.6.2
 今日の予定は、バーンプルータールアンまでの往復である。6時半前にホテルを出て、ARLのマッカサン駅に向かった。
 マッカサン駅は過去に2回ほど利用したことがあり、その際高架の下付近で旧い線路を発見しており「こんなところに廃線跡が」と思っていたのだが、もちろんこれは廃線などではなく、タイ国鉄の東本線(つまり現役)なのである。

@ARLの駅との違いは一目瞭然(左手に見えるのは簡易乗降場。ここでの乗り降りもできるが、窓口がないので切符は買えない)

 これからタイ国鉄のマッカサン駅から乗車する予定であるが、ARLのマッカサン駅からはかなり離れているため、ARLで隣駅のラーチャプラーロップまで行くことにしている。
 ラーチャプラーロップに到着し、東方向を眺めてみる。というのも、実はタイ国鉄のマッカサン駅の正しい位置を知らないのである(「高架道路の前後くらい」という見当は付けていたが)。
 ちょうど東方面へ列車が走って行ったが、高架の手前では停まらず、さらにその向こうにも駅舎らしきものは見えない。

@駅はどこ?

 となると、高架の向こうの見えない場所に駅があるのかもしれない。現在の時刻は6時50分、出発予定時刻は7時16分、普通に駅の場所を探せば十分に間に合うが、万が一迷ってしまった場合は面倒なことになってしまう。
 そこで思い切って、ARLでラックラバンまで移動して、そこで国鉄に乗り換えることにした。ラックラバンならば一昨日に経験済みであり、迷うことはない。
 すぐにやってきた空港行のARLに乗ってラックラバンへ移動し、国鉄駅へ移動して窓口でバーンプルータールアンまでの切符を購入した。

@ARLの駅には自販機もあり(日本の中古)

 それにしても、ラーチャプラーロップからラックラバンまでのARLが乗車時間が約22分で35バーツ、ラックラバンからバーンプルータールアンまでの国鉄は乗車時間が3時間20分で37バーツであり、空調等の差はあるにせよ基準がよくわからない。
 ベンチに座ってぼうっとしながら待っていると、8時になり、例のものが始まったので起立した(意味の分からない方は、「タイ」「朝8時」などで検索してみてください)。
 8時06分発予定の列車は、8時09分に入線してきた。5両編成で乗車率は70%程度であったため、窓側の席を押さえることができた。
 チャチューンサオ・ジャンクションまでは一昨日と同じ路線で、同駅を定刻から4分遅れの9時03分に出発すると、ローカル線にはもったいないような高架を走り始めた。

@意外に立派

 路盤も複線であり、枕木も新しいコンクリート製に置き換えられている。この支線は貨物列車の収支で持っているらしく、旅客は平日のみ(しかも1往復だけ)である。
 9時22分、ドーンシーノンに到着した。ホームは広くてまだ新しいが、乗降客はほとんどいない。その代り反対側には貨物列車が停まっており、いかにもこの路線らしい雰囲気である。

@交換した枕木も多数

 複線化等の工事はまだ完了していないようで、所々で単線になったが、基本的には複線であった。もったいないことにすれ違う列車はほとんどないが、ただし路線の周辺は新しい工場(建設中を含む)が多数あり、これからの発展が望めそうな地域である。
 10時15分頃にやっと対向の貨物列車とすれ違い、10時26分に定刻より14分遅れでシーラーチャー・ジャンクションに到着、10時55分には19分遅れで観光地として有名なパッタヤーに到着した。

@註:この駅から海(観光地)までは遠いです

 駅に停まるごとにちらほらと乗客が降り、11時35分に定刻より15分遅れで終着のバーンプルータールアンに到着した頃には、5両合わせても20人程度になっていた。
 さて、折り返しまで2時間ほどあるが、駅周辺に見所はない。ただし、ここには鐡ネタがある。駅構内に、旧い日本からの車両が放置されているのである。
 本来なら歩き回りたくない時間帯であるが、上手い具合に厚い雲が太陽を遮ってくれたので、駅構内を歩いて旧い車両の方へ歩いて行った。放置車両は両手では数えられないくらいあり、中には茶色く錆びてほとんど朽ち果てているものまである。

@南無

 一番錆びている車両のドアから中に入ってみたが、座席等はすべて外されており、ほとんどスクラップ状態になってしまっていた。これでは、もう何にも二次利用はできないであろう。

@あとは朽ち果てるのを待つのみ

 その後は、することもないので駅舎に戻った。ただ座っているだけでも暑く、スコールでも来ないかと思っていたところ、運よく(?)12時半頃からスコールとなった。雷が鳴り続けるかなりの大規模なものであったが、出歩く予定のない私としては、涼しくなってこれ幸いであった。
 何もない駅にきて何もしないでただスコールを見ながら座っている、というのもバカらしいかもしれないが、「何も目的がない」というのは内田百闊ネ来の鉄道旅行の基礎(?)でもあるから、なんら問題はない。

@スコール一過

 さて、あとは戻るだけである。本来はラックラバンで乗り換えて空港へ行く予定にしていたが、そんなに早く空港に行っても仕様がない。それに、ARLマッカサン駅付近の踏切を鉄道で通ってみたいし、また国鉄マッカサン駅の位置なども確認したい。そこで、バンコク(ファランポーン)まで乗り通し、そこから地下鉄とARLで空港へ戻ることにした。
 13時35分にバーンプルータールアンを出発、しばらくの間はスコールの名残もあって涼しかったが、じきにとてつもない暑さになっていった。走行中は風が当たるとはいえ、かなりの灼熱である。非空調の列車も、体力的にそろそろ卒業したい年頃である。

@路盤工事中の皆さんはもっと暑い

 復路は、遅延どころか途中からは定刻より少し早く各駅を出発していった(それはそれで問題であるが)。早発はだんだん積み重なり、ついに5分以上になったが、17時30分に到着したフアマーク駅ですべてが帳消しになった。なぜなら、ここから先は単線になるからである。結局、同駅を定刻から10分遅れの17時49分に出発した。
 失礼にも「廃線」と思ったことのある踏切も過ぎ、18時14分にマッカサンに到着した。結局、駅舎は高架道路の東側、木々に隠れたところにあった。旧くて趣のある駅で、ここから乗ってみたかった気もするが、それは結果論である。

@人も多し

 終着のファランポーンに近づくにつれて、沿線はバンコクらしくないスラム街になっていった(私はフィリピン・マニラのコミューター沿線を思い出した)。北本線と合流すると流れも悪くなり、駅でもない場所でしばらく停車し続けた。

@おあずけ

 徐行や停止を繰り返し、ファランポーンに到着したのは、それでも定刻からたった5分遅れの18時40分であった。非空調のおかげで汗と埃まみれであり、空港のシャワーで汗を流すのが待ち遠しい限りである。

 

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