「お試し」のインド旅行

■はじめに

 今回は、初のインドである。インドと言えば、旅行者を対象にした犯罪や、そこまで至らないにしても詐欺師などが数多横行しており、他所の旅行記でもあまり良いイメージはない。駅近辺などで旅行者を騙すことを目的にあれこれ話しかけてくる輩などは私の最も苦手とするところであり、よってこれまではインドに足は向かなかった。
 同様のイメージがエジプトにもあり、それを承知で昨年暮れに初めて行ってみたが、感想としては「やっぱり」という感じであった(二度目はないだろう)。聞くところによるとインドはそれ以上(世界一?)のようであるため、どうしても気が向かないが、インドのような鉄道大国を放っておくこともできまい。
 そこで、鉄道には乗るものの、有名観光地(=詐欺師多し)には近づかないことにした。当然、タージマハールにも行かない。「せっかくインドに行くのに」と言われそうであるが、それよりも、とにかく面倒なことに巻き込まれるのが嫌なのである。今回は鉄道だけに集中し、問題がないようであれば再訪すればよい。

【旅程】
初日:夕方の便で成田を出発し、デリーに深夜着(デリー泊)。
2日目:市内の国立鉄道博物館を見学。地下鉄の乗車体験をしてから、最低限の市内観光をする。夕方、ニューデリー発ムンバイ行のラージダーニー急行に乗車(車内泊)。
3日目:朝到着。エレファンタ島を観光してから、鉄道でプネーへ移動(プネー泊)。
4日目:プネー市内を散策してから、鉄道でムンバイへ移動。近郊鉄道などを乗車体験してから空港へ移動(機内泊)。
5日目:成田着。

 観光の見どころはデリー近辺に多いが、上記のように最低限のものを見た後はすぐに「脱出」するようにしている。ムンバイはデリーほどではないらしいが、少しでも治安の良い場所という意味で、宿泊はプネーにしている(そうすることで、中距離鉄道にも乗ることができる)。

 なおインドでは、鉄道関係は原則として写真撮影が禁止である(軍事的理由による)。そうなると鐡旅の魅力が半減以下になってしまうが、調べたところスナップショット程度なら許されるようなので、目立たないように撮影してくることにした。


@デリー駅にて

■2016.9.22
 デリー空港着は0時05分の予定であったが、20分ほど遅れてしまった。ビザはネット上で申請済みであるためすぐに入国できると思っていたが、結局ものすごい時間を要し、外に出られたのは1時半過ぎである。しかも、「安心料」と思って日本語のできる旅行社(鉄道の切符もここに依頼した)に送迎を依頼していたのだが、約束の場所にいないではないか。近場の有人電話(10ルピー)で旅行社に抗議の電話をしたが、ドライバーがやって来たのは45分後であり、なんだかんだでホテルの部屋に落ち着いたのは3時過ぎであった。いきなり、インドの洗礼を受けた気がする(「騙されるよりはマシ」と自分に言い聞かせる)。

@空港で待ちぼうけ

■2016.9.23
 今回のホテルは市内中心部から外れた地区(大使館などが多い場所)にあるが、ここを選んだのは、治安の問題以外にも上記の鉄道博物館に「歩いて行ける距離」にあるからである。というわけで、今日の鐡ネタ第一弾は国立鉄道博物館であるが、その前にすでにホテル前に鐡ネタが転がっている。それは、建設中のメトロである。メトロといっても高架鉄道であるため、見た目は普通の鉄道である。高架はほぼ完成しており、後は最終的な設備の設置等するだけのようである。

@ほぼ完成?

 9時頃にホテルをチェックアウトし、鉄道博物館へと歩いて向かった。交差点付近の真上には駅も完成しているが、その下の空き地は「その日暮らし」の人々の住みかとなっている。日本でもその日暮らしの人は凄まじい状態の人がいるが、インドの場合はそれ以上である。

@駅

 在来線の高架を過ぎると、左手に鉄道博物館が見えてきた。細い路地があったのでそれに沿って降りて行き、開館時間である9時30分少し過ぎに到着した。
 しかし、切符売り場がまだ開いていない。警備員に聞いてみると、「10時から」ということで、案内板にも上から新たな時刻が張り付けられていた。

@おあずけ

 仕方がないので、近場(大使館ばかり)を適当に散策した。ブータン大使館がやたら荘厳で大きいのに驚いたが、よく考えれば隣国であるので不思議ではない。
 適当に歩いて9時53分頃に博物館入口に戻ると、なぜかもう開いていた(さすがインドである)。入口付近には小学校低学年くらいの子供がたくさん並んでいるが、身なりからしてそれなりの身分のご子息であろう。朝方に見た、その日暮らしの子供たちとは雲泥の差である。
 とにかく、20ルピーの切符を買って中に入った。

@子供にピントが合ってしまった

 敷地内には数えきれないくらいの車両が展示されており、とにかくSLが多いという感じである。どれが貴重なのかはまったく不明であるが、とりあえず適当にあれこれ写真に収めて行った。

@色々あります

 個人的には電気機関車などの方が惹かれるのでそれを探していると、奥の方に何両か展示されていた。一際目立つ黒い機関車は1930年製であり、当時としては異例の130キロで走行したとの記述がある(各車両に2か国語(ヒンディー語と英語)の解説があるので、ありがたい)。

@迫力あり

 敷地内を歩いていると、子供たちを乗せたミニSL(動力はディーゼルだが)が走ってきた。地元の優等学校向けにちょうど良い施設のようであり、色々な制服の子がミニSL乗り場で待機している。外国人観光客も、少ないがちらほらいる。
 暑くなってきたので、クーラーの効いている展示施設に避難した。

@涼しい

 展示物を一通り見終えてから敷地の外に出て、元来た道を戻る。しかし高架を渡る前に、あえて交通量の多い大通りを反対側に渡った。というのも、高架の東側には在来線(環状線)の駅「Safdarjung」があるからである(時刻を調べたが本数があまり多くなく、デリー駅に行けるかどうかも確定できなかったので、乗る予定はない)。
 広い駅構内には数編成の列車が係留されており、一番駅舎側のホームには、ちょうど列車が入線したところではないか。自分で乗るわけではないが、在来線の様子を垣間見ることができた。

@どこ行きかは不明です

 これから3キロほど歩いて、メトロ(空港連絡鉄道)の駅「Dhaula Kuan」へ行くことにしている。交渉事は面倒なのだが、近づいてきたリキシャーがいたので試しに交渉してみると、やっぱり「その金額ではダメ」だとか色々と言い出すので、さっさと諦めて歩くことにした(外国人相手だから少しでも多く取りたいのだろうが、どうせ空車で走り続けるよりは適度な値段で乗せた方が儲かるのに、と思う。しかし、そう考えないのがインド流なのだろう)。
 建設中の高架の下などを歩き続け、空港連絡鉄道との交差する付近で南下し、駅舎へと入っていった。何より、クーラーが効いているのがすばらしい。

@ここも涼しい

 インドの近郊鉄道やメトロの切符売場は大混雑であるのが常のようであるが、この空港連絡鉄道は設定金額が高いため、予想通り空いていた。切符の自販機も設置されており、並んでいる人もいない。
 タッチパネル式であるためメニューを選択するのは簡単だが、お金を入れても吐き出されてしまう。よくよく注意書きを見てみたら、100ルピー札は受け付けないとのこと。小銭が必要なので要注意である。

@幸い50ルピー札があったので買えました

 セキュリティチェック(メトロの駅には必ずある)を過ぎて改札を通り、ホームへと上がっていくと、ちょうど空港方面からやってきた列車が入線してきた。インド到着時が夕方かせめて夜の遅くない時間帯であればこの鉄道を利用して市内に来られるのだが、どういう訳かインドに行く日本の航空会社の便は深夜着ばかりであるため、今回の私もこの鉄道を使うことができなかった。途中からではあるが、こうして利用することができて一安心である。
(インドでは空港到着時のトラブルがかなり多いが、それは深夜着であることも大いに影響していると思う。悪徳タクシーによる犯罪や詐欺を減らすには、深夜着をやめるべきと思うが、航空会社なりの何か考えがあるのであろう)

@インド初鐡

 出発後は、建設中の鉄道高架と交差し、しばし緑の多い区域を走行してから地下へと潜っていった。
 ニューデリーに到着し、ここで一般のメトロに乗り換える(観光地に行くと詐欺師が多いので、適当にメトロの終点まで行くことにしている)。
 切符売場は大混雑であるため、それを避けるためにトラベルカード(150ルピー。うち50ルピーはデポジット)を買った。すべて使い切る予定はないが、たかだか200円ちょっとの価値であるし、そのまま持ち帰れば記念品にもなる。

@切符いらず

 イエローラインに乗り、Samaypur Badli方面へと北上した。しばらくの間は地下鉄であったが、そのうちに高架となった。辺りは、貧しい雰囲気である(ここに限った話ではないが)。
 イエローラインの終着駅であるSamaypur Badliまで行こうと思っていたが、私が乗った列車はJahangir Puri行であった。目的のある旅でもないため、そこで折り返すことにした。いったん改札を出て、再度入り直す。

@これで戻る

 なおインドの近郊列車には、女性専用車両がある。他国でもあるが、インドの場合はそれが何両もある(数両に1両程度)ので、うっかり入らないようにする注意が必要である。またそれ以外にも、身障者用もある。
 なお普通の車両内にも特別のスペースがあり、身障者用は日本にもあるが、インドには女性用の特別スペースもある(しかも、座席の色などは他と同じであるため、全く目立たない)ので、よくよく注意書きは見なければならない。

@この標識の下は女性用

 ニューデリーを通過して、Central Secretariatで下車。観光ゼロというのも寂し過ぎるので、ここで下車して2キロほど公園を歩いてインド門へ行くことにしている。
 気温は30度ほどであり、インドとしてはさほど暑くない季節である。てくてくと歩き始めたが、それにしても勧誘してくるリキシャーのしつこいこと。「10ルピー」(約15円)などと聞くと安いと思ってしまうが、それに乗ってしまうと、下車時に「俺は10ドルと言った」だの「10サウザンド(10,000)ルピーのことだ」と言われる可能性がある(もちろん、良心的な運転手もいるでしょう)。
 そもそも散策が目的なので、それらをあしらって歩き続けた。

@最低限の観光も

 見るべきものは見たので、後は旅行社に行ってこれから乗車する列車の寝台番号を聞いたりするだけである(切符の購入はかなり前からできるが、座席や寝台の指定は出発の3時間前にならないと決まらないのである。ネット上でも確認できるが、今はそういう環境いないため旅行社に行く必要がある)。
 復路もリキシャーをあしらいながらメトロの駅に戻り、ニューデリーに向かおうとすると、駅構内の階段に「メトロ博物館へ行こう」みたいな広告があった。場所はPatel Chowkであり、隣りの駅である。時間に余裕があるので、そこに寄ってみることにした。詳細な場所がどこであるかが不明であるが、とりあえず降りてみればわかるであろう。
 Patel Chowkで下車して階段を上がると、コンコース自体が博物館になっていた。

@写真を撮ると駅員に怒られた

 展示物を見てから、ニューデリーへ移動した。そのまま旅行社に行ってもいいのだが、せっかくなのでコンノート・プレイスにも足を運んでみたが、やはり声を掛けてくる人が多くて煩わしい(同様のことが、駅前のメイン・バザールにも言えるが)。「これもインドの思い出」と思いつつそれらをあしらい続け、バザールの奥にある旅行社に行って寝台の場所を教えてもらったりした。
 さて、後は駅に行くだけであるが、その前にすべきはビールの入手である。私はプチ・アル中なので寝る前には大量のビールが必要であるが、アルコールの入手が難しいインドでは「連続休肝日」になると諦めていた。しかし、少ないながらもリキュール(リカー)ショップがあるということを知り、事前にその場所を調べておいてある。
 旅行社から5分ほど歩き、件の店を発見した。大きいサイズ(500mlくらい)の冷えたビールがあったので値段を聞いたら、たったの100ルピーということであり、それを3本購入した(買ったビールを防寒着で包めば、3時間くらいは冷たいままである。ちなみにこの防寒着は、効き過ぎるクーラー対策のための必需品でもある)。

@こういう店構え

 ということで、後は乗車するだけであるが、ニューデリー駅も詐欺師が多いことで有名である。例えば、
・駅構内で駅員の恰好をして検札をして「この切符では乗れない」と言い、旅行社に連れていく(そして高いツアーや代替の切符を売りつける)。
・号車番号を教えるふりをして、「Eチケットでは乗れない。正式な切符に交換する必要がある」と言い、(以下同文)。
 などであり、旅慣れている私でも、事前の情報がなければ騙される可能性が高いだろう。

@ニューデリー駅

 なお駅舎内には発車時刻の電光掲示板があるものの、ホームに繋がる入口はない(ここで右往左往しているうちに、詐欺師に声をかけられるのであろう)。乗車口は駅舎の外、向かって右側の外れ(南側)にあり、そこでセキュリティチェックを経て、階段を登って各ホームへ行くようになっている。
 なお駅舎の前にはSLが展示されているが、どっちが前だか後ろだかもわからないくらいボロボロであった。

@掲示板で出発ホームを確認

 指定された3番線には、インドを代表する列車である「ラージダーニー急行」が入線していた。それほど新しいわけではないが、他の列車がボロすぎるので、一際新しいように感じられてしまう。
 いつもなら編成を確認するところであるが、インドの列車は20両弱の列車などがあり、往復するだけで疲れてしまう。それに、実はインド国鉄のサイトで編成が確認できるのである(意外な感じもするが、やはりITに関しては進んでいる国である)。私が乗るのは1両しかない最上級のHクラス(エアコン付のファーストクラス)であり、客車としては一番前であった。

@今日の塒

 先頭まで行き、念のため近くにいた人に「写真を撮っていいか」を聞いてから撮影をした(表紙写真)。なお、彼は単なる作業員であり、駅員ではない(駅員の場合、違う反応をされる可能性がある)。もちろん、それを承知であえて聞いたのであるが。
 車内に入り、指定されていた部屋番号に入った(上下段などは指定されていない)。まだ誰もいなかったので、進行方向側のベッドを押さえておく。しばらくしてから、おじさんが1人入ってきた(結局、最後まで2人だけであった)。

@コンパートメント内

 しばらくすると、大きなペットボトルの水(冷たい)とコップが配布された(これは料金内)。それで喉を潤しているうちに、定刻の16時25分に汽笛が鳴り、26分に出発した。インドの鉄道と言えば数時間遅れたりすることで有名であるが、最近は改善の傾向にあるといい、確かにほぼ定刻の出発時間であった。出発後しばらくは、歩いているような超低速で走り続けた。
 水に続いて、次はジュースが配られた。外を見ると貨物列車を追い抜いており、最後尾には日本では見られなくなった車掌車が連結されているのが見える。

@やけに大きい

 徐行区間を終えると、列車は少し怖いくらいのスピードで走り始めた。路盤の状態はものすごく良いわけではないが、それなりの高速走行に耐えられる程度には整備されているようである。
 車内をよく見てみると、ベッドの横には普通の階段がある(たいていの寝台は、梯子のようなものである)。インドの鉄道は日本の新幹線よりも軌道が広い(よって車両幅がある)ため、このような贅沢な造りが可能なのであろう。

@広々

 係員が来て、コーヒーか紅茶か尋ねてくる(また飲み物)。しばらくして提供されたのは、サンドイッチと小さな惣菜パン、ミニケーキとキャンディーである。予備知識がなければ「少し寂しい夕食が早めに出てきた」と思ってしまうが、実はこれは茶菓子である。サンドイッチなどは(食べてしまうと夕食に影響するので)手を付けずにバッグにしまい、コーヒーだけを頂いた。

@夕食ではありません

 デリーの市街地が続くため、小さな駅を通過し続けていく。夕方であるため列車内はすし詰め状態のものもある。インド国内で新幹線方式の高速鉄道を整備するような話も出てきているが、それよりも在来線のインフラを整備する方が先のような気もする。
 係員がまた来て、今度は夕食のメニューを尋ねられた。ベジ(菜食)かノンベジを聞かれ、当然のようにノンベジと答える(ここまではネットで予習した通り)。するとさらに「コンチネンタルかインド風か」を聞かれたので、もちろん後者を選んだ(予想外の展開)。それだけではなく、スープ(トマトと何か(インドアクセントが強くて聞き取れず))も選択制だったため、トマトを選んだ。なんだか、かなり細分化されたようである。
 6時頃、夕日が落ちていった。

@夕日と貨車

 7時半過ぎになると、夕食のセッティングが始まった。ネットで予習した限りでは、一式がトレーに乗って一気に出てくるようであったが、そうではなく、恭しくお皿が準備されている。食事はすぐに来ないようだったので、先ほどの惣菜パンなどをツマミにしてビールを飲み始めた。

@ピンボケ

 最初に出てきたのは、トマトスープであった。それを啜っているうちに、続いて出てきたのはコロッケのようなものである(パクチー風味であるため一癖あるが、美味であった)。それに続くのは、本格的チキンカレーである。さすがにもう終わりかと思ったが、続いてカレー風味のスープに2種類のカレー、薄焼きのパンまで出てきた。ストロングビール(アルコール8%)と一緒にそれらを片付けていると、「カレーのおかわり」「ライス」と続いたが、もう入らないので断った(しかし再度「ライスはどう?」と来たので、少しだけもらってチキンカレーに入れて食べた)。

@今日のコース

 最後の締めは、カップアイスである。一式トレーと比べて、格段にサービスが向上したと思える(インドのイメージに変化?)。満腹のまま、就寝。

■2016.9.24
 5時過ぎに目が覚め、起床。いつも通りの早起きであるが、6時には係員が朝食のメニューを聞きに来た(オムレツかカツレツ。私は後者を選択)。西洋人旅行客ならまず起きていない時刻であるが、ファーストクラス内にも外国人はおらず、インド人ばかりである(私が唯一の外国人?)。
 まずは寝起きの飲み物(コーヒーか紅茶)が提供され、しばらくして、シリアルやバナナが準備された。それを食べ終える頃、カツレツと食パン(小さいが4枚も)がやってきた。同室のおじさんはオムレツを選択したようであり、当人がいなかったのでその写真も撮らせてもらった。

@こんな感じ

 カツレツもパクチー風味であるが、パンに挟めばインド風コロッケパンになる。
 それを食べ終える頃には、ムンバイが近づいたようであり、近郊列車が併走するようになった。ドアが開きっぱなしであるため、見ていて危ないことこの上ない。電車の横にはWRと書いてあるが、ウェスタン・レイルウェイのことである。
 そんな様子を見ていると、最後の「飲み物攻撃」としてチャイがやってきた。そういえば、インドに来てまだチャイを飲んでいなかったので、ありがたく頂いた。生姜が効いており、なかなかの味である。

@全体的にレベルは高い

 係員がお盆の上に砂糖と香草を混ぜたようなものを持ってきたので断ったが、前にいたおじさんを見ていると、どうやらチップのようであった(昨晩も来たのだが、意味がわからなかったので断ってしまった)。元から渡す気でいたので、50ルピー札をお盆に置いた(正面過ぎる「チップチップ」も問題だが、やんわり求められても理解できない場合がある)。
 8時17分、奇跡的に定刻からたったの2分遅れでムンバイ中央に到着した。ずいぶん進歩したものである。駅舎内を目立たないように撮影してから外に出たが、タクシーの勧誘は1人だけであり、それをあしらったら終わりであった(デリーとは雰囲気が違うようである)。

@駅前にあったSL(デリーにあったものより遥かに綺麗)

 さて、これから先ほど並走していた電車に乗って移動するのであるが、今しがた出てきた大きな駅舎は長距離列車専用であり、近郊列車の入口は別のようである。東側から出て南側をぐるっと回って適当に歩いていくと、それらしき入口を発見した。中に入ると切符売場もあり、ここで間違いないようである。
 壁には料金表が貼ってあるが、チャーチゲートまでの値段を見てみると、50ルピーと超高額である。不思議に思って窓口で買おうとしたが、その値段はファーストクラスであり(あのボロ列車にファーストがあるとは)、セカンドクラスはたったの5ルピーであるという。

@紙代や人件費や電気代はどうやって捻出しているのか

 ホームへ降り、すぐにやってきた電車に乗り込んだ。出発後は、地元住民と同じようにドア付近から外を見続ける(危険ですので、真似する方は自己責任で)。
 なおファーストクラスについては、シートがちょっとだけ柔らかいだけの違いであった。ちらほら乗っている人もいたが、正当な切符(ファースト用)を持っているかどうかは、疑わしいところである。

@改札・検札いっさいなし

 終点のチャーチゲートからは30分ほど歩いてインド門へと行った。今日はここから船に乗って、エレファンタ島へ普通の観光である。
 船は9時から30分ごとの出発となっていたが、インド時間ではそうならず、9時50分過ぎに出港した。島までは1時間ということであったが、到着したのは11時05分であった。本来なら2時間くらいゆっくり予定であったが、復路が遅れたのでは14時30分のプネー行の列車に乗り遅れてしまうため、滞在時間を1時間くらいにしなければならない。よって、港にあった10ルピーの「なんちゃってSL」も通過し、歩いて遺跡へと向かった(歩いたほうが早いのである)。

@鐡ネタ?

 急いで遺跡(いつの間にか外国人は500ルピーに値上がりしていた)を見学し、12時前に港に戻ってきたが、「船は12時30分に出る」と言われてしまう。さらにしばらくすると「1時くらい」と言われ、往路の船の速度を考えると、これはかなり厳しい条件である。若い男性が、「チャーターなら2,000ルピーで船を出すよ」と言う(正式料金は、往復で180ルピー)。
 要するに時刻表などはなく、人が集まったら出港ということなのであるが、目の前の船には5人くらいしか乗っていない。恐らく1時というのは若干「ふっかけ」ており、あと30分も待てば40人くらいになって出港する可能性が高いと思われるが、それは危険な賭けでもある。それに、インド価格なら2,000ルピーは法外だが、大きな船をたった3,000円程度でチャーターできるとなれば、それはそれで面白いのではないか(仮に50人乗れば、片道でも4,500ルピーを稼ぐ船である)。
 そう思って、男性にチャーターを申し込んだ。

@貸切

 すぐに出発したが、船員も「特別チャーター?」と少し笑っている。出港後は、別の乗組員(全体で4人くらいいる)が、チャイを持ってきた。
(なお、正規航路の人たちだから今回は「ハードル」を下げたが、そうでない場合は「交渉やお金の受け渡しは複数人の前で」「出された飲食物には手を出さない」など、しかるべき対策が必要である)
 30分ほど過ぎた頃、雨がぱらつき始めたので船の1階に行こうとしたところ、操舵室にいた船員が「ここに来い」というので、ありがたくそこに座ることにした。これなら、さらに2,000ルピーも気にならない。
 観光地でそういうこと(特別サービス)をされると、たいていはチップチップと五月蝿いのであるが、ここの人たちはそういうこともなく(チャイも当然のように無料)、いい人たちであった。

@操舵室内より

 13時頃にはインド門付近に戻り、小雨もすぐに上がったので歩いてムンバイCST駅へと向かった。この駅は、世界遺産に登録されている駅である(天気が良くなかったので、写真は明日に期待)。
 西側から駅構内に入ったが、まずは近郊列車のホームが連なり、いったん外に出て別の建物に入ると、今度は長距離列車のホームとなっていた。14時30分発のシンハガド急行は、立派な名称が付いているもののほとんどがオンボロの2等席であり、「本当に動くのか」と言いたくなるような代物であった。

@年季が入っている

 まだまだ時間があるため、一旦駅舎の外に出て夜用の食材を買ったり、駅構内の売店で冷たい飲料を買ったりした。
 売店の品物に値札は貼っていないが、例えばペットボトルのジュースの値段を聞くと、明らかな外国人である私に対して「34ルピー」と普通の相場の値段を言ってくる。パンを買って、お釣りを貰う前に行こうとしてしまうと「おつりおつり」と(たったの2ルピーを)渡してくる。少なくとも、エジプト<ムンバイというイメージは固まった(エジプトでは散々だった)。

@雑踏する駅構内

 私が乗車するのは、18両ある客車のうち1両しかない冷房車であるCCクラスである。座席番号は50番であり、横5列であることから窓側を予想していたが、その通りであった。ただし、窓は曇りガラスのような状態であり、写真撮影はほぼ不可能である。
 定刻から5分遅れの14時35分に出発。元から9割以上乗っていたが、最初に停まった駅で満員となった。その後も、停まる度に乗客の入れ替えがあるため、車掌も忙しそうである。
 じきに峠に差し掛かり綺麗な景色となったが、窓が窓だけに、まともな写真撮影は不可能である。

@よって出発前の車内の様子を

 18時55分、定刻から15分遅れでプネー・ジャンクションに到着した。今日もなかなかの合格点である。
 さて、まずはビール探しである。グーグルマップでは駅構内にあるように示されているが、どこをどう探しても見付からない(駅員に聞いても「知らない」という)。「今日はさすがに休肝日か」と思って駅を出ると、目の前にビールの看板を掲げた店があるではないか。量販店(リカーショップ)ではなく、飲食店であるため割高ではあるが(330mlが125ルピー)、それを4本買った(なお、インドでは州によってアルコールの値段が違うため、割高なのはそれが原因である可能性もある)。
 駅から歩いて7分くらいの場所にあるホテルに投宿。今日は船で散財したので、ツマミはデリーで買った惣菜パン(の具)などである。

■2016.9.25
 昨晩は激安食材(特色なし)であったが、朝食付きのホテルであったので、インドらしい朝食をめいいっぱい皿に盛り付けた。

@取り過ぎ

 朝食を終えてから7時20分頃にチェックアウトし、市内にある寺院等(片道徒歩30分くらい)を見て回った。日曜だからかどうかは不明であるが、至る所でデモのような行進があった。しかし参加者は平和な雰囲気であり、果たして何の集会であるかは最後まで不明なままであった。

@謎

 プネーと言えば、「治安の良い学園都市」のように紹介されたりしている。確かに治安は悪くないようであるが、学園都市と結びつくような清潔な状態ではない(さすがにインドなので)。崩れそうな家が多く、地下道などはアンモニア臭がし、また線路脇や道路沿いには物乞いがたくさんいたりして、インドの都市としては他と大差ない感じがする(ただしこれは、私がコルカタやバラナシに行ったことがない故の感想であり、そういう都市と比べると「さすが学園都市」となるなのかもしれない)。
 散策を終えてから、駅へと移動した。

@プネー・ジャンクション駅

 メインの電光掲示板が故障しており、私が乗る列車が何番線から出発するのかが不明であったが、高架上にある掲示板で知ることができた。いそいそと6番線へと移動する。
 向かいのホームにはちょうど各駅停車が入線してきており、車内は例のデモのようなものに参加する男たちで超満員であった(なぜか女性はいない)。わざわざ列車に乗ってきて参加するということであるから、お祭りか何かであろうか。

@未だに謎

 私が乗るべきHAクラスは先頭に近いところにあるため、ホームの端まで歩かなければならなかった。
 定刻は9時10分発であるが、他所様のサイトを見るとインドの鉄道は3〜4時間(下手すると6時間以上)遅れることがあるらしい。これから乗る列車は遠路はるばるハイデラバードからやって来る列車であり、こんな場所で数時間も待たされるのだけは勘弁である。
 私の杞憂をよそに、列車は9時08分に入線してきた。

@これで無事に帰れる

 HAとは、H(ファーストクラスのコンパートメント)とA(開放式寝台の最上位クラス)の混合車両であり、この車両内のHクラスは3つのコンパートメントだけであった。私はBという部屋であったが、先客はすでに全員降りてしまったようで、乱れたリネン類が散らばっているだけであった。9時18分に出発したがその時点で私1人だけであり、どうやら最後まで独り占めできそうである。

@豪華に

 独り占めできるのはいいが、ラージダーニー急行に比べるとかなり古い車両であり、窓はかなり曇っている状態である。ただし、昨日(ほぼ曇りガラス状態)よりはマシである。
 しばらくすると峠区間に入っていった。「そういえばドアは開いたままだから、デッキからなら綺麗な撮影できるな」と思って行ってみると、なんと先客が複数人いた(インド人にも鐡な人がいる?)。彼らは、一所懸命にスマホで撮影している。
 峠にはいくつか信号所のような場所があり、乗客の乗降も扱っているようである。とある信号所では、列車の行き違いがあった。

@残念な濃霧

 その後はいったん部屋に戻ったが、トンネルを抜けるとまた左右に景色が広がったのでデッキに行ってみた。インド鐡(と呼ばせてもらおう)のうちの1人が、「どこから来た」「あそこに滝がある」など質問や助言を与えてくれる。最近は使っていないのか、スイッチバックのような設備もあった。

@壮大な風景

 しばらくすると、左手に古いレンガ製の橋脚が現れてくる。恐らく古い路盤(現在の路盤に置き換えられる前のもの)と思われるが、私がカメラを出す前に例のインド鐡があれこれ説明してその写真を撮るように急かしてきた(説明の詳細は、デッキゆえの騒音にかき消されたため不明である)。

@橋脚

 その後しばらくすると平坦な地形になり、家々が多くなり、ドアが開きっぱなしの近郊列車が並走するようになり、13時24分に(定刻から19分遅れで)ムンバイCSTに到着した。ハイデラバードから来ていることを考えれば、これまた充分に合格点である。
 さて、まずは世界遺産である駅舎の撮影である。道路の反対側に行き、撮影をした(さすがに有名であるため、インド人も同じようなことをしていた)。

@世界遺産

 続いては、グルメネタである。地元の名物以外に、私はファストフードの地元メニューを食べることも楽しみにしている。今回は、韓国のプルコギ・バーガーとエジプトのマック・アラビーアに続き、マハラジャ・マックを制覇するのが目的である。
 ムンバイCSTのすぐ近く、瀟洒な建物にマクドナルドがある。ポテトとドリンクMが付いたセットで270ルピーだったので、それを注文した。ビックマックくらいの大きさを想定していたが、出てきたのはこれまでに見たことがない巨大な箱である。それを開けて見ると、バーガーだけでは自立できない(?)ためか、周囲を円形の紙で支えられているではないか。それを外して食べようとしたが、本気で大口を開けないと間に合わないくらいの巨大さであった。

@こんな感じ

 味は普通に「マクドナルドっぽい」もので、私なりにおいしく頂いたが、その量(大きさ)には驚かされた。
 その後は食後の散策も兼ねて市内を歩き、ガンジー像の写真を撮り、高所得者向けのスーパーでお土産(インド産チョコレートなど)を買い、さて、残る最後のネタは空港への移動である。
 もちろん、タクシーなどは使わずに鉄道での移動である。まずは、例の近郊列車に乗ってアンデリーまで移動する。

@もう見慣れてきた車両

 アンデリーまでの切符は10ルピーであるが、途中のマハラクシュミで途中下車した。というのも、観光地であるドービー・ガート(巨大な洗濯場)に行くためである。本来なら切符を分けて買う必要があるが、改札も検札もまったくないし、そもそも日本円で10円程度の話であるので、気にせず途中下車をした。

@観光も忘れずに

 橋の上から観光した後は駅に戻り、空きっぱなしのドアから外を眺めつつアンデリーへと向かった(なお近郊列車には各駅停車と快速があるので、マハラクシュミに行きたい人は要注意である)。
 アンデリーでは、メトロに乗り換えることとなる。出国前にグーグルマップで空港周辺を見てみたところ、メトロの「エアポート・ロード」から空港まで歩けそうなことに気付き、ネットで調べてみると、数は少ないものの「20分くらいで歩けた」というような記述もあったため、それを実践することにしている。
 ここまで40分も乗ってきた近郊列車が10ルピーであるのに対し、メトロはたった3駅(数分)なのに20ルピーである。その他、設備等も大違いである。

@改札もあります

 セキュリティチェックを経てホームに上がると、係員が4〜5人もいるではないか。これは撮影をすると文句を言われるパターンであるが、係員が反対側を向いている間にこっそりと撮影した。

@盗撮?

 新品の列車(もちろん冷房車)で3駅移動し、エアポート・ロードから歩いて空港に向かった。確かに20分ほどで空港ビルに近づくが、この空港は巨大であるため、チェックインロビーに辿り着くまであと10分追加した方がいいであろう。また、この季節(30度程度)なら問題ないが、酷暑の季節は避けるべきである。

 さて、恐れ戦きながら準備を始めた最初のインド旅行であったが、入念に下調べをしたのと、危険な場所には近づかなかったため、厭な思いはせずに済んだ。それどころか、鉄道が意外に時間に正確であるのと、旅の後半は変な客引きにも逢わず、また船のクルーやインド鐡との出会いもあり、おかげで悪い印象は持たなかった。
 鉄道大国であるため、インド再訪は欠かせないであろうか。それでもその際は、同様に入念な下調べをし、どうしても有名観光地へ行きたい場合はツアーに参加するであろう(警戒は重要)。

@最後はムンバイ猫で

 

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