【非鐡の旅M】バスで北海道一周

■はじめに
 体育の日を含めた3連休であるが、せっかくなので国内旅行をすることにした。有休を1日追加して4連休にしてみたが、さて、どこへ行くかが問題である。とりあえず北海道に行くことにしたが、テーマが決まらない。
 JRのフリー切符を使って道内をあれこれ乗りまくるという手段もあるが、正直これまでに何回もやってきた手法である。それ以外にも、レンタカーでもあらゆる方面に行っているし、若い頃にはバイクでのツーリングでも同様に各所に訪問している。
 そこでふと思い出したのが、2か月前に実施した北海道旅行である(拙文「JR北海道の様子を確かめに行く旅part2」参照)。温帯低気圧の影響でJRが運休となり、その影響で十勝清水から富良野と旭川を経由して留萌までバス旅をしたのであるが、それが意外に新鮮だったのである。ということで、今回はそれの拡大版として、バスだけで北海道を一周してみることにした。
 ただし、すべての沿岸を辿るのは不可能である(過疎地には路線がない)のと、4日間という制限から道南などへ行くのも難しい。あれこれと考え、以下のような旅程にしてみた(遠軽から北見までは、選択肢が少ないためJR利用となった)。

バス1:新千歳空港→大通公園(北都交通)
バス2:大通バスセンター→稚内駅前(宗谷バス「わっかない号」)
稚内泊
バス3:稚内駅前→浜頓別(宗谷バス)
バス4:浜頓別→枝幸(宗谷バス)
バス5:枝幸→雄武道の駅(宗谷バス)
バス6:雄武道の駅→紋別(北紋バス)
バス7:紋別→遠軽(北海道北見バス)
(JRで遠軽から北見へ移動)
北見泊
バス8:北見→陸別(北海道北見バス)
バス9:陸別→帯広駅前(十勝バス)
バス10:帯広駅前→広尾(十勝バス)
バス11:広尾→えりも駅(JRバス)
えりも泊
バス12:えりも駅→札幌駅(JRバス「えりも号」)
(余った時間は「一日散歩きっぷ」を使用して余市日帰り旅行)

 この旅の魅力としては、国鉄やJR、その後の第三セクターの廃線跡をたくさん辿ることができるという点である(羽幌線、天北線、興浜北・南線、名寄本線、池北線(その後の「ふるさと銀河線」、広尾線)。まだ廃線にはなっていないが、もうすぐそうなってしまう日高本線もそうである。
 1か月前に特典航空券を押さえ(往路はANA、復路はJALでなんとか確保。特に3連休最終日の後者は激戦であった)、予約が必要な「わっかない号」と「るもい号」の事業者に電話をして予約を入れ、すべての準備は整った。

@北見枝幸バスターミナルにて

■2018.10.5
 予約時点で空席があったのが8時の便であったのでそれを押さえていたが、最寄駅始発の電車で移動して羽田に6時半過ぎに到着し、無事に7時の便に変えてもらった。この1時間の差が重要であり、10時30分の「わっかない号」に乗れるか乗れないかの基準になるのである(それに乗れなかったとしても13時00分のバスで移動はできるが、稚内到着が夜になるので避けたいところである)。
 新千歳空港には8時35分過ぎに到着。まずは8時55分のバスで札幌へ向かうことにする。

@第一弾はこれ

 札幌への移動は鉄道が中心であり、バスは「札幌から乗り換えが不便な場所」に行く手段となっている。ずいぶん前に利用したことがあるが、本当に久々の乗車である。
 6人だけの乗客で定刻に出発。意外に時間がかかり、大通公園に到着したのが10時15分、そこから歩いて大通バスターミナルに到着したのは出発10分前の10時20分であった。バス旅では最前列の左側の座席を押さえるのが鉄則であるが、これでは望み薄である。「バスに拘らずJRにすればよかったかな」と思いつつ、仮で予約していた13時00分を取り消して10時30分発の切符を購入した。

@次はこのバス(ターミナル内は暗く、また背後からしか撮影できなかったため、途中の休憩地で撮影)

 車内に入っていると、なんと最前列左側の席が空いているではないか。私以外に13人も乗客がいるのに、である。ありがたく、その座席に座った。USB接続の電源もあり、スマホに優しい席である。
 定刻に出発。20分ほどで市内を抜けて高速道路に乗り、砂川SAで最初の休憩となった(高速道路は「変わったもの」がないため、旅行記泣かせである)。なお、看板によれば「日本最北のサービスエリア」とのこと。小腹が空いたので、地元のドーナツを買ってみる。

@地物

 15分の休憩を終えて同SAを11時50分に出発。深川留萌自動車道に入り、廃止間際の留萌本線と時折交差して、留萌市内を抜けると日本海が見えてきた。
 ひたすら北上するが、言うまでもなくこの国道は羽幌線と沿う道である。ここを初めて走ったのは今から21年前のバイクツーリングであるが、当時はまだ廃線後10年程度ということもあり、たくさんの跡を見つけることができた。しかし、今回はほとんど見つけられない。

@海の写真で代替

 13時30分に羽幌の道の駅に停車し、再度15分の休憩となる(3枚前の写真)。
 道の駅を出発し、左手遠くに利尻富士を眺めつつ、右側の陸地に廃線跡がないかどうかを探すが、なかなか見つからない。14時20分頃になって、やっと大きなコンクリート橋跡が見えてきた。

@慌てて撮ったのでピンボケ

 15時頃には幌延町内に入り、廃線跡探しは収穫少なく終了である。その後は高速道路のような高規格道路を経由して稚内市内に入り、ちらほらと乗客が下車して、南稚内駅前以降は私1人になってしまった。
 定刻より17分も早い16時03分に稚内駅前バスターミナルに到着。歩いて5分ほどの安民宿に投宿した(夜の食材は、当然安スーパー揃え)。

■2018.10.6
 夜明けとともに宿を出て、稚内駅前に向かった。指折り何度来たかわからないくらいであるが、鉄道を使わずに来たのは初めてなので、なんだか新鮮である。

@新駅舎

 時間に余裕があったため、港に近い海際まで行ってみる。台風が近づいており天気予報は「曇りのち雨・降水確率30%」であるが、そう思わせない朝焼けであった。
 駅前に戻り、5時45分発の浜頓別高校行(天北線代替バスのルート変更版)に乗り込んだ。ぱっと見は普通の路線バス用車両であるが、まさかのWi-Fi付きである。私は景色を見て撮影するのに忙しいから不要であるが、「移動は苦痛」という人には有難い設備であろう。

@今日はこれから

 出発時点で、乗客は私を含めて4人である。少ないが、土曜日の朝5時台と思えば、健闘している方であろうか。
 南稚内を過ぎて声問付近までは天北線の廃線跡となるが、バスからは確認不可能である。以前は「天北線代替バス」が、本来のルートである内陸の曲淵経由で運行されていたが、それは廃止され、現在は宗谷岬経由となっている。
 6時35分、宗谷岬に到着した。ここで観光客2人が降り、車内はもう2人だけである。

@最北端

 岬を過ぎると、国道は南下を始める。壮大な景色であり、「何か歩いているな」と思って路肩を見るとキタキツネである。なかなか趣深い。
 砂浜には釣り人が多くいるが、皆1人で6〜10本くらいの釣竿を管理している(砂浜に刺しっぱなしにしている)。何が釣れるのか気になるところではある。
 いったん内陸部に入り、7時17分に鬼志別到着(2分早着したので5分休憩)。高校生が2人増え、また4人に戻った。
 同じ道で海際まで戻り、浜頓別に近づくにつれて3人ほど乗客が増えて、8時22分に浜頓別に到着した。乗り換え時間は9分と短いが、このターミナルには鉄道関係資料があるので、それを見なければならない。

@急いで確認

 しかし、山のように資料があるわけでもないので、5分もあれば充分である。私は天北線には乗ることができなかったが、今から32年前に南稚内駅で声問までの硬券を買った記憶 がある。それと同じものが展示されていたので、少しく感慨深くなった。
 さて、次のバスは8時30分発の北見枝幸行(興浜北線代替バス)である。

@見た目は先ほどと全く同じ

 出発時点で、乗客は私を入れても2人だけである(なお、2人とも稚内発からの乗り継ぎ)。代替バスとはいえ、そして土曜とはいえ、心もとない。
 バスはひたすら海際の国道を走り続けた。興浜北線はほぼ国道と沿っていたのであるが、廃線跡らしきものはほとんど見つけられなかった(廃線後34年も経過すれば、草木に埋もれて風化してしまうのであろう)。9時16分、北見枝幸に到着した。
 さて、ここで1時間の暇があるので、まずは駅跡訪問である。と言っても、ターミナルの道路向かいにある碑を見るだけであるため、3分で終了である。
 他に行くべきところもないので、海際まで行ってみた。先述した「曇りのち雨・降水確率30%」を良い意味で裏切ってくれている(結果論からすると、台風及びその後の温帯低気圧の影響は、旅行全体を通して予想以上に少なかった)。

@晴れ

 さらに余った時間は9時半開店のスーパーで潰し、10時過ぎにターミナルへ戻った。ターミナルの車庫には歌登行のバス(表紙写真)なども停車しており、惹かれるものがある。
 次に私が乗るべきは、10時15分発の雄武行である。このバスは代替ではなく、元々国鉄が繋がっていなかった部分を連絡していたものである。出発の3分前に乗り場に移動してきたが、観光バスっぽいような横4列の座席である。浜頓別行と北見枝幸行は路線バスタイプであり、シートが薄くてお尻がかなり痛かったが、これなら大丈夫そうである。

@古いが座席は良い

 定刻の10時15分に出発したが、乗客はなんと私1人だけである(散策中に9時55分発の浜頓別行を見かけており、乗客が0人だったので嫌な予感はしていたのだが)。
(なお、この雄武行は5月から10月までの季節運行である。私の旅を真似る人はいないであろうが、万が一そういう方がいた場合、乗り継ぎができなくなってしまうため要注意である)
 先述した通りこの区間は廃線跡ではないので、「廃線跡探し」は休憩である(ただし「未成線」として建設された部分があり、場所によってはそれを見つけることもできるが)。
 空はさらに晴れ渡り、予想外の展開である。

@美しい

 最後まで乗客は1人のままで増えることなく、11時22分に雄武(道の駅)に到着した。たった1時間7分しか乗っていないのに、運賃は1,990円もする(稚内から浜頓別などは、2時間半以上も乗って2,180円であるのに)。おそらくこれは、代替バスではない(元から路線バスである)ことが影響していると思える。
 道の駅にあるタワーに登り、その後はスーパーに行ったが、これといって欲しいものはない。「道の駅で旅人が食べていた蒲鉾は?」と思って近場を探すと、すぐ近くに蒲鉾屋があり、惣菜なども美味しそうであったので、あれこれと夜用に買い求めた。
 さて、次は11時49分発の紋別行(興浜南線・名寄本線代替バス)である。

@やって来ました

 バス停で待っていたのは私1人だけであったが、このバスは雄武高校が始発であるため、すでに高校生が3人乗っていた(よって乗客は4人)。
 雄武を出発してからしばらくはそのままであったが、名寄本線との接続駅があった興部の高校で5人ほど乗車してきて、車内は少しだけ賑やかになった(結果的には、高速バス「わっかない号」と「えりも号」を除くと、ここでの人数がこの旅最大であった)。
 その後もオホーツク海に沿って走り続けたが、久々に大きな廃線跡が見えてきた。

@この日最大の収穫

 やはり廃線跡で一番最後まで残るのはトンネル、その次が橋脚である。駅跡なんかあっという間にバスターミナルや代替施設になってしまう。
 13時04分、紋別に到着した。1時間15分ほどの乗車で、1,240円。やはり「代替バス価格」であろうか。
 1時間半の時間があるので、市内散策である。幸運にも今日はお祭り(食のイベント)をやっていたのでたくさんの屋台などを見て、高台まで登って展望台から市内を眺め、駅跡にある碑の写真を撮り、スーパーで食材を見たりした。これらのうちどの写真を掲載するか悩み、これに。

@地元ゆるキャラ

 続いての乗車は、14時35分発の遠軽行(名寄本線代替バス)である。私が乗る便は北海道北見バスであるが、北紋バスとの共同運行(便によって違う)である。

@路線バスタイプ

 出発時点で私を入れても2人だけ、紋別市内で1人増えたが、その後はなかなか増えなかった。しかし、オホーツク沿いと違って遠軽に近づくにつれて人口も多くなるので、もっと増えていくであろう(とこの時は思っていた)。 
 出発後17分で紋別空港着。ここから先は、6か月前に「無料送迎バス」で経験済みの区間である(拙文「【petit-tetu】道東を三日で散歩」参照)。
 湧別で1人増え、続いて湧網線との接続駅であった中湧別に到着した(ここで1人下車)。ここには駅が残っており車両も展示されているので、何回か訪問したことがある。

@今日は車内から撮影

 遠軽に近づいていくと、衣類や日用品の大型店舗、飲食のチェーン店が目立つようになってくる。しかし、増えるだろうと予想していた乗客は、最大でも6人であった(言い訳をすれば、遠軽から湧別までは走行本数も多いため、乗客が分散されているものと思われる。それに今日は土曜でもある)。
 16時ちょうど、遠軽に到着した。乗り継ぐべきJRは17時48分発であるため、適当な市内散策+スーパー探索をし、日が落ちてきた17時以降は駅待合室で時間を潰した。
 17時48分発に乗り込み、北見着は18時58分。いつもは鐡が「主」でそれ以外は「従」であるが、今回は鐡が「従」であるので、詳細は省略。

@写真だけ1枚

■2018.10.7
 さて、台風直撃は避けられたが、今日の午前は温帯低気圧に注意である。テレビ及びネットで情報を収集したが、JR(鉄道)は多くの運休があるものの、バスは大丈夫そうである(そもそも、鉄道の代行バスが動くぐらいであるから、多少の雨ならバスに影響はない)。
 唯一心配なのが、広尾以南のいわゆる「黄金道路」である。ここはかなり険しい地形であり、降雨量が一定を越えると通行止めになるが、予報からすると今回の低気圧による雨量は少ないようであった。
 5時にホテルを出て、久々の北見市内を少しだけ寄り道して観光をして、駅前にあるバスターミナルへ向かった。乗るべきは5時57分の陸別行(ふるさと銀河線代替バス)である。

@動いている+露出が少なくてピンボケ

 定刻に出発したが、乗客は私を入れても2人だけである(もうこの手の数字にも慣れっ子になってきた)。北光という集落で「ふるさと銀河線」の車両が住宅街に置いてあるのが見え(調べたら、個人所有のようである)、その先でもう1人の乗客であったおばさんが降りてしまい、ついに私1人である(北見枝幸→雄武の悪夢再び)。
 6時25分に訓子府に着いたが、駅舎は健在である(廃止が最近ですから)。

@車内からなんとか撮影(ピンボケ2連発)

 国道の両脇は畑ばかりであり、玉ねぎかジャガイモか区別が付かないが、収穫されたものがケージに大量に詰められて、それが点在している。
 廃線跡は、どうにも見つけられない。元々、池北線は「峠越えなのにトンネルがない」という地味な路線であったから、仕様がないであろう。
 6時41分、置戸に到着した。駅跡付近で、やっとレールを発見。置戸を出発すると例の「地味な峠越え」となる。さすがに、バス停も全然ない。
 峠を越えると、川上や分線など、以前に訪問した懐かしい地名が出てきた。

@雨模様なので車内を撮影

 分線を過ぎると左手に路盤とレールが見えてきて(まだまだ走れそう)、7時28分に陸別に到着した。
 この駅の構内では低料金で「運転体験」を提供しており(国内の他でも可能な場所があるが、かなり高額である。ここなら2,000円から可能である)、私も8年前に経験済みである(拙文「【petit-tetu】道東の旅」参照)。勝手に入ることができるホームをぶらついたり、8時開店の売店で鹿肉缶詰や鹿肉カレーを買ったりして時間を潰した。

@車両は綺麗に保存

 バスの出発は8時20分であるため、しばらく駅周辺をぶらついた。陸別は「日本一寒い町」を謳っており、駅前の電光掲示でもそれを表示している。ちなみに今現在の温度は9度であるが、10月初旬としてはなかなかの寒さであろう。
 朝から降っていた雨もほとんど気にならないほどの小雨になり、これから乗る十勝バスの車両がやってきた。バス会社の体力を物語るかのように、道北のバス会社ではなかったような新品ピカピカである。

@新車

 さて、左側最前列を押さえようと思ったが、残念ながら大きな「荷物置場」になっていて座席がないタイプであった。仕方がないので「名目上は左側最前列(他のバスなら前から3列目に相当)に座ったが、前はかなり見難い位置である。
 定刻に出発したが、乗客は私を入れても2人だけであった(この旅行記で何回目の表現であろうか)。ただし代替バスとしての役目である池田以降、帯広まで走るバスなので、そのうち増えるであろう(とこの時は思っていた)。
 のんびりと走り続け、9時03分に足寄に到着した。駅を再現させたような建物とレールがあるが、窓に雨粒がたくさんあって撮影は難しい(雨はほとんど上がったが、タイヤから巻き上げられる水しぶきによる)。
 続いて停車したのは仙美里である(9時16分着)。早着したようで運転手がトイレに行ったので、私も外に出て撮影をした。

@やっと綺麗な写真が撮れた

 9時27分に到着した本別で1人増えたが、10時12分に池田に到着した際に1人減って、また2人に戻ってしまった。
 前述した通り、代替バスとしての区間はここまでであるが、利便性を考慮して帯広まで通しで運行されている。時間調整をして10時18分に出発し帯広へ向かったが、途中の幕別と帯広市内で1人ずつ増えただけで、予想外に乗客は増えなかった(他の路線も多いからであろう)。
 11時13分に帯広到着。広尾行(広尾線代替バス)はすぐに連絡する11時20分発があるが、これに乗ったところで広尾での待ち時間が1時間40分から2時間40分に増えるだけである。途中の幸福や愛国で途中下車するという手もあるが、いずれも訪問済みであるし、1時間も必要ない施設である。ということで、帯広市内を適当に歩いて地元のパン屋に行ったりして時間を潰し、12時20分発に乗ることにした。
 駅の待合室でパンを頂き、バス乗り場へ向かった。

@広尾行

 やってきたバスに乗り込んだが、左側最前列の席の上に作業用の道具が置かれており、残念ながら座ることができなかった。今回の旅で初めての「右側最前列」である(運転手で前が見えづらい)。
 定刻に出発。乗客は7人だけであるが、この路線は1日に14往復もあり(休日でも10往復)、代替バスとしてはかなりの数である。よって、他のバスに分散されているのであろう。
 地味な景色を見続ける。旧愛国駅など、いくつかのスポットでは観光用の自動アナウンスも流れている。

@これといった写真がないので、畑でもどうぞ

 次第に乗客が減り、13時19分に到着した中札内で3人下車すると2人になってしまい、さらに13時31分に到着した更別で1人下車してしまい、ついに私1人だけになってしまった(この旅行記で何回目の「1人だけ」であろうか)。終点の広尾着予定は14時42分であり、まだ1時間以上ある。
 終着まであと5分くらいのところで1人のおばさんが増えて、14時40分に広尾に到着した。バスターミナルは新築中であり、プレハブだけのターミナルである。
 さて、徒歩散策であるが、まずは駅跡であろう。ターミナルのすぐ近くで公園として整備されているので、見つけやすい。

@広尾駅跡

 その後は適当に歩いてスーパーで時間を潰し、まだまだ時間があるので海際の高台まで歩いて行った。港が大きく見渡せてなかなかの壮観であり、遠くには晴れ間も出てきている。
 鐡ネタはないかと思って歩いていたが、さすがに見付からない。諦めてターミナルに戻ろうとしたところ、高校の近くでやっと発見した。打ち捨てられた貨車4両である。

@偶然の出会い

 本日最後のバスは、16時20分発の様似行であり、これで途中の「えりも町」まで行くことにしている。帯広方面からのバスとの接続が悪く、元より休日は1日に2本しかないバスであるため、またしても「1人だけ」の予感満載である。
 出発の3分くらい前にバスがやってきたが、予想外に私以外の乗客もいた。といっても1人だけであるので(要するに乗客は2名だけ)、少ないことに変わりはないが。

@今日の締め

 定刻に出発。今日の唯一の心配は「黄金道路」が雨のせいで通行止めになる可能性であったが、もう雨も降っていないので大丈夫であった。
 しかし、先ほどまで覗いていた晴れ間もなくなってしまい、襟裳岬方面に近づくほど天気は怪しくなっていった。驚いたのは、そんな中でもサーフィンをしている集団がいたことである。
 この道路はバイクツーリングなどで2回くらい走ったことがあるが、いつ来てもそのスケールに驚かされる。

@崖崩れがありませんように

 襟裳岬付近で完全に暗くなってしまい、えりも町には17時36分に到着した。予約済みの旅館に投宿。

■2018.10.8
 えりも町。小さな町であるが、つい9か月前に来たばかりであるので、なんだか妙な感覚である(前回は日高本線の代行バスに乗るのが目的であった)。
 今日のバス(そして今回の北海道一周旅行を締めるバス)は5時20分というとてつもない早朝に出発するため、その前に町内を散策するために5時に旅館を出た。まずは、すぐ近くにある港である。

@出港を見送る(中央部の光は漁船)

 バス出発の5分くらい前に、えりも駅へ向かった。「駅」という名称であるのは、様似から広尾までのバスは昔から国鉄バス→JRバスと受け継がれており、その時代から駅という扱われ方だったためである(なお、当時のえりも駅は今とは少し違う場所(役所に近い場所)にあった)。
 えりも駅でバスを待っているのは私だけであるが、目の前の駐車場に何台もの自家用車があり、その中でじっと待っている人たちがいるので、彼らは明らかに「えりも号」待ちであろう。
 しばらくして、バスがやってきた。

@締め括りのバス

 運転手が持っている名簿には11人記載されており、そのうち6人がえりも駅から乗車した。さらに予約していない飛び込みも1人増え、7人で定刻に出発した。
 5時49分に様似到着。なんと、ここでもう運転手が交代である。恐らく、一定の運転時間を超えると休憩時間を取らないといけない法令があるため、それを避けるためかもしれない。
 様似出発後は、ひたすら海沿いに走り続ける。時折線路が見えるが、もうここを走ることはできない。

@廃線決定

 しばらくすると、JR代行バスとすれ違った。前回はあれに乗るのが目的であったので、懐かしい感じである。
 そのうちに、前方に緑色のバスが現れた。道南バスの「ペガサス号」であり、こちらと同じく札幌行の高速バスである。浦河発着で、6往復も走っている(えりも号は1往復のみ)。
 静内で1人増え、車内の乗客は13人となった。
 その後もひたすら海岸沿いを走り続ける。線路とは近づいたり遠ざかったりを繰り返しているが、この辺りが一番被害が酷いようで、完全に砂に埋もれていたり、線路が宙に浮いていたりする部分もあった。

@どうせ廃線ですけど

 さて、旅行者としてはこのまま海沿いを走って欲しいところであるが、残念ながら日高町以降は高速道路に乗ってしまう(早く札幌に行くためには当たり前の手段であるが)。
 内陸へ向かい高速に乗ったが、運転手が「地震の影響で路盤が悪いため、振動に注意」のようなアナウンスをした。確かに、鵡川付近は凹凸が激しく、車体は上下にかなり揺れた。

@目で見ても段差がわかる

 千歳を経由し札幌南インターで降り、市内を経由して、札幌駅前ターミナル到着は定刻より11分早い9時09分であった。長かった北海道一周バスの旅も、ここで終了である。
 さて、今日は17時の飛行機で戻るため、それまで時間がたっぷりある。JR北海道の「一日散歩きっぷ」を利用して余市などに行くのであるが、先述した通りいつもは鐡が「主」でその他が「従」である私の旅行記も、今回は鐡が「従」であるため、ここで終了である。

 

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