北海道の特急を乗り尽くす

はじめに
  私は北海道出身であるが、生まれて3年半で引っ越したため道内での記憶はない。しかし、事あるごとに親戚宅へ帰ったり何度となく旅をしているため、それなりに思い出はある。
 北海道内での特急列車で思い出すのは、何より「ライラック」(昭和55年〜平成19年)である。故郷の旭川に行くため、千歳空港(当時)からよく乗った思い出がある(幼少の頃には「いしかり」(昭和50年〜55年)にも乗ったはずなのだが、残念ながらその記憶はない)。
 その後の初めて1人旅でも、道内にあった特急にあれこれ乗りまわした。そのうち今ではもう無くなってしまったものには、「おおとり」(函館−網走)、「北海」(函館(小樽経由)札幌)などがある。特急ではないが、今となっては国内からほぼ消えてしまった夜行急行列車も、「大雪」(札幌−網走)、「まりも」(札幌−釧路)、「利尻」(札幌−稚内)など道内にはまだたくさんあり、これに快速「ミッドナイト」(札幌−函館)を加えた列車たちを周遊券で乗り続け、宿泊料金なしで道内をあちこち周ったものである。
 
@今はなき「北海」と「まりも」(昭和61年7月撮影。24年前の印画紙そのままのため、色褪せています。そのうちにフィルムスキャナを買い、綺麗な写真にしたいと思っています)

 現在、JRの急行列車はほとんど淘汰され(全国でも残っているのは「きたぐに」と「はまなす」だけ)、道内の特急列車も私の子どもの時分とは一新されている。特急に関してはどれも乗ったことはあるのだが、まとめて比較をしたことはないため、今回は道内にある特急すべてに乗ることを目標にしてみたいと思う。
 JTBの時刻表には、全国の特急列車を地図で示した一覧が載っている。その北海道の部分には、「スーパー宗谷・サロベツ<札幌−稚内>」「オホーツク<札幌−網走>」「スーパーとかち<札幌−帯広>」「スーパーおおぞら<札幌−釧路>」「スーパーカムイ<札幌−旭川>」「北斗・スーパー北斗<函館−札幌>」「すずらん<札幌−室蘭>」と記載がある。「宗谷」と「サロベツ」が一緒くたにされている理由はわからないが、走行する区間が同じためであろう。いずれにせよ、この7種類に乗るだけである。
 10月の下旬、私は東京駅地下にある「北海道プラザ」へ行き、「三連休おでかけパス(特急列車用)」を購入しておいた。この切符は3日間有効で1万8千円、道内の特急を含むすべての列車に乗り放題(指定は4回まで可能)という便利なものであるが、JR北海道以外のJRでは購入することができない。しかし、東京に住んでいれば件の店で購入可能である。ちょっとした手帳も付いていて、道内の路線図や列車の形式の図解などもある。○○系という列車形式の情報に疎い私としては、少しありがたい代物である。

2010.11.20 「スーパーおおぞら」で南千歳−釧路
 羽田空港から早朝の便で新千歳空港に降り立ち、しばらくカードラウンジで休んでから、南千歳までは1駅ですぐの到着。晴れてはいるが、やはり北海道であるため吐く息はもう白い。
 目的の「スーパーおおぞら」3号は、定刻の9時32分に出発した。飛び石連休の初日ということもあり、指定席の車内は90%以上の混雑である。発車後には自動音声でアナウンスが流れるが、急ブレーキをしてしまうかもしれない理由が「シカ」であるのがいかにも北海道である。

@今回旅程の初特急(いつ見ても大きな頭)

 車両は283系で(ここで例の手帳が役立つ)、以前にも何度か利用したことがあるが、指定席の座席はリニューアルされており、身体や首回りの密着感はかなり改善されているようである。
 列車はすぐに千歳線から分岐して、石勝線に入る。緩やかな丘陵や草をはむ牛など、「いかにも」な北海道らしい風景である。千歳線沿線が味気ない住宅風景が多いため、札幌方面に向かったのではこの感覚は味わえないだろう。本来なら夜行寝台で北海道入りするのがいいのかもしれないが、時間の制約で飛行機を使わざるを得ない場合は、ぜひ石勝線で東へ向かうことをお勧めしたい。

@「ザ・北海道」的な風景

 しばらくすると、室蘭本線を跨ぐようにして超えて合流していく。今となってはこちらは特急が何往復と走る幹線で、あちらは1〜2両の普通列車が行き来するだけの寂れた路線であるが、歴史上はあちらの方が大先輩である。空知地方の炭鉱の繁栄と室蘭への搬出のために貨物輸送は賑い、今でも路盤は複線のままである。
 その堂々とした複線の路盤(所々草が生えているが)を、後輩の石勝線は高架で超えて合流する。後輩が上を跨いで行くのが、建設の都合上、路盤の鉄則である。
 久々の道東への鉄道旅行であるが、飛行機の便が早かったため朝の4時起きであり、ここから先は「うたた寝時間」になってしまい、記憶は所々だけになってしまう。
 トマムを過ぎてから、何もない信号所で上りの特急と行き違う。木々は紅葉も終わってしまい、あとは雪が降り積もるのを待つばかりである。
 居眠りをしていると、つい3カ月前に来た池田のワイン城が見えた。しばらく走行すると、今度は大量のジャガイモ畑である。すでにトラクターで掘り上げられた後で、土の上には芋が大量に転がっている。場所は浦幌の近くで、駅のすぐ隣りにはジャガイモ(馬鈴薯)の保存庫などの施設がたくさんあった。またしばらくウトウトとすると、もう右手には海が見えている。
 283系は「振り子式列車」であり、カーブでは車体を自ら振らせて高速で曲がれるようになっている。その機能は山間部や険しい海岸部で発揮されるが、比較的新しく開通した石勝線(昭和56年開通)はトンネルでざっくりと真っすぐに進んでしまうため、あまりその効果は感じられなかった。しかし、今走行している部分は、穏やかな海岸線ではあるが敷設が古いためカーブが多く、振り子式の車両はここぞとばかりに車体を左右に揺さぶらせて走行していた。
 釧路には定刻の13時03分に到着。しばらく時間があるため、市内にある石川啄木関連施設や歌碑を歩いて観て回った。

「さいはての駅に下り立ち 雪あかり さびしき町にあゆみ入りにき」

 続いて乗るべき列車は、釧網本線の網走行である。大昔(こういうことを書くと歳がバレてしまうのだが)には、急行「大雪」が札幌から網走経由で釧路まで走っていたこともあるのだが、今では優等列車などまったく走らない、シーズン中だけトロッコ列車が走る程度の地味な路線になってしまった。
 今日の宿泊先は知床斜里駅前である。15時48分に釧路を出発してからしばらくは釧路湿原に沈む雄大な夕陽を眺めていたが、道東であるため冬の日は短く、4時半には暗くなってしまった。することもなくなり、このレポートを纏め始める。

11.21 「オホーツク」で網走−旭川、「サロベツ」で旭川−稚内
 駅前にある天然温泉付きホテルを出て、駅へと向かう。この上ない快晴である。

@世界遺産の朝焼け

 7時28分の列車で、網走まで向かう。ほどなくすると右手にはオホーツク海が広がり始め、青空や枯れ果てた原生花園などと交わり、良い景観になっている。枯れ木で休んでいる猛禽がやけに大きいのも、オホーツクな感じだ。

@車窓のすぐ先にはオホーツク海

 網走には8時17分に到着した。しばらく時間があるため、待合室で適当に時間を潰す(街が駅から離れているため、特に行くべきところもないのだ)。9時を過ぎるとオホーツク用の車両が入線してきて、改札が始まった。
 編成は5両で、自由席は1号車と2号車の途中までである。先頭の1号車は中間車両を改造して運転席が付けられたもので、最前列は前方が見渡せるようになっている。先客もいない(それどころか、自由席にはまだ誰もいない)ため、ありがたく一等席を押さえておく。

@改造された先頭車(最前列からの見晴らしは良い)

 荷物を置いてから、車両のそれぞれの端に貼られている製造所版を確認していく。というのも、私は昭和56年から7年間、栃木県の宇都宮市に住んでおり、近くにあった富士重工の工場の引込線で、出荷される直前のこのキハ183系を目撃しているのだ。端から順に見て行くと、改造されたグリーン車のところに「宇都宮富士重工 昭和56年」というのを発見した。もしかしたら、彼とは30年近くも前に出会っているかもしれない。だとしたら、かなり久々の再会である。
 列車は定刻の9時30分に出発した。アナウンスの前に流れるのが、今となってはほとんど聴かれなくなったアナログのオルゴールである。

@まるでトレインシミュレーター

 網走湖に沿って走り、しばらくしてから、知られざる「空港最寄駅」である西女満別を通過した。以前、女満別空港から歩いてアクセスしたことがあるが、意外に近かった記憶がある(その代わり、周囲には何もないが)。あまりにも小さい駅であるため普通に車窓を見ていると見逃してしまうだろうが、今日は先頭から前方を眺められるため発見することができた。ほどなくすると、JAL機が右手から空港方面へと横切って行った。
 9時57分に美幌到着。ホームのある場所以外に4本ほど路盤(引込線)があったようだが、形跡だけあるのみですべて撤去されている。以前は国鉄相生線の分岐駅でもあったが、斜陽化する鉄道事情も相俟って、このような寂しい姿になってしまったのだろう。
 またしばらく平原を走り、家々が多くなって路盤が高架になると北見に到着。それまで平均乗車率10%未満の閑散とした車内に、たくさんの乗客が乗ってきた(それでも、まだ30%程度であるが)。
 続いて、留辺蘂には10時39分に到着。ここへの初訪問は19年前であるが、駅前の変わり様はかなりのもので、新しい建物ばかりである。
 定刻に出発してからは、車掌の口頭により、シカなどのために急ブレーキが発生するかもしれない旨が流れた。路盤は徐々に上り勾配になり、古い車両は唸りをあげて走り続ける。「人柱」などの様々ないわく付きの常紋トンネルを抜けると、今度は下り坂である。
 10時57分に「きのこ」に関連する建物のある生田原を出発し、聳え立つ瞰望岩の岩盤が見えると、もう遠軽である。ここでスイッチバックとなり進行方向が変わるため、「かぶりつき」の先頭はここで最後である。
 遠軽からは反対側の窓側に座り(太陽が当たる側だと、熱いのと、前後の人にカーテンを閉められてしまうため)、ぼーっと沿線を眺め続ける。訪問経験のある丸瀬布、廃駅となった奥白滝などなど。思い出や蘊蓄を語れば長くなるが、今回の目的ではないから省略する。それにしても、上川(私の母親の出生地で、祖母宅へ小さい頃に何度か行った)の変わっていること! 真新しい建物が目に着くが、層雲峡観光客など上川などは通過してしまうだろうに、とも思ってしまう。石炭が野積みにされていた頃(そうは言っても、たかが30年前)が、懐かしい。
 旭川(今でも私の本籍地)到着は、定刻より2分遅れの13時13分であった。ここには今まで何回訪れたか不明であるが、あの懐かしい駅舎は取り壊され、異空間にいるかのような新しい駅に生まれ変わっていた。中途半端な乗り換え時間があるため、駅近くのスーパーで夜の酒を確保したりしておく。ついでに、B級グルメ(知名度としてはD級以下)の「ジュンドッグ」も1本買っておく。

@反対側は伝統的(本来の)先頭車

 稚内行の「サロベツ」は、1両増結して4両編成のようである。稚内方面などたいして需要などないだろうと思っていたが、自由席に乗るためにホーム上には乗客がたくさん並んでいる。14時10分に入線してきたが、指定席は95%くらい埋まっているようだった。

@サロベツの車両はオホーツクと同じく改造先頭車

 実は上川以降に眠たかったのだが、そこで寝てしまっては札幌方面へ寝過してしまうために我慢をしていた。今度はその心配がないため、旭川出発後は、しばらくウトウトとしてしまった。所々起きては、思い出のある駅々が目に入って来る。塩狩、名寄、美深などなど。詳細は機会があれば書いてみたい。
 まだ4時前だが、夕日はすでに左手に連なっている山々の方に沈みかけている。家々の隅には、数日前に降った雪が纏められている。

@沈んだ夕陽と飛行機雲(電線が邪魔)

 蕎麦で有名な音威子府を出発したが、ここから先は水量豊かな天塩川に沿って走る区間で、私が最も好きな路線風景のうちの1つである。しかし、日はもうほとんど暮れてしまい、真っ暗になってしまった(明日同じ区間を逆走するから、その際に観ればいいのだが)。車掌が、ここでも急ブレーキの可能性を、シカのせい(?)にしてアナウンスした。
 昨日と同様に、パソコンでこれを書こうとする。すると、足元に普通の電源が設置されているではないか。ありがたくそれを利用させてもらった。
 稚内到着は、定刻より2分遅れの18時13分。稚内駅前はいつも通りの閑散具合、――と思いきや、ここでも再開発が行われていて、見覚えのある駅前の風景はなくなってしまっていた。

@稚内ではまさかの「ゆるキャラ」がお出迎え

11.22 「スーパー宗谷」で稚内−札幌、「スーパー北斗」で札幌−洞爺、「すずらん」で東室蘭−札幌、「スーパーカムイ」で札幌−美唄
 ホテルの無料パンを頂き、駅へと向かう。駅周辺の再開発に合わせて、駅の中も改装中であり、仮歩道を歩いてホームへと向かった。

@そのうち現駅舎が壊され、右のビルと繋がるようだ

 とにかく、今日は乗り続ける一日である。ノルマを消化するために必死になる会社員のように。
 本日の「スーパー宗谷」2号の編成は、従来の4両(自由席+指定席+指定席+指定・グリーン席)に加えて、2両(自由席+指定席)が加えられた6両編成である。増結の2両には「21号車・22号車」という大きな番号が宛がわれている。

@改装中のホームに佇む

 車内はそこそこの乗車率で、私のいる3号車(指定席)はちらほら程度だが、別の指定席車両には団体さんが乗っていたりもする。ほどなくして定刻の7時10分に稚内を発車、すぐの南稚内である程度の乗客を拾うと、風景はすぐに雄大な丘陵地帯となる。
 増結車両を加えた編成であるため、次の停車駅である豊富では後ろ2両のドアが開かない旨がアナウンスされた(同様のアナウンスは、旭川までのいくつかの駅で流された)。
 右手にはサロベツ原野が広がり、雄のエゾシカが平原の中央にいるのが見える。時折汽笛が鳴り減速するが、もしかしたらシカのせいかもしれない。
 幌延を出発してしばらくすると、天塩川が付かづ離れず寄り添い続ける。水面にいた鳥が一羽飛び立ち、水面すれすれを飛んでいくが、こちらと同じくらいの早さである。想定するに時速70キロくらいだろうから、かなりの高速飛行である。豊富な水量である水面を見続け、時折それらを写真に収める。
 音威子府、美深と過ぎ、大きな貨物駅が近づくと名寄である。名寄から先は平成12年に路盤強化の工事がされたため、261系は存分にその振り子機能を発揮し始めた。走行速度もかなり高速である。
 周囲に田園風景が多くなり、風連で下りの「スーパー宗谷」1号と行き違い、士別に到着。その後は塩狩峠を越え、旭川へ向かう。
 旭川から札幌までは、もうこれまで数えきれない乗車経験があり、風景もこれといって目新しくない田園風景が続くため、パソコンをつついたりして時間を潰してしまう。それにしても、直線が多くて路盤も整備されているため、ディーゼルであることを忘れてしまうかのような快走具合だ。

 札幌到着は12時10分、12分の待ち合わせで「スーパー北斗」12号に乗り込む。一昨日に乗車した「スーパーおおぞら」と同様にグレードアップされた新しい座席であったが、確かに座り心地はいいのであるが、そのグレード故に座席自体が大きな造りになっていて、周囲が見渡しにくいのが難点でもある(ピンボケしてしまったので、写真は省略)。
 苫小牧を過ぎてからは、左手に海が見渡せる車窓が多くなる。こうしてこの区間に乗るのは指折り何度目か不明だが(おそらく7〜8回? いやもっとあるかもしれない)、今から24年前、「おおとり」の食堂車内で揺られながら眺めた風景と、おそらくそれほど大きな違いはないであろう。

@24年前の「おおとり」

 今回は、特急に乗るのが目的であり、今日はタイトルにある列車を乗ることだけできればよい。そうなると少しは観光する時間も作れるのだが、室蘭や白老などは行ったことがあるため、あれこれ考えた結果、「秘境駅」として名高い小幌へ行くことにした。
 洞爺で特急を下車し、37分の待ち合わせで各駅停車に乗り込む。乗車すること26分、トンネルとトンネルに挟まれた小幌に到着した。下車したのは私1人だけである。

@熊が出ませんように……

 乗ってきた1両のディーゼルカーを見送ると、閑散とした雰囲気に包まれる。人家はもとよりこの駅にアクセスする道路すらないため、人の気配は感じられない。近くにあるという岩屋観音でも行こうと思い、断崖の際にある枯葉だらけの小道(落ちたらサヨウナラ)を歩いたが、片道10分以内では到着は難しいようであったため途中で戻ってしまった(15時26分発の列車を逃してしまうと、この辺境の地で3時間近くも待たなければならなくなってしまう)。
 急いで戻り、折り返しの東室蘭行を待つ。北海道の11月にしては異常に暑く(天気予報では最高気温15℃と放送していた)、防寒対策をしてきたため汗だくになってしまった。
 ほどなくして列車はやってきたが、2両も連結している。乗り込むのはもちろん私1人だけだが、車内に入っても誰もおらず、しばらく1人のままが続いた。そのうちたくさんの中高生で席は埋まり、車内は賑やかになったのであるが。
 東室蘭到着後、今度は「すずらん」に乗り込む。過去に数度乗ったことがあるが、その頃は「ライラック」のお下がり車両である781系(車両に馴染みはあるのだが、形式の数字まではわからないのでネットで調べた)が走っていた時代で、今回はかなり新しい785系(こちらはまったくわからず、やはり調べた)である。それでも、「ライラック」などのお下がりであることには変わりないが。
 日は完全に落ち、ネオン程度しか見えないため、この文章を著したり本を読んだりして車内を過ごす。札幌着は定刻より3分遅れの18時25分であった。

 札幌では、「スーパーカムイ」に乗り換える。時間的には札幌に泊まっていいのだが、フリー切符の有効期限が今日までであるため、取り急ぎ「特急に乗った」という事実を今日中に得るためだけに乗車する(「すずらん」と「スーパーカムイ」は、夜間のため撮影がイマイチであったため、写真は省略)。
 乗車すること34分、美唄で下車し、予約しておいた「やきとり」を店舗で受け取り、岩見沢まで特急で戻る。やおら風が強くなり、暴風雨と雷が襲ってきたが、運行休止などになる前に岩見沢に辿り着くことができた。

11.23 「スーパーとかち」で新得−新夕張
 前出の特急リストからすれば、あとは「スーパーとかち」に乗るだけである。本日使用する切符は「一日散歩きっぷ・道央圏用」で、2200円。指定区間内の「普通列車」に乗り放題の切符である。
 本来なら昨日のうちに滝川まで移動しておきたかったが、この切符が滝川では買えないため、また、札幌に戻ってしまったのでは朝の出発が間に合わないため、昨晩は岩見沢という中途半端なところに泊まったのである。
 それはさておき、6時半過ぎにホテルを出発して7時01分発に乗り込み、滝川、富良野で乗り換えて新得へ向かう。とにかく天気が良く、沿線風景もいつもよりすばらしく映えている。ここ数日は異様に暑かったが、今日は北海道らしい寒さでもある。

@まるで絵画のよう

 新得到着は10時44分、しばらく時間があるため、まずは駅そばを食べ、根室本線の旧狩勝峠ルートである方へと歩き出す。歩くこと約15分、SL広場と命名された場所にはD51が展示されていて、そこから先はハイキングルートとして整備されている。この広場自体は以前に一度訪れたことがあるが、次回はぜひ半日くらいかけて全ルートを歩いてみたいと思った。
 
@保存状態はなかなか良い                          @SLに向かう途中の橋の欄干に注目(「ミニスキーヤー坊や(?)」が多数あり)

 ここから先は初日にも乗車した石勝線で西へ向かうが、特急列車しか走っていないため、新得−新夕張に限って乗車券だけで特急に乗車することができる。企画券の類も例外ではなく、今日私が使用している切符も、新夕張までなら特急券なしで乗れる。ただし新夕張を通過する特急には適用されないため、この列車を軸に今日の予定を作ったのであった。
 新得発12時05分の「スーパーとかち」4号は、定刻より6分遅れて入線してきた。自由席は1両のみ、すでに7割ほど埋まっていて窓側には座れず、数日前に乗ったばかりで、さらにトンネルも多いことから、ついウトウトとしかけてしまったが、新夕張を乗り過ごしては大変であるから我慢し続け起きていた。とにもかくにも、これで今回の目的は達成したことになる。

@車両不具合があって遅れたそうな

 遅れはほとんど回復せず、13時07分に新夕張に到着した。05分発の各駅停車は接続を取ってくれ、少し遅れて出発した。

 あとは、東京へ戻るだけである。フライトは19時30分のを押さえてあるため、多少の時間がある。新夕張出発後は、追分と苫小牧で乗り換えて、ノーベル賞受賞で沸き立つ鵡川へ。この時期しか味わえないシシャモの生寿司を味わい、急に寒くなった町内を彷徨してから、空港へと向かった。

@あっさりとした白身魚

おまけ
 お得な切符をより体感(?)していただくために、実費用と計算上の費用を比較してみたい(極力、乗車券は片道切符を利用するように計算)。

・三連休おでかけパス 定価 18,000
  新千歳空港(釧路・網走・旭川経由)稚内 12,740円(一部指定席・自由席利用料金 8,160円)
  稚内(札幌経由)小幌 9,340円(一部指定席利用料金 5,240円)
  小幌(札幌経由)美唄 4,200円(一部自由席利用料金 2,850円)
  美唄−岩見沢 350円(自由席利用料金 300円)
 運賃小計 26,630円  料金小計 16,550円  合計(従来の費用):43,180

・一日散歩きっぷ 定価 2,200
  岩見沢(滝川・富良野・新得・追分経由)鵡川 6,400円
  鵡川−新千歳空港 1,370円
 合計(従来の費用):7,770

 かなりお得と思えるかもしれないが、そもそもこんな奇特な乗り方をする人は少ないであろうから、あまり参考にはならないであろう。

 

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