惜別「日高本線(鵡川から様似まで)」

■はじめに
 JR北海道の日高本線は、国鉄時代には急行列車も走っていたような路線であったが、民営化後は尻下がりに乗客が減っていき、2015年1月に発生した災害(高波)により鵡川から様似までが運休となって以降、1度も再開することなく廃線になることが決定してしまった。当初は2021年11月1日に正式に廃線となる予定であったが、今年に入ってからそれが繰り上げられて、4月1日が正式な廃止日となった。
 路線名称に「本線」とある通り、国鉄時代には支線として富内線を従えていたが(私は廃線直前の35年前に乗車済)、富内線の廃線、優等列車の廃止、乗客減少、災害による路線短縮、という塩梅で、尻つぼみで寂しくなっていき、ついに部分的な廃線である。上記のような状況から、「さよなら列車」なども運行されないため、まさに書類上の手続きだけの問題であるが、寂しい限りである。
 日高本線に関しては、列車が走っていた時代に何度か乗っており、運休中の代行バスにも乗車済みである(拙文「JR北海道の様子を確かめに行く旅」参照)。「書類上の廃線」のためだけに現地に行く必要もないとは思うが、廃止後の代替バスはJRの切符(青春18きっぷ等)で乗れなくなるため、必然的に足も遠のくことが予想される。ということで、JRであるうちに乗っておくことにした。
 さて、問題は北海道までの足である。通常のこの季節(閑散期)であれば、ANAやJALのパックで、往復+ホテルで3万円を切るものがあるが、コロナ禍ということもあり、そんなものは見つけられなかった。通常の航空券でも、片道で2万円以上である。ということで、往復ともLCCである。

@本桐駅にて

■2021.3.6
 7時前に成田空港に到着し、第3ターミナルへ。このターミナルはLCC専用であり、いつもならば荷物検査場などは大賑わいであるが、さすがに閑散としている。出発案内を見てみると、なんと今日の出発本数はたったの7本であった(お昼が最終便)。

@寂しい

 なお、私は往復で1万3千円ちょっとで買っているが、本数の少なさゆえに、LCCでも出発の前の週くらいには片道で2万円以上になっていた。
 8時過ぎに離陸。新千歳空港までの飛行時間は、1時間20分である。
 9時半過ぎには新千歳空港に到着したが、急いで列車に乗ったところで、南千歳で中途半端な時間ができてしまう。ということで、空港にある無料の博物館などを適当に見学した。

@鐡ネタも外さずに(食堂街)

 10時18分の列車に乗り、隣駅である南千歳で苫小牧行に乗り継ぐ。日高本線との接続駅である苫小牧には、10時58分に到着した。
 ちょうど昼時で、1時間以上も時間がある。港の方まで行けばホッキカレーなどを提供する有名な店があるが、そこまで歩くには少し時間が足りない。結局、駅前の大規模店舗を適当に見たりして時間を潰してしまった。
 12時10分頃になり、12時25分発の鵡川行の改札が始まった。列車としては鵡川行であるが、建前上は様似行である(鵡川と静内でバスに接続する列車であるため)。

@様似行は3月いっぱいまで

 ホームに降りてしばらくすると、1両編成の鵡川行が入線してきた。銘板には「昭和56年 宇都宮富士重工」とあり、これはまさに私が宇都宮に住んでいた頃(富士重工の引込線に行って完成したばかりのキハ181系や50系客車を覗いていた頃)に製造されたものであり、なんだか感慨一入である。

@国鉄ディーゼルカー

 早速車内に入って荷物を置いたが、各ボックス席に1人ずつくらいは乗客がいる。もちろん、土曜のこの時刻に斯様にたくさんの地元民の乗客がいるわけもなく、目的は私と同じ人たちのようである(予想外に、その手の人が多いようである)。廃止1か月前でこの状態では、もしかしたら直前は「代行バスが超満員」なんてことになってしまうのであろうか。

@再度ホームに降りて撮影

 定刻の12時25分、苫小牧を出発した。日高本線で海や牧場が相絡まって景色が奇麗になるのは鵡川以降であり、逆の言い方をすれば海が近いからこそ災害が大きくなってしまったのであるが、いずれにせよ鵡川までは平原+時々工場の景色が続いて行った。
 時折ブレーキがかかるが、鹿の群れのようである。道東や道北ではよくある光景であるが、こんな人里近い地域でも多いようである。

@鹿(近すぎ)

 12時55分、鵡川に到着した。幸いなことに日高本線としては今後もここまでは残ることになるが、先述した通り海際を走るわけでもないし、観光要素がたくさんあるわけでもないし(ししゃもくらい?)、微妙なところである。そもそも、「本線」というような位置づけも難しく、もう「室蘭本線の支線」のような存在感である。
 続いては8分の乗り継ぎ時間で、静内行の代行バスである。車両は、JR北海道の低床バスである。

@乗り納め

 13時03分、鵡川を出発した。この時点で私を含めて8人の乗客がいたが、地元民らしき人は1人だけで、残りは同業者(あれこれ写真を撮ったり、そうでない人も荷物が多かったり)である。
 駅自体が国道から近い場合は問題ないが、そうでない場合は国道から外れてかなり奥まった地域まで逸れる必要がある。最初の駅の汐見が、まさにそのパターンである。
(なお、今年の2月に転換バス(代替バス)のルートが発表されている。本桐などの内陸部は経由するし、新たなバス停も追加されているが、さすがに汐見はもう経由しないようである)

@汐見駅

 それ以外にもあれこれ気づき事項があるが、3年前に同じ目的(代行バスの状況を探る旅)をやっているため、新鮮味は薄い。しかし、「はじめに」に書いたように、今後JRの切符が使えなくなると、こういう旅(JRの切符を使って、ついでに日高方面に旅行)をする確率はかなり低くなってしまうと思う。それは私に限るものでもないため、今後の地域経済への影響が心配である。

@橋の跡

 踏切を通る度に写真を撮ったりしているうち、14時50分に静内に到着した。
 ここで8分の乗り継ぎ時間があり、続いては様似行である。しかし、終着の様似までは乗らない。というのも、様似や「えりも」付近に適当な宿を見つけられなかったため、今日は静内のホテルに宿泊し、明日の午前中に様似まで往復することにしているためである。ということで、どこか途中の駅まで単純往復することにしており、あれこれ検討した結果、今日は本桐まで行くことにしている。
 さて、次のバスはどんな車両かと待ち構えていると、鵡川から乗ってきたバスがそのまま運用されるということであった。

@結局同じ

 14時58分に静内を出発。静内以降、様似までは、牧場あり、海ありの景色である。これは国道でも同じであるが、日高本線は所々で内陸部に迂回する箇所があり、景色の変容が楽しめる。よって代行バスでも、道南バス(国道をひたすら走る)とは違う風景を見ることが可能である。

@私はひたすら鐡写真ばかり撮影

 日高三石を過ぎると内陸部へと進み、定刻より少し早い15時52分に本桐に到着した。駅前までバスが入れないため、道路沿いの仮乗降場(バス停)である。
 そこから3分ほど歩いて、本桐駅舎までやってきた。この駅を訪問することにした理由は、「列車交換施設のある駅である」「大きい駅舎がある」ためと、「海岸部から離れている」からである。今後もし、「襟裳岬方面に旅行しよう」と思い立った場合、何らかの手段(バスかレンタカーかバイクかは不明)で海際は走るであろうが、こういった内陸部に来ることはまずないと思われるからである。

@立派な駅

 駅舎には鍵が掛かっていて入れなかったが、ホームへは登ることができた。行き違いの設備だけでなく、引込線もある。もし、2015年の災害がなかったとしたら、数年か十数年に1回くらいは日高本線に乗っていたであろうが、果たして「本桐駅で降りてみよう」と思ったであろうか(いや、思わないであろう)。偶然の結果であるが、それにしても、なかなか落ち着きのあって長閑で良い雰囲気である。

@ホームに佇む

 海岸線から離れている割には、小さなスーパーや郵便局、コンビニなどもあり、予想していたよりは民家も多い集落であった(あくまで「予想よりは」であるが)。
 しかし、駅の見学など5分もあれば充分である。静内行のバスが来るまで、まだ50分弱。そこで隣駅である蓬栄までの距離をスマホに計らせたら、43分であるという。ただ待っているのは寒いので、ウォーキングも兼ねて歩くことにした。
 歩き出したのはいいものの、本桐の集落を出ると強烈な北風をモロに受けることとなり、余計に寒くなってしまった。鼻水を垂らしながら、なんとか蓬栄に到着。

@こちらのホームにも登る

 本格的であった本桐とは違って、こちらはホーム1面だけで駅舎も小さく、簡易乗降場のような感じである。
 16時56分にやってきたバスに乗り込んだが、なんと20人弱も乗っており、優先座席しか空いていない状態であった。鵡川から乗った時の「8人」などは可愛いもので、実はもうある意味での「狂騒曲」は始まっているようであった(そして実は、翌日にはさらにすごいものを見てしまうのであった)。
 奇麗な夕日を見ているうち、17時44分に静内に到着した。安ホテルに投宿して荷物を置いてから、スーパーに行って安食材を揃え、ホテルの温泉に入ってから部屋で一献して就寝。

@今日の夕日

■2021.3.7
 北海道の朝は早いため、5時半を過ぎるともう薄明るくなってきた。今日は6時09分のバスから旅が始まるため、時間的(時期的)には良いタイミングであった。
 ホテルをチェックアウトして、人気(ひとけ)の少ない静内駅へ。今日も天気は最高である(ただし、猛烈に寒いが)。

@駅前の碑

 しばらくしてバスがやってきたが、昨日と同じ低床バスである(よって写真は省略)。しかし、昨日との違いは、「窓が奇麗」ということであった(洗車直後の車両のようである)。昨日は、窓にある泥水の粒が目立ってしまい、奇麗な写真があまり撮れなかったが、今日は期待できそうである。
 定刻に静内を出発してしばらくすると、すぐに海際を走ることとなる。もう使われることのない鉄橋が物悲しい感じである。

@残念ですが

 なお、出発の時点で私を含めて5人の乗客がいたが、全員同業者であった(なぜならば、この後全員が様似まで行って、そのまま全員が静内まで戻ってきたからである)。
 しばらくは海際を走るが、そのうちに内陸部へと入る。日高東別駅があるためであるが、その先の道は整備されていないため、汐見と同様に、バスは国道へと戻らなければならない。

@反対側だったので望遠で無理やり撮影

 日高東別を出発して国道に戻ってくると、JR北海道バスの定期便「えりも号」とすれ違った。私も乗ったことがあるが、もしこの地域を次に訪問するとなれば、現状ではあれを使うことになるのであろうか。
 その後しばらく走り続け、浦河以降はひたすら海である。日高本線が現役であれば、やはり海際の景色を見続けられた区間である。のんびりと、海ばかりの景色を見続けた。

@右下に線路跡

 同業者だけの車内であったが、終着手前の西様似でやっと地元民が1人乗ってきて、終着の様似には8時01分に到着した。

@久々の様似駅

 さて、ここで折り返すまで1時間ほど時間がある。駅周辺の写真を撮り、せっかくなので海際まで行って岬の写真を撮ったり、コンビニまで行ってみたりしたが、あまりにも寒かったので後半30分は駅の待合室で時間を潰した。
 到着時は閉まっていたが、途中から併設されている観光案内所が開いたため、そちらにも訪問。「ありがとう」という感じでいっぱいであった。

@今月限りですから

 9時02分のバスに乗り込む。海や廃線跡を見るのであれば圧倒的に左側の座席であるが、往路とは違う景色を見て写真を撮りたかったため、敢えて右側に陣取った。
 定刻に出発(乗客はもちろん5人)。往路の巻き戻しであるため詳述は避けるが、あれこれと駅舎の写真などを撮影し続けた。

@例(鵜苫駅)

 さて、今日は旅程上どこかで1回観光ができる。本当は浦河辺りにしたかったが、様似から静内までの本数が少ないため、とりあえず静内までは途中下車なしである。本桐など、いくつかの駅で地元民がちらほらと乗り込んできた。
 日高東別へ行く寄り道から国道に戻り、もうしばらくすれば終着の静内かという頃、様似行の代行バスとすれ違った。あちらの車内は一瞬しか見えなかったが、なんと座席がぎっしりと埋まっていたのである。時刻表を見れば、確かに苫小牧から様似まで無理なく1日で往復できる便である。今の時点でこうであれば、直前は本当に「超満員」になってしまうのかもしれない。
 静内には10時56分に到着。30分弱の待ち合わせで鵡川行が接続するが、今回の代行バスで初めてJR北海道以外の車両であった。

@派手な塗装

 11時24分、鵡川行が出発した。観光バス用の座席であり、お尻に優しいが(実は早朝から昼前までずっと「路線バス型」の座席に座り続けていて、かなりお尻が痛くなっていた)、鵡川までは乗り通さず、例の「今日の唯一の観光」で途中下車である。あれこれ悩んだが、隣駅である新冠で観光することにしている。
 新冠にはすぐに到着。とりあえず、駅舎訪問である。

@もう列車は来ません

 まだまだ新しい駅舎であり、もったいない感じがするが、他に活用することもできないから仕様がないのであろう。
 さて、駅確認はすぐに終わったので、近くにある道の駅まで歩いて行った。馬に関するレリーフを見たりしてから、道の駅へ。ここで有名なのは「ピーマンのソフトクリーム」であるが、JR北海道バスの車内が寒かったこともあり(コロナ対策の換気のせいかもしれない)、実は体がかなり冷え切っているのである。新冠駅から道の駅まで数分歩いただけで震えあがっているくらいなので、夏なら確実に飛び付く地元ネタであるが、今は難しい。
 周囲を見渡すと、唐揚げ専門の弁当屋があってそこにイートインスペースもあったので、逃げ込むようにしてそこに入った。

@熱々を頂く

 結局、地の物とはまったく関係のないものを食べることになってしまったが、寒さには代えられないから仕方ない。
 弁当を頂いた後は、道の駅のフリースペースのストーブの前でスマホタイムである(いかんせん、数少ない観光要素である「郷土資料館」が日曜休館というのであるから。道の駅に併設されているレコード関係の資料は、正直興味がないし)。
 しかし、30分以上も熱風に晒されているうちに、なんとか震えも止まってきた。これならば「いける」かもしれない。ということで、ピーマンのソフトクリームに挑戦である。

@いざ

 色見だけのネタ系かと思いきや、意外にピーマン率が高いものであった。私は普通にピーマンを食べられるから問題ないが、ピーマンを苦手としている人に試してみたい一品でもある。
 新冠駅へ戻り、代行バスを待つ。この後は、13時29分のバスに乗って帰るだけである。鵡川と苫小牧と南千歳での乗り換え時間は各10分程度であり、新千歳空港での滞在時間も1時間程度とかなり理想的な乗り継ぎであるが、家に辿り着くのは21時過ぎである。斯様に日高地方は「遠い存在」であり、今回の廃線が変な「後押し」になって、めったに来ない地域とならないよう、意図的にたまには来るようにしたいと思っている。

@4月からは「代行」ではなく「転換(代替)」に

■おまけ
 さて、今回の旅行記は以上である。
 なお、過去の記録を見てみると、日高本線運行時に最後に乗車したのは、2007年2月であった。その時の様子でも紹介しようとしたが、意外に車両や駅での写真が少ない。というのも、山ほど写真を撮っても旅の印象がボケてしまうため、スナップ写真として要所でしか撮影しないためである。
 当時の旅程を見てみると、早朝に札幌を出て苫小牧で乗り換え、終点の様似までは行かずに少し手前の日高幌別で下車。小一時間観光をしてから、今回も観光をした新冠まで戻り、そこで「レコードの湯」方面まで足を延ばして2時間以上も観光をしたようである。

@静内駅で乗り換え(14年前)

 出発地点や帰りの飛行機の時間が違うため直接比較はできないが、やはり移動時間が少ないため、観光の時間も今回よりは多く取れていたようである。
 それよりも決定的な違いが、帰路の車内での過ごし方ある。通常であれば、今回の旅でも新冠から帰る際には「道の駅でツマミでも買って車内で一杯やりながら」とでもしたいところであるが、バスではやりにくい。観光バスのような車両ならまだしも、路線バス用の車両での飲酒はイメージが悪すぎる(鉄道でも、ロングシートで飲酒をするだけで「アル中色」が一気に強くなる)。そういう意味でも、日本各地で鉄道旅ができる場所は、なるべく残ってもらいたいものである。

@日高幌別駅で様似行をお見送り(もちろん14年前)

 

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system