【petit-tetu】九州西岸、行ったり来たり
(「プチ鐡」では、写真を中心に簡易報告的に著します)

■はじめに
 今回の旅程に関しては、「風が吹けば桶屋が」方式で決まったものである(毎度のことであるが)。

・地方の交通機関のICカード(最終利用から10年で有効期限が切れるものが多い)をたくさん持っているが、「長崎スマートカード」だけもう6〜7年も利用していない。
・これを口実に長崎行を思いついたが、安い飛行機がない。周辺を調べてみると、なぜか熊本空港行だけが、JALもANAも1万円以下であったので、それを押さえた。
・結果として、熊本から長崎へ渡ることを思い付いた。せっかくなので、これまで乗船したことのない航路(口之津−鬼池、島原−熊本には乗船済なので、それら以外)に乗ってみることにした。
・ついでに、いくつかの鐡ネタ(特急「A列車で行こう」に乗車など)を加味した。

 飛行機の切符は2か月以上前に、JRの指定券は発売日(1か月前)に押さえておいたが、出発の前になって、この週末がワールドカップの日本戦であることに気づいてしまった。それならば家でのんびりするという選択肢もあったが、後の祭りである。

@熊本駅にて

■2014.6.14
 JALの朝一の便で熊本に飛び、連絡バスで市内へと向かった。そのまま熊本駅に行ったのでは早く着き過ぎるため、交通センターで降り、熊本城の周囲を適当に散策したりした。
 歩き疲れてからは、久々に熊本市電に乗り駅へと向かう。

@乗るからには古い方に乗りたい

 特急「A列車で行こう」1号は、すでに入線していた。
 私は三角線には2回ほど乗車しているが、当時はこのような特急はなかった。この特急が走り始めた際、「三角線なんかに特急?」と訝しく思ったが、天草方面への観光需要を考慮すれば、あながちに無謀でもないのであろう(現に、この日も満席であった)。これに限らず、日南線や指宿枕崎線にすら特急を走らせるなど、JR九州は商魂逞しいところがある。

@観光向けのため、平日は走りません

 編成は2両で、1両目には天草をモチーフにした意匠のカウンターバーがある(その他、列車内の詳細については、他の方による普通の旅行記をご参照ください)。
 ほぼ同時刻に特急「あそぼーい」も出発するため、ホーム上では大音量の音楽が流れ、記念撮影をする人もいたりして、なんだか大騒ぎである。

@人多し

 列車は、定刻の10時36分に出発した。宇土で分岐してしばらくすると、御輿来海岸が右手に大きく広がった。ただし、今日は残念ながら曇り空である(よって写真は省略)。
 11時14分に三角に到着。路線バスで本渡へ行くことも考えたが、せっかくクルーズ船に接続するので、そちらを予約してある。

@余暇ですから

 このクルーズ船は、途中で松島(前島)を経由して、天草の本渡までを1時間弱で結んでいるものである。「座っていれば船の前方にいてもよい」ということだったので、後半はそこに座り続けた。
 本渡港着は12時23分で、次に乗るべきバスの出発まで1時間以上ある。天草と言えば車エビの養殖、ということで、事前に目をつけておいたエビ専門店に行ってエビフライ定食を頂いた。

@うまし

 その後はバスターミナルへ向かい、13時50分発の富岡行を待った。バイクのツーリングや、SUNQパスを利用したバス旅行でも立ち寄ったことのある場所であり、久々の訪問で懐かしい気持ちになった。

@数年前と比べて、路線数は減りました

 バスは定刻に出発。元から私を入れても4人しかいなかった乗客も、途中(海が見えるころ)には私だけになってしまった。
 終点の富岡港まで乗っても船との乗り継ぎが悪いため、少し手前の「富岡三叉路」で下車し、切支丹供養碑などを見ながら徒歩旅を続けた。

@そして富岡港へ

 これから乗船する富岡−茂木航路であるが、『五足の靴』(1907年、与謝野寛著)にも関係するような歴史ある航路であるが、2011年9月末をもってフェリーが廃止となってしまった。その後は旅客専用の高速船が航路を守ってきたが、なんとそれも2013年10月末でもって廃止。その後は「海上タクシー」という形になりこれはもう風前の灯と思われたが、航路継続を願う地元自治体等の願いの元、2014年4月より新たな船が就航して航路が復活したのである。

@意味もなく猫写真を挿入(富岡港付近にて)

 港付近を適当に散策したが、それでもまだ15時半過ぎである。結局、待合室でテレビを見たりして時間をつぶした。
 16時15分頃に茂木からの船が到着したので、窓口で切符を買って船に乗り込んだ。そのまま出発時刻(16時30分)になったが、なんと乗客は私1人だけである。

@新造の船(運転席も丸見え)

 船の乗組員が2人、岸壁には2人の職員と2人の地元民が見送っているが、出発時刻を過ぎても結局乗客は増えなかった。
 船は定刻に出発。曇天ではあるが、波は高くないので船は安定している。所要時間45分で料金は2,000円。少し高いとは思うが、この需要では仕方がないであろう。

@無事に茂木港に到着

 茂木港のバス停は本数が少ないので、スーパーに寄ったりしながら7分ほど歩いて茂木のバス停まで行き、そこから長崎市内へ向かった(「長崎スマートカードを使用する」という、今回の旅で最大のミッションをここで成功させる)。
 予約済みのホテルに行くのであれば県庁前で降りるのだが、その少し手前で降りて長崎市民病院へ向かった。というのも、ここには「鉄道発祥の地」の記念碑があるからである(詳細については、私のエッセイを参照ください)。

@これも鐡ネタです

 茂木のスーパーで買った刺身等と、ホテル近場のスーパーで買った安酒等を頂いてから、就寝。

■2014.6.15
 朝食を頂いてから長崎駅へ向かい、7時21分発の諫早行(長与経由)に乗り込んだ。7時43分発(市布経由)でも間に合うのだが、この区間については最近は特急や快速ばかりに乗っていたため、久々に旧線経由の列車に乗ることにしたのである。

@今日はこれから

 車両は、一昔前に快速「シーサイドライナー」で使用されていたものである。長与経由の場合は海も見える区間があるので、ある意味シーサイドライナーである。その他、壮大な段々畑もあり、久々であったこともあって車窓を十分に楽しむことができた(残念ながら今日も曇っていたため、写真は省略)。
 諫早で、島原鉄道に乗り換えた。これにはもう4〜5回は乗ったことがある。

@この塗装は初体験

 諫早を8時37分に出発し、多比良町に到着したのは定刻の9時29分であった。
 何度か乗車したことのある島原鉄道であるが、この駅で途中下車したのは初めてである。駅前の道路の街灯はサッカーボールの形になっているが、思えばここは以前は国見町だったところである。先述したとおり今日は日本代表戦がある日であり、多少の縁を感じるところである。

@道端にはこんなものも

 フェリーターミナルまで歩いて行き、待合室にあったテレビ(民放を映していたが、待合室にいた乗船客の要望があって日本戦に切り替えられた)で本田のゴールを確認してから乗船した。

@この航路は初体験

 長洲までの料金はたったの440円である(距離自体も短いが)。船体が大きいこともあり、航海中は安定したままであった。
 私の下船時に日本が1点目を失い、階段を下りたところにある待合室内で2点目を失った(その後は皆さんご存知の通りである)。
 歩いてJR長洲駅へ向かい、快速で1駅移動して玉名にやってきた。熊本市周辺はこれまでにさんざん観光しているので、玉名の街を歩くことにしている。
 駅付近は寂しい雰囲気であったが、高瀬裏川は観光客もそれなりにいて賑わっていた。

@人の切れ目を狙って撮影

 小一時間散策してからは、歩いて玉名駅へ戻った。
 時刻は14時過ぎ、あとは空港へ行くだけである。本来ならば熊本まで行ってそこから連絡バスに乗り換え、となるが、あえて新水前寺まで行ってそこからバスに乗り換えることにしている(こうすることによって、少しだけ安くなるのである)。
 ケチっぽい、と思われるかもしれないが、これは吝嗇癖だけによってなせる業というよりも、時刻表好きという人種は、こういう乗り継ぎの妙によって何かを「極める」ことに悦楽を感じてしまうものなのである。

@締めは飛行機ネタで(熊本空港のYS-11)

 

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