RACで行く大東島の旅

■はじめに
 旅を重ねるごとに国内各所にある空港にも訪れることになり、気づいてみると、日本国内の定期便(ヘリコミューター路線は除く)のある空港で私が未だに訪問していないのは、「三宅島」「北大東」「南大東」空港だけになっている。三宅島については以前訪問したことがあるが、火山ガスの関係で欠航となってしまった、という経緯もあるが。
 いずれにせよ、今回は上記のうち北大東と南大東空港を訪れることにしたのである。

 今回の旅程については、昨年末に急遽決まったものである。
 1月12日からは、成人の日の関係で3連休になっている。ただし、連休となると航空券はあまり安くならないので、当初は出かける予定は入れていなかった。
 しかし、12月19日頃にふとJALのホームページでツアー検索をしてみると、1月12日の朝に那覇へ飛んで14日の夕方に羽田に戻ってくる特定の便(各1便)だけが、なぜか驚くほど安くなっていたのである(往復+1泊で33,100円)。他の便は当然のこと、ANAのツアーもすべて高いのが当然である日程であるのに、なぜかそれだけ安かったのだ(他便と比較して2.5〜3万円程度安かった)。ネット上の設定間違いかと思ったが、それならそれで構わないので、表示が出ているうちに予約決済をしてしまった。
 それからどこへ行くかを考え、北・南大東島を思いつき、こちらもツアーで予約決済をした(往復+1泊2食付で3万円以下)。大東島への空路は通常価格はかなり高いが、ツアーを利用すると安く行くことができるのである。

 飛行機を利用した島旅であるため、タイトルに「非鐡の旅」と入れて別場所だけに置く予定であった。ただし、結局は鐡ネタをあれこれ探し求めた旅になったので、実質はかなり「鐡分」の高い旅行となった。

@宮古島の海(なぜ宮古島なのかという理由は、旅行記後半にて)

■2013.1.12
 ネットで大東島の天気予報を見てみると、なんと最高気温は23℃となっていた。その気温ならば、長袖を羽織る程度で充分である(その気になればTシャツも可能である)。コートなぞを持って行ったのでは荷物になるだけなので、薄着(現地での格好)の上に、防寒性の高いナイロン製の上着を着て、我慢して最寄駅まで歩いて行った。
 8時00分羽田発の便に乗り、空路那覇へ。出発時に機体整備で手間取ったため、到着は予定より少し遅れた11時15分頃であった。それでも、北大東行の出発時刻まで3時間弱ある。そういうわけで、鉄道ネタを求めて那覇市内へ出ることにしている。
 那覇での鉄道ネタといえば、日本最南端の駅である「赤嶺」が挙げられるが、そこには訪問済みである。よって今回は、壺川東公園に展示されている機関車を見に行くことにしている。
 モノレールの壺川駅から歩くこと数分、壺川東公園に着いた。件の機関車も健在であった。

@シュガートレイン

 この公園付近は沖縄の軽便鉄道跡地であるとのことだが、機関車自体は南大東島でさとうきびを運搬する鉄道で使用されていたものである。沖縄本島の鉄道は第二次世界大戦で破壊されてすべて廃線となり、南大東島の鉄道はさとうきび運搬で利用され続けていたが、それも1983年に廃止になってしまっている。
 公園を後にし、奥武山公園を散策しながら神社をいくつか参り、ゆいレールで空港へと戻った。

@現在、沖縄で唯一の鉄道

 これから南大東へ行くのであるが、直行便ではなくて北大東を経由する便である。これを利用することで、一気に二つの空港を制覇することができる。もちろん、各島に1泊ずつしてゆっくりしてもいいのだが、そうするためにはあと1日余裕が必要になる。
 バスで機体まで案内され、シーサーマークで有名なRACのDHC8-Q100に乗り込む。機内は満席であるが、旅行者というよりは地元の人がほとんどであった(顔立ちで判別)。

@久々にこれに乗る

 離陸後しばらくは、下界は厚い雲で覆われ続けていた。ほどなくすると雲が切れ、大きな島影が右手に近づいてきた。あの島に降りるのか、と思ってよく見てみると、島の形に見覚えがある。その理由は、事前に私がガイドブックを見ていたせいであり、つまり右手すぐにあるのは南大東島なのであった。
 機体はそこから左に旋回し、北大東空港に降り立った。天気予報では12日の午後から雨模様となるはずであったが、雨は降っておらず、雲の合間からは青空も垣間見えている。

@滑走路と空

 南大東へ乗り継ぐ乗客も、セキュリティの都合上ここでいったん荷物を持って降りることとなる。しかし待合室に直接入れるので、セキュリティチェック(荷物検査)は受ける必要はない。
 小さな待合室で10分ほど待ち、再び機体へと向かった。

@お尻から撮影

 北大東−南大東航路は、日本で最も短い定期航路である。その長さは12キロしかなく、区間マイルもたったの8マイルである。ちなみに、片道の正規料金は8,300円である(ある意味、最も高価な乗り物?)。
 出発前に客室乗務員から飛行時間の案内があるのだが、「飛行時間は3分です」とのことであった。
 機体は滑走路北側へ移動し、南へ向かって加速を始めた。そして飛び上がった後もあまり高度は上げず、すぐに客室乗務員が「まもなく着陸いたします」とアナウンスする。南大東空港の滑走路に車輪が着いたのは、北大東を飛び立ってから3分5秒後であった。

@南大東も晴れ

 宿の送迎車に乗り、島の中心部へと移動する。世間は3連休であるが、観光客は私だけであるとのこと(つまり、あとの宿泊は仕事関係)。そういえば、この島を観光で訪れる人は少なく、たいていは仕事か、もしくは飛行機オタクなどであるらしい。
 荷を置いてからは、まずは「ふるさと文化センター」近くに展示されている鉄道車両を見に行く。SLは一部が朽ちて煙突が折れてしまっており、機関車も貨車もそれなりに傷んでいるものの健在であった。

@展示車両

 それからは、他の鐡ネタを探して集落を適当にぶらぶら歩いてみた。製糖工場の南東付近では、なぜかレールを使って私道の入口を塞いでいるところがあった。それ以外にも、集落の道端でレールが無造作に置いてあるところも2か所ほど発見した。

@なぜレールが(廃線跡に近い?)

 予想外の晴天の中散策を続け、その後は宿へ戻って定食風の夕食を頂き、そのまま就寝。

■2013.1.13
 昨日は天気予報が大きく外れたが、今日はあいにく当たってしまっている。しかしまだ朝のうちは酷くないようなので、朝食を頂いてすぐに出かけることにした。
 まずは北上をし大東神社などを見て、それから大池を展望台から眺める。その後は数少ない見どころのバリバリ岩を見て、またさらに歩き続けて、2時間後には北港へと辿り着いた。海は荒れていて、近づくと少しく怖い。

@港より左手を望む(これには写っていないが、北大東島も見える)

 雨が酷くなり始めた中、今度は南下して西港へとやってきた(さらっと書いたが、風雨でかなりしんどかった)。ここからは、廃線跡に沿ってしばらく歩くことになる。
 西港から、いかにも鉄道の廃線跡という、不自然な細い路があるのでそれを南下していく。廃線跡であるため、道路が近づいてきても融合はせず、無意味に並走し続けていく。

@廃線跡ならではの雰囲気

 「フロンティアロード」と名付けられたこの廃線跡は、いくつかの道路と交差した後にふるさと文化センター近くの車両展示の前を通り、そして製糖工場へと向かって行く。結局、製糖工場手前までそれにお付き合いした。
 12時半くらいに在所の集落に戻り、ここで昼食とする。大東島といえば、大東寿司やそばで有名である。せっかくなので、セットで両方を注文した(違う意味で有名なインガンダルマも食べてみたかったが、それを出してくれるという噂の店は閉まっていたので断念)。

@手打ち麺はうどんのよう

 飛行機の出発は16時15分であり、宿の送迎も15時35分発であるが、この風雨の中を歩き続ける気力もなく、結局ホテルのロビーで時間を潰すことになった。
 風雨も「暴風雨」一歩手前となっており、飛行機が飛ぶかどうか不安になってきたが、空港の案内では40分の遅延で出発予定となっていた。一安心し、自分用のお土産に大東寿司と海鮮タコライスの素を買った。
 16時40分を過ぎ、飛行機到着が近いアナウンスがあったが、音がするだけでなかなか降りてこない。どうやら雲の上で旋回して、良いタイミングを図っているかのようである。結局、無事着陸したのは16時55分頃であった。

@傘の角度に注目

 南大東を飛び立ったのは、定刻より1時間4分遅れの17時19分であった。しかし、急ぐ旅ではないので、特に問題はない。
 那覇空港到着後は、モノレールで移動してパックに組み込まれているホテルに投宿した。夕食は、スーパーで買い漁った沖縄の刺身達である。

■2013.1.14
 旅程の最終日である今日は、超格安レンタカー(免責補償込でたったの2,205円)を使って、沖縄にある数少ない鉄道ネタを巡る予定である。
 8時過ぎに那覇市内を出発し、まずは浦添市にある大平養護学校へと向かう。何故かというと、この付近に軽便鉄道のレールがあるという情報を得ているからである。
 「バス停付近」ということだったので、すぐに発見することができた。簡単な案内板もある。レールはこの付近から出土したものであるが、枕木は復元したものであるとのこと。

@軽便のレール

 強風の中ひたすら国道58号線を北上し、続いて訪れるのは「ネオパークオキナワ」である。ここは動植物園(特に鳥類が多い)であるが、「沖縄軽便鉄道」と称して園内を一周する鉄道を運行させている。実際の軽便鉄道よりもスケールは小さく、遊園地の乗り物の規模を大きくしたようなものではあるが、そう銘打っているからには行かねばなるまい。
 入場券と鉄道のセット券を購入し、「名護駅」へと向かった。駅舎らしく作られており、隣りには軽便鉄道に関する小さな資料館も併設されている。切符も、懐かしい硬券であった。

@名護駅

 SLを模した小さな電気機関車は、ゆっくりと園内を回りながら数か所で停車していき、運転手は動物の説明をしていった。道路と交差するところでは、当然のことながら踏切があり、警報機が鳴っていた。
 1周は約20分と少し。子どもが乗るもの、という感じではあるが、軽便鉄道の歴史を知っていると少しは感じ方も違うかもしれない。

@走り終えた後

 せっかく動物がたくさんいるので、鉄道乗車後は急ぎ足で園内を歩いて一周した。さて、続いての鐡ネタは宜野湾市立博物館にある「軽便鉄道の台車」である。
 国道58号線をひたすら南下し続けること約1時間20分、件の博物館に着いたが、駐車場入口には「休館日」とあった。これではお手上げである。
 大人しく那覇へ戻り、レンタカーを返却して、あとは東京へ帰るだけである。

 ……という塩梅で旅行は終わる予定であったが、爆弾低気圧による東京の大雪で羽田空港が大混乱になっており、まさかの欠航になってしまった。飛行機は翌日の便に替えることがすぐにできたが(こういう際には会員ステータスがあると楽)、予想外の展開である。
 ネットで今夜の宿を検索し、10年くらい前に安旅行で使用したことのある宿を2,250円で予約・決済した。レンタカーといい、まさにデフレづくしである。
 まだ明るい那覇市内を適当に散策し、商店街で惣菜をあれこれ買って、今日も酔って就寝。

@太平通り商店街

■2013.1.15
 今日の予定は、昨晩に酔いながらパソコンをつついて決定している。最初は那覇付近で鐡ネタの落穂拾いをしようと思ったが、宜野湾市立博物館も沖縄県立博物館(出土した枕木があるらしい)も、いずれも休館日であったため断念した。
 船でどこかの島へ行こうとしたが夕方まで戻ることが難しく、結局思い切って宮古島まで往復することにした(なぜか久米島に行くよりも飛行機代が安く、片道6,000円程度だったためである)。レンタカーも2,810円で予約し、あとの旅程は行ってから決めることにしている。
 6時に宿を出て、モノレールで那覇空港へ。手続きをしてラウンジで新聞を読んでいると、なんと那覇市内の公民館で軽便鉄道の展示会をやっているという地元ニュースがあるではないか。急いで場所等を確認し、午後に行けるように準備をした(出発時間が迫っていたため、路線バスまでは調べ切れなかった)。
 その後、空路宮古島へ移動した。宮古島を訪れるのは数年ぶりであるが、レンタカーで走るのは13年ぶりである。思い出のある来間島や、池間島など島内を南北に走り回った。

@池間大橋と碧い海

 空港へ戻り手続きを済ませ、12時10分発の便で那覇へと戻った。まさにとんぼ返りである。
 那覇へ戻ってからは、例の展示会に行かねばならない。モノレールの那覇駅へ向かったが、まずは「日本最西端の駅弁」と銘打っている「みそかつ」弁当を買った。これは12日の昼に気付いたもので気になっていたものである(13日は到着が夜遅く、14日の夕方は売り切れで入手できなかった)。

@一応「鐡ネタ」

 初日と同様に、壺川駅まで移動する。ここから会場となっている国場公民館までは4キロほどであり急ぐ旅でなければ歩くところであるが、夕方の飛行機時刻が迫っているので仕方なくタクシーで移動した(たったの800円であるが、持論として極力タクシーは利用しないようにしている)。
 運転手が公民館の位置を知らなかったので、国場郵便局付近で降ろしてもらって自力で探して辿り着いた。

@偶然の出会い(琉球新報さん、ありがとう)

 この展示は沖縄大学の講座が関係したものということであるが、国場駅の歴史や近隣住民の証言など、多種多様の展示があった。また出土したレールや枕木、その他の遺構などについて、こと細やかに説明がなされてあった。今日の朝に偶然新聞で見なければ来ることはなかっただけに、今回の私の旅のテーマと一致しているこの展示内容は充分に満足行くものであった。

@コンクリート枕木

 公民館を後にし、国道507号線へ出てバス停へ行ってみる。系統もよくわからないが、いきなり「那覇」という行先のものが来たので、それに飛び乗って市内中心部へと向かった。
 さて、予定が伸びたことによるもう一つの利点が、「ゆいレール展示館」に訪問できるということである(当該施設は、土日祝日休館のため)。
 モノレールで那覇空港まで移動し、歩くこと約10分で展示館に到着した。この展示館の特徴は、1階にあるモノレールに関する展示以外に、2階に鉄道全般に関する展示が多量にあるのである。沖縄の軽便鉄道に関するものはわずかではあるが、それでも過去の歴史をここで知ることができる。

@メインはモノレールですが(展示物の量としては鉄道全般の方が多い)

 さて、あとは本当にもう東京へ戻るだけである。手続きをし、ラウンジで待っていると、なんと機材整備の都合で約3時間の遅れとなった(午後は分刻みで移動を考えタクシーまで使用したのに、その努力は結果的には意味を成さなかった)。
 結局、最後の最後まで混乱続きであったが、千円の食事券をもらったので、それは売店で「大東寿司」「シークヮーサー」「紅いもたると」という超沖縄セットに変身したので、個人的にはこれで充分納得である。

@3時間待ちの代償

 

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