四川・雲南鉄道記

■はじめに

 今回の主目的は、成都から昆明までの山岳路線である成昆線に乗車することである。最大の見どころはループ線が続くところであるが、両都市を直通する優等列車はこの部分を通過するのが夜中になってしまうため、険しい景色を楽しもうとすれば各駅停車の利用・途中での宿泊が必要となる。紀行作家である宮脇俊三氏も仕方なく夜中に通り過ぎたが、本によればわざわざ目を覚まして磁石で「ループ線を通っていること」を確認したという。私はそこまでする気力はないが、「その前後でもそれなりの景色は楽しめるだろう」と、気楽な気持ちで向かうことにした。
 列車の寝台券は、これまでは現地の日本語ができる旅行社に依頼していた(下段が出るまで数回チャレンジしてくれるため)。今回は初めてネット予約・決済(Ctrip:上下段は確約されない)を利用したが、「ええいままよ」でクリックした結果、メールで送られてきた予約票には見事「下段」と書いてあった。

 成都を訪れるのは、今回が2回目である(拙文“上海南発成都行「K351特快」”参照)。よって今回は、鐡ネタ以外の「普通の旅要素」も少し入れようかと思う。
 航空券は、中国国際航空でずいぶん前に購入済みである。機内サービスは期待できないが、往復(復路は乗り継ぎ)合わせて3万8千円程度であるし、LCCと思えば十分である(それに、スターアライアンスに加盟しているため、ラウンジは利用することができる)。

【旅程】(現地で一部変更する前のもの)
初日:成田空港から成都へ。市内観光(成都泊)。
2日目:城際列車に乗り、都江堰観光。市内に戻り、昆明行のK145に乗車(車内泊)。
3日目:昆明到着後、昆明北駅に移動して、メーターゲージに乗車して石咀へ。北駅に戻ってから、雲南鉄路博物館を訪問し、その後は市内観光(昆明泊)。
4日目:早朝の便で北京へ。長時間のトランジットで北京市内を観光し、夕方の便で羽田空港へ。

 メーターゲージ(昆河線)についての詳細な解説は他所様のサイトに任せるが、一言で説明すれば昆明からベトナム方面に繋がっていた国際鉄道の名残である。現在、旅客鉄道をしているのは昆明北から王家営まで(昆河線の名残)の2往復と、昆明北から先の石咀までの1往復となっている。中国の鉄道時刻表で検索してもヒットしないが、密かに(?)営業運転を続けているものであり、物好きな日本人(人のことは言えないが)による訪問記もちらほらと見つけることができる。


@王家営駅にて

■2016.11.3
 8時50分発予定の成都行は、予定より10分ほど早く離陸した。それにしても、個人用画面がない座席(=映画などの暇つぶしがない)での6時間のフライトは、けっこう暇である。
 イミグレは空いており、14時過ぎにはターミナルの外へ。17元の切符を買い、駅へ向かうバスへと乗り込んだ。最前列に座れたので、移動中の景色を堪能することができた。

@久々に来ました

 バスは市内中心部を通るので観光をするのなら途中で降りてもいいのであるが、明日の切符を入手(予約票と交換してもらう)ために、まずは駅へ行くことにしている。15時過ぎに、成都北駅(成都駅)に到着した。
 中国での切符の入手は、(特に大都市では)恐ろしいくらいの長蛇の列に並ばなくてはならないため、ただ単に予約票と交換するだけでも一苦労である。前回に成都に来た際も、朝の5時だというのにとてつもない行列に並んだものである。
 そう思って切符売場のある建物(駅舎とは別場所)に入ると、なんと各窓口には3〜4人しか並んでいないではないか(前回訪問時の1/10くらい?)。タイミングのせいかもしれないが、入口付近に自動券売機のようなものが並んでいたので、その影響かもしれない。

@これなら楽

 無事に3枚の切符を手にしてからは、地下鉄で移動して、市内にある寛窄巷子(かんさくこうし)などを「おのぼりさん」的に観光した。中国人にも人気のスポットになっているようであったが、レストランや売店の金額が日本と変わらないくらいかそれ以上であり、一般庶民の様子を観察したりするには向いていないようである。

@普通の観光写真は他の方にお任せ

 観光後は、地下鉄で移動してホテルへと向かった。
 これまでホテルを押さえる際は、とにかく最安値(シェアルームを除く)で探していたが、そろそろそれも卒業して多少は観光ぽくしようかと思い始めている。かといって1〜2万円もするようなところに泊まる気はないが、今回は文殊院の近くにある古い建物を利用したところに泊まることにしている。
 早速チェックインしたが、外観はもとより、内装も「ここは寺か」と言いたくなるようなもので、なかなかよかった。値段も5,500円程度であるから、問題はない。

@入口付近

 さて、あとは夕食である。普通の人であれば近場のレストランとなるが、私の場合はいつものパターンで部屋への持ち込みである。
 近くにスーパーはなかったが、個人店舗で担担麺を持ち帰りにしてもらい(こういうのを買う際に、簡単な中国語ができるというのは有用である)、チェーン店で鶏肉の辛いやつを買い、コンビニぽい個人商店でビールを山のように買って部屋に戻った。
 いかにも四川というラインナップになったが、とにかく辛くて舌が痺れる(山椒のせい)。ビールで流し込みながら、すべて平らげた。

@せっかく成都に来たので

■2016.11.4
 ホテルの朝食を頂いてから8時に開門する文殊院を見学し、地下鉄で成都駅へと向かった。文殊院が意外に広かったこともあり、駅の改札を通ったのは出発の8分前であった(出発5分前には閉められてしまうので、要注意である)。しかも、9番線は一番奥であったため、急いで写真撮影をしたりした。
 今日の車両は、JR東日本の「はやて」型であった。

@清掃中

 前回成都に訪問した際には、終点の青城山までただ単に往復してきただけである。今回はもう少し普通の要素を、ということで、世界遺産である都江堰に行くことにしている。最寄駅は離堆公園であるが、本数が少ないため、往路は青城山行に乗車して途中の都江堰(駅名が紛らわしいが)で下車し、そこから路線バスで移動することにしている。
 宛がわれている1号車に乗り込んでみると、グリーン車仕様であった。ネット決済に際に自動的に割り振られた座席は残念ながら通路側であったが、これなら少し癒される。
 なお料金が15元であるのに対して、手数料は20元である。バカバカしいかもしれないが、現地に来てから買えなくて困ることを考えれば、安心料としては十分である(以前より空いているとはいえ、窓口での購入はかなりハードルが高い)。なお、寝台は料金388.5元に対して手数料40元であるから、さほど問題にはならない。

@見覚えのある座席

 定刻の9時49分に、列車は出発した。通路側であるし、外も霧が濃く、またグリーン仕様で座席が大きいため外も見難く、風邪薬も効いてきたので、少しウトウトしてしまった。
 ちなみに座席の割り振りであるが、小型飛行機と同じでAとFが窓側であり、CとDが通路側である。前知識がないと購入時にDが出た段階で窓側と思って喜びそうになってしまうので、要注意である。
 都江堰でほとんどの乗客が下車。私もその波に乗って降り、パンダマークがある4路の路線バスに乗り込んだ。

@運賃は2元

 超満員のバスに揺られること約30分、離堆公園に到着した。入場料は90元(約1,350円)であり、中国の平均所得を考えればなかなかの高額であるが、園内は大賑わいであった。朝方の濃霧も次第に薄くなり、晴れ間も見えてきている。
 ルート通りに回ったが、後半(川の北東側)はほぼ「山歩きコース」であった。病み上がりには多少堪える内容である。

@普通の観光写真も

 1時間半ほど散策してから、成都市内に戻るため離堆公園駅まで移動することとなる。この駅は微妙に公園から遠く離れておりしかもわかりにくい場所にあるのだが、グーグルマップを印刷してきているので安心である。
 と思って歩いていると、駅の西側一帯が工事中(再開発か何か)であり、橋も渡れない状態であった。仕方なくぐるっと10分弱かけて迂回したが、時間に余裕がなかったらかなり焦っていたかもしれない。

@やっと入口発見

 地下駅に入り、人民でごった返す小さな待合室でしばらく待ち、12時20分頃に改札が開いたので列車へと向かった。
 帰りも1号車であるが、停まっていたのはJRタイプではなくカナダのボンバルディア製のものであった。しかし、他の号車が横5列であるのに対して、1号車が横4列というのは同じであった。
 それにしても、椅子の座り難いこと! 足は浮き、元の状態からリクライニングし過ぎであり、クッション性もなく、窓とのパターンも最悪(場所によってはほとんど壁)である。中国は日・独・加の各国の技術を最初に取り入れたが、それを二次利用する際に日本の技術を中心に選んでいる感じが強く、その理由はこういうところからもわかるような気がする。

@せっかく窓側になったのに…

 同駅を、定刻の12時34分に出発した。しばらくは地下を走り続け、地下で駅にも停車する。地上に出ると、右側から青城山からの路盤が合流してきて、後は往路と同じ道を戻るだけである。
 成都に戻り、駅付近にあった屋台のような店で夜用のチキンなどを買い、再度改札を通って駅構内に入り、売店で常温のビールを山のように買ってホームへと向かった。
 列車はすでに入線していて、ホーム上は人民でごった返していた。

@緑皮車中心の編成

 電光掲示によると18両編成であり、実際に見てみると18号車から13号車が硬座(15号車欠番)、12号車が食堂車、11号車が軟臥(2段寝台)、10号車より前が硬臥(3段寝台)であった。まだ機関車は付いていないようだったので、一番端までは行かなかった。
 それにしても、これまで数多くの軟臥に乗ってきているが、緑皮車は初めてである(ただし、内装が古いというわけではない。かなり新しい造りであり、後でわかったがトイレも「下界が丸見え」のようなぼっとん式ではなく吸い込み式であった)。
 各車両に書いてある「保山号 文化旅遊列車」の意味は、調べてみないとよくわからない。

@行先票

 定刻の14時28分に汽笛が鳴り、その1分後に出発した。
 この時点での同室は、高齢のおばさんとその娘(20代後半くらい)である。実は出発前に「母は進行方向の逆だと気持ち悪くなってしまうので、ベッドを交換してくれないか」と頼まれていて、私も外を見たいので「寝るときならいいです」と答えていたのだが、なんと列車は1号車を最後尾にして出発したのである。「これで交換する必要はなくなったね」と笑い合ったのだが、これらの会話は英語であった。最近、若い人を中心に英語を話せる率が高くなった気もするが、私の乗っている軟臥は18両中1両しかない=高額である=それなりの身分の人が乗っている、であるため、限られた話ではあるとは思う。
 しばらくして、車掌がカードと切符を交換しにきた(中国式)。成都と昆明、どちらの鉄路局の所属かと思っていたが、今回は昆明であった(だから1号車が一番後ろ?)。

@下車前にこれを返却する

 しばらく走ると市街地を抜けるが、並走する敷地で新規建設がずっと続いている。高速鉄道用の高架は別途遠くに見えるので、どうやら今走行しているこの路盤を高速化+複線化するためのもののようである。
 出発後1時間を過ぎたが、まだ工事中の路盤は続いている。平地の部分はいいが、山岳部分はどうなるのであろうか。「長大なトンネルを通します」となると、時間は短縮されるであろうが景色は堪能できなくなってしまう。

@とにかく工事が続く

 工事が影響したのか、眉山には21分遅れの16時06分に到着した。同駅出発後も、現在走行中の路盤に1本追加して複線にするための工事がずっと続いていった。16時57分に、東山北に到着。
 同駅の定刻は16時26分着16時32分発であるが、ホーム上の電光掲示は16時55分着17時00分発に変えられている。遅れに合わせて調整しているのかもしれない。
 同駅を出発して17時20分を過ぎた頃、初めてのトンネルに入った。ここから先は路盤も蛇行し、キーキーと音を立て始める。次第に標高も高くなっていき、左手に景色が広がり始めた。

@靄っていますが

 先述したように一番の山岳ルートは夜中になってしまうが、その手前でもそこそこの山並みは拝めそうである。ただし霧が濃いのと、若干ではあるが雨もパラついてきてしまった。
 徐々に上り続け、17時50分にダムの脇を通過すると、大きなダム湖が見えてきた。

@湖

 弁当売りがやってきたので、1つ購入(25元)。それを食べる前にまずはビールであるが、景色の広がっているのが左手側であるため、通路にある簡易椅子に座って駅近くで買っておいたチキンをツマミにしながらアルコール度数の低いビールを飲み続けた(中国では度数が高いものでも3.6%であり、中には2.5%というものまである)。
 外に見えるのは、水墨画のような急斜面の山並みである。しかし、もうかなり薄暗くなっているため、写真撮影は不可能である。
 3本目まで通路で開け、最後の1本は弁当と一緒にベッドで頂いた。

@弁当

■2016.11.5
 夜中に何度か目を覚ました際に、列車がゆっくりとしたスピードで左右に曲がりながら走行していることは感じられた(外を見ても何も見えないため、わざわざ起きることはしなかったが)。
 3時55分、攀枝花に到着した。到着前のちょうど5分くらい前に目を覚ましていたので、ホームへと降りてみた(デッキから顔を出してみたら、車掌が「降りて良いよ」と手招きしたので)。中国の鉄道は夜中でも乗降客が多くて驚かされたことも多いが、今回に限っては数人だけのようであった。

@深夜のホーム

 同駅を4時03分に出発。ベッドに戻ってからは二度寝をしたが、窓の外には意外に人家が多いのと、また星が奇麗に見えるのが印象的であった。
 6時過ぎに再度起床し、6時23分に元謀到着。中国の標準時間は北京に合わせているため、西側の地域はまだ明るくならない。同駅を出発してしばらくし、7時を過ぎた頃からやっと明るくなってきた。険しい山岳は過ぎてしまったが、まだ若干「山らしさ」は残っている。

@小高い山

 しばらくすると、河川の左右に段々畑がたくさん見え始めた。川の水は赤茶色に濁っており、いつ氾濫してもおかしくなさそうな雰囲気である。路盤は何十回となく鉄橋で川を渡っていくが、それだけ川が蛇行しているということなのであろう。複線の新路線が開通すると、こういう区間は走らなくなってしまうのかもしれない。

@単線の高架が続く

 7時半頃に朝食のワゴンがやってきたので、内容はわからないが麺を1つ買ってみた(15元)。かき混ぜて食べてみたが、その辛いこと。四川省から雲南省に移動しても、辛さは付いてくるようである。雲南省でも火鍋が有名であるので、どっちみち辛いのであろう。

@今日の朝食

 高速鉄道の高架が近づき、高層マンションなどの街並みが使づいてきて、7時58分に広通北に到着した。私が持っている鉄道路線図では、広通へ行く路線は点線になっており、もうすでに廃線になっているのかもしれない。中国では各所でこのような新規ルート(市街地を避けた短縮線)の建設をしており、それに伴い「〇〇北」「〇〇南」などの郊外にある駅がメインステーションになったりしている。便利なようで、これがまた不便でもある(その先の移動を確保しなければならないため)。

@ちょっとだけ降りてみる

 同駅を8時02分に出発すると、トンネルの連続となる。ただし、これらは山越えのためではなく、ルート短縮のためのトンネルである。よって、昨晩から今朝までのようなレンガ造りの旧いトンネルではなく、コンクリート製の複線用のものであり、まるで新幹線に乗っているかのようである。
 順調に到着しそうだったのであるが、あと少しで昆明というところで、なぜか25分も動かなくなってしまった(目の前で工事をしていたので、その影響かもしれない)。結局、定刻から35分遅れの10時16分に昆明に到着した。

@シンガポール?

 当初の予定では地下鉄で昆明北へ移動して10時35分のメーターゲージに乗る予定であったが、これでは完全に不可能である。ただし、何が起きるかわからない(向こうが遅れている可能性もある)ので、念のため移動してみることにした。
 そう思ったのであるが、まず地下鉄の場所がわからない(「地鉄」の案内が見つけられない)。仕方なく、駅北側に出て環城南路駅まで歩いて地下鉄に乗ることにした。切符を買って列車に乗った時点で、もう10時39分である。
 昆明北へ行ってみると(着いたのは10時55分)、列車はもう行ってしまった後であった。
 しかし、それより重大なのは、同駅に併設されている「雲南鉄路博物館」がリニューアルのため閉館されているというではないか! 成昆線の次に、今回の旅の主目的であった訪問先である。

@無念

 閉まっているものは、嘆いても仕方がない。予定よりかなり早めに、市内観光をすることにした。
 打ち出してきたグーグルマップを手に歩き始めたが、湖の北側に「動物園」の文字がある。行く予定などまったくなかったが、時間が余りすぎているため行ってみることにした(この手の施設は、暇つぶしには最適である)。
 ゾウやシマウマなどは別に中国で見る必要もないものであり、適当に見て歩いていたのだが、ライオンのコーナーにはまだ小さな子ライオンが3匹もいるではないか。思わず、15分くらいそこで立ち止まってしまった。

@かわええ

 あれこれ動物を見てからは市内(旧い町並みが残っている場所など)を適当に歩き、大手スーパーで土産(麻婆豆腐の素など)を買ったりした。しかし、まだネタ不足の感は否めない。
 歩いているうちに、マクドナルドを発見した。となれば、前回韓国でのプルコギバーガー、前々回インドでのマハラジャマックに続く、ご当地マクドナルドネタである。見れば、丼物があるようである(もはやバーガーではないが)。
 早速注文してみると、「今、ご飯がないので、1時間後に」と言われてしまった。ついてない日は、こういうものである。

@別ネタも仕入れられず

 代替として屋台で買ったソーセージを齧りながら街歩きを続け、15時過ぎに予約済のホテルに投宿した。部屋に空の冷蔵庫があるのを確認してから、近場の店に行きビールやチキンなどを買って夜の準備をしておく。
 シャワーを済ませてから、16時半頃に再度昆明北を目指した。というのも、昼の石咀行は逃してしまったが、夕方に王家営行があり、それに乗ることにしたためである。これに乗った場合、復路は完全な日没後になってしまうが、午前のことがあったため急遽予定を変更したのである。
 17時5分くらい前に駅に到着したが、意外にもすでに20人くらいが駅舎の外で待っていた。

@本日2度目の訪問

 それから警備の警察なども集まってきて、17時10分頃にドアの鍵が開いた。切符は買う必要なく、車内で清算するシステムである。
 ホームには、機関車を先頭に4両の客車が連結されていた。メーターゲージのため、中国内の他の客車より若干小さめである(車内に入って気づいたのだが、4人のボックスシートが2つ並んでいる形であった。なお、中国の他の客車は、4人ボックスと6人ボックスが並んでいる)。4両のうち解放されているのは2両だけであり、それぞれの入口に女車掌がいる。

@機関車も小さめ

 前方にいた車掌に「写真を撮っていいか」を確認して(答えは当然OK)、上記の写真を撮影する。その後一番後ろに行って同様のことを3人いた警察と警備員に尋ねると、わざわざ車両から離れてくれた(いい人たちである)。ここまでは良かったが、問題はもう一人の車掌である。
 撮影後に客車に上がろうとすると、すごい剣幕で「お前は安全検査を受けていない!」と怒鳴りつけてきたのである(後ろに並んでいた女性客も吃驚の怒鳴り声である)。私が中国語で「撮影をする前に安全検査を受けた」と言って乗ろうとしたら、「安全検査を受けろ!」と再度の怒鳴り声である(しかも私は、ほとんど何も入っていないコンビニ袋を持っていただけである)。久々に、「共産圏でよく見られた理不尽な公務員の典型」という人間に出くわした気がする。

@これを撮影しただけなんですけど

 彼女は、私がどこか違う場所から侵入して線路方面から来たと思っているらしいが、仮にそうであれば安全検査以前の問題で侵入方法自体が違法であろう。
 相手にするのもバカらしいので、検査をする部屋に戻って、紙2枚と1/3未満のペットボトルの水しか入っていないコンビニ袋を再検査した。
 車内は2両合わせて50人以上も乗っており意外なくらい賑わっているが、カメラを片手にした中国人も結構な人数いる。「珍しい鉄道がまだ残っている」ということで、観光目的に乗車している人のようである。
 定刻の17時20分に、列車は出発した。

@最後尾より

 列車のスピードは遅く、ひたすら汽笛が鳴り続けている。というのも、いかんせん1日に2往復しかないため、線路の上をたくさんの人が歩いているのである。立体交差でないため各踏切にも係員がいて、日本であればものすごい人件費がかかることが予想される運営形態である。
 しばらくして最初の駅(黒土凹)に到着して数人の乗降があったが、こんな駅にも駅員がいる。日本の国鉄末期にも、1日4往復しかない北海道のローカル線の1両のディーゼルカーに運転手と車掌が勤務し、終着駅には必ず駅員がいたが、それ以上の「充実具合」である。

@踏切を通過する

 ここで、座席の番号の降り方が特異であることに気づいたので記しておきたい。一番最後の列で1〜4を割り振り、5と6が2列目になるのは理解できるが、7と8が背もたれを超えた3列目になってしまうのである。言葉では説明し難いのでずにしてみると、以下のようになる。
〜〜〜〜〜〜
15,16 18,17
――――――(背もたれ)
13,14 20,19
.7, 8 10, 9
――――――(背もたれ)
.5, 6 12,11
.1, 2  4, 3
――――――(最後部)

 車両一番後部右側のボックスは「4、3、12、11」の組み合わせという、謎の配分である。
 そのうち、現役の鉄道が寄り添ってきた。メーターゲージであるこちらとは、明らかに幅の違いがある。

@比べられる

 例の車掌が切符を売りに来たので、購入する。彼女は事前に拡声器で注意事項を叫んでいたのだが、その中に「使うのは紙幣だけで硬貨は使うな」というものまであった。意味は不明であるが、そんな状態で1元硬貨でも渡したら半狂乱に叫ばれること必須なので、きっちり紙幣で支払った。

@たったの2元

 次の駅は、昆明北駅に掲示してあった時刻表によれば「K5+060乗降所」という名称であり、ホームもない場所であった。

@簡易乗降所?

 なお件の車掌(この際「ババア」と呼ばせてもらう)は、出発後に拡声器で写真撮影の注意事項についても怒鳴っていた(働いている人(ゴンズオダレン)などを撮ってはいけない、など)。中国人観光客はバシバシと撮っていたが、私はババアに難癖を付けさせる余地を与えないために、近づいてくる際には撮影そのものをしないでいた。
 そんな私に業を煮やした(?)のか、ババアは「この窓(直訳すると「お前の窓」)は閉めなければならないっ!」と叫んで、窓をすごい勢いで閉めたではないか。ここまでくると、もう開いた口が塞がらない。もちろん、他の窓は開いたままである。
 要するに、私の中国語の発音からして外国人であることは確実であるので、そういう偏見に基づくものなのである。こういう表現は語弊があるあろうが、「バカを相手にしても仕様がない」ので、相手にはしなかった。
 閑話休題、古い路盤が中心であるが、中には高架状になっている区間もある。しかし、そういう場所でも人が普通に歩いているため、汽笛+低速走行が必須である。

@その気になれば速く走れそうですが

 そのうちにまた現役の路盤が近づいてきて、中国鉄道の高速化を象徴するかのような高架を3〜4本潜り抜け、18時28分に終点の王家営に到着した。
 周囲は建物と工場があるものの、商業施設などはいっさい皆無の場所である。なぜこの区間だけ旅客列車が残っているのかは、謎のままである。

@水塘方面へ(というかベトナムまで)行ってみたかった

 寂しい道を5分ほど歩いてみると、「なぜここに」というような不思議な場所に市場があった(近くに高架の道路がたくさんあったので、再開発で分断されて孤立したのかもしれない)。その市場を適当に見学してから駅に戻り、機関車の付け替え作業を見届けてから列車に乗り込んだ。
 復路は完全に日が暮れていたが、街中を走るため街灯を眺めたりしていればあっという間であった。写真撮影はままならないが、車内の撮影をしていなかったことを思い出し(ババアに気を取られ過ぎていた)、露出不足であるが参考のために1枚撮っておいた。

@こんな座席

 20時07分に昆明北に到着し、地下鉄に乗り継いでホテルの部屋に戻ったのが20時40分頃である。
 さて夕食であるが、これまたいつものパターンである。ビール2種、チェーンらしき店のチキン、ビールを買った店にあった謎のインスタント担担麺、昨日買って食べ切れずに残していた真空パック2種(これはこの日も残してしまったが)である。
 海外に来たからといって、何も豪華にする必要はない。それよりも、いつもと同じ行動(スーパーなどの安食材)で揃えることによって、各国を比較することもできるのである。

@ただ単にケチなだけかも

■2016.11.6
 さて、この日は東京に帰るだけであるから、旅行記にしても「蛇足」になるだけであろう。
 しかし、昆明空港への移動+空港での出来事は、は中国らしさ満載であった。

・5時00分に出発する始発のバスは、5時10分に出発した(この程度はご愛敬)。
・始発バスで来たというのに、カウンターはすでに人民で超満員である(これも「中国あるある」だが)。チェックインするのに35分を要した。
・北京乗継で2枚の搭乗券を渡されてゲートへ向かったが、よく見ると私の名前が違うではないか(これは初体験)。苗字の出だしがNoで始まっており所々似たところがなくもないが、完全な別人である。もう一度並ぶ時間はないため、人民の列に分け入って最前列まで行き、英語+知りうる限りの中国語(「ビエダレン」「ミンズブーイーヤン」など)を用いて急いで対応してもらった。
・搭乗ゲートが建物の一番先(ちなみに、昆明空港は北京空港第3ターミナルに次いで中国で2番目に大きい)。
・数字通りに並んでいるはずのゲートが、なぜか59番だけ抜けている。慌てて近くにいた係員に尋ねると「あそこ」と返事があり、なぜか少し離れたところにあった。

 ということで、席に着いたのは出発11分前であった。

@空港写真ではつまらないので、猫写真をお楽しみください

 北京では5時間ほど時間があるため、少しだけ市内観光をすることにしている(これこそ蛇足なので、割愛します)。

 

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