国境の町から北朝鮮を望む

■はじめに
 今回の目的地は中国であるが、その先の目的地は北朝鮮である。この国はあまり気軽に訪問できる国ではないが、「ちょっと覗くだけ」ならいくらかの方法がある。今回は、そのうちの一つを実施することとなる。
 訪問地は、延吉と図們である。延吉は吉林省延辺朝鮮族自治州の中心都市であり、人口のかなりの割合を朝鮮民族が占めている(以前は半数以上が朝鮮民族だったらいしが、現在は4割弱まで減っているらしい)。看板等も漢字とハングルの併記が常であり、朝鮮文化(キムチや犬肉など)も広く行き渡っているとのこと。図們は北朝鮮との国境にある町であり、韓国との国境のような厳重警備でない、ちょっと緩やかな国境が経験できるという。
 もちろん、移動には鉄道を絡めている(なんだかんだ言って、それがメインであるため)。哈爾浜発図們行の列車は1日に1本しかないが、これまで何回かお世話になっている上海の旅行社に依頼し、すでに手配済みである。

【旅程】
1日目:羽田から北京経由で哈爾浜へ。夜行列車に乗車。(車内泊)
2日目:図們到着後、市内観光(国境を眺める)。観光後、鉄道で延吉へ戻り延吉市内観光。(延吉泊)
3日目:早朝に市内観光をして、延吉から北京経由で成田へ。

@図們行の行先票

■2015.10.10
 羽田からの北京行に搭乗。今回は中国国内で国内線に乗り換えるため、初めて中国国際航空で行くことにしている。
 今回の旅程で一番気掛かりだったのが、往路の北京での乗り換えが1時間30分しかないという点であった。結果論からすると、「到着が20分遅れ」「沖止め(バス移動)」「イミグレや荷物検査はいつも通りの北京(大混雑)」であったが、なんとか出発の10分前に哈爾浜行に搭乗することができた。あと少し条件が悪ければ、この時点で旅行が終わっていた可能性もあった。

@よりによって沖止め

 哈爾浜にはほぼ予定通りの14時40分に到着したが、想像通りにかなり寒い。バッグに入れてきた防寒着(薄手だが)を着込んで、バスの切符売り場へと向かった。
 調べた限りでは、駅へ行くためには1番系統に乗れば良いはずである。その切符を買って1番乗り場に行って「火車站(鉄道駅)」と言ったところ、「あっちだ」と指を指されてしまった。その方角に行ってみると、どうやら駅へ直行するバスが新設されたようであった。

@なるほど

 連絡バスは15時20分頃に出発し、高速道路上は快走していたが市内に入ってから渋滞に嵌り、駅に到着したのは16時15分頃であった。列車の出発は18時56分だからまだまだ先であるが、哈爾浜市内観光に使える時間はかなり限られてしまった。
 まずは、駅に行って切符の入手である。印刷した紙とパスポートを渡すだけなので実質10秒であるが、中国の大都市の駅で行列がないわけはない。案の定の行列であり、そこで20分ほど待つこととなった。

@小雨の哈爾浜駅

 16時40分頃になり、あと2人で私の番というところで、急に担当が交代になってしまった(私がいた窓口だけでなく、すべての窓口において)。交代自体は日本でもあることだが、その際は人がさっと交代して終わりである。中国の場合は、「引出内にある現金を機械で計算」「それを手で再度計算」「結果を報告書に記入」「それを報告」「次の人が来て準備」となるので、なんと20分くらいかかってしまうのである。計算など裏方でやればいいものを、わざわざ客を待たせてやるとは、いかにも社会主義の弊害のようなやり方である。
 しかも、新しく担当となった駅員がまったく「使えない」女性であった。ネット決済の用紙をあまり見たことがないのか、「これでは出せない」などと言って突き返してくる(詳細は早口すぎて不明)。私が拙い中国語で「これはネットで買ったもの」と言っても、まったく埒が開かない。そのうち私の後ろにいた男性の中国人が業を煮やして、私が印刷してきた紙に載っている予約番号を大声で叫び出して女性を睨み付け、やっと窓口嬢はそれを機械に打ち込み始めた。
 一時はどうなるかと思ったが、取り急ぎ私はその男性に礼を言い、その場を立ち去った。

@なんとかゲット

 この時点で17時を過ぎており、出発の30分前に駅に戻ることを考えると、観光時間は1時間半ないくらいである。取り急ぎ、目を付けておいた東北烈士記念館へ行ってみることにした。ここには、哈爾浜市電が展示されているはずである。
 雨が本格的になってきた中、約15分ほど歩いて行ってみると、確かに市電は展示されていた。幸いにも道路からも見える場所に置いてあったのだが、すでに日は完全に暮れており、なかなかうまく撮影ができない。絞りを調節したりして頑張ってみたが、これが限度である。

@苦しい

 さて、次の目的地は「哈爾浜といえばこれ」とも言うべき中央大街である。行けるかどうか不安であったが、少し早歩き気味に歩みを進めて行くと、なんとか辿り着くことができた。もう真っ暗であるが、いくつかのビルはライトアップされており、なんとか「ロシアっぽい街並み」を堪能することができた。

@もう少しゆっくり見たかったが

 急いで駅へ戻り、駅の売店でビール3本とツマミ(鴨の手と煮卵)、水などを買い、待合室へと向かった。
 中国の旧い駅の待合室は、どこへ行っても暗い雰囲気である(実際に電灯も間引きされていて暗いのだが)。行列もすごいし、荷物も大量であり、息が詰まるような感じがするのは毎度のことである。

@どよ〜ん

 18時37分過ぎに改札が始まったので、ホームへと降りて行った。まずは編成の確認である。先頭から機関車と荷物車があり、1〜5号車が横5列の硬座、6号車が欠番で、7号車が私が乗る軟臥、8〜16号車が三段式寝台である硬臥である。ここで気付いたのだが、食堂車がないのである。距離的に短く、また「特快」や「快速」ではない「普快」であるためであろう。ホーム上に売り子がいたので、慌ててカップラーメン(ついでに哈爾浜名産の腸詰も)を買った。
 各車両にいる車掌に切符を見せ、車内へ。やはり軟臥は居心地が良さそうである。

@こういう寝床

 定刻の18時56分、列車はゆっくりと動き出した。しばらくはそのまま徐行運転を続けている。
 話は少しずれるが、私には中国旅行は精神的にあまり合っていない。窓口で切符を交換するだけで疲れるし(今日は特に酷かった)、インフラも良くないし、探せば色々と粗が出てくる。ではなぜ中国に来るのかというと、それは夜行列車が多く残っているからである。
 夜行列車に乗り込み、酔いどれているうちに就寝して目が覚めると別の世界、というのが好きであり、「あけぼの」や「北陸」などが健在のころはよくそれを実行していたのであるが、今の日本ではそれがほとんどできなくなってしまっているのである。そうして結局、行き着くところが中国になった次第なのである。
 というご託宣はさておき、今日もそれ用の品々を揃えてあるので、さっそく始めるだけである。

@一式(ビールは、当然の如く常温)

 それにしても、哈爾浜ビールは飲み口が変な形をしており、呑みにくいことこの上ない(さっと入ってこない)。こういうところは、早々に日本のを真似してほしいところである。
 食堂車はないが、「水果!」(くだもの)と叫びながら売りに来ている。その他にもワゴンで飲み物は売っているようだが、やはり弁当などは売りに来なかった。
 車掌が来て、切符とカードを交換していく(これも中国ならではの手法)。降りる駅が近くなると、またこれと交換で切符を戻してくれるのである。

@カードと腸詰

 目の前の上下段には夫婦と4歳くらいの子ども、私の上段には男性がおり、意外に混んでいるようである。
 腸詰や鴨の手を齧りながらビールをすすり外を眺めていたのだが、前にいる子どもがじっとこちらの様子を見ている。どうやら、お肉に興味があるようである。そこ子の前にはラーメンがあったのだが、ワゴンが通った際におねだりをして、小さな腸詰を母親に買ってもらっていた。
 すべてを平らげ、締めにラーメンを頂いてから就寝。

■2015.10.11
 朝4時、どこかに停まっているようである(帰国後に時刻表を調べたところ、敦化であった)。寝ぼけ眼で、それを写真に撮っておく。

@意外に乗降客がいた

 もう一度寝て目を覚ますと、5時であった。辺りは「寒村」という表現がぴったりであり、崩れそうな家々がちらほらと見えている。耕作物はトウモロコシばかりであり、まれに米があるという感じである。
 時折駅を通過するが、駅名標にはすでに漢字とハングルが併記されている。
 6時43分に延吉に到着した。出発は50分なのでホームに降りてみると、なんとちらほらと舞っているのは雪ではないか(どうりで寒いはずである)。先頭の機関車の写真でも撮ろうとしたら、駅員から追い払われてしまった(やはり田舎である)。

@なので、こういうアングルで

 各車両からかなりの乗客が降りてしまい、7号車は私だけになってしまった。
 洗面所で顔を洗っていると、定刻より3分早い6時47分に出発してしまった。ここから先は乗客も少ないし、延吉から乗る人自体も少ないのであろう。
 所々で、建設中らしき(それとももう開通しているかもしれない)新線の高架と交差して行った。あちらが中心になると、こちら在来線は淘汰されてしまうのかもしれない。しかし、最近の中国の新線は訳の分からない場所に新駅を作る傾向があるので、逆に不便になりそうである。

@和諧号でも走りそうな高架

 周囲に何もない出来たての図們北駅を過ぎ、トンネルを通ってしばらくすると終着の図們で、7時43分に到着した。
 たいていの駅では出口にタクシーの呼び込みがいて五月蠅いのだが、ここでは「出口に近づいてはならん」というローカルルールがあるらしく、運転手は一段下がった停車帯から大声で呼び込みをしている。

@駅名もハングルが必須

 タクシーに乗るほど大きな町ではないので、歩いて図們大橋へ向かって歩き始めた。この橋は北朝鮮と繋がっており、途中まで歩いて行けるのが目玉なのであるが、行ってみると今日に限ってなんだか工事中であった。仕方ないが、北朝鮮自体は眺めることができるので問題はない。

@感慨深げ

 ここでも、鐡ネタを拾うことにしている。まずは、かの国の鐡ネタである。展望地にある掲示板には「写真を撮るな」と英語や中国語で書いてあるが、他の観光客も普通に撮っているので、私も望遠を最大限に使ってあちらの国の駅をしっかりと捉えることができた。駅の上部には、あの二人の写真がでかでかと掲げてあり、「いかにも」な雰囲気である。

@ちょっと行ってみたい気も(南陽駅)

 もう一つの鐡ネタは、中国と北朝鮮に跨る鉄橋である。この地点から南へ10分ほど歩いたところに鉄橋があり、中国側には堂々たる門も備え付けてある。
(ただしこの施設は軍事施設であるため、写真撮影をする場合は警備の軍人に見られないようにした方がいいであろう。あまり興味がないようであれば、撮影自体しない方が無難である)
  
@鉄橋                                       @中国側にある門

 さて、これで図們で見るべきものは終わったと言える。「せっかくなので冷麺でも食べるか」と思ったが、午前10時前ではまだどの店も開いていない。結局それは諦めて、特に目的もなく市内のあちらこちらを歩き続けた。路上市なども行われており、大量の唐辛子が売られている辺りが中国らしくないところでもある。
 切符を買うためにいったん駅に戻ってみたが、田舎駅だけあって先客は1組だけであった。駅員の態度もとてもよく、英語で「パスポート」などと言ってくれたりもした。

@毎日どこでもこうであれば最高なのだが

 切符を手にしてからはまた市内をぶらぶらし、11時少し前に駅に戻ってきた。冷麺が食べられなかった腹いせは、駅の売店で買った哈爾浜名物の腸詰と缶ビールである(昼から呑んでしまう)。
 待合室でビールを啜っていると11時過ぎに改札が始まったので、ホームへと進んでいった。切符を買う際には「もしかして緑皮車かも」と期待していたが、実際は北京行の空調付ということで、案の定普通の車両(白地に赤色の塗装)であった。

@行先票

 宛がわれた席へ行ってみると、3人席の中央という最悪の場所であった。しかしこの列車が図們から混むはずもなく、当然のように空いている場所が多かったので、発車前にそちらへ移動しておいた。

@こういう席

 延吉までは約50分の所要時間で到着した。
 さて、あとは普通に観光するだけである。駅からひたすら北上し、川を渡ってからは地図を片手に右往左往し、気が付くと「人民公園」というところに辿り着いた。普通の公園かと思っていたが、端の方には無料動物園があり、サルやラクダはまだしもトラが普通にいたので驚いた。

@看板だけ見ると、韓国にいるのか中国にいるのかわからなくなる

 その後は西市場へ行って、あれこれ見て回った。犬肉も普通に(姿そのままに)売られていたが、かなり衝撃的と思われるので、写真は省略(撮影するのも気が引けたが、記念なので一応は撮っておいた)。
 14時を過ぎたのでいったんホテルにチェックインし、シャワーでさっぱりしてからまた市内へと繰り出した。延吉といえば羊肉の串焼きが有名であるが、一人旅で難儀なのは夕食である(お一人様で店に行くのは面倒である)。結局今日も、西市場で鶏の丸焼きや韓国風海苔巻を買ったりして、自室で頂くことにした。

@こんな内容(ビールも食材も中韓折衷)

■2015.10.12
 今日は、飛行機を乗り継いで日本に帰るだけである。その前に、川岸で行われているという朝市へ行ってみることにしている。
 ホテルを5時半過ぎに出発して歩くこと約30分、その場所に辿り着いた。ここへ至る途中の繁華街は閑散としていたのに、朝市会場付近だけはとてつもない賑わいで大混雑であった。いきなり犬肉の大行列(?)があって面食らったが、建物の下はたくさんの飲食店で賑わっており、その先は土手沿いには衣料品や雑貨の店が延々と続いていた。

@最後が犬肉の写真ではインパクトが強すぎるので、普通の写真で

 

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