中国大陸縦断「高包」の旅

■はじめに

 約1年ぶりの中国である。今回の鐡旅の旅程も、若干「風が吹けば桶屋が」方式で決まっている。まずはANAのマイルが溜まったのでその時点で往路香港、復路北京の飛行機を押さえておき(パターンとしては、月曜に有給を取った三連休)、旅立つ3か月くらい前になってから具体的な移動方法を考えた次第である。
 香港から北京に向けては大陸内移動の動脈を成すものであるからかなりの選択肢があると思っていたが、意外にその数は少なかった。まず一番有名な直通車(香港から北京への直通列車)については、出発が2日に1回しかないことと、香港(紅ハム)駅の出発が15時15分であるため、昼過ぎに香港に着く便では乗り継ぐことが難しく(不可能ではないが、飛行機が遅れた時点でアウト)、3連休だけでは日本に戻ってくることができなくなってしまうのである。
 18時00分に広州を出発する快特もあるが、これも飛行機が遅れたり広州への移動で手間取った際にはかなり乗り継ぎが危うい。他には深センや広州からは8時間程度で到着してしまう高速列車があるが、私は基本的に高速列車はあまり好きではない。
 結局、普通に寝台列車で移動できる特快は、広州を朝9時30分に出発するT202次だけであった。

 早速、これまで何回か利用したことのある中国内の旅行社にメールをしたが、快く引き受けてくれたものの、「4月5日からは清明節という祝日で混雑するかもしれないので、代替案を」との返事が来てしまった。春節や国慶節ほどの大混雑にはならないようであるが、どうやらそれなりに混むらしい。
 そこで、以下のような案を旅行社に返信した。

・第一希望 T202次(広州:日曜9時30発、北京西:月曜6時42分着)軟臥下段、高包下段、硬臥下段の順で希望。
・第二希望 T186/187次(深セン:土曜20:09発、天津:日曜21:49 着)+月曜の高速列車(午前に天津から北京まで移動するもの)
・第三希望 G66次(広州:日曜10:00発、北京西:18:00着)

 第三希望ではさすがにつまらなさすぎるが、切符発売日に来ていた旅行社からのメールによると、無事T202次が取れていた。しかし、軟臥は取れなかったため、高包になっていった(よって差額を振り込むこととなった)。
 高包とは「高級軟臥」のことであり、2人用の個室寝台である(日本でいえば、北斗星のツインDXにトイレと洗面を足したようなクラス)。連休のため軟臥が取れずに高い料金を払うことになってしまったが、私個人としては高包に乗車するのは初めてであるため、これはこれで旅のネタとしては充分である。ただ唯一の問題は「2人用」の個室であるため、知らない人と同室になってしまう可能性があるということである(高包の上段=見知らぬ人との個室、となるのでたいていは敬遠されるのであるが、繁忙時期はそれでも買う人がいるので要注意である)。
 ついでに、深センから広州東までの列車も旅行社に手配してもらった(駅で買うことは難しくないが、連休のせいで駅が混雑していると厭なので)。


@広州駅にて

■2014.4.5
 午前9時過ぎに羽田を飛び立ち、定刻より25分ほど遅れた12時55分に香港に到着した。約4年ぶりの香港であるが、今日はひたすら広州を目指さなければならないため、寄り道している暇はない。エアポートエクスプレスで九龍まで行き、そこから無料連絡バスで紅ハムへ、そして地下鉄(9割以上は地上を走るが)で羅湖まで行った。この時点で15時頃。飛行機は遅れてしまったが、上記それぞれの乗り継ぎが3分程度とスムーズであったため、それほど遅れなくて済んだ。清明節(日本でいうお盆でお墓参りをする)であるため、地下鉄の車内には供え物にする花などを抱えている人も数人いた。

@これに乗るのも約4年ぶり

 連休ではあるが国際的な人の移動はそれほど多くないようで、イミグレも10分程度で通過してしまった。予約済みの広州東までの切符を交換した時点で15時15分、列車の出発(16時00分)までは45分と中途半端である。本来の予定では老街まで行って適当にぶらついて「マクドナルド中国大陸1号店」でも見てこようと思っていたが、少し時間が足りない(不可能ではないが、復路の地下鉄券売機で大混雑だったりしたらアウトである)。結局、駅近くを適当に歩いただけで済ませた。

@深セン駅(長距離列車は正面入口から、広州行CRHは駅南側(左手側)から入る)

 出発の15分くらいに改札を通って中に入ったが、電光掲示を見るとなんと「晩14分(14分遅れ)」とあるではないが。だったら老街に行けたのに、と思うが後の祭りである。
 10分に1本程度の発着があるにもかかわらず待合室がかなり狭いため、人で溢れ返っている。運よく1席空いたのでそこに座ってPCをつついていると、16時過ぎにアナウンスがあった。どうやら、前の列車(15時52分発)よりも先に乗車することができるようである。これは私が簡単な中国語を勉強していたため自分の乗る列車番号を聞き取れたからであるが、そうでなければ(英語のアナウンスもないので)乗り遅れる可能性もあるだろう。やはり、海外からの観光客で香港から広州へ移動する場合は、多少値段が高くとも紅ハムからの直通列車をお勧めしたいと思う。

@これにも久々に乗車

 固定式の座席であるが、幸いにも「進行方向側」「窓との相性は良い」「窓側」であった。定刻より18分遅れの16時18分に出発し、広州東には遅れを3分取り戻して17時34分に到着した。車内表示での最高速度は153キロ程度であったが、4年前に乗車した際には200キロくらいだったはずである。例の事故後に速度を抑えたのか、それとも元の表示が「下駄を履かせた」ものであったのかは、知る由もない。
 さて、明日の朝に広州を出発する列車は上記のように手配済みであるが、切符受け取りの際に窓口が混雑していたら難儀である。ためしに広州東駅の長距離専門窓口に行ってみると1か所当たり4人くらいしか並んでいなかったので、今日ここで発券してもらうことにした(他駅出発の切符を発券する場合5元の手数料を取られることがあるが、広州と広州東のように隣り合うターミナル駅の場合は大丈夫のようで、料金は取られなかった)。

@無事に発券

 その後は地下鉄で珠江沿いにある安ホテルへ行き、荷を置いてから珠江沿いや西洋の面影が残る沙面方面へぶらぶらと歩いて行ってみた。
 残念な出来事としては、「スマホスリ」を目の前で目撃してしまったことである。ニュース等で聞いてはいたが、彼は大きなピンセットを使って堂々と女性のタイトスカートからスマホを抜き取っていた。
 私の目の前での出来事だったので、大声で指摘すれば盗人の存在を知らしめることはできたが、私もこの年ではまだ死にたくはないので、見て見ぬふりをした(中国は、車に轢かれた人を見捨てて(助けると「お前が犯人だろう」となってしまうから)、倒れている老人も見捨てる(助けると「お前のせいで具合が悪くなった」とされるから)国なのである)。ましてや異国の地で、一人で犯罪組織相手に立ち振る舞ったところで、消されるだけだろう。

@景色は綺麗ですが、持ち物には注意を(手を入れて歩くorボタン付きのポケット推奨)

 現に、大賑わいの交差点での出来事であったため私以外にも見ていた人はいるはずだが、誰も声を上げる者はいなかった。盗られた女性は違和感に気づいてすぐに慌てて周囲を見回していたが、諦めてもらうしかないだろう(彼女が一般人だとしたら、スマホ再購入による出費はかなり痛いであろうが)。
 珠江沿いの広場では、障碍者団体がコンサートを催しており、意外に多くの人がお金をあげていた。そういう「中国の意外な一面」と、スリやそれを看過する人々という「やっぱり中国」な面を見せられ、複雑な心中になってしまった。
 それはさておき、鐡ネタなどないだろうと思って歩いたが、沙面のとあるレストランの敷地内に旧い車両が置いてあった(どうやら食堂の一部として使用されているようである)。出発前に「広州」「鉄道」「展示」などで検索したが何も見つけられなかったので期待していなかったが、意外な収穫であった。

@一応鐡ネタ(暗かったので、翌朝撮影)

 その後は、ウイグル族っぽい人が道端で羊肉の串を焼いていたので5本ほど買い、チェーン店で弁当を、小さなスーパーでビールや水を買って部屋に戻った。

■2014.4.6
 残念ながら雨模様(降ったり止んだり)である。しかしホテルの部屋にいても仕様がないので、近隣の観光スポットへ歩いて行ってみた。
 まずは、石室聖心大聖堂へ行ってみる。ここ広州は古くから西洋への門戸となっていたため、沙面と同様に西洋的な雰囲気を残しているものが多い。

@まだ7時過ぎでしたが、中にも入れました

 その後は、グーグルマップを片手に名も知らぬ小路に入ってみたりした。フィリピンなどでは治安の関係でやる気にならないが、中国なら大丈夫である(良くも悪くも公安の力が強いので)。
 時間的に、あちこちに朝食の屋台が出ている。一度そういうところで買ってみたいとは思っていたが、中身が見えないのでそれなりの交渉が必要である。そこでふと歩いていた際に、たまたま別の人が買っているところだったので、「私も、それ」という風に注文してみた。
 きしめんのような麺で、具は僅かなネギと肉片(見つけるのが困難)だけ。しかし、たったの3元(50円程度)ならば、充分であろう。

@おいしく頂きました

 その後は沙面を散歩し、出来て間もない地下鉄6号線(まだ完成していない駅もあり、車内の掲示にはあるのにまだ存在していない駅もあった)などを乗り継いで広州駅へと向かった。
 出発までまだ1時間ほどあるが、駅構内ですべきことは夕食のツマミとビールの入手である(ビールは車内でも買えるが、どうせ常温なので、出発前に好きな銘柄を好きなだけ買っておく方がよい)。

@雨の広州駅

 あれこれ買い物をしても、まだ時刻は9時前である。駅の2階の右手奥に「軟席候車室(Soft Seat Waiting Room)」というのがあり、私が持っている切符なら当然利用できるはずであるから入ってみることにした。入口にいた女性係員に切符を見せて入ってみたが、豪華なソファー(ただし古い)が山ほど並んでいるだけで、特に飲み物や軽食があるわけではない。先客はおじさん2人だけで閑散としていたが、政府要人などで列車が占領されるような日は、おそらくここが大賑わいになるに違いない。

@無味乾燥

 9時10分頃に女性係員が来て何か言ったので(聞き取れたのは「どの列車」だけ)、「ベィジンシー(北京西)」と答えると、どうやら列車が入線したというので(聞き取れた言葉は皆無だが、雰囲気で判断)、荷物をまとめた。
 さすがにVIP用待合室だけあって、そこからホームに直結しており、目の前にちょうど列車が入線してきたところであった。なおこのT202次は広州始発ではなく、前日に海南島にある三亜を出発してはるばる走行してきている。海を渡る際には客車部分がそのまま船に乗せられるのでかなり興味があるが、三亜から乗車するには週末+αだけでは不十分で、かなりの大旅行となってしまう(でもそのうち乗ってみたい)。

@ここまで引っ張ってきた機関車の側面

 牽引してきた機関車を先頭に、1〜6号車(硬臥)、7号車(軟臥)、8号車(高包)、9号車(食堂車)、10〜14号車(硬臥)、15〜17号車(硬座)、荷物車、の順であった(出発まで20分あったので余裕をもっていたが、いかんせん長編成なので、編成内容をチェックするだけで10分もかかってしまい、かなり疲れてしまった)。

@8号車(1両に8室しかないため、窓の間隔も広い)

 さて、初めての高包である。室内に入ってみると、左手に2段ベッド、右手にはトイレと洗面の小部屋があり、その奥にはソファーがある。ソファーの奥には小さなクローゼットもあり、天井部分には荷物置き場。その他の設備としては、TV、金庫(ベッドの下)、スリッパなどである(以前は備えてあった車内電話は、取り外された模様)。
 軟臥のコンパートメントの片方をトイレやソファーにしただけかと思っていたが、ベッド自体も軟臥より幅が広い物であった。正確な寸法は知らないが、この1室だけで軟臥のコンパートメントの1.3倍くらい、硬座でいえば3.5列分(17.5人分)のスペースはあるだろう。

@初体験

 広州から北京西までの料金は1,445元(約2万5,000円)である。飛行機でも1,000元程度で移動できるため、高包に乗車するのはよっぽどの金持ちか時間に余裕のある人、もしくは飛行機にトラウマがあるか、鉄道に異様な執着心がある人(例:私)くらいであろう。しかし、占有しているスペースを考慮すると、それほど高くはないとも言える(硬座でも251元するわけで、あの小さくて狭い座席の6倍しかしないと思えば安いものである)。

@クローゼットを開けてみる

 あれこれ室内検証をしてからソファーに座ってみると、意外に沈み込みが深い。これでは外が見えにくいな…と思っていると、定刻の9時30分に列車は後ろ方面に動き出した(広州でスイッチバックになるとは知らなかった)。おかげで、移動中はベッド側に座って外を眺めることができた。
 幸いにも、同室者はなく私一人で貸切である。同行者がいてもそれはそれで旅の醍醐味であろうが、いかんせん私の中国語能力は幼児程度であるし、せっかくの豪華個室なので独り占めしてプライベートを楽しんだ方が良いであろう。
 左手には、広州南から北京までつながっている高速鉄道(京港旅客専用線)の高架が見えている。来年には香港まで開通する予定で、高速鉄道があまり好きではない私も、開通後には一度くらいは乗ってみたいと思っている。
 じきに高架がどこかに消え、最初の停車駅である韶関東には定刻より7分早い11時35分に到着した。

@この駅はホームが低い(昔のもの)

 早着するぶんには別に構わないが、同駅出発は定刻より3分早い11時45分であった。しかし、中国では改札で入場制限をしているので、ホーム上の乗客が乗ってしまえば問題ないのかもしれない。
 さて、時間は昼時である。中国の列車にありがちな「食堂車で作った弁当のワゴン販売」でも来たら買おうと思っていたが、なかなかやってこない。隣にある食堂車に行ってみると席が空いていたので、せっかくなのでここで注文することにした。
 メニューは手書きで、単品は6品で25〜40元、スープが10元、ご飯が3元でビールが6元である。漢字で内容を推測し、「小瓜炒牛肉」(30元)とご飯を注文した。

@久々の食堂車

 すぐに供されたが、肉が少なくて瓜ばっかりである。一瞬「あのおじさんが食べている回鍋肉にすればよかった…」と思ったが、瓜が意外に甘くて美味であり、完食することができた。ちなみにこの列車は、広州鉄道局の所属である。「食在広州」なので、もしかしたら料理人の腕がいいのかもしれない。料理を平らげた後は、すぐに部屋に戻った。
 この列車は大陸を南北に横断するが、沿線風景は至って地味である(烏魯木斉行の列車のように「朝起きたら大砂漠」のような驚きはない)。ただでさえ地味なのに、今日は雨模様である。時々「これは」と思ってカメラを用意しても、ピントが手前にある水滴に合ってしまったりして、結局はしばらくの時間ぼぉっとして車内を過ごした。

@窓も汚い

 次の停車駅であるチン州には、またしても4分早着の13時15分に到着した。ホーム上にはワゴンの弁当売りが何人かいて、相場は「弁当15元、スープ3元」であり、当然であるが食堂車よりは安くなっている。中国のホーム上で売っている弁当はまだ買ったことがないので、この先チャンスがあれば買ってみようと思う(といっても、次の停車駅である長沙しかチャンスはないが)。
 同駅を1分早発の13時24分に出発し、再び地味な沿線風景の中を走り続け、長沙には6分早着の16時45分に到着した。ホームに降りてみると目の前に弁当売りがいたので、15元の弁当を一つ買って車内に戻った。ほかほか(というよりはアツアツ)なのですぐに食べるのがいいのだろうが、まだ腹は減っていないし、夜まで取っておく予定である。無駄な抵抗かもしれないが、掛け布団と枕の下に弁当を閉まっておいた(意外に保温効果はあったが)。
 ホーム上からは、向かいの列車から降りた乗客がこちらの車内をじろじろと見ながら歩いていく。硬座などに座ってきた人にとって、テレビやソファー、花まで(造花だが)あるこの車両は、特異なものに映っているのかもしれない。

@ちょっと気恥ずかしい

 同駅を定刻の16時57分に出発。沿線は相も変わらず地味である。テレビは1チャンネルしかなく、どうせ本格的な中国語はわからないので放っておいたが、なぜだか時折日本語が混じっている気がする。よくよく見てみると、抗日スパイ映画の「風声」というものであった(帰国後に調べた)。
 18時半を過ぎた頃から、車内放送が食堂車の案内をし始めた(わかる単語は「ツァンチャー(餐車=食堂車)」などほんのわずかであるが、メニューを羅列していることは判明できる)。その反面、弁当のワゴン売りはまったくやってこない。私の経験上、中国の長距離列車の食堂車はワゴン売りがメインで、食堂車自体は「関係者の休憩所」になっているのが大半であったが、このT202次の食堂車は「真面目に」営業しているようである。
 それはさておき、ツマミもビールも弁当も購入済みである。それらをテーブル上に広げ、19時頃から一杯やりはじめた。

@3種類買った肉のうち、“当たり”はアヒルさん(弁当は「値段相応」の味)

 食材を平らげ、下段ベッドで就寝。20時16分に武昌を出発すると長江を渡るはずであり、地味なこの路線で数少ない見所であるが、時間からして真っ暗で何も見えないと思われるので、停まった感覚だけは覚えているが毛布に潜ったまま寝過ごしてしまった。

■2014.4.7
 夜中に目を覚ましてトイレで用を済ませ、ベッドに戻るとどこかの駅に停車した。時刻は0時55分、ほぼ定刻(1分早着)で鄭州に到着したようである。ここで、私の部屋の上段にも若い女性が乗ってきた。高いお金を出して、見知らぬ乗客と同室になってまで高包の上段に乗るということは、やはり連休ということもあって混雑しているのであろう。
 そのまま再度寝入り、起きたのは5時30分頃、当たりはすでに薄明るくなっていた。6時半頃からやっと建物が増え、終点の北京西には定刻から9分遅れの6時51分に到着した。

@北京西の駅舎は壮大なものと聞いていたので、あえて外に出て撮影

 一面の晴天であり、PM2.5対策で持ってきたマスクも今日は必要なさそうである。
 さて、帰りの飛行機は15時45分発であるため、かなりの時間がある。最初の考えでは、八達嶺まで行って万里の長城でも見ようかと思っていた(ちょっとした鐡旅と世界遺産観光もできる)。しかし、問題は連休で混んでいるかもしれないという点である。八達嶺行の列車は2011年に料金が大幅値引きとなり、指定制も廃止されたので乗りやすくなったのだが、しかし「定員制」であるため、混んでいたのでは列車に乗れない可能性もある。そこで、今回は諦めることにした(北京に戻ってこられないのでは一大事)。
 代替案として考えたのが、北京近郊ではめっきり減ってきた「緑皮車」(非空調の普通列車)に乗る、である。車両運用に関する詳細はわからないが、北京北駅を9時12分に出発する4471次(承コ行)は、その料金(他の列車の半額以下)からして確実に緑皮車と思われる。よって、まずは北京北へ移動して件の切符を入手することにした。

@さすがにこの時間は窓口も空いている

 切符を手にしたのが7時30分過ぎ、出発まではまだまだ時間がある。かといって博物館系の開館時間はたいてい9時か10時である。そこで、隣駅にある北京動物園が7時半から開いているので、すでに訪問済みであるが再訪することにした。
 20元の切符を買い入園し、早速パンダのところへ行った。最初は眠そうであったが、そのうち朝食を貪り食う元気なパンダを見ることができた(改装中らしく展示施設が限られており、今日は3匹しか見られなかったが)。

@定番

 連休ということもあり、次第に園内は混雑していった(外国人観光客も多い)。滞在時間は45分程度であったが、結局そのほとんどをパンダを見て過ごしてしまった。
 9時頃に北京北に戻り、ホームへと向かった。北京北は他のターミナルと同様に新しくて巨大な駅であり、中国にありがちな長大な列車を迎えるために当然ホームも長いものである。4471次はすでに入線していたが、どういうわけか櫛形ホームの先っぽの方に停車している(他のホームの列車も同様の形態で停まっている)。
 民主主義的な考えであれば、乗客がホームを歩かなくて済むように奥の方まで入線するのが当然であるが、まったくもって理解しがたい停車方法である。

@遠い!(発車直前にホームに来たのでは間に合いません)

 ホーム上を2〜3分も歩いて、4471次の方へ向かっていった。編成は8両で、すべて緑皮車である。ホーム上に乗客はまったくおらず、車内にもまったくいない。私が乗ろうとしている3号車にだけ、ちらほらと20人くらいの乗客がいるだけである。
 ガラガラではあるが、中国内の他の列車と同様に、1両に1人の車掌がいる。他の車掌や関係者もホーム上におり、中国では鉄道の写真撮影をしても別に咎められないが、なんだか撮影しにくい雰囲気である。

@望遠で遠目から撮影

 定刻より少し早い9時11分に、列車は出発した。もったいぶったかのような超低速で、40キロも出ていないのではないだろうか。すぐ隣には地下鉄13号線の路盤が沿っているが、あちらの方が格段にスピードが速く、運転本数も比較にならないほど多い(遅いのが目的でこの列車に乗っているのではあるが)。
 乗客と変わらないくらいの車掌の数にも驚かされるが、なんと車内販売もいた(飲み物やラーメン程度しか売ってないが)。承コの到着予定時刻は19時08分、最後までこのままということはないだろうから、どこかの区間で需要があるのだろう。
 座席は薄いビニール製で、当然空調はなく、窓枠も木製で、これは緑皮車の中でも古い部類に入るのかもしれない。

@写真では綺麗に見えてしまいますが

 9時19分、最初の停車駅である清華園に到着した。予定では、いきなりここで22分の停車である。左手すぐには地下鉄の駅もあり、停車中にもどんどんと追い抜いて行った。
 しばらくすると、対向列車(八達嶺方面からの列車)が入線してきた。まだ朝早いが、すでにデッキや通路に立っている人もいる。この時刻に乗車している=日帰り観光客ではないから、昼以降はもっと混雑するであろうし、やはり八達嶺には行かなくて正解であったと思う。

@でも、そのうちこれにも乗ります

 同駅を定刻より2分早い9時39分に出発し、次の清河も同様に定刻より3分早い9時50分に出発した。日本でこんなことをして、仮に直前に駅に来た乗客が乗れなければ大問題になるであろうが、ここは良くも悪くも中国なので、これで問題はないのだろう。
 目的地の沙河には、定刻より4分早い10時02分に到着した。何人か乗車したが、下車したのは私1人だけである。列車は、何事もなかったかのように4分早発で出発していった。
 ホーム上には駅員しかいないが、もう二度と来ることはないと思われるので、彼らを気にせず走りゆく列車の動画や写真を収めたりした。

@もう少し乗りたかったかも

 どうやら駅周辺は工事中であり、駅員は「あっちから出ろ」という感じで指差している。言われるがまま引込線を跨いで駅の外へと出て行った。駅周辺は小さな市場などもあり、意外に賑やかであった。

@駅です(ゴーストタウンではありません)

 これで、今回の鐡旅は終了である。あとは、タクシーで地下鉄の鞏華城まで行き(3キロ程度なので歩けない距離ではないが、グーグルの衛星写真で見てみるとあまりにも駅周辺に何もなかったので珍しくタクシーを利用)、そしてオリンピックスタジアム周辺をおのぼりさん的に観光し、空港へ向かうだけである。

 

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