「T132/133次」2249公里(運行時間24:00)

はじめに
 上海発大連行のT132/133次(上海出発時はT132次で、途中で変わる)は、上海発の列車で唯一東北地方へ行く特快である。地図で見れば一目瞭然であるが、黄海を横切れば最短距離で辿り着ける両都市を、ぐるりと迂回するようにして行くようになっている(ただし、沿岸部を通らないので海は見えないが)。
 この列車には少し特異なところがあり、それは上海出発時刻が14時38分で、大連到着が翌日の14時38分、つまりちょうど24時間というところである。世界中で探せば他にもあるのかもしれないが、いずれにせよ珍しい。もとより、時刻通りに走る保証はないので(遅れるのが普通であるため)、形の上だけでの珍しさでしかないとも言えるが。

@行先票

■2013.4.5
 今回はマイル特典を使用した航空券であるが、往路は羽田発(関西空港経由)上海(浦東)行となっている。こうすることにより、出発を自宅に近い羽田出発にすることができ、上海着も成田発より30分くらい早いため、列車への乗り換えに余裕を持たせられるためである。
 上海到着後は、リニア乗り場へと向かう。上海はこれまで何回か訪問しているがすべて虹橋空港であったため、今回初めてリニアに乗ることができる。
 乗り場へと向かい、今日の航空券を提示して割引の40元の切符を買う(それでも地下鉄に比べれば恐ろしく高いが)。改札を通り、しばらく待たされてからホームへと降りた。

@初体験(ホームが暗くて写りが悪かったので、この写真は竜陽路に到着後の写真)

 空港側の1両の半分だけが貴賓席であり、それ以外は横に6人座れる普通席であった。ただし最前方の車両だけは、普通席と同じ座席なのに4人掛けであった。
 ほどなくして出発。加速はなかなかであるが、意外に揺れがあり音も大きい。今日は雨であるためか、最高速度は謳い文句の430キロに届かず、301キロまでであった。
 ほんの8分程度で終着の竜陽路に到着した後は、リニアの当日の領収書があれば無料で見ることができる上海磁浮交通科学館をしばらく見学し、それから地下鉄で上海駅へと向かった。
 駅の東隣にある切符売り場で、旅行社を通して手配済みの切符を打ち出してもらった。電光掲示板を見ると、今日の大連行はすべて満席のようである。それにしても、中国の切符入り場はどこも酷い喧噪で、切符を手にするだけで疲れてしまう。

@無事ゲット(後ろが空いているのは、高速鉄道の窓口だから)

 旅程を凝ったため、1時間ほど余裕がある。小雨の中しばらく駅付近を散策して、今晩用のツマミやビールをコンビニで買ったりした。ビールを今の時刻に買ったのではぬるくなってしまうのは先刻承知であるが、中国ではどうせ車内で買っても常温であるため、これで問題はない。
 荷物検査をして駅舎に入り、指定されている待合室へと向かう。こちらについても、切符売り場と同様の大賑わいである。しかも天井の蛍光灯が付いていないため、異様な雰囲気でもある。

@暗闇

 出発の20分くらい前に改札が始まったので、ホームへ降りて行った。最初は先頭まで行ってみようとしたが、まだ機関車が連結されていなくて中途半端な位置に停まっている。仕方なく、編成を確認しながら後ろの方へ歩いて行くことにした。なお、改札を通ったほとんどの人民は、大きな荷物を抱えながら後ろの方へ走っている。つまり、硬座車がそちらに連結されているということであろう。
 ぱっと見た感じでは、1号車〜12号車が硬臥車(3段寝台)、13号車が私の寝床となる軟臥(2段寝台)、14号車が食堂車、15号車〜17号車が硬座車で、その先に1両の荷物車が連結されていた。

@階段の上から

 車両入口にいる車掌に切符を見せ、車内に入る。これまで乗ったことのある軟臥と比較すると少し車両が古いが、進行方向に向かった側の寝台であったし、足元にはコンセントもあったので充分である(ただし、窓が少し汚れているのが玉に瑕であるが)。
 列車は、定刻の14時38分に出発した。早起きだったため少しウトウトとしてしまったが、2つほど隣りのコンパートメントからは、軟臥らしくない騒がしい4人組が音楽を大音量で流していたりして、少しく煩い。
 雨模様の中、並走するCRH(高速鉄道)に何本も抜かれて行く。かといってこちらが遅いわけではなく、恐らく120〜130キロは出ているはずである(あちらが速すぎるだけ)。

@抜かれた直後

 季節柄菜の花が満開で綺麗であり、所々で密集した花畑があるのだが、残念ながら雨模様(と窓の汚れ)で撮影はままならなかった。
 それまでは定刻から2分ほど遅れていたが、常州到着で定刻に戻った。ここで私のコンパートメントも満員になり、私の前には人の良さそうなおじさんが乗ってきた。
 騒がしいコンパートメントからの音楽は、いつの間にか日本語(テレサ・テンや千昌夫)になっている。目の前のおじさんは、やたらリンゴやミカンを私に勧めてくる(断るのも悪いので1つだけもらい、お返しにお菓子をあげた)。
 夕方17時過ぎ、夕食を売るワゴンがやってきたので、まだ少し早いがそれを買うことにした。同室のおじさんが私のことを「イーヴェンレン(日本人)」と言うと、売り子のおばさんは「ニホンジンー?」と言っていた。

@20元(+上海で買ったビールとツマミで晩餐)

 ビールと弁当をつつきながら、まだ明るい外を見続ける。室内にはおじさんの知り合いらしきおばさん2人がやってきて、あれこれ話し合っている。ちょっとしたことで私も巻き込まれるが、残念ながら私の中国語能力は幼児以下である。おばさんたちは、私がプリントアウトしてきたこの列車の時刻表を手にしながら、あれやこれやと盛り上がっていた。
 南京到着は、定刻より3分遅れの18時00分であった。南京出発後しばらくすると、長江大橋を渡り始める。まともな撮影ができないことは十分承知であるが、とりあえずシャッターを押してみる。

@もちろん失敗

 薄暗くなってきたので、そのまま就寝。

■2013.4.6
 目が覚めると、まだ暗闇であった。しばらくして停車の感覚がしたので起きてみると、天津であった。時刻は4時43分、定刻より13分の遅れである。元々11分の停車時間があったので遅れを取り戻すのかと思ったが、かなり停車して定刻から19分遅れの5時01分に出発した。普通は遅れるのは好ましくないが、天津から先は初めて乗る区間であるので、明るい時間帯が増えると思えば嬉しくもある。
 左手には、高速鉄道の路盤が工事中である。そのうち、北京から大連方面に繋がっていくのであろう。

@朝もや

 しばらくすると、辺りは霧だらけになってしまった。ほどなくすると霧が消えうせ、唐山には6時13分に到着した。ホーム上の人々の吐く息も白くなり、寒そうである。
 辺りは、「寒村」という名がぴったりの風景である。日本では消えて久しいオート三輪が走り、所々で馬やロバがトラクターの代わりに仕事をしている。
 7時05分頃、左手にある旧い路盤跡に何故かSLが放置しているのが見えてきた。飾っているのであろうが、それにしても風雨に晒されっぱなしで朽ち果ててしまっている。

@なぜかSL

 様々な路盤(他の路線や貨物線)と絡み合っているので、色々な列車とすれ違ったり追い抜いたりして行く。そのうち、右手に貨物列車と並走し始めた。かなり長大な貨物列車であり、それ自体は不思議なことでもなんでもないのだが、ふと見ると編成の途中に電気機関車が挟まれているではないか。重連(複数の機関車)で牽引することはよくあるが、貨物の途中に機関車を挟むというのは聞いたことがない(私が無知なだけかもしれないが)。
 これは私の邪推だが、行先の違う2つの貨物列車を繋げば、そのまま途中で分割することが可能である。そういう目的でこうなっているのかどうかは、判断しきれないのであるが。

@中国ではよくあること?

 続いて右手には、哈爾浜行の快特と並走し始めた。複々線の路盤が複雑に絡み合っているので、しばらくするとその列車が左手になり、追い抜いたり追い抜かれたりを繰り返して、山海関にはお互い同時の8時20分(こちらは定刻から25分遅れ)に到着した。出発予定時刻は8時03分であったが、ホーム上の電光掲示はすでに8時23分になっている(意外に臨機応変である)。それでも3分間の停車時間しかないが、ふと見上げると28分に再修正されたので、ホームへ降りて向かいに停まっている緑皮車などを撮影したりした(今回の列車は各駅での停車時間が比較的短かったため、ホームに降りたのはこの1回限りであった)。
 ここ山海関といえば近くに老龍頭(万里の長城の出発点)があるが、残念ながら車窓では確認できない。その代りに、ホーム端にあった龍の像でその代替とする。

@龍2匹(入線時に車内から撮影)

 結局、出発したのは8時32分であった。続いての停車駅は錦州で、定刻より26分遅れの10時16分であった。ホーム上はたくさんの人で溢れており、列車からの乗り降りが激しい。私の前にいたおじさんもここで降り、代わりに若い男性が乗ってきた。
 錦州を出発した後、11時近くになって昼飯のワゴンが来たので、例のおばさんから1つ買った。弁当を指差して「イーグァ(一個)」と言うと、「20エンデース」と言う。「日本語上手ですね」と言うと、「スコシダケー」と返ってくる。そういえば、大連は日本語教育熱が高いというのを読んだことがあるので、もしかしたらおばさんは大連の人なのかもしれない(この列車は、大連鉄道局の所属である)。

@昼も20元

 辺りは相変わらず寒村風景であるが、それに似つかわしくない高速鉄道と高速道路の高架があちらこちらで工事中である。
 大石橋には、12時12分に到着した。ここでも人民の乗り降りが激しい。駅の建物は年季が入っており、私のちょうど横には朽ち果てたベルが掛かっていた。大昔はあれも使用されていたのだろうなと思って写真に撮ってみたら、なんと発車前になったらそれが実際に鳴り始めた。

@まさかの現役(配線とかは大丈夫?)

 それまでは基本的に東方面に走っていたが、哈爾浜方面の路盤と合流してからは南南西へと向きを変え、ひたすら大連を目指していった。辺りには新築のマンションが多いが、あまり人の住んでいる雰囲気はない。中国の大都市では不動産が投機目的だけで売り買いされていると聞いたことがあるが、もしかしたら地方都市でもそういう一面があるのかもしれない。
 次第に高層ビルが多くなり、進行方向を東へと変えて、終点の大連に到着したのは定刻から24分遅れの15時02分であった。

@無事到着

 さて、まだ日暮れまで3時間以上あり、今日はこれから大連周辺の鐡ネタをいくつか拾う予定である。
 まずは、市内の路面電車に乗るために駅前に出て行く。さすがに東北部であって、晴れているとはいえ上海とは違って風が冷たい。
 路面電車はすぐに来たが、新型の車両である。これから乗る203系統には旧型電車もまだ現役であるので、できればそれに乗りたい。しかし次にやってきたのも新型であったため、仕方なくそれに乗り込んだ。

@1乗車1元

 世紀街という電停で路面電車を降り、満鉄旧跡陳列館へと向かった。この施設は満州鉄道の旧本社だったもので、一般公開しているものである(この施設が16時に閉まってしまうため、旧型電車を待たずに急いで来たのである)。
 しかし、どうやら今日は開いていないようであった。仕方がないので、近場にあった旧満鉄関係の建物や、展示しているSL毛沢東号のミニチュアなどを見て時間をつぶした。
 路面電車で駅方面へ戻ってもいいのだが、初めての大連であるので、歩いて中山広場にある日本統治時代の建物を色々見たりしてから、駅にほど近いホテルへと向かった。部屋は広くて32階からの眺めはすばらしく、5千円未満であるから充分納得である。

@ホテルからの景色

 さて、まだ鐡ネタはある。2003年に開通した大連快軌というもので、大連の開発区など振興開発地域への路線である。
 最低限の荷物だけを持ち、先ほど下車した大連駅の北側にある大連快軌用の大連駅へと向かった。コンコースはなぜか混雑していたが、これはほとんどの切符自動販売機が故障していたためである(中国ではよくあることである)。
 筆談で開発区までの切符を買い、ホームへと向かった(すべてを乗り潰したのでは日が暮れてしまうので、途中までのお試し乗車である)。

@こういう車両

 車内はそれなりに混雑している。普通の近郊列車に乗っている感じであり、各駅での乗り降りもそれなりにあった。「快軌」という名前の割に速度は特に速くはなく、いたって普通である。
 車窓として目立つのは、建設中の高層ビル・崩れかかった旧い街並み・すでに整地された後の土地、という3点セットである。所々にある旧い家々も、じきに取り壊されてしまうのであろう。

@都市開発という名のもとに消されていく

 中国の社会的歪みを見せつけられるかのような景色を見続けた後、開発区では特にすることもないのですぐに折り返した。
 大連に戻ってからは、明日の旅順までの切符を買いに窓口へ向かった。6時42分発の旅順行はあったのだが、折り返しの9時02分発の列車が運休日であるという。仕方ないので、片道だけを買った。大連から旅順までのメインの交通機関はバスであるから、それで戻ってくればいいだろう。バス情報はまったく調べていないが、ホテルのネット環境が整っているため、これから調べればよい。
 ホテルへ戻る途中、屋台でクレープ状の生地に多種類の野菜を包んでいるものを買った(実は錦州から乗ってきた男性がそれを目の前で食べていて、気になっていたのである)。

@こういう買い物が海外旅行の醍醐味(生野菜が怖いのは十分承知)

 その後はショッピングセンターの地下にあったスーパーで鴨肉などの惣菜を買い、ホテルで旅順のバス情報検索などをしながら酔いどれた。

■2013.4.7
 6時過ぎにホテルを出て、大連駅へと向かった。この駅舎は日本統治時代に普請されたものであり、上野駅を模しているという。

@朝の大連駅

 切符を見せ駅構内に入り、しばらくして改札が始まってからホームへと降りて行った。鎮座していたのは、中国の庶民的客車を代表する緑皮車である。最近の硬座車は意外に豪華な座席であったりするが、この緑皮車の旧いタイプはまさに「虐げられる人民」を代表するものであり、夏は蒸し風呂、冬は冷凍庫となる代物である。私は以前、烏魯木斉から奎屯へ行く時に乗ったことがあり、乗車するのは今回で2回目である。
 席は自由席であり「无座」となっているが、号車だけは割り振られている。機関車の写真を撮った後、私は指定されている1号車へ向かった。

@こういう車両

 車内に入ってみたが、当然暖房はなく4月とはいえかなり寒い。前回乗車した時は汚いカーテンがあったのだが(窓の隙間から雪が舞い込んでくるので、それで避けていた)、今回はそれすらない。車内の電灯もついておらず、相変わらずサービスは最低限である。こういうのに乗ろうとするのは、よほどの事情があるか、よほどの鉄道好きだけである。
 しかし緑皮車でも造られた時代やその後の改造、車両のグレードなどによって差異があり、向かいに停まっている斉斉哈爾行の緑皮車には暖房があるようで、ストーブの煙のようなものがモクモクと上がっていた。
 列車は、定刻に出発した。車内は閑散としていたが、次の沙河口で乗客がわらわらと乗ってきて、その次の周水子ではさらに大勢が乗り込んできてほぼ満席となった。

@大連空港のすぐ脇を通っていく

 車内の多くのグループはトランプに興じており、大騒ぎを通り越してパチンコ屋の店内のような喧噪である。手持ちの札を順番に出しているが、大貧民とはルールがかなり違っていた(そもそも、トランプを2セット使用している)。
 大混雑(と大喧噪)の車内であったが、7時31分に到着した駅でほとんどが降りてしまった。近場には「中国液力」などいくつかの会社や工場があり、トランプに熱中していた人々は各々の会社へと散って行った。
 その後は止まる駅ごとに数人が降り、終点の旅順には8時25分に到着した。この駅舎はロシア統治時代に普請されたものであり、今日の列車は日本統治からロシア統治の駅舎に向かって行くという、なかなか趣深いものだったのである。

@瀟洒な建物

 さて、旅順バスターミナルの場所はおおよそ掴んでおり、その前に白玉山に寄って観光をすることにしている(鉄道往復では観光ができない予定であったが、バスにしたからこそ時間に余裕ができ観光が可能になった)。
 さくさくと南方面へ歩き出したが、これまで乗ってきた列車の機関車が付け替えをする(客車の反対側に移動する)ために移動してきている。それが、なぜか車道の真ん中まで飛び出してきて作業をしており、踏切も何もない場所であるので車のクラクションと機関車のホーンが入り乱れて大変なことになっていた。まず、日本ではありえない風景である。

@何故?

 息を切らせながら白玉山の頂上まで登り、快晴のため大変美しい旅順の海と島を眺めた。203高地方面も透き通るように晴れ渡っており、次回はゆっくりと時間をかけて観光をしたい所である。
 その後はバスターミナルへ行き、大連駅までの切符を買った。使用言語はすべて中国語のみであり、私が西洋人ならお手上げの状態であるが、「快客」「公交」「直達」など、実際はすべて簡体字であるが、日本人なら漢字の雰囲気でなんとかなるものである。それらしき切符を買い、それらしき乗り場に並び、それらしきバスへと乗り込んだ。
 大連駅直前で工事渋滞に嵌ってしまったが、なんとか11時頃に戻ることができた。後はホテルへ戻り、タクシーで大連空港へ行って成田へ飛び立つだけである。

@旅順の海

 

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