中国で新幹線寝台列車などに乗る

はじめに
 昨今、新聞紙上は中国に関するニュースで溢れている。尖閣諸島に関する政治問題やそれに伴うレアアース輸出問題、そしてノーベル平和賞受賞に関するものまで、正直なところあまり良いものは多くはない(悪いイメージばかりが多い)が、いずれにせよ話題には事欠かない。
 その一つとして、今年ついにGDPにおいて日本を抜いて世界2位となることが確実になった、というものがある。もちろん、世界で一番多い人口を抱えているために一人当たりのGDPはまだまだ途上国並であるが、それでもここ数年の経済発展は目覚ましく、都市部における一部富裕層の生活水準などは日本と変わらない程になってきている。
 鉄道においても同様であり、中国の鉄道といえば、一昔前のイメージでは「汚い・遅い」づくしであり、今でも一部の路線や価格の安い座席では変わっていないが、ここ数年は最新技術を使用した鉄道が次々と開通している。上海浦東空港からのリニアモーターカー然り、それ以外にも時速200キロを超える高速鉄道車両(和諧号、China Railway High-speed;CRH)が各地で走行し始めている。私も今年の5月末に、広州から深センまでCRHに乗車してきた(鐡旅「香港・広州の旅」参照)。
 彼ら(中国)は、それらを「中国独自の技術」と自負して国威発揚に利用しているが、残念ながらそれは真実ではない。リニアはドイツのシーメンスなどの技術であり、高速車両も、シーメンス以外にカナダのボンバルディアと日本のJR東日本、フランスのアルストムなどの技術である。
 (最近、世界各地で高速鉄道導入の動きがあり、中国もそれに入札しようとしてアメリカなどに働きかけたりしており、それに対して日本が抗議の意向を示したりしている。というのも、中国に技術移転する際に、「中国国内でしか使用しない(海外には売らない)」と取り決めたのであるが、中国は高速車両に多少のアレンジをしただけで、「これは中国独自の技術だ」と主張して海外に売ろうとしているのである。中国らしい手法であるが、こうなることを端から予想していたJR東海は、中国への売買を拒否した(しかしJR東日本が売ってしまった)、という話もある。いずれにせよ、この辺りの話は長くなるので、公平性の判断をお任せするうえでも他サイトを参照していただきたい)
 それはさておき、そのような多少胸糞悪い事情があるのなら乗りに行かなくてもいいだろう、と思われるかもしれない。しかし鉄道好きとして看過できないのが、「新幹線車両で寝台車にしている」ものがあるということである。
 中国の高速鉄道車両CRHには型番で1,2,3,5などがあり、CRH2はJR東日本の技術によって造られたものである(中国は認めないであろうが、車体の線形などは青森行の「はやて」そのままである)。それ自体は今までに飽きるほど乗ったことがあるのであるが、中国ではその車両を使用して寝台車に仕立て上げているのである(日本では、夜間の騒音問題などから実現できない)。2008年12月に登場した新幹線型寝台車であるが、これはなんとしても乗りに行かなくてはならないだろう。
 その高速鉄道の夜行列車であるが、北京と上海の間だけでも5往復している。ボンバルディア型のCRH1もあるが、せっかくであるからJR東日本のCRH2に乗りたい。あれこれ考え、今秋にリニューアルした羽田の国際線ターミナルから上海虹橋へ飛び、上海虹橋−北京南で新幹線型の寝台車に乗車、翌日は比較も込めて、旧式の寝台車で北京−杭州を乗車し、杭州蕭山から成田に戻る旅程にした。そして上海と北京では、それぞれ鉄道博物館を訪れる予定である。

@今回乗車したCRH2(上海虹橋駅にて)

2010年12月11日 上海鉄路博物館と、新幹線型寝台列車
 真新しい羽田の国際線ターミナルから、上海虹橋空港へと向かう。今秋から開設された路線であるが、日本側も便利な羽田になっているのと同様に、中国側も本来の国際線空港である浦東ではなくて、市街地に近い虹橋になっている(同様のことが台湾でもあり、羽田発は桃園ではなくて松山に向かう)。これだけでかなりの時間短縮になり、便利である。
 虹橋空港へは、予定より少し早く到着した。到着口の出口で、切符の手配をお願いしていた上海実華国際旅行社の人から切符を頂く。中国では鉄道の切符の販売が出発の10日前からであり、列車によってはすぐに売り切れてしまうらしいため、事前にお金を振り込んでお願いしておいたのである。上海虹橋から北京南までは当然新幹線型の寝台車(D動車組)の軟臥(一等寝台)であり、北京から杭州までは、当初は高包(高級軟臥。個室の最上級クラス)をお願いしていたのであるが、どうやら連結されていないということで軟臥にしてもらった。切符と、高包から軟臥に変更したことによる差額のお金(元)を確認する。
  ・上海虹橋−北京南(軟臥下段・D動車組) 730元
  (参考:同区間の硬座327元。北京行のT特快の軟臥499元、硬座179元)
  ・北京−杭州(軟臥下段・T特快) 539元
  *1元=13円弱
 これらを比較しても、新幹線型のD動車組の値段の高さが際立つ。

@左右逆にスキャンしてしまいました(右が往路、左が復路)

 開通したばかりの地下鉄10号線に乗り、市内へと向かう。最初はガラガラであったが次第に混み始める。地下鉄を乗り換え、人民広場駅で降りて上海博物館で多少の時間を潰してから、また地下鉄を乗り継いで上海鉄路博物館へ向かう。最寄駅は宝山路で、そこから徒歩で約7分。
 門の近くにいる警備員のようなおじさんに入場料10元を支払い、敷地内に入る。庭にはSLと客車、給水塔などが展示されている。建物内の展示スペースは1階だけであるが、小ぢんまりと纏められていて綺麗である。第二次世界大戦時の日本軍による鉄道施設への攻撃に関する資料がこれ見よがしにあったりするが、そういった点への評価は個々人にお任せしたい(各サイトで色々な方が感想を書かれています)。

@住宅街の中にある鉄路博物館

 地味な資料館であり、人気など出そうにないと思える(上海博物館を出てから、ちょっとしたきっかけで中国人の若者たちと英語で話をする機会があった。「これから鉄道の博物館に行く」と言うと、誰もその存在を知らなかった)。しかし意外にも館内には数組の家族連れがいて、ほぼ同時刻に入った家族などは、子どもが「ねーねー見てー」と言っていることからもわかるように、明らかに日本人である。
 館内には鉄道シミュレーターらしきものがある。やる気もないので展示だけ見て外に出ようとすると、愛想のよいおじさん(案内係)が、「あれ(シミュレーター)も乗ってけ」という感じで笑顔で招くので付いていく。車両の中は、家族連れ10人くらいで超満員である。お客が操作できるわけではなく、ただ単に前面の景色が動いていくだけの微妙な装置であるが、中国人のおじさんの客は熱心に若い係員に質問したりして盛り上がっていた。

@かなり微妙な内容のシミュレーター

 博物館を後にし、まだ時間があるためにお決まりの東方明珠塔(テレビ塔)を外から眺めたりして、地下通路をアトラクション風に走行するミニ列車風の珍妙なものに乗ったりし、新疆ウイグル自治区料理のレストランで羊肉を頂き、充分に酔ってから上海虹橋駅へと向かった。

@スパイシーな羊肉づくし(1本たったの3元)

 上海の表玄関は上海駅(と上海南駅)であるが、中国では高速鉄道の整備に合わせて大規模な駅の整備も進めており、これからは上海虹橋がそれらの一部を担うことになる。今年の7月に正式開業したばかりであり、それまで上海駅を始発にしていた新幹線型の寝台車も、10月の末からこの虹橋駅から出発することになった。空港の第2ターミナルにも隣接しているため、一大ターミナルとなっている。
 荷物検査をし(これはこの駅に限らず、地下鉄なども含め、中国の駅や公共施設すべてでやっているもの)、構内へと入る。1フロア上から眺めてみると、厭になるくらいの巨大な駅である。これから乗車するD302次は幸いにも一番手前の30番線(!)であったが、これがもし一番奥ならため息が出そうである。

@気が遠くなるほどほど広い構内待合室

 出来たばかりということもあり、構内は中国らしくなく綺麗である。巨大な電光掲示板には時刻案内や指定券の販売状況が示されている。トイレも清潔であったため、そこで顔を洗ったりしておいた。

@目がチカチカしてしまう切符売り場の掲示板

 この手の大きなターミナル駅には、軟座や軟臥の切符を持っている人のための専用待合室があるらしい。しかし、あまり時間もないのでそれを使うことはなかった。
 出発の30分前に中国語と英語で改札開始のアナウンスがあったため、ホームへと向かった。ホーム毎にある改札でお姉さんに切符を確認してもらって中に入り、エスカレーターでホーム階へと降りる。これから乗車する「はやて」型の寝台車だけではなく、ほぼ5分おきに出発する同様の新幹線型寝台車が何編成も停まっている。それにしても、不必要なほど広いホームである。新幹線型の寝台車は旧式の寝台よりも値段が高く、飛行機の格安チケットよりも高いため、あまり人気はないらしい。実際、乗客はまだ数えるほどしかいない。

@ホームはこんなに広くなくてもいいような気が…

 CRH2についての感想は様々な方が感想をすでにインターネット上に載せているので、ここでは箇条書きで簡単に記しておきたい。
  ・車両は16両、先頭車両2両のみ座席車で中間に食堂車がある以外は、すべて寝台車。
  ・机上にはお湯入りポットと造花と皿(ゴミ入れ)、そしてCRHのパンフレット(車両入口付近にもある)。
  ・各寝台に液晶テレビがあり、チャンネルは4つ(映画やPR番組など)。
  ・使い捨てスリッパは4色に分かれていて、他人の物と混乱しないようになっている。
  ・洗面所は清潔でお湯も出る。トイレは西洋式もあり。
  ・梯子は当然ないため、上段の客はドア付近にある小さな足かけフックを使用して上る。
 
@綺麗に整えられた個室内と、中国らしくない(?)洗面台周り

 定刻の21時35分になり、D302次は出発した。駅付近にはたくさんのタクシーが見え、ちらほらと灯火も見える。すでに夜も遅いため、最初の停車駅くらいを確認したらあとは寝る予定である。
 新幹線だけあって、乗り心地は「いつも通り」であるが、横になって寝られるのが嬉しい。寝台の長さも充分であり、荷物を足元においても余裕がある。テレビでやっている番組は中国語であるため理解不能であるが、画面の下部に、テロップで列車の案内や現在の速度などが示されている(速度表示に関しては時差(?)があるため、すでに減速しているのに「187km」となっていたりするので、あまり信憑性はなさそうであるが)。
 実は出発前にホーム上を先頭まで歩いてみたのであるが、一番先頭の座席車には乗客がたくさん乗っていたのだが、その次以降の車両はほとんどカラであった。しかし、私が乗車している2号車(つまり後ろから2両目)は、ほぼ埋まっている。値段の高さからあまり乗客は多くないようであるが、到着後の清掃などを考慮してその乗客を一部の車両に固めているようである。
 21時54分、最初の停車駅である昆山南に定刻に到着した。ホーム上はがらんとしているが、数人乗り込んできた。私の上の段は、まだ空いたままである。それにしても、上段は小窓もなく、客車寝台にありがちな通路側の荷物置き場もないため、かなり使い勝手は悪そうである。上段の方が75元ほど安いが、その程度の差なら断然下段をお勧めしたい。
 通路の電燈は車掌任せであるが、コンパートメント内の電燈は自分で操作しなければならない。どうせ中国語もできないし、同室の人も横になっているので、何も言わず電燈を消して寝入ってしまった。

12月12日 中国鉄道博物館(×2)と在来線寝台列車
 翌朝、時計を確認すると5時50分である。場所はどこを走っているのかまったく予想できないが、高架ではなく、所々にポイントがあって「ガタンゴトン」と音がするところだけが、新幹線らしくないといえばらしくない。空気の汚染している北京にはまだ近づいていないようで、夜空にはいくつもの星が輝いている。コンパートメントの中は真っ暗であるが、いつの間にか私の上段にも人が乗っている。昆山南以降の停車駅は南錫・常州・丹陽・鎮江(いずれも昨日のうち)であり、どこかで乗ってきたのだろう。
 混まないうちにと思い、洗面所に行って顔を洗う。お湯が出るのは普通であると感じてしまうが、これまでの中国鉄道事情(寝台列車)からすると画期的なことであろう。
 6時を過ぎてしばらくすると、だんだんと空が白んで外も見えてきた。建設中の高速鉄道用の高架がずっと寄り添っていて、そのうちにこの路線もあちらへ移行するのであろう。ロングレールではない区間になったようであり、かすかに「カタンコトン」と走行音がしている。ある意味において、「はやて」に乗っていては体験できないことではある。
 6時50分に女性の車掌がゴミの回収に来て、スリッパも持っていってしまった(記念に持って帰ろうかと思っていたのだが)。
 上海虹橋と同様に、古い北京駅を補う形で巨大ターミナルとして2008年に大幅改装された北京南駅に、7時28分に到着した。定刻より1分早着であり、なかなかの好成績である。ホームは凍てつくように寒く、日本出発前に調べた天気予報の「最高0℃」は本当のようである。

@寒かったので、南駅構内で温かい朝食を

 北京では時間に余裕があるため、まずは地下鉄で移動して雍和宮を参拝し、再び地下鉄で三元橋まで行き、そこでタクシーを拾って中国鉄道博物館へと向かう。ちなみにわざわざ三元橋に行ったのは、タクシー乗車距離を抑えるためである。ガイドブックでは北京駅から50元程度となっていたが、20元弱にすることができた(帰路は22元)。
 博物館といっても、巨大な建物(暖房なし)に機関車と客車がたくさん陳列されているだけである(ほんの一角に、簡素な売店やビデオ展示がある程度)。とても観光要素を満たせるようなものではないし、そもそも交通の便も至極悪いところにあるが、なぜだか家族連れで混んでいた。

@ただ広く、周囲には何もない…

 旧い緑色の客車やディーゼル機関車が敷地の半分程度、残りはSLである。「毛沢東号」なんてのもあったが、そういうのに限って日本製だったりする(中国製のSLもたくさんあるわけだから、その手の物はそちらを使えばいいのに、とは思うが)。

@とりあえず毛沢東号(右側)

 鉄道好き以外にとっては苦痛でしかないであろう施設を離れ、再び三元橋へ戻り、地下鉄を乗り継いで天安門へと向かう。故宮をゆっくり観ている暇はないが、初の北京でここを訪れない手はないだろう。
 あまりにも寒いため、露店のインスタントコーヒーを3元で購ってそれを啜りながら広場を歩く。地下鉄の前門駅へ向かっていると、道路向かいの建物に鉄道博物館という文字があるような気がする。よくよく見ても、間違いなく「中国鉄道博物館」となっている。事前に調べた限りでは、その名称の施設は、先ほど訪問した「タクシーで行かなければならず、そして車両があるだけの施設」であるはずなのだが、こんな都心にこんな施設があるとは思わなかったが、よい偶然であるので入ることにした。

@偶然の出会い、中国鉄道博物館パート2

 (帰国後に調べてみたが、今年の10月23日、つまりたったの7週間前に開館したばかりのようであった。どうりで、各観光サイトやブログでも見つけ難かったわけである。しかも名称が、車両が展示されている施設とまったく同じ「中国鉄道博物館」であるのが、ややこしい。ちなみに料金も同じ20元である。旧京奉鉄道正陽門東駅を利用したということで、中国当局もかなり力を入れているらしいから、これからはだんだんと有名になってガイドブックなどにも載るのかもしれない)
 館内は地下1階地上3階、すべて鉄道関係の資料であり、古くからの歴史の説明や各種展示物、シミュレーター(別料金らしい)や巨大なジオラマ展示などなど、一言では説明できない程度の多さで充実土合はかなりのものである。高速鉄道の展示にも力を入れているが、技術供与元である日本やドイツに関する記述はやはり見当たらなかった気がする。

@奥地のラサまで、延々と巨大なジオラマが

 上海の博物館でもあったが、目立つ所には中国歴代主席が鉄道施設を視察している写真が掲示されている。北朝鮮ほど露骨な手法ではないが、そういうのが展示されているということ自体、「そういう国」なのだなぁと感じさせられた。しかし、その他の展示自体は非常に充実しており、日本の旧交通博物館(秋葉原)など、遠く足元にも及ばない。

 小一時間ほど博物館で過ごしてから、地下鉄で北京駅へと向かう。昔ながらのターミナル駅であるため、建物は厳かな雰囲気である(新しく造られているターミナル駅は空港のような感じであり、それらとは対照的である)。車内で必要な食材(おつまみ)などを、駅近くのスーパーで買っておく。

@落ち着いた雰囲気のある北京駅構内

 人民の波にもまれながら、荷物検査をして駅構内に入る。駅売店でワインを購入し、すでに改札が始まっていたのでT31次の出発する9番線のあるホームへ降りていく。
 すでに列車は入線していた。私の乗る軟臥は9号車であり階段の近くであったが、右を見ても左を見てもはるか遠くまで車両があり、とてつもなく長大な編成である。編成は、1・2号車[荷物車]、3〜7号車[硬座]、8号車[食堂車]、9・10号車[軟臥]、11〜17号車[硬臥](三段式の寝台)、18号車[電源車?]、という感じである。18両編成は、私が乗ったことのある列車では最長であり、先頭の荷物車なぞはホームからはみ出してしまっている(人が乗らないから問題ないであろうが)。18号車の先には2両連結の機関車があったが、ホームが頭端式(行き止まり)であるため、出発の際は1号車が先頭になるはずである。
 
@それぞれの車両入口にいる車掌と、懐かしい板製のサボ(行先表示板)

 車両の入口には、それぞれに車掌の女性(ごく稀に男性がいるが、基本的に女性)が立っている、いわゆるオールドスタイルの中国の鉄道である。9号車の入口にいた若い女性に切符を見せ(きっちりと確認される)、中に入る。出発までまだ40分近くあるのに、車内はほぼ埋まっていた。一番値段の高いこの軟臥に限らず、座席も三段式寝台もそうであった。恐らく出発時には、満員になるのであろう。
 軟臥だけあって、シートは柔らかく蒲団もまぁまぁ上等である。お決まりのお湯入りポット以外には、使い捨てもスリッパがある。D動車組の色違いスリッパよりは安物風であるが、それ以外にも歯ブラシセットや石鹸、ナプキンも付いていた(ナプキン以外は使わなかったが)。

@誰かに崩されていた寝具(上段にいた客?)

 定刻の15時39分、いかにも客車らしい大きな衝撃があって動き出した(逆に動き出してからは、これも客車ならではの滑らかさである)。すぐに大きく右にカーブし、長大な編成を牽引する機関車(1両のみ)も窓から確認することができた。
 出発後10分ほどで、今朝到着したばかりの北京南を通過する。そこからは、様々な路線と交差したり合流したりするが、長大な貨物列車(自動車専用の貨車もあり)が頻繁に見かけられ、貨物輸送の多さを実感させるものであった。

@今朝も見た、建設中の高速鉄道用高架

 午後4時過ぎ、いわゆる「緑皮車」と呼ばれている、いかにも中国的な旧式の緑色の車両(空調なし)を追い抜いた。それも2〜3回抜いたのであるが、未だにその手の車両も現役で走行しているようである。今度機会があれば、無くならないうちに乗ってみたいとも思う。ちなみにこの緑皮車で北京から上海まで移動すると、所要時間は約23時間、料金はたったの88元(D動車組の8分の1以下)であったが、その車両は今年の6月末に廃止されてしまった(直通列車自体は残っているが、空調付きの車両に変更され値段は158元になってしまった)。
 しばらくするとビルが多くなり、沿線にスラムのような廃墟(中国は国の面子を大切にするため、近々整地されてしまうのだろう)が見え、定刻より5分遅れの17時09分に、最初の停車駅である楊柳青に到着した。向かい側には、座席だけの編成の北京南行CRHが停まっていて、車内はほぼ満席であった。
 17時12分、同駅を今度はスムーズに出発。車内では、頻繁に車内販売のワゴンが行き来している。呼び込みの声はなんと言っているのか不明であるが、それにしても係員の動きが速いため、内容を確認しようとしてもあっという間に車両の端まで行ってしまっている。飲み物、果物(これはワゴンではなく手持ち)、乾き物(お菓子など)が行き、次はどうやら弁当のようである(隣りの部屋の乗客が買ったためワゴンが止まり、内容を見ることができた)。そこでは買わなかったが、しばらくしてから同様の弁当を隣りの食堂車で購入し、少し早い夕食にした。値段は15元(事前に調べていた値段より安かった)であり、中身は典型的ぶっかけ飯+おかずである(食堂車では、他のおかずも購入可能であり、缶ビールも買うことができた)。中国の食堂車は列車によって当たり外れが大きいらしいが、この列車の弁当は、悪くはない味であった。

@結構美味だった弁当(ある意味、駅弁?初体験)

 すっかり日が暮れ、18時56分にコ州に到着した。意外にも5分の早着である。前方の硬座車の方からは結構な数の乗客がホームに降りてきているが、皆がとてつもなく大きな荷物を抱えている。麻袋のようなものを背負っている人もいる。
 しばらく停車してから出発したが、時計はまだ19時03分であり、気のせいではなく1分の早発であった。まだ宵の口であるが、食事が終わった後はすることもないし酔っているので、私は早々に寝てしまった。
 ふと目が覚めると、時刻は23時27分、ちょうど駅に到着して止まりかかっているところであった。駅名標には「徐州」とあり、いつの間にか21分の遅れになっていた。夜中であるにも係わらず、それなりに多くの乗降客がいる。それを目当てにしている小さな移動式売店も、ホーム上にちらほらといる。

@夜中でも人の動きは激しい

 同駅を23時43分に出発、私は再び寝入ったが、暖房の効きすぎで車内は暑く、何度も目を覚まして水を飲んだ。

12月13日 そして杭州へ
 朝起きたのは5時半頃で、まだ明るくなっていないが窓を伝う水滴から雨であることがわかった。ロングレールではない区間を走っているため、カタンコトンという音が続いている。6時03分に、定刻より33分遅れで嘉興に到着、硬座からはここでも多くの乗客が降り、私のコンパートメントにいた1人も降りていった。
 6時06分に嘉興を出発、やがて明るくなり、雨に晒されている住宅をなんとなく眺め続ける。6時50分くらいに巨大な貨物ターミナルが現れたが、引込み線は20本以上もありそうで、日本とのスケールの違いを感じさせられた。
 次第にスピードがゆっくりになり、CRHの整備工場のような建物が右手に現れ、名も知らぬ橋を見遣って、7時04分に杭州に到着した。定刻より36分の遅れだが、どうせ早朝ではすることなどないし、明るい景色を眺められたのでこのくらいの方が丁度いい。
 北京と同様、人民でごった返す改札で切符を確認してもらって通り抜け(渡してもいいが、手を離さなければ切符は貰える)、駅前に出た。駅周辺も含めて再開発中のようであり、地下鉄の工事もしているようである。古都として有名な杭州も、中国近代化に飲まれてしまう日が近いのかもしれない。

@杭州にも地下鉄が走る日は近い

 日本へのフライトは午後であるため、路線バスで西湖へ移動して適当に観光をした。平日であったが、大型の観光船は立ち客の中国人でぎゅうぎゅう詰めであった(私は散歩をしただけで、それには乗らなかったが)。上手い表現が思い浮かばないのだが、一昔前の、日本の観光地のあり方を見たような気がした。

@もちろん、まだまだ長閑な一面もある

 

 

■ 鐡旅のメニューへ戻る

 「仮営業中」の表紙へ戻る

inserted by FC2 system