惜別「200系」(ついでに地元の祭り)

■はじめに
 以前、山陽新幹線の100系や300系が廃止になる際には、一応現地へ行って乗車してみたが、「何が何でも乗っておかねば」というほど気概があったわけでもなかった。
 しかし今回、3月中旬をもって東北・上越新幹線から完全に200系がなくなると聞き、これはやはり、最後にきちんと乗っておこうと思ったのである(なお、東北新幹線からはすでに運用を外れている)。
 個人的にも思い入れがあるし(今から25年以上前、初めての遠方への一人旅として北海道に行った際に、宇都宮から盛岡まで乗車した)、それに、「新幹線といえばあれ」という形(団子鼻)をした最後の新幹線だからである。
 いつもの例に倣って、廃止直前はご専門の方でごった返すので、2月中に乗っておくことにした。また、ただ単に新潟へ往復しても面白みがないので、温泉に泊まって地元の催し物などにも訪問してみることにした。

@高崎駅にて

■2013.2.16
 これを読んでいる人にとってはどうでもいいことであるが、今日は私の誕生日である(他の有名人は、大隈重信や金正日など)。
 200系で運用されている新幹線は、すでに5往復のみ、そのうち新潟まで行くのは3往復だけに減っている。東京発新潟行を待つと14時過ぎになってしまうため、今日は高崎行に乗ることにしている。
 東京駅へ向かい、7時28分発の高崎行が停まっているホームへと向かった。写真を撮ったりしている人は数人程度であり、平穏である。

@そろそろ見納め

 列車は、定刻に出発した。走り出してしまえば、いつもの乗り慣れた新幹線である。時折居眠りをしながら、高崎には定刻より2分遅れで到着した。
 水上行の各駅停車の出発まで50分弱あるが、駅前に出てみると冷たい空っ風が吹き荒れており、散策は諦めて駅へ戻ってしまった。その後は、駅弁を買って件の各駅停車に乗り込んだ。

@だるま弁当が有名だが、こちらも定番

 渋川以降から雪になり、水上駅付近は完全な雪模様であった。ここでも、中途半端に待ち時間(約1時間と少し)がある。雪の中を少し歩き始めたが、温泉街に至る吊り橋が冬季閉鎖になっていたため、すぐに引き返してほとんどの時間を駅待合室で過ごした。
 ホームを覗いてみるとすでに長岡行が停まっていたため、入場してそちらに向かって行った。すると、一番奥のホームになんだか見慣れない不思議な列車が入線してきた。どうやら、レールの診断をする列車のようである。新幹線の「ドクター・イエロー」は何度か見たことがあるが、在来線のそれが走っているのを見たのは初めてである。

@キヤE193系(East i-D)という(帰宅後に調べた)

 11時41分発の長岡行に乗り込み、六日町で乗り換え、十日町に着いたのは13時20分頃であった。今日は「十日町雪まつり」の開催日であり、辺りは賑わっている。
 市内各地にある会場を巡るほどの時間はないので、駅から歩いて10分程度のところにある会場だけ訪問した。会場内だけでなく、街中の通りにも小さな雪像などが置かれてあり、無料休憩所なども各所にあって、街全体で盛り上げている感じであった。

@それら雪像ではなく、あえてこの写真を載せる

 雪も降り続けていて寒かったので、予定を1時間早めて1本早い列車で温泉へ向かうことにした。十日町から北越急行で六日町へ戻り、そこからJRで小出へ。雪や祭りの混雑のためそれぞれ数分遅れていたが、無事に乗り継ぐことが出来た。小出からのバスにも5分で連絡でき、予定通りである。
 これから向かうのは、栃尾又温泉である。元から数人しかいなかったバスの乗客であるが、途中からは私1人だけになってしまった。

@無事到着(とにかくすごい雪)

 部屋に落ち着いた後は、この温泉特有のぬるい温泉に浸った。ラジウムに40分ほど浸かってからは、部屋に戻ってこの旅行記を作成し、18時からは早めの夕食(部屋食)を頂いて、その後はテレビを観つつ床に就いた。

■2013.2.17
 まだ暗いうちから外で除雪のブルドーザーの音が響いているので、昨日からの雪はかなり積もったのであろう。6時前に起き、しばらくしてから温泉へ行った(朝と晩では男女が入れ替わり、朝は新しい建物の方になるため)。
 温泉のある棟から外を見遣ると、辺り一面新雪で埋もれていて、まさに山の奥といった感じである。

@温泉に入る以外、することなし

 部屋で朝食を頂いてから、8時35分のバスで小出駅へ向かった。微妙に40分ほどの待ち合わせ時間があるが、することもなく待合室で時間を潰す。ほどなくしてやってきた長岡行に乗り、10時18分に到着。ここでまた、快速「くびき野」に乗るために中途半端に50分強の時間があるが、駅周辺の散策は以前にやったことがあるので、結局駅近くの書店で時間を潰してしまった。
 その後、定刻より4分遅れてきた快速に乗り、新津へ向かった。

@内装等があまり変わっていないという点では、200系よりこちらの方が「国鉄色」を色濃く残している

 新津からは1両だけの羽越線各駅停車に乗り込み、次の目的地である月岡へ向かった。今日は月岡温泉でイベントがあるからなのだが、残念ながら月岡駅は最寄駅としては機能していない。温泉街へのシャトルバスも、新発田や豊栄に行くものだけである。
 定刻の12時31分、無人駅である月岡駅に到着した。駅前に月岡温泉の案内があり「4km」とあったが、事前に地図検索をして約3キロ程であることは承知済みである。
 雪深い歩道を歩き続けたが、まるで砂浜を歩くようで体力を必要とした。もうすでに13時前であるが、昨日から降り積もった新雪を踏んだ足跡は2人分しかなく、私で3人目である。それだけ、「地元の人も歩かない」ということなのであろう。

@勇者の痕跡(車道は車通りがかなり激しい)

 雪に足を取られたため、約50分かかって温泉街に辿り着いた。「世界の鍋グランプリ」なる行事が行われていたため、とある鍋を買ってそこに投票したりした。会場付近には、何体かの「ゆるキャラ」も登場している。
 イベントに合わせて日本刀の展示館も無料開放していたためそれを見学し、その後は共同浴場に行ってこの温泉特有の緑色の湯に浸かった。他にすることもないので、自分用の土産として饅頭をいくつか買う。

@温泉街猫三匹

 15時34分発のシャトルバスで新発田へ向かい、待ち合わせ時間が40分以上あったため、駅近くにある酒蔵を見学して試飲をしたり、公園にあるD51を見たりして時間を潰した。
 16時37分発の各駅停車で新潟へ向かい、後は200系新幹線で東京へ戻るだけである。
 新潟駅新幹線コンコースには、「上越新幹線開業30周年」のパネル展示があった。200系の歴史は東北・上越新幹線と同じ路を歩んできたが、車両の方が一歩先に引退することになる。

@30年の歩み

 列車は、17時44分に出発した。往路と同じで、走り出してしまえば、飽きるほど乗車した毎度お馴染みの上越新幹線である。出発後しばらくして日も暮れてしまったので、パソコンをつついたり語学の参考書を捲ったりして車内を過ごした。 
 越後湯沢からは、スキー帰りの客で車内は通路まで超満員となった。最後まで職務を全うしているようであり、何よりである。

 

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